久しぶりの沖縄で感じた「空の広さ」
番組では、県内外で活躍するウチナーンチュをゲストに迎えています。第3回のゲストは、グラフィックレコーダーの松田海さんです。
松田さんの地元は沖縄県那覇市首里。司会の桑江さんの実家から歩いて数分の場所で、小学校も同じだったといいます。
コロナ禍で生きづらさを感じていたこともあり、今回は久しぶりに長期で沖縄に戻っているそうです。帰ってきて毎回思うのは、空の広さだと話します。
東京のビルから見上げる空よりも、青々とした沖縄の植物と空が見える空気っていうのが、やっぱりここで生まれ育ったなと思って、落ち着くなって思ってます。
好きなアヤグ食堂ではコンビーフ目玉を食べたそうです。コンビーフは沖縄以外ではあまり食べる機会がなく、県外では手に入りにくいという話でも二人は盛り上がりました。
そもそもグラフィックレコーダーとは何をする仕事なのか
まだ知らない人も多い職業なので、桑江さんはまず、グラフィックレコーダーがどんな仕事かをたずねます。
会議とかセミナーとかっていう対話がある場を、絵と文字を使って可視化していく。その場で見える化して、会話だったり対話っていうのを促進していく仕事をしてます。
グラフィックレコーディング ── 会議やセミナーなどの話し合いの内容を、その場で絵や文字を使って一枚の絵のようにまとめていく手法。グラレコと略される。参加者の共通認識づくりや議論の活性化を助ける。は、ファシリテーションと呼ばれる会議進行のスキルの一つです。学校の授業や会議で、進行役が話の要点をホワイトボードに書き出すイメージに、絵や吹き出しの文字を加えたものだと桑江さんは整理します。
お話の対話の足跡を残してあげるような感じで、話されたことっていうのを書いてあげる、見える化してあげるっていうところをやってます。
参加者全員が同じ認識を持てるようになり、話がより活性化する。それがグラフィックレコーディングの効果だと桑江さんはまとめます。
高校で難病を患ったことが、人生の原点になった
日本でもまだ数が少ないこの仕事に、松田さんはどうたどり着いたのか。桑江さんは原点からたずねます。
原点は、高校生のときに突然、全身性エリテマトーデスという難病を患ったことでした。
急に2か月ほど入院し、やりたいことができない時期を数か月過ごしました。その経験が、松田さんの考え方を大きく変えたといいます。
やりたいことって、やりたい時にやらなきゃもったいなくない?って思うようになったきっかけだったんですね。
そこから松田さんは、興味を持ったことややりたいことにはどんどん飛び込んでいく性格になっていったと振り返ります。
高校のアルバイトで貯めた100万円と、自分で決めた進学
チャレンジの一つとして、松田さんはまず進学の話を挙げます。母子家庭で兄弟3人の長女だったため、当初は高校を出たら働くつもりでした。
ところが、たまたま始めたアルバイトが自分に合い、夢中で続けたそうです。時給650円で働き、高校生ながら貯金が100万円貯まっていました。
学びたいことも出てきたため、自分で学費を賄いながら大学に進学するという決断をします。
自分で学費とか賄いながら大学に行くっていう決定をしたことが、意思決定が自分でできたみたいな自信につながるきっかけになりました。
これが、自分で人生を選べたという自信につながり、後のチャレンジの大きな出発点になったといいます。
大学で見つけた「場を作る力」とグラレコとの出会い
自分で選んで入った大学では、思い切り充実させようといろいろな活動に取り組みました。特に力を入れたのが、沖縄に来る修学旅行生と一緒に平和について考えるプログラムづくりです。
みんなと対話を作り、場をファシリテートしていく経験が、後のグラレコの原点になっていきました。
その後、学生が主体で運営するファシリテーション講座に受講生として参加し、そこでグラレコの存在を知ります。やがて運営側にも回り、受講生の振り返りになればと実際に描いてみたのが最初のきっかけでした。
もう一つの土台が、大学のボランティアで続けていたノートテイクの経験です。
聴覚障害のある学生の横で授業に入り、教授の話を要約して紙に速く書く。それを100時間以上続けたといいます。
そこで訓練されたまとめる力みたいなところと、あとはそこにイラストをつけてあげるっていう、自分のもともと好きなこととかやってたことの掛け算でグラレコになっていった感じですね。
グラレコは習ったというより、独学で場数を踏みながら模索して今の形になったと松田さんは話します。
依頼が増えたのは「できます」と飛び込んだから
大学在学中に始めたグラレコは、少しずつ依頼が増えていきました。松田さんは、その鍵を「飛び込み力」だと言います。
グラレコができると伝え、実際に描いている姿を見てもらう。それが「いいね」と思われ、次の依頼につながる。これが最も多い流れだったそうです。
最初は、慕っているファシリテーションの師匠が「私の講座でやってみない?」と声をかけてくれました。場数もなく緊張しながらも「やります」と飛び込んだといいます。
書いてみたら、意外と本当にみんなが喜んでくれた姿が嬉しくて。役に立ったよとか、振り返りに使ったよとか、会社に持ってってみんなに見せたよって言ってくれる声があって。
その喜びの声を素直に信じ、これは自分の武器かもしれない、天職かもしれないと思い込んでいったと振り返ります。
