全員が同じ名前?ローマ人の不思議な命名法
前回までに共和政ローマの特徴や制度を押さえたうえで、この回からついにユリウス・カエサル本人が登場します。深井さんがまず紹介したのは、「ガイウス・ユリウス・カエサル」という3つの名前の意味です。
深井さんによれば、ガイウスがファーストネーム、ユリウスが氏族名、カエサルが家族の名前にあたります。しかもローマでは祖父も父も息子も同じ名前を名乗るため、カエサルの父も祖父も、先祖はみなガイウス・ユリウス・カエサルだったといいます。
え?どうやって見分けるんやったっけ?
見分けないんじゃない?見分けないというか、全部ガイウス、ユリウス、カエサルって。
女性の名前はさらに簡素で、氏族名の語尾に「ア」を付けるだけです。ユリウス氏族の女性は全員がユリアになり、カエサルの2人の姉妹もともにユリアでした。
ユリア1、ユリア2で。マジでマジで。
えー、もうそれ囚人番号やないか。
深井さんはこの命名法に、ローマ人の合理性と家系重視の価値観が表れていると見ています。3世代が同時に生きていれば全員が同じ名前なので、個人よりも「その家の男か女か」が意味を持つという見方です。樋口さんは「ファイル名みたいな付け方」と表現し、深井さんは日本で人を役職名で呼ぶのと近いのかもしれないと話しています。
ファーストネーム・氏族名・家族名の3つ。祖父・父・息子が同じ名前(例: ガイウス・ユリウス・カエサル)
氏族名の語尾に「ア」を付ける。姉妹は全員同じ名前で、番号で呼び分ける(例: ユリア)
名門なのにパッとしない?カエサル家の実力
カエサルが属するユリウス氏族は、パトリキ ── 共和政ローマの世襲の貴族層。建国期からの古い家柄を指し、平民(プレブス)と区別されましたと呼ばれる貴族の家系で、共和政初期からローマにいた古い名家の一つです。数百年のうちに多くのパトリキの氏族が消滅したなかで、ユリウス氏族は生き残った家柄でした。
ただし名門でありながら、カエサルの父方はそれほど活躍していませんでした。深井さんによれば、カエサルが生まれる50〜60年ほど前に親戚がコンスルを務めたらしいものの、それ以外にコンスルはほとんど出ていないようです。
祖父のガイウスはおそらく法務官まで、父のガイウスはおそらく最も下の政務官である財務官まで務めたとみられています。一方、母のアウレリアは平民系のお金持ちの家の出身で、母方はコンスルを多く出した家系でした。
カエサルの父は、カエサルが16歳ぐらいの頃に亡くなっています。その後のカエサルは母アウレリアに育てられ、母の影響を強く受けたといわれています。
まあだからスタート地点はあんま高くないですね。名家だけど、えーと、実力はそんなにないです。
子供のころから出世レース。ローマ貴族の教育
カエサルの幼少期は、実はほとんどわかっていません。そこで深井さんは、記録に残る一般的なローマ貴族の暮らしから、カエサルの育ち方を想像していきます。
平民は学校に通っていたようですが、貴族の教育は基本的に家庭で行われました。父親が教えたり家庭教師を呼んだりし、最もブランド力が高いのは教育の発祥地ともいえるギリシャ出身の家庭教師だったといいます。
ローマ貴族は、その教育を受ける姿を平民に見せていました。深井さんは、貴族は元老院入りを目指す出世レースに子供の頃から突入していたのだと説明しています。
教育の中で叩き込まれたのは、共和政の一員としての誇りや、貴族としての誇りといった「ローマ人としての誇り」です。ユリウス家は祖先を神とする家柄でもありました。名前が家の名前と同じであるため、自分の名を上げることは家の名を上げることであり、出世こそが誉れとされていました。
深井さんは、日本の武家社会のように男らしさが重視され、女々しさや志のなさが嫌われたとも話します。カエサルは3人きょうだいの唯一の男子だったため、ユリウス・カエサル家をなんとかするという意識はあったと考えられています。
