妹の親友がゲスト、20年来のご縁
この回のゲストは、パーソナルトレーナーでスポーツタレントの上條恵奈美さんです。実は、パーソナリティのクワエリョウさんの妹の親友にあたります。
本当にもう出会って二十何年ですね。
小学校からの付き合いで、中学、高校の部活動も一緒。大学進学で二人とも東京に出たため、今も近くに住んでしょっちゅう会っているといいます。
クワエリョウさんの記憶に残っているのは、妹の結婚式です。上條さんが司会を務め、送り出しの場面で名前を呼ばれたことを今でも覚えていると話します。
あの時が本当、初めて東京の披露宴で司会をさせてもらったのが、”みい”っていう妹さんの結婚式なんですよね。
規定外だったオリオンビールキャンペーンガール
話は、上條さんのキャリアの最初のきっかけになったオリオンビールキャンペーンガールへと移ります。応募したのは、東京の大学に通っていた4年生のときでした。
ところが、応募には思わぬ問題がありました。オリオンの規定では県内在住の女性が条件で、東京在住の上條さんは本来対象外だったのです。
知らずに私は出してしまったっていう。
それでも最終審査まで残り、電話がかかってきます。ただし、東京在住であることをめぐって審査員の間で議論になっていたといいます。
沖縄で仕事がある時に沖縄に来れますか?っていう最終確認があって、行けますって言ったら合格しました。
応募の動機は、就職活動とは別のところにありました。卒業旅行に行きたかったこと、そして就職先が東京で決まった途端に沖縄へ帰りたくなったことが重なったのです。
卒業旅行に行きたくて、卒業旅行のお金がなくて、賞金があったので、それも目的と、あと沖縄にちょっと帰りたくなっちゃったんです。
結果として合格し、賞金と沖縄へ帰る口実を同時に手に入れることになりました。任期は1年間で、後期は授業が少なかったため、たびたび沖縄へ帰れたそうです。
内定を蹴って、ラジオカーリポーターに
卒業後、上條さんは東京で決まっていた内定を辞退し、沖縄へ戻ります。キャンペーンガールの任期を終えると、そこで知り合った人からラジオとテレビの仕事に誘われました。
オーディションを受け、4月からRBCiラジオのレポーターとして活動を始めます。当時の仕事は、リポーターと運転手を兼ねる特徴的なものでした。
二人ペアで、自分が出ない時、マイク使わない時は運転手として北から南まで中継車乗って移動してました。電波立ててコード巻いてとかやってましたね。
生放送の現場で県内各地を回るこの経験が、その後の土台になったと振り返ります。
この三年間させていただいたんですけど、かなり鍛えられましたね。だから生中継とか、アドリブが得意になりましたね。
ラジオの仕事を入口に、FM沖縄や沖縄テレビなど他局のテレビ・ラジオにも活動が広がっていきました。
順調だったのに、なぜ再び東京へ
沖縄でのタレント活動は順調でした。番組が増え、レギュラーも持ち、収入も伸びていきます。そんな中で、上條さんは突然不安を感じたといいます。
背景には、家族との約束もありました。もともと親は公務員、特に教員になってほしいと考えていて、タレント活動は期限つきで認められたものだったのです。
これやりきったら教員になるからって言って、三年間だけやらせてって言って、三年間でやりきるからって約束でやったんだけど。
ところが3年が経つころ、上條さんはもっと活動を続けたくなっていました。同時に、不安定な仕事だからこそ強みが必要だと考えます。
そこで着目したのが、昔から好きだったスポーツでした。大学も体育系に進んでおり、スポーツ中継やスポーツタレントを自分の強みにしたいと思ったのです。
スポーツ現場いっぱいあるじゃないですか。そういう現場を見て、沖縄に持ち帰ろうみたいな、軽い考えだったんでしょうね。
不安がなかった理由を、上條さんは今こう振り返ります。
決断には迷いもありました。上京直前の番組改編で、実はやりたかった枠の番組をもらえていたのに、それを断って東京へ向かったのです。
やりたかった枠の番組をいただけてたんですけど、お断りしてちゃいましたね。今思うとどっちが良かったんだろうって思いますけど、結果良かったかなと。
バイトとオーディションで築いた東京の足場
再び上京してからは、シェアハウスに住みながらアルバイトとオーディションで生活を組み立てていきました。バイトも、できるだけスポーツに関わるものを選んでいます。
- 西武球場での音響アシスタント
- スポーツカフェでのアルバイト
- 式場での披露宴の司会
そうした中でラジオのオーディションに合格します。インディーズからメジャーデビューを目指すというコンセプトの音楽番組で、毎週、東京FMへ収録に通っていたそうです。
