雷に打たれて修道士へ?ルターの謎の転身
宗教改革編の第4回で、ついにマルティン・ルターが登場します。ルターは1483年ごろ、神聖ローマ帝国 ── 中世から近世にかけて、現在のドイツを中心に広がっていた国家連合。皇帝はいるものの、各地の諸侯の力が強い分権的な体制でしたのアイスレーベン、現在のドイツ北東部にあたる場所で生まれたと深井さんは紹介します。
ルターの祖父の代は農民だったとみられ、父親が農村を出て懸命に働き、資本家として豊かになったといいます。父親は息子のルターに大きな期待をかけ、大学で法律を学ばせました。
ところが、エリートコースを歩んでいたルターに「謎のエピソード」が起こります。村へ帰る途中で夕立に遭い、辺りが真っ暗になったところへ稲妻が落ちてきたのです。
それにめちゃくちゃルタービビるんですよ。うわーってビビって。
恐怖に襲われたルターは「修道士になります」と叫び、大学を辞めて本当に修道士になってしまいます。深井さんは想像だと断ったうえで、信仰が社会の基礎にある時代では、雷を落とすのも神であり、修道士になる善い行いで救われると考えたのではないか、ルターはそこで死を意識したのではないかと推測しています。
ルターの転身について深井さんは、空海のようにエリートコースを捨てて宗教の道に走った姿にも重ねます。当然、父親はひどく困り、ルターはかなり怒られたようです。
厳しい修道生活と聖書研究が生んだ違和感
修道士になったルターは、アウグスティヌス修道会という厳しい修道会に入ります。修道生活は貧しく清貧そのもので、ルターはそこで聖書を徹底的に読み込みました。
深井さんが読んだ資料では、ルターは聖書を丸暗記できたとも言われているそうです。分厚い聖書を覚えるほどの勉強ぶりに、出演者たちはルターを「真理追求型」の人物だろうと評しています。
その後、ルターはヴィッテンベルクの修道院に移ります。ヴィッテンベルクは、のちにルターを後援するザクセン選帝侯がいる場所で、ルターにとって重要な拠点になりました。
ヴィッテンベルクで聖書研究に没頭するうちに、ルターはある疑問を抱きます。カトリック教会が説く救われ方が、聖書に書いてあることと違うのではないか、という疑問です。
さらにルター自身、修道士として救いを求めて勉強を重ねても、まったく救われた感じがせず、不安が消えない葛藤を抱えていたといいます。純粋な聖書研究と個人的な苦悩の両方が、ルターの問いの出発点でした。
深井さんはここで、当時カトリック教会が販売していた贖宥状に触れます。贖宥状は、深井さんの学生時代の教科書では「免罪符」と書かれていたものです。ルターは1517年に贖宥状販売へ異議を唱え、それが燃え広がって宗教改革が始まりますが、「買えば天国に行けるお札」という理解には語弊があるため、まず「贖宥とは何か」から説明が始まります。
罪はリカバリーできる?悔い改めの3ステップ
キリスト教では、人は生まれながらに原罪 ── アダムとイブが神の命令に背いたことに由来し、すべての人間が生まれつき負っているとされる罪。キリスト教の救済観の出発点になる概念ですを抱えているため、そのままでは天国に行けません。そこで洗礼によって原罪をいったん洗い流します。
とはいえ、洗礼を受けた人も、聖書や教会の教えに反する行為をしてしまうことがあります。深井さんによれば、その場合も悔い改めのサクラメントという儀式を行えば許される、つまり罪からリカバリーできる仕組みがありました。
深井さんは、このリカバリーできる仕組みこそが当時の人々の希望につながっていたのだろうと話します。悔い改めの儀式は、大きく3つのステップでできています。
3つ目の償いは、決して極端に重いものではなく、日常の中でできる範囲の行為だったといいます。このプロセスをたどると、罪が浄化され、洗い流されるとされていました。
ここでいう罪は法律上の罪ではなく、キリスト教としての罪です。日々の生活で犯した罪を教会に浄化してもらい、それによって救われる、というのが当時の基本的な構図でした。
償いの代行がなぜ「販売」にまで行き着いたのか
悔い改めの3つ目のステップである「償い」は、時代が進むと、聖職者が代わりに行えるようになります。樋口さんは思わず「代行業者出てきた」と反応しています。
