炎上って怖いよね、でも発信はした方がいい
番組「ボドゲの天下取り」、略して「ボド天」の今回のテーマは「炎上って怖いよね」です。SNS上で意見がぶわっと広がり、燃え広がって止まらなくなる状況をどう捉えるかが語られます。
Manaさんは、Xなどで情報を積極的に発信した方がいいという推進派です。ただ、自分の意見や情報を発信していれば、炎上リスクは常に伴うものだと話します。
情報をどんどん発信していった方がいいっていうような推進派ではあるんですけども、積極的に発信していると、炎上リスクっていったものは常に伴うものなのかなと考えております。
さらにボドゲ界隈は熱量が高いと指摘します。「助けてください」「教えてください」といったコメントも積極的に集まり、賛否両論のある投稿には多様な意見が寄せられます。
賛否両論はいいこと、でも投稿者はへこむ
Manaさんにとって、議論が活発になること自体は歓迎すべきことです。ただ、投稿した本人からすると「炎上しちゃってるな」と気持ち的にへこんでしまう場合もあると話します。
一方で、本当に悪いことをして反感を得た場合は、それはちゃんとした炎上だと区別します。ボドゲ界は狭い業界なので、不買運動のように今後の活動へ影響することもあると認めます。
(作品を)買わないだとか、今後のボドゲ活動に影響してしまうだとか、そういったことはあると思うんですけども。
それでも、悪いことさえしてなければ、議論が活発になるのはいい傾向という立場です。
「炎上覚悟で言います」で炎上した人は見たことがない
Manaさんは、バズを狙って、あえて炎上させようとする人を見かけると言います。ただ、その狙いで実際に炎上できている人はあまり見たことがないと話します。
よくあるじゃないですか、「炎上覚悟で言います」みたいな。あんな冒頭から始まるようなもので、炎上してるのを見たことはないと思うんですね。
多くの場合、炎上は狙って伸ばそうとしたものではなく、何気ない投稿からぶわっと火がつくパターンだと指摘します。狙い通りならセーフティーネットもありますが、不意打ちだと自分の人間性を否定されたような気持ちになると言います。
炎上でへこんで発信をやめるのはもったいない
Manaさんが心配するのは、不意の炎上でへこみ、それまで積極的だった情報発信をやめてしまう人がいることです。実際にそういう人を何人も見てきたと語ります。
(炎上で)へこんでしまって、情報発信をやめてしまう。それって結構もったいないなっていうふうに思いまして、今日の配信を撮っているところもあります。
悪い人でなければ、その意見はとても貴重だとManaさんは言います。賛成だけでもバズは生まれず、単に悪いことをしただけでも大きくは広がらないと分析します。
肯定意見と否定意見が、投稿者とは別のところでバチバチにぶつかり合い、そこにさらに人が乗っかっていく。この構造こそがバズや炎上を生むと整理します。
否定意見の方が目につく、だから俯瞰する
Manaさんは、話題になること自体がトピックの重要さの証だと言います。みんなが注目し意義のあるトピックだからこそ話題になりがちで、肯定に傾くか否定に傾くかはものによって変わると話します。
注意点として、肯定意見と否定意見が同数あっても、否定意見の方が目につく性質があると指摘します。実際はそこまで否定されていなくても、ちょっとした言葉が否定に見えてしまうこともあると言います。
同等に肯定意見と否定意見があったとしても、やっぱり否定意見の方が目に付くわけなんですよ。
だからこそ、冷静に俯瞰して対処していくことが必要だとManaさんはまとめます。ボドゲ界は熱量が高く成長していく業界なので、発信も議論もどんどんしていくべきだという考えです。
10年前、ネットニュースになるほど炎上した
なぜこの話をするのか。Manaさん自身、10年ほど前にすごく炎上した経験があるからです。当時すごく話題になり、ネットニュースにもなったと振り返ります。
かくいう私も10年ぐらい前に、実はすごく炎上したことがあるんですよ。ものすごかったですね。
肯定意見もありましたが、肯定は肯定するだけなのに対し、否定的意見はどんどん過激になっていったと言います。議論とは関係のない誹謗中傷も多く受けたと語ります。
