なぜ地方の経営者が文化人類学の本を読むのか
児玉光史さんは前回、インターネットが広がってきた30年を扱う『7つの激変』を取り上げ、「いかがわしくあろう」という話をしました。今回はその続きとして、自分が知らないことに気づくための道具として文化人類学を紹介しています。
児玉さんは、自分が知らないことを自分で知るのは難しいと話します。知らないこと自体に気づけないからです。今回の本は、文化人類学がそうした気づきに役立つと説き、「思考の枠を外す唯一の方法」とうたっています。
児玉さんが文化人類学に関心を持ったきっかけは、自社のカタログギフト ── 掲載された商品の中から、受け取った人が好きなものを選べるギフト形式。結婚式の引き出物や内祝いなどでよく使われます事業でした。売れていないわけではないのに、この事業は本当に意味があるのか、何の役に立つのかと悩んだ時期があったといいます。
(カタログギフトの事業に)疑問を持ったので、そもそも贈与って何なんだろうみたいなことを、書籍をいろいろ読みながらやってると、どうも文化人類学という学問があって、その中で語られることが非常に多いと気づいて。
児玉さんは、贈与論を手がかりに文化人類学者の本を少しずつ読んできました。体系的に学んだわけではないものの、そうした下地があったので、今回の本も楽しく読めたといいます。
この本は、1つのテーマを深掘りする構成ではありません。文化人類学に大きな功績を残した人物を時系列で紹介しながら、その知見がビジネスの場でどう役立っているかを示しています。児玉さんは、ビジネスをしている人にとってとっつきやすい書き方だと評価しています。
著者の大川内直子さんは文化人類学者であり、株式会社アイデアファンドという営利企業も営んでいます。児玉さんは、文化人類学とビジネスをつなぐ立場の著者なので、ビジネスパーソンが文化人類学に近づく最初の1冊に向いていると話します。
本は350〜360ページほどありますが、余白が多くメモを取りやすいため、長さはあまり感じないそうです。児玉さんの紹介では、発売は2026年4月です。児玉さんはこの本の感想を、参与観察とマーケティング、ビジネスアンソロポロジー、ビッグマンの3つにまとめています。
アンケートでは見えない行動を、参与観察はどう捉えるのか
1つ目の感想は、参与観察とマーケティングです。参与観察 ── 研究者が調査対象の集団の中に入り、一緒に生活しながら観察する調査方法。文化人類学のフィールドワークの基本とされていますは、文化人類学の研究でとても重要な方法として本に紹介されています。
児玉さんは、蝶が羽化して飛び立つのをじっと見るような単なる観察と比べて、参与観察を説明します。参与観察では、研究対象の人々と一緒に農作業をしたり、祭りに参加したり、食事をしたりしながら、その行為の意味を聞いていきます。
対象の外側から、起きていることをじっと見る(例: 蝶の羽化を見守る)
対象の人々と生活を共にし、行為を一緒にしながら、その意味を聞いていく
本によると、文化人類学の始まりは、植民地から送られてきた調査レポートを誰かがまとめる作業だったといいます。その後、研究者は椅子に座ってレポートを読むだけでなく、自ら現地に入り、生活を共にしながら話を聞くようになりました。
本では、参与観察のこうした姿勢がビジネスでも有効だと説かれています。例として紹介されているのはコピー機です。新しい機能をどんどん追加しても、実際のオフィスでは使われていないことがあります。さらに、基本的な機能でさえ、設計者が想定していなかった使われ方をしていることもあります。
児玉さんが重視するのは、アンケートでは捉えきれない部分です。参与観察では、「なぜですか」と聞いた答えをそのまま信じるのではなく、相手の行動を見て、その理由を推察することで現象を捉えます。
製品が想定と違う使われ方をしているとわかれば、設計思想そのものがずれていたことにも気づけます。設計の前にそれがわかれば、実際に使われる商品をつくれるかもしれません。本には、化粧品や食品でも、時間が許せば開発前に家庭に入り込み、使われそうな場面を探せるとよいと書かれています。
児玉さんの会社は食品メーカーを譲り受けており、これからどんな食品をつくるかを考える立場にあります。児玉さんは、参与観察の発想を開発前だけでなく、発売後の商品にも生かしたいと話しています。
