なぜ今、クレオパトラなのか?
コテンラジオの今回のテーマは、エジプト女王クレオパトラです。前回同じ3人で切腹を扱ったばかりで、樋口さんは「切腹の真逆」と笑いながら本編に入ります。
クレオパトラについて樋口さんが知っていたのは、「鼻が高い」という逸話くらいでした。深井さんも、クレオパトラの鼻がもう少し低ければ歴史は変わっていただろう、という有名な言い回しを挙げます。
一方で樋口さんは、以前のカエサル編でクレオパトラが登場したことも思い出しました。そこからクレオパトラとカエサルの関係を「地元の先輩の元カノ」のように語り、スタジオは笑いに包まれます。
え、これ(クレオパトラ)やっぱ(カエサルの)元カノですよね?
地元の先輩みたいな言い方。
楊さんがクレオパトラを選んだ理由は2つあります。1つは、以前Spotifyオリジナルで楊貴妃を扱っており、同じ世界四大美女のクレオパトラも押さえておきたかったことです。
もう1つは、エジプトの人物をきちんと取り上げるのがコテンラジオでは初めてだったことです。深井さんは、アフリカの歴史を扱うこと自体が初めてかもしれないと補足しました。
樋口さんが「アフリカで長い歴史があるのはエジプトくらいなのか」と尋ねると、深井さんはサブサハラ ── サハラ砂漠より南のアフリカ地域を指す呼び方。西アフリカのマリ王国をはじめ、さまざまな国家や文化圏が栄えましたのマリ王国や、東アフリカの文化圏を例に挙げます。アフリカにも多くの国や文化があったものの、世界史ではあまり扱われないと話しています。
美女ではなく「有能な女王」としての素顔
楊さんによると、クレオパトラは楊貴妃、小野小町、ヘレネと並ぶ世界四大美女の中で、唯一の政治家です。女王として世界史に大きなインパクトを与えた人物でした。
それでもクレオパトラは、史実に基づいて語られることが非常に少ない人だといいます。妖艶、セクシー、男をたぶらかす女性といったイメージは、漫画や小説、演劇などを通じて何重にも積み重なったベールだと楊さんは説明します。
そこ(本来の人物像)をですね、ベールを一個一個剥がしていくのが、実は歴史の面白さでもあるので、今回、人間クレオパトラという意味でいろいろお話できればなというふうに思ってます。
楊さんが本を読んで得たクレオパトラ像は、めちゃめちゃ頭が切れる有能な女王でした。容姿については美しかったという説もそうでなかったという説もありますが、教養が深く、人間的な魅力があり、自分の長所を自覚して戦略的に使う度胸も持っていたといいます。
クレオパトラは外交や政治にも通じ、軍隊の編成、反乱の鎮圧、経済政策でも手腕を発揮したとされます。樋口さんが「歴史上、女性が政治をするのは珍しい」と言うと、楊さんは、古代エジプトには男性優位の社会でありながら女性が権力を握る政治ルートがあり、女帝も登場していたと説明しました。
クレオパトラ個人の能力として、楊さんは語学の才を挙げます。9カ国語を話せたといわれていますが、後世の歴史家の記述なので、7カ国語とする書き方もあり、本当かどうかは何とも言えないそうです。
えー、ほんと?それ(9カ国語)なんか関西弁と博多弁とみたいな話じゃなくて?
ほかにも、クレオパトラには意外な顔がありました。4人の子どもを持つ母親であり、地中海世界で並ぶ者がないほどの富を持つ大金持ちでもありました。楊さんは、その財力ゆえに西洋世界の歴史の命運に大きな影響を与えたと話しています。
クレオパトラはエジプトを22年にわたって統治しました。一度国を失い、取り戻し、また失いかけて盛り返し、最後はすべてを失うという、ジェットコースターのような人生だったといいます。
妖艶でセクシーな美女、男をたぶらかす悲劇のヒロイン
頭が切れる教養人。語学に秀で、外交・軍事・経済で手腕を発揮し、4人の子を持つ母でもあった
上の比較は、楊さんがこの回で示した「イメージ」と「史実に近い姿」の違いを整理したものです。
なぜクレオパトラの実像は見えにくいのか?