具体的な学びとしては、古典を読みながらギリシャ語とラテン語の両方を学び、ローマの法律である十二表法を暗記しました。体育のような一般教養としての肉体訓練も行い、カエサルは乗馬が非常にうまく、あぶみを使わずに乗れたと伝えられています。
2000年前とは思えない、ローマの街並み
カエサルが生まれ育ったのは、スラムとまではいかないものの、一等地ではない地域でした。ローマでは地価も家賃も非常に高く、カエサル家にはあまりお金がなかったためです。
当時のローマでは、金持ちは一戸建てに住む一方、多くの人はアパート住まいでした。都市化が進んでいたため、アパートの部屋も狭かったといいます。カエサルの周りには、お金を持たない人々が多くいて、カエサルはさまざまな立場の人を見ていたかもしれないと深井さんは推測しています。
深井さんは、ローマの街並みをぜひ調べてほしいと勧めます。4〜5階建ての建物が普通にあり、何万人も入る競技場もあり、とても2000年以上前の街には見えないといいます。
ローマの集合住宅では、水道が通っていない上の階に貧しい人が住み、一方で1階には水道が通っていました。水洗トイレや公衆浴場もあり、住む場所や抱える奴隷の数で、その人の財力がすぐにわかったそうです。
内戦と粛清のなかで迎えた16歳の決断
10代のカエサルが生きた時代は、前回までに語られた内戦の嵐のさなかでした。スッラの粛清をはじめ流血事件が相次ぎ、カエサルの叔父であるマリウスが、別の叔父を殺すことまで起きていました。
政治家だったカエサルの叔父は政治闘争に敗れて首を切られ、その首は元老院の演台の上にさらされました。深井さんは、粛清のたびに広場にさらされる首を、カエサルは幼い頃から見ていたはずだと話しています。
カエサルが14歳ぐらいのときにマリウスが死に、今度はスッラが権力を握ってローマは元老院派へと傾いていきます。16歳のときには父が突然亡くなり、カエサルは家父長として家の当主になりました。
当主となって1年も経たないうちに、カエサルはずっと決まっていた婚約を破棄します。そして民衆派の有力者キンナの娘、コルネリアと結婚しました。キンナはマリウスと親しく、カエサルがマリウスの親戚だったことから目をかけていたと考えられています。
ただし、キンナがなぜ娘を嫁がせるほどカエサルを評価したのかは、実はわかっていません。深井さんは、民衆派の筋のいい人物と見られていたのかもしれないし、そこまで考えていなかったのかもしれないと話しています。
神官フラーメン・ディアリスの道は出世の近道か
ローマの結婚は基本的に政略結婚でした。コルネリアとの結婚によって、カエサルは17歳という若さで公職に就く予定になっていました。
その職がフラーメン・ディアリスと呼ばれる宗教系の神官職で、カエサルはキンナらから推薦を受けていました。本来なら政界への第一歩になるはずのポストです。
ところがフラーメン・ディアリスは特殊な職で、軍隊を率いることはもちろん、軍隊を見ることさえ禁じられていました。そのためこの道に入ると、出世はしても、コンスルのような地位にはなりにくいと深井さんは説明します。
17歳で公職に就ける政界への第一歩。ただし軍隊に関われず、出世の道は限定される
神官にならなかったことで戦争に行け、のちにコンスルやディクタトールになっていく
楊さんが「限定されるよね」と応じたように、神官になっていれば、カエサルが実際に成し遂げたことはできなかったと考えられています。結局カエサルはこの職に就かず、その理由がスッラの命令でした。
独裁官スッラの離婚命令を拒否したカエサル
独裁権力を握っていたスッラは、敵対する民衆派の人々を次々に迫害し、殺していました。スッラはカエサルも民衆派に属すると見なし、キンナの娘コルネリアと離婚するよう命じます。
