ゲティスバーグの演説に「ハマれなかった」3人の実感
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前回のゲティスバーグの演説について、深井龍之介はこの言葉自体で強く感動する内容ではなかったと振り返ります。
正直、あの言葉自体で「ギャー」ってはならないやつでした。
教科書だから、なんで載せたってなったもんね。
樋口聖典は、その理由を自分がアメリカ人でもクリスチャンでもないからだと自己認識したと話します。
多分彼ら(アメリカ人・クリスチャン)と同じエモさで感動できないっていうのは、すごく自覚できた。
一方で深井龍之介は、演説そのものより奴隷解放宣言のほうが歴史的に重要だと感じたと述べます。
(演説は)歴史上めっちゃ重要だな、すごいなって感じはしましたよ。
破綻寸前の南部と、総司令官グラントの登場
戦争は最終局面に入ります。南部経済はすでに破綻寸前で、各地で食料暴動が起き、南軍内では脱走兵が激増していました。
南軍の陸軍長官ジェームズ・セダンは、軍隊の3分の1は当てにできないと嘆いていたと紹介されます。
南部では中央集権を嫌う立場が根強く、ジョージア州知事がデイビス政権に対して徴兵阻止行動をとる動きもありました。
一方で北軍は、活躍していたグラント将軍を総司令官に据えます。
(グラントが)活躍したんで、彼を総司令官につけるってことをやってるってことですね。
黒人兵の活用と、掘り崩されていく境界州の奴隷制
北軍は黒人を軍事力として活用する動きを進めます。リンカンも黒人部隊の編成を各州で推進させました。
南部の占領地域での大規模な徴兵に加え、連邦側にとどまっていた4つの奴隷州、境界州での奴隷の徴兵も認められます。
1863年、連邦の陸軍省は黒人兵士徴用局を設置し、奴隷所有者の許可なく奴隷を徴兵できるようになりました。こうして境界州の奴隷制も掘り崩されていきます。
実質もう奴隷持ってないやんってなってるんですよね。
もう占領されたら(奴隷が)解放されるからね。
マクロでは優勢、ミクロでは激戦の東部戦線
マクロで見れば北軍は優勢でしたが、個々の戦闘は依然として激戦続きでした。
リンカンはグラントを東部戦線の総司令官に、西部で強かったシャーマン将軍を西部戦線に配置し、グラントには南部の首都リッチモンドを落とすよう指示します。
ところが東部戦線でグラントは苦戦します。南軍のリー将軍が反撃し、無惨なまでに犠牲が積み重なりました。
陸軍省の公式記録によると、この年の春の2ヶ月間で、連邦軍の死者は6万人弱、負傷者・捕虜・失踪者が5万人に及んだとされます。
首都リッチモンドを死守しようとする南軍の抵抗は強く、グラントをもってしても街はなかなか落ちませんでした。西部戦線のシャーマンもアトランタに近づけず、戦局は硬化します。
即時講和を求める声と、勝っているのに広がる厭戦気分
戦局の硬化は北部の世論に影響を与えます。もともと北部には民主党支持者、つまりリンカンの非支持者が一定数いました。
彼らは戦争の早期終結と即時講和を訴えます。とくに奴隷解放宣言以降は、奴隷解放が戦争目的になるのはおかしい、目的は連邦の維持だったはずだ、という批判が強まりました。
(戦争目的は)もともと(連邦維持)そうやったもんね。
即時講和を求める急進グループはカパヘッドと呼ばれ、リンカン政府を傲慢だとなじり、北軍兵士に戦線離脱を呼びかけさえしました。
楊睿之は、こうした内部批判が出てくることを、民主主義の性質そのものだと指摘します。
やっぱ民主主義って(途中で後ろから刺されるという)こういうことだよね。違う意見が出てくるのを許す主義だから。
樋口聖典は、そもそもアメリカ大統領は独裁者ではなく、鶴の一声で人を従わせる権力設計になっていないと補足します。
勝ってんのに厭戦気分がめちゃくちゃ蔓延してくるんですよ。
勝てそうに見えた戦局がグラントとシャーマンの停滞で再び行き詰まり、「早く終わらせてくれ」という空気が広がっていきました。
