会話劇に振り切った第7話は何を明かしたのか
今回の第7話は、前回の第6話と比べて場面の動きが少なく、回想か家の中だけで会話が延々と続く回でした。おっきーは、あまりの会話劇に、メモを取りながら見ても追いつかなかったと振り返ります。
ほんまにな。場面転換ほぼないもんな。回想か家の中。
ただ、退屈にも見えるこの構成は、前回視聴者が「ちゃんと説明しろ」と怒っていた事実関係を明かすための回でもありました。おっきーは、第7話で充側の手の内がほぼ全部明かされたと整理します。
タイトルは「第3金曜日の出会い」。SNSでは、実際の放送日も第3金曜日だったことが話題になったと紹介されています。二人がコインランドリーで会っていた日付と、放送日が重ねられた演出でした。
「僕が誘った」は嘘か、それとも充の自責か
番組が最初に注目したのは、最終盤のシーンです。充は一人でバスに乗って実家へ向かおうとしていましたが、そこへあずさが現れる、という描写でした。
一方で第6話では、咲子もいる場で、充は「自分があずさを誘った」と説明していました。第7話でも直人が「あの人の性格上いつか行くと言うでしょう」と念押ししたのに対し、充は否定せず「私が全部悪い」と謝り倒します。この説明とラストの描写が食い違って見えるのが論点です。
MIYAMUは、この矛盾を充の自責として解釈します。死んだあずさを悪く見せたくないという、充のお人好しな性根が出ているのではないか、という読みです。
(充は死んだ人を)悪く見せたくないよっていう根本のお人好しの部分。
おっきーは別の角度から、充の説明も嘘ではないと考えます。あずさの性格を踏まえれば、充が「心細い実家へ行く」と口にした時点で、あずさはついてきてしまう。それを予測できた以上、誘うようなことをしたのは自分だ、という理屈です。
おっきーは、そもそも視聴者としては、充に嘘だけはついてほしくないと語ります。二人にはコインランドリーで会うというルールがあり、そのルールを充が裏切り始めたら、視聴者はもう何も信じられなくなるからです。
いやいや、全然(あずさが)勝手に付いてきたんすよ、とはよう言わんもんな。
なお第8話の予告では、バスの中で充とあずさが言い合う様子が映っています。MIYAMUは、その車内の会話がまだ開示されていない情報であり、充の逃避癖が再び出るきっかけになったのではないかと推測します。
距離感の近い「エンターテイナー」あずさの正体
第7話でSNSから叩かれていたのは、むしろあずさの言動でした。特にラストの「不倫のようなことと思われてもいいじゃないですか」という発言に対し、距離感が近すぎるという感想が多かったと紹介されています。
二人はあずさを、いわゆるエンターテイナー気質の人物として捉えます。天真爛漫で誰にでも距離が近く、人によっては魔性の女や勘違いする相手にも映るタイプです。
その性格を補強するのが、TVerで配信されているサイドストーリー第7.5話です。本を読んでいて話す隙がない充に、断られかけてもグイグイ話しかけていく。喫茶店の店員・直人にも同じように接する。誰に対してもそうなのだと分かる作りでした。
これ、ナオトくんが先だったら「毎週金曜日に来ますね」とか言うだろうな、こいつと思ったもん。
MIYAMUは、あずさの根っこに「自分がされて嫌じゃないことは、人にしてもいい」という思い込みがあると分析します。自分はズカズカ話しかけられても平気だから、相手も嫌ではないはずだと考えてしまう、という指摘です。
なぜ人はあずさに何でも話してしまうのか
一方でおっきーは、あずさの価値観そのものには魅力を感じたと語ります。もう二度と会わない人、人生に今後関わらない人だからこそ、いろんな話ができる、という考え方です。
おっきー自身は、友達の数に上限を決め、親友数人に深い話を集約するタイプです。初対面の相手には上辺の話しかしてこなかった。だからこそ、あずさの正反対の価値観が新鮮に映ったと話します。
(あずさの価値観を)なんかやってみようかなって思ったぐらいやもん。
MIYAMUは、あずさの会話術を営業の手法にたとえます。まず相手を聞かず、自分の話を8割ほど一気に開示する。そのうえで「そっちも聞かせてください」と振ると、相手も6割は返さなければという気持ちになる、という構造です。
おっきーは、あずさの聞き方はコーチングにも近いと感じたと言います。相手が本音を流そうとしても「本当のこと言ってくださいよ」と踏み込み、言わざるを得なくさせる。だからこそ、充も直人も普段しない話までしてしまうのだ、という見立てです。
隠し事はOK、嘘はダメ──充とあずさの対比