実際購入された方はどうやって使っているか、何時ぐらいに料理しているか、料理したものを誰が食べているかみたいなことも、つぶさに観察するといろんなヒントが出てくるんじゃないかな。
ただし、学術的な参与観察では、対象と1〜2年暮らすこともあります。お客さんの家で1〜2日暮らすことさえ難しいのが現実です。児玉さんは、学問としては良くない発想かもしれないと断ったうえで、短い時間で相手に負担をかけずに情報を得られる方法があればよいと話しています。
会社ごとの「文化」を調べるビジネスアンソロポロジーとは
2つ目の感想はビジネスアンソロポロジー ── 文化人類学の手法を企業や組織、ビジネスの現場に応用する分野。組織文化や消費者の行動を、現場に入り込んで理解しようとしますです。児玉さんによると、文化人類学の世界では、研究対象になるような未知の部族がもうほとんどいないそうです。
かつての文化人類学は、自分たちとまったく違う生活様式を持つ部族を調べ、その理由を考えることで、自分たちを見直してきました。研究対象がいなくなった今、関心は病院や営利企業など、現代社会の組織へ移っています。その中でも、ビジネスの現場を集中的に調べる分野をビジネスアンソロポロジーと呼ぶようです。
児玉さんは、会社ごとに文化が違うことに強く共感しています。例として挙げたのは福利厚生です。どの会社にも何らかの福利厚生はありますが、その考え方は会社によって大きく違います。
福利厚生にお金を使うのはできる限り減らし、その分を給料に回す
福利厚生を充実させ、社員に使ってもらうことで定着率を上げる
ほかにも、トイレ掃除をみんなでするのか、残業は申請制なのか、それとも上司が帰るまで残るのが当たり前なのかなど、会社ごとの決まりはさまざまです。児玉さんは、項目そのものにはあまり違いがなくても、細かな運用の仕方がまったく違うと話します。
児玉さんの会社は、福利厚生系のサービス「Beanie」も手がけています。この事業を通じて、各社の考え方の違いがはっきり見え、「そうやって運営するのか」と楽しく感じるそうです。
文化人類学的にいろんな会社を調べてみたいなって、ふつふつと湧いてくるんですけど、調べたところで自社の業績がグンと上がるわけでもないので、そういう時間はなかなか取れないですが。
児玉さんは、もし経営ではなく研究をしてよいと言われたら、ビジネスアンソロポロジーを研究テーマの1つにしたいと話しています。営業組織や、福利厚生、会社の設備などを調べても面白そうだといいます。
数字も左右もない部族ピダハンが教えること
本の中で研究対象の話が出てくる部分では、ピダハン ── 南米アマゾンに暮らす少数民族。言語学者ダニエル・エヴェレットの研究で知られ、独特の言語や世界観が注目されてきましたという部族も紹介されています。児玉さんは以前からピダハンに関心があり、関連する本も買ったそうですが、まだ1ページも読んでいないといいます。
本によると、ピダハンには右と左の概念がなく、数字や色の名前もないそうです。児玉さんはまず、それでどうやって生活しているのかと驚いています。
それなくてもなんとかできるのに、それ(数字や左右)を持ち込んでやりくりしている自分とかが、無駄な負荷を抱えてるのかもしれないとか思いますよね。
児玉さんも、周りがみんな数字を使っている中で、自分だけ数字なしでやっていくのは難しいと認めています。それでも、ピダハンの本を読めば、さらに思いがけない発想が出てきそうだと期待しています。
「持つ人」より「分け与える人」が敬われるビッグマンという考え方
3つ目の感想は、ビッグマンという概念です。ピダハンとは別の部族に見られる考え方で、どんどん分け与える人がかっこよく、すごいとされます。
児玉さんは、ビッグマンの考え方を、西洋的な社会で「資産を持っている人がすごい」と見られがちな価値観と対比しています。ビッグマンの社会では、財産を抱え込んだままの人は「ダサい」と見られるそうです。
資産を持っていることが、すごさの象徴に見える
持ち続けるとダサいとされ、大盤振る舞いする人が長として尊敬される
ビッグマンの社会では、かっこいいと思われるために人々が大盤振る舞いをし、そうした人が長になっていきます。少しでも財産を貯め込もうとすると、尊敬されなくなるといいます。