深井さんによると、償いの代行は当初、比較的純粋な気持ちから始まったようです。修道院の人たちが、償いきれない人のために祈ることもあり、楊さんも、貧しい人や病気の人など償いが難しい人のためでもあったと補足します。
償いの代行が受け入れられた背景には、ゲルマン民族の法概念もありました。ゲルマン民族には、誰かに損害を与えたとき、その弁済を本人以外が行っても弁済になるという考え方がもともと存在していたのです。
キリスト教が伝わったとき、ゲルマン民族は、罪を犯すことを神への損害とみなし、神への償いも他人が代行してよいと自然に考えました。楊さんはこれを、償いが「トレード可能なもの」になったと表現しています。
償いの代行は、さらに形を変えていきます。最初は告白された罪に対して代行していたものが、あらかじめ償い行為をしてストックしておき、あとで犯した罪に当て込むという考え方に変わっていったのです。
まだしてないのに、罪を。
楊さんは、償いのストックには信者側のニーズもあったと説明します。償いは生きているうちにしかできないため、死にやすかった当時、償う前に死んだらどうなるのかという不安が信者の中にありました。
深井さんは、代行する側にもストックのニーズがあったと話します。徹夜で祈るような償いは、頼まれてすぐ行うより、できるときにまとめてやって貯めておくほうが効率がよかったのです。代行はもともと最高格の宗教的奉仕だったため、やってあげたいという思いもありました。
ストックされた償いは、やがて販売されるようになります。深井さんは、贖宥状とは、あらかじめ代行された罪の償いを金で買うものだと説明します。
償いの代行
聖職者が、償いきれない人の代わりに償いを行う
償いのストック
罪が告白される前に償い行為をまとめて行い、貯めておく
余った償いの販売
ストックした償いを、お金で買えるようにする
贖宥状
犯した罪にも、亡くなった人にも有効だとされるようになる
すげえな。やってもない罪の話を今してるんですね、僕らは。
贖宥状は、すでに犯した罪にも使えました。さらに教会は途中から、亡くなった人にも有効だと言い始めます。
当時、本物の罪人は地獄に落ちる一方、多くの人は煉獄に行くと考えられていました。煉獄では激しい苦痛を受けますが、罪が少なければすぐに天国へ行け、罪が多いと苦しみが長く続くとされていたのです。
深井さんは、先月父親を亡くした子どもの心境を例に挙げます。父親は今ごろ煉獄で苦しんでいるだろう、お金を出して贖宥状を買えば父親の苦しみが減るなら買ってあげよう、と考えて人々は贖宥状を買っていたのです。
ローマ教会の側も、私腹を肥やす人はいたにせよ、それだけではありませんでした。大きな教会を建てるための資金が必要で、その教会は信者や信仰、救いのためのものだったからです。
僕らは、私たちは正しいことをやってて、信仰に基づいた、あの、こういったこう贖宥状っていうのを販売しているということなんですよね。
楊さんは、贖宥状の収入は教会にとって貴重な収入源であり、教会の立場からすればビジネスではなく、あくまで信仰活動だったと説明しています。
95箇条の提題は教会への反逆だったのか
贖宥状の仕組みに対して、ルターは根本から異なる主張を始めます。キリストは確かに「悔い改めよ」と言ったが、それは一生悔い改め続けよという意味であり、ある罪を悔い改めたら解消、というものではない、という主張です。
さらにルターは、悔い改めのサクラメントには段階があったはずなのに、贖宥状は「心の底から反省する」というステップを飛ばしているのではないか、と疑問を投げかけます。楊さんは、ルターはもともと法学を学んだ人物だったと付け加えています。
ルターの主張に、カトリック教会は困ります。深井さんによれば、教会は教えを広め、組織を養い、立派な教会を建てて信者を救うためにお金が必要で、頭をひねった末に贖宥状を考え出したのだろうといいます。
こうしたらギリギリ救われるし、これでお金集まるならこれでいいんじゃね?つって。そしたらルターがいやダメだって言われるから困るんだよね。