徴兵反対の暴動と、5人の息子を失った母への手紙
北部でも徴兵反対運動が起きます。1863年7月にニューヨークで起きた徴兵反対の暴動は3日間続きました。
背景には、白人の富裕層はお金を払えば徴兵を回避できる仕組みがありました。これに怒ったのが、白人の最下層を形成していたアイルランド系移民労働者です。
白人の金持ちが金を払うことで徴兵を回避できるっていうのが我慢にならないんですよね。
暴動は黒人への反感とも結びつき、白人の暴徒が黒人を襲い始めます。鎮圧には軍隊が出動し、100人以上の死者を出して収束しました。
連邦議会は調査委員会を設置しようとしましたが、リンカンが今はやめようと止めたと語られます。北部も決して一枚岩ではありませんでした。
もう一つ紹介されるのが、ボストンの貧しい靴職人の未亡人リディア・ビクスビーからの手紙です。戦争後半だけで、6人の息子のうち5人が北軍兵士として次々と戦死したという内容でした。
リンカンはこの母に返書を送りますが、その甚大な喪失を慰める言葉は見当たらないと率直に書いています。
(母に)本当に申し訳ありませんって言ったら「じゃあやめろや」ってなるし、(戦死は)死ぬのが当たり前ですって言っても感情を逆撫でする。だからこういうことを言うしかない。
楊睿之は、リンカン自身が息子を亡くした経験を持ち、その時に妻が鬱状態になり本人も塞ぎ込んでいたことから、遺族の気持ちがある程度分かったのだろうと解釈します。
5年で骸骨のように老けた大統領の顔
日々死者や負傷者、捕虜が出続ける状況で、リンカン自身のメンタルもかなり追い込まれていきます。
象徴的なのが顔つきの変化です。大統領就任時と就任後では、5年で別人のように老けたことが写真で示されます。
なんか骸骨の骨格がわかるくらいグショってなってるやん。
クマもシワも深くなり、5年でここまで老けるかというほど疲弊していました。それだけ気を揉み、ストレスを抱えていたと考えられます。
普通の人だったら(この状況では)逃げてるよ。
深井龍之介はこれを、裏返せばすさまじい粘りと意志の力とも言えると受け止めます。
負けそうな再選と、それでも折れなかった意思
厭戦気分が蔓延する中で、リンカンの任期満了、つまり再選の時期がやってきます。共和党は再びリンカンを大統領候補に指名しました。
民主党は、アンティータムの戦いを機にリンカンに解任された元軍司令官マクレランを指名します。政策はダグラスに近い住民主権論でした。
世論の動向は共和党にとって絶望的なほど深刻で、リンカンは負けそうな情勢でした。保守的な共和党支持者からも、内戦を奴隷制廃止のための卑劣な十字軍に歪曲したと怒りの声が上がっていたと紹介されます。
ニューヨーク・ヘラルド紙は社説で、普遍的な自由だけを連邦再統合の条件とする立場は取らない、早く戦争を終わらせろと批判します。連邦再統合できなくてもいいから平和にしてくれ、という主張でした。
楊睿之は、この場面のリンカンの粘りは結果次第で評価が真逆になると指摘します。
支持者からも閣僚からも早期講和を求められる四面楚歌の中で、リンカンは一度は揺れます。奴隷制廃止を棚上げしてでも講和を急ぎたいという内容の手紙を、支持者だった新聞社主ヘンリー・レイモンドに送りました。
しかし翌日には意見が元に戻り、レイモンドをホワイトハウスに呼び、南部大統領ジェファソン・デイビスとの接触は断念すると直接伝えます。閣僚の半数も同席させ、その決断の経緯を説明しました。
その説明の核心は、リッチモンドへの使者派遣は大統領選挙に敗れることよりもさらに醜悪な、人の道に反する愚行になる、というものでした。
楊睿之は、ここでリンカンが大統領選挙に負けようが人の道としてやってはいけないという信念を発動したと見ます。折れるのも妥協するのも簡単だが、ここで妥協すれば同じ問題を先送りにしてしまう、という考えです。
せっかくこんなに犠牲を払ったからこそ、ここでやりきらないといけない、というのがリンカンが考えてたことだろうと思いますね。