さらに、沖縄時代のつながりも生きてきます。沖縄の放送局が東京でロケをする際のリポーターや、関東で開かれる沖縄イベントのMCなどの仕事につながっていきました。
やがてスポーツメーカーのイメージモデルを務めるようになり、そのメーカーが出展するスポーツイベントで中継や動画配信のリポーターを担当。狙っていたスポーツ系の仕事が徐々に増えていきました。
出産で一変した体、ピラティスとの出会い
仕事が広がるなか、人生のステージも変わります。マラソン大会のスポーツイベントで知り合った人と結婚し、子どもが生まれたことで、仕事のスタンスを見直す必要が出てきました。
今のメインの仕事であるパーソナルトレーナーのきっかけも、2017年の長男の出産でした。体型が崩れることは想像していたものの、実際はそれ以上だったといいます。
体力も衰えているし、筋力も衰えているし、こんなぶよぶよなお腹なんて初めて見たんですね、自分の体で。
そこで出会ったのがピラティスでした。体型だけでなく、尿漏れなどの女性特有のマイナートラブルや腰痛といった不調まで改善できたことに驚いたといいます。
この全ての不調がトレーニングで改善できたので、なんかこれをもっと伝えていきたいなと思って。
上條さんは産後2〜3か月で資格を取りに行き、スタジオで教え始めます。ピラティスの名前自体は浸透してきたものの、産後によいという点まではまだ知られていないと感じているそうです。
オンラインと産後ケアホテル、そして描く夢
現在は、ピラティスに加えて、その前段階となるストレッチやフィットネス全般も教えています。ピラティスは自分の体と向き合うぶん、言葉も考え方も難しいためです。
コロナ禍でスタジオが閉鎖され、上條さんもスタジオを辞めました。自分でスタジオを持つのは難しいと判断し、オンラインフィットネスを始めます。今はこれがメインになっています。
個人としては、関東にある産後ケアホテルにも毎週通っています。日本初・最大級という産後ケアホテルが、最近、葉山にできたのだといいます。
生まれて産後直後からOKで、産院で産んで、そのまんまその流れで病院からホテルにチェックインする方もいらっしゃいますね。
今後の夢は、多くの人に来てもらえるスタジオを持つこと。関東だけでなく、沖縄にもスタジオを作りたいという思いがあります。
一方で、スタジオにこだわらず各地を回る形も考えています。高齢の人や部活に取り組む子どもたちへの運動指導、さらにトップアスリートを沖縄に呼んで子どもたちと交流させることも思い描いています。
テレビに映っているアスリートが間近で、沖縄の子供たちにも見てもらえたら、なんかもっと夢が広がるんじゃないかなと思ってます。
外に出て、もっと好きになった沖縄
県外で暮らす苦労や楽しさを聞かれた上條さんは、まず沖縄への思いを挙げました。
外に出ると、沖縄について聞かれる機会が増えます。答えられない自分が嫌で、そのたびに調べたり聞いたりしてきたといいます。今は学校での講演会もこなし、毎回が勉強だと話します。
首里出身の上條さんのフェイバリットスポットは、小さい頃から通う龍潭と首里城。帰省時には子どもを連れて散歩に行くそうです。
お店では、帰るたびに美味しいオリオンビールと肉を味わいたいといいます。那覇のあぐーしゃぶしゃぶの店「松本」で飲んだビールが特に印象に残ったそうです。
アグーはもちろん美味しいんですけど、ビールがめっちゃ美味しいっていう。そこ行ってみてください。
最後に、県外へ出るか迷っている人へのメッセージを残しました。行って損はないこと、沖縄出身と言えば助けてくれる人が多いこと、そして失敗しても帰れる場所があることを伝えます。
絶対的に行って損はないと思いますので、悩んでいたら一度来た方がいいかなと思います。なんとかなります。
まとめ
キャンペーンガールへの応募という小さな寄り道から始まり、内定辞退、再上京、そして出産を経てパーソナルトレーナーへ。上條恵奈美さんのキャリアは、そのつど好きなことと向き合いながら形を変えてきました。その根っこには、帰る場所があるという安心感がありました。
- オリオンビールキャンペーンガールをきっかけに、内定を辞退して沖縄でのタレント活動を始めた
- 順調だった沖縄での仕事を手放し、スポーツを強みにするため再び東京へ挑戦した
- 出産で一変した自身の体をピラティスで整えた経験が、パーソナルトレーナーへの転身につながった
- 現在はオンラインフィットネスや産後ケアホテルで活動し、沖縄にもスタジオを持つ夢を描いている
- 外に出たことで沖縄をより深く知り、より好きになったと語った