しかも悔悛のサクラメントは、原罪に関わるカトリック神学の中心でした。樋口さんはこの事態を「世界を作ってる公式が疑われたみたいなレベル」とたとえ、深井さんは、教義の中心であるうえにお金にも関わるため、カトリックにとって余計にまずい問題だったと話します。
ルターは、贖宥状への疑問を95個書き出した「95箇条の提題」をまとめます。現在でも本として読むことができ、深井さんは、厳しい内容に「絶対殺される」と思ったそうです。
ただ単に純粋に学問問題として、これちょっと僕おかしいと思うんすけど、一回ちょっと議論しませんかっていうぐらいのテイストなんですよ。
楊さんによれば、ルターは教会や教皇に反抗するつもりはなく、教会を壊す意図もありませんでした。深井さんも、プロテスタントという派閥ができあがるところまでは、ルターにとって想定外だったのだろうと話します。
95箇条の提題は、教会の門の扉に打ち付けられたと言われていますが、それは事実ではないとされています。実際には手紙で送ったという説があると深井さんは紹介しています。
その後、ルターはライプツィヒ討論 ── 1519年にライプツィヒで行われた神学論争。ルターらとカトリック側の神学者ヨハネス・エックが、教皇の権威などをめぐって争いましたで、カトリックの代表者である神学者ヨハネス・エックと大論争をします。ルター一人対カトリック教会という構図で勝ち目はなく、ルターはある意味で負けてしまい、そこから大変なことになっていく、という話は次回に続きます。
善行を積めば救われる?積善説を覆したルター
深井さんは、宗教改革の思想面を理解するため、カトリックの「積善説」を説明します。ルターが否定したこの考え方は、ルター以前にもヤン・フスやジョン・ウィクリフが批判しており、ルターはそれを改めて主張した形だといいます。
カトリックの積善説では、魂の救済を望む人は善行や功徳をたくさん積まなければなりません。善いことをすれば善い報いがあり、悪いことをすれば地獄に落ちるという因果応報の考え方です。
積善説では、善行は銀行預金のように、やればやるほど貯まっていくとされます。深井さんは、これが贖宥状の「償いをストックできる」という発想とつながると指摘し、仏教で功徳を積むという考え方にもかなり近いと話します。
さらに、善行は道徳的行為だけではなく、お金を出すことも功徳になると考えられていました。楊さんが「お布施」と返すように、仏教や神道にも、身銭を切ることで功徳を積んだ感覚があります。
カトリック側から見れば、贖宥状の代金はサン・ピエトロ教会の建設に使われていたので、お金を出すことは良いことのはずでした。楊さんはこの仕組みを「結構Win-Win」と評し、深井さんも、だからこそゲルマン社会に受け入れられたと話します。
ところがルターは、善行を行えば恵みが与えられ、悪行を行えば地獄に落ちるという前提そのものが違う、と主張します。人間の行為で天国か地獄かが決まるのではなく、それは神の意思によるものであり、人が救われるとすれば、それは善行や功徳ではなく神の愛によるものだ、という考え方です。
善行や功徳、献金を積むことで罪の赦しと救いを得られる。救いの扉を持つのは教皇と教会
救いは人間の行為では決まらず、神の愛による。神の愛を信じることで救われ、教皇や教会が決めることではない
深井さんは、ルターの考え方はカトリック教会を根底から覆すものだと強調します。カトリックは、善行や功徳を積んだ先にある天国への扉を教皇が握っていることで成り立っているからです。
神の愛以外に救いを決められるものはないとすれば、教皇の権威を真っ向から否定することになります。救いは神と自分との関係の話であり、第三者であるローマ教皇が決めるものではない、とルターは主張したのです。
深井さんが面白いと感じたのは、ルターの考えに大乗仏教に近い部分が出てくることです。ルターは、人間的な弱さの自覚こそが神の憐れみを呼び覚ますと言い、弱さを持つ人、つまり悪いことをしている人のほうが神に愛されるかもしれない、という考えに行き着きます。
深井さんは、このルターの発想が、悪人のほうが極楽浄土に行けると説いた親鸞 ── 鎌倉時代の僧で浄土真宗の開祖。阿弥陀仏の救いは自力の善行によらず、悪人こそが救いの対象であるとする「悪人正機」の考え方で知られますと似ていると指摘しています。