シャーマンの焦土作戦とアトランタ陥落
そんな状況で、西部戦線のシャーマン将軍が1864年5月ごろから急に進軍を開始します。
シャーマンが取った作戦は、駅や橋、補給基地などの重要拠点を凄まじいスピードで制圧し、さらに民間への攻撃で経済基盤を破壊するというものでした。
シャーマンは、南部の支配階級を殲滅しなければこの戦争は終わらないと認識していました。奴隷を多く持つのはごく一部の富裕層であり、彼らを叩かなければ状況は変わらないという考えです。
(シャーマンは)南部の支配階級を殲滅しないとこの戦争は終わらないって言ってたんだよね。
これは焦土作戦と呼ばれる手法で、第二次世界大戦の空襲にも通じます。楊睿之は、その是非は判断しかねるとしつつ、実際に民間の建物を壊し、人を殺していたと述べます。
シャーマンはアトランタに迫り、17日間にわたる砲撃で街を炎上させます。市民も巻き添えになりました。敵軍の将校からさえ、神と人間の名において抗議すると言われるほどの残虐さでした。
このアトランタ陥落が転機となり、選挙戦で暗い見通しに沈んでいたリンカン陣営の趨勢が一気に変わります。勝てそうだという空気が戻り、支持が回復しました。
(人々は)不安の矛先を見つけてぶつけてたんですよ。リンカンはそれを全部こう思ってて、意思を通して頑張ってたわけ。
妥協する必要はないという流れになり、リンカンは大統領選で勝利する方向に向かいます。
南軍の降伏と、二週間ぶりの帰還
大統領選でリンカンは再選されます。2年前より46議席も上乗せする、共和党にとって強い勝利でした。
戦争は終盤へ向かいます。グラントは南部の首都リッチモンドの包囲網を縮め、まずピータースバーグを、その3日後にリッチモンドを陥落させます。
追い詰められたリー将軍は首都から撤退します。北軍に包囲され食料も尽き、3万人弱を残すのみとなった南軍は、リッチモンド西方でグラントに降伏しました。ジェファソン・デイビスも逮捕されます。
(リー将軍は)もはややれることは何もないと言い残したと言われてます。
樋口聖典は、その後の2人の処遇を補足します。デイビスとリーは国家反逆罪で訴えられかけましたが、南北の融和を望む世論のなかで裁判は取り下げや不開催となり、どちらも天寿を全うしました。
デイビスは戦後、公職復帰を法律で禁じられ、回顧録の出版や講演で負けた南部の正当性を主張し続けました。一方リー将軍は、むしろ過激な南部賛美を慎むよう周囲に説く側だったと語られます。
第2期の大統領就任式を終えたリンカンは、バージニアのグラントの本営、さらにリッチモンドまで足を運び、南部連合の残存者に降伏勧告の文書を直接手渡します。戦争の全面停止、連邦の回復、奴隷制の廃止を条件とする内容でした。
市内では多くの黒人兵が歓呼でリンカンを迎え入れました。その後リンカンは二週間ぶりにホワイトハウスへ帰還し、9日ほどでリー将軍降伏の報が届きます。戦争が終わった、という空気になりました。
「最後の5日間」を過ごすリンカン
台本を見た樋口聖典は、戦争終結のすぐ後に「リンカン最後の5日間」と書かれていることに驚きます。
この深井くんが今喋ったことのすぐ後に「リンカン最後の5日間」って書かれてて、すごい人生だなと思った。
内戦の緊張から解放されたリンカンは、だいぶ生気を取り戻していました。バージニア戦線から帰ってきた長男ロバートと抱き合って喜び、その日の午後にはメアリー・トッド夫人と馬車で市内をドライブします。
馬車の中でリンカンは、この4年は大変だった、これからの4年はだいぶ違うぞ、大統領を辞めたらイリノイに戻りたいと、饒舌に語っていたとされます。
一方で、本格的に南部諸州をどう連邦に復帰させるか、軍政をどう分けるかといった再建の議論はこれからでした。それでも内戦が終わった以上、まずは祝いたいという気持ちが強かったと語られます。
観劇の最中に撃たれた大統領
リー将軍降伏の5日後、1865年4月14日金曜日。リンカンはこの日を内戦終了を祝う祝日とし、その晩に劇好きの自分らしく、夫人と一緒に観劇に出かけます。