クレオパトラが亡くなったのは39歳のとき、イエスが誕生するおよそ30年前、紀元前のぎりぎりの時期でした。非常に昔の人物なので、実像を探すのは簡単ではないと楊さんは話します。
クレオパトラの墓は見つかっておらず、肖像画や彫刻もわずかしか残っていません。同時代の歴史家による記録もあまりなく、残っているのは主に後世のローマの歴史家が書いたものです。
楊さんが問題視するのは、ローマとエジプトが戦争をした敵同士だったことです。敵側の歴史家の記述はそのまま信用できないものの、参考にできる文献がそれしかないため、それを基に研究が進められている状況だといいます。
外から見たらかなり偏った情報だけが残っている。
楊さんはさらに、クレオパトラが女性の権力者だった点も挙げます。以前の「性の歴史」の回でも扱ったように、男性の書き手は女性の権力者をあまりよく書かない傾向があり、クレオパトラの記録にもそれが当てはまるそうです。
クレオパトラは生きていた時代から、すでにかなりの有名人でした。樋口さんが「テレビもない時代に有名人になるのはすごい」と驚くと、楊さんは、大帝国のロイヤルファミリーなので、現代なら週刊誌の1面を毎日のように飾る人物だっただろうと説明する本を紹介しました。
その後、シェイクスピアなどの劇作家によって、世界屈指の美女、悲劇の美しきヒロインという像が作られていきます。決定打になったのが、エリザベス・テイラーがクレオパトラを演じた1963年のハリウッド映画『クレオパトラ』で、現在のクレオパトラ像を決めた作品の1つだといいます。
同時代
生前からすでに有名人だったが、同時代の記録はあまり残っていない
後世のローマ
敵国ローマの歴史家が、ローマ視点でクレオパトラを記述する
劇作家
シェイクスピアらが世界屈指の美女、悲劇のヒロイン像を作る
1963年
エリザベス・テイラー主演の映画が現在のイメージを決定づける
映画の画像を見た樋口さんが「鼻高え」と喜ぶと、楊さんは「そういう歴史の学び方も僕は許容しますよ」と応じています。
古代エジプト3000年と、残らなかった記録
ここから楊さんは、コテンラジオの定番である時代背景の説明に移ります。コテンラジオでエジプト文明を話すのは初めてで、とても長い歴史を「スーパー早く」説明したいと宣言しました。
エジプト文明は、ナイル川を中心に発達した世界四大文明の1つです。人々がナイル川周辺に定住して農業を始めたのは紀元前5000年頃、今から7000年ほど前だといわれています。
7000年前に何をしていたかと聞かれた樋口さんは、自分の前世は紫外線だったかもしれないと答えます。楊さんは「紫外線からよく日本一のポッドキャスターに生まれ変わりましたね」と返しました。
紀元前3000年頃、エジプトに統一王朝ができます。そこから分裂と統一を繰り返しながら、3000年間で32の王朝が興っては消えていきました。この時代を一般に古代エジプトと呼びます。
楊さんは、クレオパトラが亡くなってから現在まではまだ2000年しか経っていないと指摘します。クレオパトラの死後200年ほど経ってようやく日本に卑弥呼が現れるほど、古代エジプトは古い時代なのです。
古すぎる時代だからこそ、古代エジプトを学術的に知るには限界があります。知識のほとんどは墓やミイラ、壁画、彫刻から得られていますが、墓を用意できたのは身分が高く経済力のある人に限られるため、普通の民衆がどう生きていたかはわかりません。
さらに古代エジプトの墓は、長い歴史の中で墓泥棒に遭い続けました。混乱期には警備が緩み、墓を守るはずの警察が自ら墓泥棒を働いた形跡まで残っているそうです。
例えばごめん、ちょっと帰りに牛乳買ってきてみたいなことって墓に書かないじゃないですか。
樋口さんの例えのとおり、墓に書かれるのは墓に書くべき情報だけです。日常のことも政治のことも、墓からはあまりわかりません。
楊さんは、古代エジプト本来の文化が今ではほとんど残っていないことも挙げます。ギリシャの文化が入り、キリスト教、イスラム教へと移るなかで、古い文化は失われていきました。そのため、現在私たちが触れている古代エジプトやクレオパトラの歴史は、推測に推測を重ねて再構築したものだといいます。
ナイル川はなぜ巨大な中央集権を生んだのか?