楊さんは、ルターのロジックを次のように補足します。救われるかどうかが、お布施の量のような人間側の価値や努力の質で決まるのはおかしい、神の前では人間は平等であり、神の愛は無償であるはずだ、という考え方です。
無償っていうことは、人間がその努力の質によってそれに左右されないっていうことなんで、それはもう、ただ単に神をさえ信じれば救われるっていうことの結論にが導かれたんじゃないかなと思ってますね。
聖書と活版印刷は、なぜ宗教改革に欠かせなかったのか
深井さんは、ここまでの神学の話は非常に難しい領域であり、20〜30冊を読んだ段階の理解なので、間違っている可能性もあると断っています。そのうえで、ルターがどこから神の愛による救いという考えに至ったのか、という話に移ります。
ルターは救いの根拠を聖書に求めました。聖書にそのものずばり書いてあるわけではありませんが、聖書を読めばそういうことだろう、とルターは解釈したのです。
逆に彼が言ってるのは、カトリックがやってることは聖書に書いてないだろって言ってんの。どこにそうやったら救われるって書いてあんの?って話をするんですよ。
ルターは、大事なのはカトリックが言っていることではなく聖書に書いてあることだとして、聖書をちゃんと読もうと訴えました。ここで、活版印刷と宗教改革の関係が見えてきます。
当時の聖書はラテン語でしか存在せず、印刷機が生まれる前は手で写されていたため、とても希少で高価なものでした。楊さんも、聖書はみんなが持って読んでいるイメージだったが、実際には限られた聖職者しか持てず、読めなかったと話します。
一般の民衆は聖書を読んだことがないので、聖書をもとに判断することすらできませんでした。楊さんによれば、民衆は教会へ行って儀式に参加すれば救われる、ということをずっと続けていたのです。
そこへグーテンベルクの活版印刷 ── 金属の活字を組み合わせて版を作り、大量に印刷する技術。15世紀半ばにグーテンベルクが実用化し、書物の普及を大きく進めましたが登場します。深井さんによれば、途中の段階はあるものの、最終的に聖書がドイツ語、つまり人々自身の言語で各家庭に行き渡り、誰もが読める状態が生まれていきました。
ラテン語の手写本で希少かつ高価。限られた聖職者しか読めず、解釈は教会・教皇が一本化していた
ドイツ語の聖書が各家庭に行き渡り、誰もが読んで自由に解釈できるようになった
深井さんは、技術の発展とルターの思想のタイミングが重なったからこそ、プロテスタントが出てこられたと話します。楊さんは、限られた人しかアクセスできなかった「データベース」が誰でも見られるようになったと、バチ当たりなたとえだと断りつつ表現しています。
それまでは教皇が「これ」と言えばそれが唯一の解釈でしたが、みんなが聖書を読めるようになると、人によって違う読み方が生まれます。実際に、このあと多くの派閥ができていくことになります。
次回は、ルターを主権国家の人々が援助していく流れと、ルター自身も予期しなかったほど一般民衆が影響を受け、さまざまな事態が起こっていく話が語られる予定です。
まとめ
今回のエピソードでは、修道士となったマルティン・ルターが、聖書研究を通じて贖宥状とカトリックの救済観に疑問を抱き、95箇条の提題を出すまでが語られました。善行を積めば救われるという積善説に対し、救いは神の愛によるとしたルターの主張は教皇の権威を根底から揺るがし、活版印刷による聖書の普及がその思想を広める土台になりました。
- ルターは雷の体験をきっかけに法学の道を捨てて修道士となり、聖書を丸暗記するほど読み込んだとされる
- 贖宥状は、償いの代行がストックされ、販売されるようになったもので、教会側は信仰活動と考えていた
- ルターは95箇条の提題で議論を呼びかけたが、教会を壊す意図はなく、プロテスタントの誕生は想定外だったとみられる
- 救いは善行や献金ではなく神の愛によるというルターの考えは、教皇の権威を真っ向から否定するものだった
- 活版印刷によって聖書が人々の言語で行き渡ったことが、プロテスタントが広がる前提になった