MIYAMUは、充とあずさの関係の扱い方を対比として整理します。充は「隠し事はOK、嘘はダメ」というスタンス。対してあずさは、どこにも隠し事をしない状態を作り続けているタイプだと分析します。
夫に6割、残りをリリー・フランキー役や充に振り分け、どこにも隠し事のない状態を保つ
吐き出せる相手がほぼおらず、あずさに半分だけ開示したことが心の支えになってしまった
MIYAMUは、充にとってその半分の吐き出し口が、想像以上に大きな心の支えになってしまったと指摘します。そして、ここが今回の議論の核心につながります。
話し相手が同性なら、この関係は「不倫」と呼ばれたか
MIYAMUは、あずさの夫・五木が同じように第3金曜日にコインランドリーで話そうと言えたなら、充にとってはそれでも成立したはずだと語ります。充は「女だから」話しているわけではない、という読みです。
おっきーも、これが男同士でも同じ関係は成立すると同意します。もし周囲から見て、第3金曜日にコインランドリーで会う同性の友達がいる、という話であれば、誰もそれを不倫とは思わないはずだからです。
ところが同じ関係が男女になった瞬間、周囲は「不倫」と名づける。二人は、第7話がこの境界線を描こうとしていると読み解きます。
MIYAMUは、身体を必要としない仮想空間の会話でも、充の欲求は満たせたはずだと踏み込みます。ただし、それを咲子が許せたかというと、話は別だとおっきーは応じます。ここが視聴者の言う「精神的な浮気」の議論に重なります。
精神的な浮気、難しいってこれさ、精神が同じじゃないねんもん、人って。
おっきーは、浮気の定義は人によって違うという、古来から解決されていない問題にたどり着くと語ります。AIが多くの問題を解けるようになった時代でも、ここだけは決着がつかない、という視点です。
イチゴのショートケーキが示す「男女関係」という丸め方
MIYAMUは、これを脚本の妙だと評価します。恋愛でも信頼でもどうでもいい関係でも、説明が面倒だから、人はすべてを「男女関係」という枠に丸めてしまう、という指摘です。
MIYAMU自身にも、恋人や元妻には話せなかったことを、仕事仲間になら話せる相手がいたと言います。相手によって出力する人格が違うのは誰にでもあることなのに、男女だと「知らないことを他の女が知っているのが嫌」という枠に押し込められてしまう、と語ります。
その丸め方を、作中は喫茶店のケーキのメニューで表現していました。「イチゴのショートケーキ」と書くのは、イチゴ・キウイ・オレンジと並べたら面倒だから、というたとえです。
この話は、番組の二人自身の関係にも及びます。おっきーは、議論好きの自分がMIYAMUと語り合う関係を、以前「男同士だけど不倫みたいだ」と言われたことがあると明かします。妻がこういう議論を得意としない以上、それを他者とやっていること自体が、そう見えてしまうのだ、と受け止めています。
なぜ充は直人に話せなかったのか──第7.5話の切なさ
話はサイドストーリー第7.5話へ戻ります。おっきーは、これは本編に入ってもよいほど重要な内容だと勧めます。MIYAMUは「第7話は85分あったと思ったほうがいい」とまで表現します。
後半では、直人がホールケーキを用意していた事実が描かれます。その日は咲子の誕生日で、彼女が食べたいと言っていた有名店のケーキだった。ところが充が来なかったため、直人は一人でケーキを頬張り「サプライズ失敗」とつぶやきます。
おっきーは、直人が咲子への想いを抱えつつ、充にも構ってほしいという気持ちがあるのではと読みます。そして、充がこれほど話せる唯一の相手としてあずさを挙げるなら、なぜ直人ではダメだったのか、という疑問を投げかけます。
(直人は本当は)いろいろ喋ってほしいのに、僕には喋ってくれず。
MIYAMUは、直人側もそこにコンプレックスを抱えていたはずだと応じます。自分が充の安全圏になれさえすれば、という思いが行間からにじむ、という読み解きです。
「どうすればよかったの?」を繰り返す咲子の逃避
第8話の予告では、咲子が逃避行に出ることが示されています。おっきーは、追いかけない充の描写に、自分も失踪したという後ろめたさを重ねます。
MIYAMUは、咲子の逃避を「充の気持ちを分かりたいための逃避」だと解釈します。咲子は会話の中で「どうすればよかったの?」を繰り返しますが、充自身もその答えを持っていない、と指摘します。
自分が答えを持ってないことをさ、問い詰められるってしんどいや。
おっきーは、自分が直せばその事象が解決するという咲子の思考を不思議に感じます。二人は、過保護な親のもとで「親の正解」を当て続けてきた背景が、今後描かれるのではないかと予想します。
Tシャツ論争が映す、大切な人との向き合い方