楊さんは、エジプト文明の成り立ちを「砂漠の乾燥から逃げてきた人たちが立ち上げた文明」とまとめます。ナイル川の流域以外は人が生きにくい砂漠なので、人々は川沿いの糸のように細いエリアに集まり、農業を始めました。
ナイル川は灌漑用水になるだけでなく、1年に1度ほぼ確実に氾濫します。氾濫によって上流から有機物やミネラルを含む土が運ばれ、畑の土が豊かになりました。
同じ土地で作物を育て続けると、塩分が地表に上がる塩害 ── 土壌の表面に塩分がたまり、作物の生育を妨げる現象。乾燥地で灌漑を続けると起こりやすく、古代から農業の大きな課題でしたが起きます。ナイル川の氾濫には、この塩害を洗い流す効果もありました。逆に水位が上がらない年には収穫が一気に減り、飢饉が起きたといいます。
楊さんによると、ナイル川の氾濫をうまく使うには、水路やダムといった灌漑のシステムが必要です。広い範囲でまとめて工事するほど効率が上がるため、大規模な集団労働を可能にする仕組み、つまり広いエリアにわたる中央政権が求められました。
面白いね。メソポタミアでも中国でも同じ理由で大文明が発展してるもんね。巨大な灌漑設備っていうのを作る必要がある。
深井さんは、黄河やチグリス・ユーフラテス川から水を引くためにも灌漑設備が必要で、そこから巨大な文明圏が生まれたと重ねます。楊さんは、社会インフラを作れた集団が力をつけていくということでもあるのだろうと応じました。
一方でナイル川はとても長く、どこでも水を使えます。そのため統一政権の王権が弱まると、地方勢力がすぐに勢いづき、分裂の時代に入りやすい構造もあったと楊さんは説明します。
ナイル川の恩恵で、人々は食べる以上の穀物を作れるようになりました。余った穀物は税として集められ、王や神官、ピラミッド建設の労働者、職人など、農業に直接かかわらない人々の生活を支えました。
ナイル川の氾濫
毎年の氾濫が土を肥やし、塩害も洗い流す
大規模な灌漑
水路やダムを広い範囲でまとめて作る必要がある
中央集権
人と物を集中的に動かし分配する体制が生まれる
国家の仕組み
高度な官僚組織と、正当性を支える壮大な神話体系ができる
楊さんは、ナイル川という地理的要素がエジプトという国の性格を作り、1人ひとりが国の歯車にならざるを得ない「スーパートップダウンな国」ができたと話します。樋口さんは、最初はワントップで統治するフェーズが必要で、そこに根拠が要るという話はこれまでの回でも聞いた気がすると振り返りました。
ファラオの力の源と「二重王政」
国の歯車となる人々の頂点に立つのが、エジプトの王の称号であるファラオです。ファラオは権力と権威を握る神の化身であり、エジプトを支えるナイル川の自然の力ともつながる存在として捉えられていました。
楊さんは考古学の発掘成果として、統一国家が誕生する頃にはすでに大規模なビールの醸造所があり、宴会の跡も残っていることを紹介します。
そこから指摘されているのが、ファラオの権力の源は「食べ物を分け与えられること」だったかもしれない、という説です。作物をたくさん作り、神殿に供物として捧げたり、宴や儀礼で人々に振る舞ったりできる人がファラオにつながった可能性があるといいます。
まあでもね、自分の命預けられる人は、やっぱり命を存続させてくれる人というか、食いもんなんでしょうね。
もう1つ押さえておきたいのが、古代エジプトの二重王政 ── 親子やきょうだい同士が結婚するなどして、2人で共同統治する古代エジプトのしきたり。1人だけでファラオになることは少なかったとされますです。楊さんによると、血筋がばらけないよう、血の濃さを保つことが大きな目的でした。
樋口さんは、神話で統治しようとしながら、血筋もとても重要だったのが面白いと反応します。
楊さんは、二重王政には事業承継をスムーズにする目的もあったと説明します。第12王朝で始まったという説があり、年を取ったファラオが息子もファラオにして共同統治し、その中で代替わりを進めることで、王の死による混乱を避けられました。この成功体験が仕組みとして続いたといわれています。