児玉さんは、ビッグマンの考え方が累進課税 ── 所得が多い人ほど高い税率がかかる課税の仕組み。富の再分配を目的の1つとしていますと似ているのではないかと考えました。どちらも、豊かな人がみんなに富を回していく仕組みだからです。
一方で児玉さんは、累進課税の別の面にも触れています。累進課税は、誰にも富を渡さない人がいる場合には、社会に回るお金を増やします。ただ、大盤振る舞いをしようと考える人にとっては、税金を払っておけば十分だという線引きにもなります。児玉さんは、そのことがビッグマンを育ちにくくしている可能性もあると読んでいます。
児玉さんは、日本を含む今の社会では、大盤振る舞いをしても一時的に驚かれるだけで、尊敬を集め続けることは少ないと見ています。そうした人を継続的に取材して発信することもあまりありません。だからこそ、ビッグマンが成り立つ社会のあり方をみんなで探していけるとよいと話しています。
では、児玉さん自身はどうなのでしょうか。社外の人に分け与えられるほどの財力はまだないと認めつつ、社内では手柄やチャンスをなるべく多くのメンバーに渡すよう意識しているそうです。
街に広がる保留コーヒーは、身近なビッグマンになりうるか
ビッグマンの話から児玉さんが思い出したのは、サスペンデッドコーヒー ── イタリア・ナポリ発祥とされる習慣。客が余分にコーヒー代を払っておき、お金に困っている人が後で無料で飲めるようにする仕組みです、別名「保留コーヒー」です。
イタリアのカフェでは、いいことがあった日にエスプレッソを飲む客が、自分の分より多く代金を払っておくことがあるそうです。保留された分は、お金のない人がカフェに来たときに使われ、コーヒーを飲めるようになります。
多めに払う
いいことがあった客が、自分の分より多くコーヒー代を払う
保留する
余分に払った分をカフェが保留しておく
誰かが飲む
お金がない人がカフェに来たとき、保留分でコーヒーを飲める
児玉さんは、この仕組みを知ってから、実際にカフェで多めに払おうとしたことがあります。店員には最初「何ですかそれ?」と戸惑われましたが、それでも払っておいたそうです。次に店を訪れると、財布を忘れた人がその分を使ったと教えてくれたといいます。
児玉さんは、大人が子どものカレー代を払っていく店があるという話にも触れています。こうした店で行われる小さな贈与も、ビッグマンの話と同じだと考えています。会計処理は少し厄介になるものの、そうした仕組みが広がればよいと話しています。
児玉さんが期待しているのは、特別に注目されなくても、できる人が当たり前に分け与える社会です。そうした社会になれば、税金以外の分配方法としてとても良いと話しています。
次に読む本は、内田樹さんらの『自由より自在に』
児玉さんは改めて、この本は読みやすく、文化人類学の話で盛り上がれる仲間が増えるとうれしいと勧めています。ピダハンの本は分量が多く、読むのに時間がかかりそうなので、次は別の本に挑戦するそうです。
次に取り上げる予定の本は、内田樹さんと近内友田さんの対談形式の本『自由より自在に生きる 愉快さと葛藤の哲学』書名です。児玉さんが文化人類学に関心を持つきっかけになったのは、近内友田さんのベストセラー『世界はどうやってできている』でした。その著者が参加している本なので、次に選んだといいます。
児玉さんは、番組がSpotifyやApple Podcastで配信されていることと、コメント欄にコメントがあるとうれしいことにも触れました。週に1冊ほどのペースで、これからも本を紹介していくと話しています。
まとめ
児玉光史さんは、カタログギフト事業への疑問から贈与論を経て文化人類学にたどり着きました。今回の本からは、顧客の行動を見る参与観察、会社ごとの文化を見るビジネスアンソロポロジー、分け与える人が敬われるビッグマンという3つの視点を受け取り、自社の商品開発や分配のあり方に照らして考えています。
- 参与観察は、アンケートの答えではなく実際の行動から理由を推察する方法で、食品の開発や発売後の検証にも生かせる
- 福利厚生や残業の運用など、会社ごとの細かな文化の違いは文化人類学的に見ると面白い
- 数字も左右もないピダハンの存在は、当たり前の道具が負荷になっている可能性に気づかせる
- 分け与える人が尊敬されるビッグマンの考え方や、保留コーヒーのような小さな仕組みは、税金以外の分配方法になりうる