タイトルに直結するのが、作中の「Tシャツ論争」です。二人は、この対比が登場人物それぞれの人間関係観を映していると読み解きます。
汚れたら一緒に洗えばいい。染み抜きが得意だから、と関係を修復するタイプ
大切なTシャツが汚れるのは怖い。汚れる前に捨ててしまいたいというタイプ
さらに中島裕翔演じる人物は、1万5千円の一着を買い、そのTシャツを大切にしたいタイプとして描かれます。そこにあずさをどう組み込むかを考えると、「汚すし汚されてもいい」という前提の持ち主だと、MIYAMUは解釈します。
おっきーは、充が自分の身に何があったかを開示する場面が、洗濯物を畳みながら描かれた点に注目します。畳むということは、乾燥まで終え、また着る前提だということです。
これまでの充は、嫌われるかもしれない話をする前に関係を切り、新しい関係を作り直してきました。その充が、もう一度着る前提で汚れを語っている。おっきーはここに、汚れたら洗ってまた着るという価値観への転換を読み取ります。
この解釈から、おっきーはタイトルの意味を捉え直します。充視点では、そもそも乾かしてこなかったものを、乾くまでちゃんと待てるようになった。ミートソースを飛ばしながら笑って食べるあずさの価値観に出会ったからこそ、洗ってまた着ることに向き合えるようになった、という読みです。
MIYAMUは、咲子が長野へ向かう前、洗濯物を畳みながら待っていた描写を対比として挙げます。一度は畳みかけを放り出して離別し、第7話で二人が畳み直す。生活のサイクルが元に戻ったことを、洗濯物の演出で描いていると評価します。
4人を縛る「親からかけられた呪い」
MIYAMUは、この4人が親からかけられた呪いの中で生きている人たちの話だと総括します。それぞれの生きづらさが、親との関係に根ざしているという見立てです。
充は「一つの場所や一人の人にこだわっていい」という言葉をかけられて以降、関係のリセットを快感にしてしまった。だからこそ、初めて長く関係を続けたい咲子に、どう接すればいいのか方法が分からなかったのではないか、と二人は読みます。
- 五月は過保護な親のもと、正解を当て続けて育った
- あずさは親がおらず、聞いてもらえなかったぶん自由に振る舞う
- 充は不平等な環境で育ち、関係のリセットを覚えた
- 咲子は親との関係の背景がまだ描かれていない
MIYAMUは、その親の背を見て育った子ども、五月の存在に今後の焦点が移ると見ています。呪いが世代を越えてどう受け継がれるのか、という視点です。
犯人探しはどこへ向かうのか──残り3話への視点
二人は今後の展開を予想します。第6話で悪者だった充の背景が第7話で説明され、次はあずさへ視聴者のフラストレーションが向いた。同じ構図で、残る早季子と五月にも順に矛先が向くはずだと読みます。
その根拠として、おっきーは第7.5話のテロップを挙げます。登場人物ごとに紹介文が付けられ、直人は「ちょっとひねくれてる従業員」、あずさは「ちょっとデリカシーのない主婦」と言い切られていました。充は「ちょっと人たらしな店長」でした。誰もがどこか変わっている、と明示する作りです。
MIYAMUは、この構造を「普通」と「普通じゃない」の対比として捉えます。自分が普通だと思って「普通は」と語る側と、自分は普通じゃないと分かっている側とで、綺麗に分断されている、という指摘です。
おっきーは、ちょうどよさを好む五月が、ちょうどよくないあずさに惹かれる点に注目します。凸凹な相手に惹かれるのは分かる。全員が奇異なのではなく、誰もが少しずつ変なところを抱えているのだ、という読みです。
二人は、この作風を作家・朝井リョウの小説になぞらえます。日常に潜り込ませたテーマを、後から強いメッセージとして突きつけてくる書き方だと評します。
まとめ
第7話と第7.5話は、充とあずさの関係が「異性」ではなく「話せる相手」を求めたものだったと示しつつ、その関係が男女というだけで「不倫」と名づけられる境界線を描きました。二人は、洗濯物の演出やTシャツ論争、親からの呪いという補助線から、この物語の読みどころを整理しています。
- 充の「僕が誘った」は、あずさの性格を見越した自責であり、咲子に嘘はつかないという読みで一貫させている
- あずさは自分の話を8割先に開示する会話術で、充にも直人にも本音を引き出させる人物として描かれる
- 同じ関係でも同性なら「不倫」と呼ばれない──「イチゴのショートケーキ」のたとえが、男女という枠への丸め方を示す
- Tシャツを「汚れたら洗う」咲子と「汚れる前に捨てる」充の対比が、タイトル回収と価値観の転換につながる
- 4人はいずれも親からの呪いの中にあり、残り3話は早季子・五月へと矛先が移る犯人探しになると予想される