孤立した安定の国から、国際社会へ
ここから楊さんは、クレオパトラ誕生までの大きな出来事をかいつまんで紹介します。1つ目は、紀元前3000年頃の統一国家の誕生です。ナイル川の上流と下流にあった南北の王国が1つになり、第1王朝ができました。伝説では、統一したのはメネス王だとされます。
古代エジプトは、長らく国際社会から隔絶されていました。貿易はしていたものの、国内でほぼ自給自足の経済ができていたため、国際都市という雰囲気ではなく、歴代王朝もあまり外と戦争をしなかったといいます。
エジプト文明は保守的で変化に乏しいとも指摘されます。楊さんは、雲一つない晴天が毎日続き、太陽は東から昇って西に沈み、ナイル川は毎年氾濫して豊かな収穫をもたらすという単調なルーチンを挙げます。
この単調さが、生命が復活して永遠に続くという来世観を育んだといわれています。砂漠は死の世界であり、自分たちが住む世界は楽園で、その楽園が来世でも続くことを願う観念が生まれました。
これは面白いですね。変化がなかったら時間の捉え方が変わるというか。
楊さんは、エジプトの人々が象形文字を何千年もの間ずっと使い続けたことも紹介します。樋口さんは、変える必要がなければ変えないので、変化に乏しいとも安定していたとも言えると受け止めました。
転機は第25王朝、紀元前600年頃に訪れたと楊さんは説明します。数代にわたってナイル川の水位が理想的な水準で続き、経済が繁栄してエジプトが「ライジング」したのです。
大国になったエジプトは、他国との同盟や敵対を経て国際戦争に加わり、海外貿易、傭兵や鉄の輸入を始め、スエズ運河まで作ったといいます。樋口さんは「バランス崩れたんや」と反応し、楊さんは強くなったことで一気にグローバル社会に飛び込んだ状態だと表現しました。
ペルシャ、アレクサンドロス、そしてギリシャ系のプトレマイオス朝
国際社会に出たあと、古代エジプトは外国人に支配される時代を迎えます。第27王朝、紀元前500年頃にペルシャ帝国に攻め込まれ、支配されました。これを始まりに、20世紀まで2000年以上外国人に支配され続けたと書く本もあるそうです。
ペルシャ帝国はサトラプ ── 古代ペルシャ帝国が各地に置いた州の総督。徴税や治安維持を担い、帝国の広い領域を統治する役割を果たしましたと呼ばれる州知事を置きましたが、その統治は過酷でした。エジプトで尊いとされる動物を殺し、都市を破壊し、重税を課したといいます。
エジプトの人々は一度ペルシャを撃退しますが、第31王朝で再び支配されます。その次にやって来たのが、楊さんが「人類最高の自己肯定感を持った男」と呼ぶアレクサンドロス大王でした。
来た来た来た。
アレクサンドロス大王はペルシャ帝国を滅ぼし、ペルシャに支配されていたエジプトもそのまま支配してファラオになります。しかし大王はすぐに亡くなり、後継者たちによるディアドコイ戦争 ── アレクサンドロス大王の死後、部下の将軍たちが帝国の領土を巡って争った一連の戦争。ここからプトレマイオス朝などの王国が生まれましたが始まりました。
その争いの中からプトレマイオスがエジプトを受け継ぎ、紀元前305年にプトレマイオス朝を建てます。プトレマイオス朝はギリシャ系の王朝で、支配層はギリシャ系の人々、支配される側はエジプトの人々という構造が続きました。
プトレマイオス朝は約300年続き、江戸時代より少し長く、過去のエジプトのどの王朝よりも長命でした。アレクサンドロス大王の後継者たちの国の中で最も栄え、首都アレクサンドリアは地中海世界の文化、経済、学問の中心地になります。
アレクサンドリアには数万から数十万の蔵書をもつとされるアレクサンドリア図書館 ── プトレマイオス朝がアレクサンドリアに築いた古代最大級の図書館。世界中の書物を集め、学問研究の拠点となりましたがあり、一流の学者が次々と訪れました。楊さんは、アルキメデス、地球の円周を計算したエラトステネス、そして天動説・地動説の回に登場したエウドクソスを挙げています。