各地で花火が上がり、開戦のきっかけとなったサウスカロライナのサムター要塞に再び星条旗を掲げる儀式も行われていました。
その観劇の最中、リンカンは後頭部を至近距離からピストルで撃たれます。隣には夫人がいました。
(劇場行きは)危ないですよと。今この段階で劇場に行くのは(やめたほうがいい)。
戦争長官スタントンは観劇に反対していましたが、リンカンは出かけました。楊睿之は、戦争が終わって気が緩んでいたのだろうと推測します。
暗殺者ジョン・ウィルクス・ブースの思想
犯人は役者のジョン・ウィルクス・ブースでした。教会衆であり奴隷州であるメリーランド州で生まれ、父はシェイクスピア劇の高名な俳優だったとされます。
ブースは俳優として将来を嘱望される一方、政治青年としても育ちます。移民排斥を主張するノーナッシング党に入れあげていました。
ブースは南部を熱烈に支持し、黒人と白人は同等であるはずがないと公言する白人至上主義者でした。リッチモンドが陥落した日には、バージニアの方角を向いて「バージニア、バージニア」と泣き叫んでいたとされます。
彼は奴隷解放を実現し南部連合を破滅に追い込んだリンカンを嫌悪し、その外見や振る舞いを大統領にふさわしくないと日頃から罵倒していました。
偶然が重なって成立した暗殺と、その後
ブースはもともとリンカンの誘拐計画を立てて失敗し、南部連合の崩壊を受けて仲間とともに暗殺計画を実行に移します。
暗殺の対象はリンカンだけではなく、副大統領のアンドリュー・ジョンソン、国務長官のウィリアム・スワード、グラント将軍も含まれていました。しかし成功したのはリンカンだけでした。
一番殺されたらこの後影響が出そうな人(リンカン)を殺しちゃうんだよね。
警備の不手際など、いくつもの偶然が重なった結果、リンカンの暗殺だけが成立してしまいます。
ブースは南部の人々に英雄としてかくまってもらえると考えていました。しかし当時の南部の多くは、講和に向かい、無茶なようにはされないという空気の中で、もはやリンカンに楯突くつもりはなかったと語られます。
結果、ブースはやりすぎだと引かれ、誰にもかくまってもらえず、追い詰められて連邦軍に射殺されました。
ブースはリンカンを撃った後、劇場の2階から飛び降りて骨折し、その際ラテン語で「暴君はいつもこうなるのだ」と叫んで逃げたとされます。
楊睿之と樋口聖典は、この事件を政治信条の違う相手を暴君や下劣と決めつけ、憎悪をブーストさせた末の行動だと整理し、民主主義の対極にあると評します。
リンカンは翌日の早朝まで息がありましたが、後頭部の出血で意識は戻らず、そのまま帰らぬ人となりました。まとめていかなければならないという時期に、トップが突然いなくなったのです。
僕たちは今いきなり死んだなって思ってるけど、当時生きてた人も「え、死んだの?」ってなったと思いますね。
樋口聖典は、リンカンの死によって合衆国の状況が一気に複雑化し、混迷していくと述べ、それが次回で最終回になると予告します。最後に夫人とドライブできてよかった、という言葉で回を締めくくりました。
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まとめ
この回は、勝てる見込みが立たない厭戦気分と再選への圧力の中で意思を通したリンカンが、戦争終結の直後に暗殺されるまでの流れをたどりました。
- 戦争終盤、南部経済は破綻寸前となり、北軍は黒人兵の活用や境界州の徴兵で南部の奴隷制を掘り崩していった
- マクロで優勢でも個々の戦闘は激戦続きで、厭戦気分と即時講和を求める世論がリンカンを四面楚歌に追い込んだ
- リンカンは講和を急ぎたい誘惑に一度は揺れつつ、人の道に反する愚行はできないとして意思を通した
- シャーマンの焦土作戦とアトランタ陥落が転機となり、リンカンは再選し、南軍は降伏して戦争は終結した
- 戦争終結のわずか5日後、南部びいきの役者ブースにより観劇中に暗殺され、合衆国は再び混迷へ向かう