さらに当時は特定班のような人たちがいて、自分の情報をネットに次々と晒されるなど、単なる嫌がらせも起こったと振り返ります。今のような開示請求の文化もなく、対処が難しい時期でした。
大量の毒矢を撃たれ続ける感覚
当時のManaさんは真面目だったため、否定的な意見にもすべて回答し、全部のコメントに目を通していたと言います。すると、どんどん病んでいったと振り返ります。
Manaさんは、炎上のつらさを大きな剣や銃で撃たれる感覚ではないと表現します。一つひとつは普通なら気にしない一言でも、それが積み重なると効いてくると言います。
一回なら蚊に刺された程度でも、どんどん撃たれ続けると毒に侵されていく。見なければいいのに気になって見てしまい、否定的な意見ばかり目についてしまう状態だったと語ります。
Manaさんは、この感覚をアニメ「アイドル」の炎上シーンにたとえます。ずっとスマホを見て炎上に対応し続ける描写が、イメージではなくリアルだと感じたそうです。
そこから怖くて、もう数年はインターネット触ってなかったって時期もありましたね。
不毛な誹謗中傷は否定、でも議論はいい
つらい経験を振り返りつつも、Manaさんは情報発信は素晴らしいものだという立場を崩しません。自分が発信を続けるのも、業界を良くし、自分の考えを発信したいという思いからだと語ります。
肯定的な意見も否定的な意見も、賛否両論あっていいとManaさんは言います。それが議論のテーブルに上がって揉まれることで、いい方向に進むという考えです。
ただし、不毛なただの誹謗中傷は完全否定だと明言します。一方で「本当にそうなのか」と疑う保守的な人も、ノリノリの人も、チラ見の人もいていいと話します。
不毛なただの誹謗中傷とかは完全否定派ですけれども、しっかりと議論すること自体がすごく価値があると考えております。
炎上とバズは違う。バズでへこむな
Manaさんは情報発信を続けることを強く勧めます。業界を盛り上げるだけでなく、考えの整理や影響力を持つことなど、自分にとってのメリットも十分あると言います。
そのうえで、悪いことをした、配慮が足りなかった、人を嫌な思いにさせたという場合は、素直に反省すべきだと釘を刺します。炎上を肯定しているわけではないという立場です。
Manaさんが今回いちばん伝えたかったのは、バズっているのにそれを炎上だと思ってしまう人がいそうだ、ということです。バズった投稿者がいきなり謝罪して静かになってしまう例をもったいないと感じています。
肯定と否定の議論が生まれ波紋を呼んだ状態。悪いことをしていなければへこむ必要はなく、次につなげられる
自分が悪いことをして燃え広がった状態。素直に反省すべきで、肯定してはいけない
見ている大多数の人を想像しながら発信する
Manaさんは結論を端的にまとめます。バズはバズだからへこむな、炎上は反省せよ、情報発信はガンガンやった方がいいことがいっぱいある、という3点です。
バズはバズだからへこむなと。炎上は反省せよと。情報発信はガンガンやってった方がいいこといっぱいあるよ。
発信を見ている人へは、誹謗中傷だけはしないでほしいと伝えます。意見や議論、お気持ち表明には活発に参加してほしいという呼びかけです。
最後にManaさんは、コメントやリアクションをする人より、ただ見ているだけの人の方が大多数だと指摘します。特定の意見を鵜呑みにせず、その大多数がどう感じているかを想像しながら発信するのがいいと締めくくります。
まとめ
炎上とバズは違う、というのがこの回の軸です。Manaさんは10年前の炎上経験を「大量の毒矢を撃たれ続ける感覚」と表現しつつ、それでも情報発信は続けるべきだと語ります。悪いことをしたなら反省すべきですが、議論が生まれるバズにへこんで発信をやめるのはもったいない、というメッセージです。
- 肯定意見と否定意見が別の場所でぶつかり合い、人が乗っかることでバズや炎上が広がる
- 否定意見の方が目につくため、冷静に俯瞰して対処することが必要
- 不毛な誹謗中傷は否定すべきだが、賛否両論の議論はテーブルに上がる価値がある
- バズは次につなげられるのでへこむ必要はなく、悪いことをした炎上は素直に反省する
- コメントする人より見ているだけの大多数を想像しながら発信するとよい