しかし紀元前3世紀の終わり頃から、プトレマイオス朝は徐々に崩れ始めます。行政が腐敗してエジプトの人々が反乱を起こし、王家は王位を巡って殺し合い、役人の勝手な重税で農村は貧しくなりました。社会の矛盾が時間をかけて積み重なった、この黄昏の王朝の最後のファラオがクレオパトラです。
ギリシャ人の女王、ローマの属国という初期設定
楊さんは、クレオパトラの出自について2つの点を強調します。1つは、古代世界の神クラスの英雄アレクサンドロス大王を祖先としていることです。少なくとも、クレオパトラたち自身はそう主張していました。
もう1つは、クレオパトラがエジプトの女王でありながら、エジプト人ではなくギリシャ人だということです。おかっぱ姿のイメージとは違い、その格好はエジプトの儀式のときだけで、普段は髪を編んで後ろに束ねたギリシャ風の姿だったといわれています。
楊さんによると、クレオパトラのアイデンティティはあくまでギリシャにありました。プトレマイオス朝の王たちは、エジプトの人々を統治する必要から、手段としてファラオの役割を演じ、儀式を行い、神殿を建てていたといいます。
深井さんはここで、冒頭の「9カ国語」の話とつなげます。首都アレクサンドリアが国際都市だったからこそ、クレオパトラは語学に通じていたのだと整理しました。
このギリシャ系の人たちが支配する王朝が300年続いた最後にクレオパトラが出てくるので、この人っていうのは国際感覚が豊かな教養人、ギリシャ系の教養人として出てきているんだっていうことですよね。
ただし楊さんは、クレオパトラが率いたのは落ち目の国家だったと付け加えます。そして、古代エジプトの衰退を決定づけた国際情勢として、ローマの台頭を挙げました。
ローマは強大な軍事力で版図を広げ、周辺の多くの国を従属させました。プトレマイオス朝もローマの属国で、何をするにも新興国ローマの顔色をうかがう必要があったといいます。
ローマは領土争いやプトレマイオス朝内部の政争に調停者として介入し、ファラオはローマの支持がなければ即位すら危うい状態でした。領土もローマに次々と併合されていきます。楊さんは「ネタバレ」として、プトレマイオス朝が最後にはローマに滅ぼされることも明かしました。
クレオパトラは、正確にはプトレマイオス朝に何人もいた女性ファラオのうちの「クレオパトラ7世」です。クレオパトラは息子とともにプトレマイオス朝最後のファラオを務め、古代エジプトの最後の花火を飾った人物でもあると楊さんは位置づけます。
導入を聞き終えた樋口さんは、ナイル川の調子が良かったから国が栄え、国際社会に突入したという流れが印象に残ったと話します。国が豊かになるといろいろなことが起こる、という感想に対し、楊さんは自分の主観だと断ったうえで、人間も結局は自然の力から逃れられないのかもしれないと応じました。
まとめ
クレオパトラシリーズの導入回は、美女伝説の裏にある実像と、クレオパトラが背負った時代背景を描きました。敵国ローマの記録と後世の作品がイメージを形づくる一方で、実際のクレオパトラは、ナイル川が育んだ3000年の古代エジプトの終わりに、ギリシャ系の王朝の最後の女王として、ローマの属国というハードモードの中に生まれた人物でした。
- クレオパトラは世界四大美女で唯一の政治家で、語学・外交・経済に通じた有能な女王だったと楊さんは語る
- 実像が見えにくいのは、同時代の記録が乏しく、敵国ローマの歴史家や後世の劇作家、1963年の映画がイメージを作ったため
- ナイル川の氾濫を活かす大規模灌漑が、中央集権・官僚組織・神話体系をもつトップダウン国家を生んだ
- ペルシャ、アレクサンドロス大王を経て、エジプトはギリシャ系のプトレマイオス朝に約300年統治された
- クレオパトラはギリシャ人の女王で、ローマの属国という「一番大事な初期設定」の中に生まれた