スッラの言い分は、まだ若く政界にも入っていないのだから、離婚すれば見逃してやるというものでした。ところがカエサルはこの命令を拒否します。
民衆派との縁
民衆派キンナの娘コルネリアと結婚し、神官職への推薦を受ける
スッラの命令
元老院派の独裁官スッラが民衆派を粛清し、カエサルに離婚を迫る
命令の拒否
カエサルが離婚を拒み、神官職の道も持参金も失う
亡命
要注意人物リストに入り、命を狙われて逃亡する
これは頭おかしいです。ここはおかしいよね。
今でいうと、その北朝鮮で金正恩の命令を背くような感じです。普通に死にます。
深井さんは、カエサルがなぜここでこれほどの意志を見せたのかはよくわからないとしつつ、カエサルは生涯を通じて自分の意志を貫き続けた人物だと話しています。楊さんは、リスクテイクがカエサルの性分なのかもしれないと応じました。
カエサルとコルネリアは非常に仲が良く、十数年後にコルネリアが亡くなるまで良い夫婦だったといいます。浮気の多い人物でもありましたが、それが許される時代でした。
(命より)自尊心を俺は大事にするから反対したっていうのもあるかもしれない。
楊さんは、誇りと自尊心を叩き込まれたローマ人として考えれば、離婚の拒否は納得できるとも話しています。さらに、妻が結婚の際に持ってきたお金も没収されたにもかかわらず離婚しなかった点を、深井さんは「いきなりかっこいいポイント」だと評しました。
この拒否によってカエサルは要注意人物リストに入り、命を狙われて若くして亡命することになります。
「カエサルの中に複数のマリウスがいる」とスッラは言ったのか
楊さんは、独裁者スッラに盾突いて生き残った経験が、カエサルの原体験になったのではないかと考えています。
要はもう雲の上の独裁者なんですよ。それ(スッラ)に俺が盾突いて生き残ってしまった。俺死なねえかもしれんね、何をやってもみたいな。
樋口さんはそれを「ヤンキーの考え方」と表現しました。深井さんも、死ねと言われたわけではなく離婚という妥協の余地がある要求を「やんね」と突っぱねたことは、カエサルにとって成功体験だったのかもしれないと話しています。
実際には、カエサルは親戚の嘆願によってようやく命を救われました。親戚たちが、まだ若いのだから殺すのはやめてほしいとスッラに頼んだのです。
そのときスッラが言ったとされるのが、「お前らはカエサルの中に複数のマリウスがいることがわからないのか」という言葉です。幼く見えるカエサルが、マリウスが何人もいるほどの危険な潜在力を秘めていて、いずれ自分の敵になるという意味だといいます。ただし深井さんは、これは多分史実ではないと断っています。
深井さんは、神官になっていれば戦争に行けず、のちにコンスルやディクタトールになることもなかったはずだと振り返ります。楊さんが「帰り道ってわからんね」と応じたように、出世の糸口を蹴った選択が結果的にその後の道を開いたことになります。次回は、亡命したカエサルにいきなり波乱が訪れる話へと続きます。
まとめ
ユリウス・カエサル編の第4回は、名門ながら実力の乏しい家に生まれたカエサルが、ローマ貴族としての誇りを叩き込まれ、内戦と粛清の時代に育ち、独裁官スッラの離婚命令を拒んで亡命に至るまでを描いています。
- ローマ人は祖父・父・息子が同じ名前を名乗り、女性は氏族名に「ア」を付けるだけという、家系重視の命名法だった
- カエサル家は古い貴族パトリキの名家だったが、父方はほとんどコンスルを出しておらず、スタート地点は高くなかった
- 貴族は子供の頃から出世レースに入り、家の名を上げることを誉れとして教育された
- 民衆派キンナの娘との結婚で神官職に就く道が開けたが、その職に就けば軍隊に関われず出世が限られるはずだった
- スッラの離婚命令を拒んだカエサルは亡命に追い込まれ、その経験が原体験になった可能性が語られた