名だたるマーケターの前で描いた、ターニングポイント
転機になったのは、先輩が募集していたマーケティング系イベントの学生スタッフでした。松田さんは自分から「グラレコできます」と手を挙げます。
名だたる企業の偉い人が登壇する、合宿形式のセミナー。今思えば怖いもの知らずだったと笑いますが、深く考えずに飛び込んだそうです。
松田さんの専攻もマーケティング系だったため、内容が自分の分野と重なりました。
マリンちゃん、マーケティングわかってるんだねって、名だたるマーケターの方々に言ってもらったんですね。
そこから、マーケティングやビジネスの会議にも呼ばれるようになり、この時のご縁が今の仕事へ広くつながっていきました。
やがて松田さんは個人事業主になります。そのきっかけは意外なものでした。
個人事業主になったのは、税金がやばいっていうのを知って。脱税になってしまうのかと思って。
一定以上の収入で開業届が必要になると知り、大学3年生のときに届を出しました。狙って独立したというより「なっちゃった系フリーランス」だったと本人は言います。
大学の単位をほぼ取り終えていたため、拠点を東京に移し、月に一度飛行機で通学しながら仕事を受けるようになりました。
模造紙が生んだ変化「誰が言ったか」から「何を言ったか」へ
東京に拠点を移して4年。記憶に残る仕事として、松田さんはある行政主催の街づくりワークショップを挙げます。
「どんな街にしたいか自由に発想を出してみよう」という回でした。あるおじいさんが腕を組んでふんぞり返り、始まる前にぼそっとこぼしたそうです。
何でもって言っても、何でもいいわけじゃないじゃんって、グループワークの始まる前に言われて。
空気の悪さを感じながら、松田さんは模造紙にみんなのアイデアを書いていきました。説明の時間には、一人ひとりの顔を覗き込みながら似顔絵を描きます。
目の前で自分の似顔絵が描かれていると気づいたおじいさんは「僕を描いてるの?」と反応し、背もたれにもたれていた体が、模造紙に向かって前のめりになりました。
人対人、目を見つめながら喋るとぎくしゃくしちゃうけど、一回視線を模造紙に落とすことで、対人じゃなくて対意見に対して会話ができるようになっていって。
誰が言ったかではなく、何を言ったかにフォーカスできた。参加者からそう言ってもらえたとき、書いた一枚の紙以上の価値があったと感じたそうです。
腕を組み、背もたれにもたれて後ろ向きだったおじいさん
似顔絵をきっかけに前のめりになり、意見に向き合えるようになった
テレビ生放送や法人化、そして経営者としての視点
松田さんはテレビの仕事にも関わっています。今年のお正月番組では、NHKの生放送でグラレコを描いたそうです。
司会に銀シャリさんが立ち、名だたるゲストが並ぶ中、視聴者の意見をTwitterやホームページから拾ってグラレコに反映しました。上がってくる意見を進めながら番組が進行する、参加型の構成だったといいます。
この放送は実家の家族も喜んだそうで、祖母は知り合いに孫が出ることを言いまくったと笑いながら話しました。ある意味で家族孝行にもなった仕事です。
今年6月には法人化しました。大きく変わることはないと思っていたものの、経営者になった実感があったといいます。
一緒に働いてくれるメンバーも増えてきたので、チームを継続できるようにお仕事を作っていくんだみたいな自覚というか、関わってくれる人みんなが幸せになってくれたらいいなって、俯瞰して全体を見えるように、自分のマインドも変わってきました。
出産を経て見えた「子供たちと教育」というこれから
この収録の約3週間前に、松田さんは娘を出産したばかりでした。その経験が、これからやりたいことをより具体的にしたと話します。
沖縄の子供たちがのびのび過ごせる場に、いつか何かで関わりたい。そのためにグラレコという武器を今も増やしているといいます。
子供たちとか教育っていうところをキーワードに、もっと子供たちが豊かな表現ができるようなことを、可視化っていうところを使って広げていきたいなって最近は思ってます。
最後に、松田さんは自身の歩みをこう振り返ります。病気やシングルマザーのもとで育った環境の中で、できないことがありそうだと思った時に、じゃあどうやったらできるかを考えるのが好きだったといいます。
大なり小なり大変なことは誰にでもある。だからこそ飛び込んでみる、自分はどうしたいのかを書いてみる。松田さん自身も悩みながら、一緒に考えられたらと語りました。
私も悩みながらなので、一緒に考えられたらなって思ってます。
まとめ
難病や家庭環境という制約の中で、松田さんは「できないなら、どうしたらできるか」を考え、興味を持ったことに飛び込み続けてきました。その積み重ねが、ファシリテーションやノートテイクの経験と結びつき、グラフィックレコーダーという天職につながっています。
- 高校での難病経験が「やりたいことはやりたい時にやる」という原点になった
- ファシリテーション、100時間以上のノートテイク、好きなイラストの掛け算でグラレコが生まれた
- 「できます」と自分から飛び込んだことが、依頼や大きなご縁につながった
- 模造紙に書き出すことで「誰が言ったか」より「何を言ったか」に議論の焦点を移せる
- 出産を経て、子供たちと教育を可視化で支えることを次の目標に据えている






