この回で追う2つの軸 作り込みと「本当の幸い」
今回の主題は『銀河鉄道の夜』です。藤若さんはまず、この作品には「全てに意図があって意味がある」というほどの作り込みがあると指摘します。
もう1つの軸が、作品最大のテーマである「本当の幸い」です。賢治がそれをどう考えていたのかを、物語を通して見ていくと説明されています。
全てに意図があって意味があるみたいな。賢治が細部までこだわってたことを感じられればいいかなと思ってます。
物語の季節は秋、ケンタウル祭の日です。場面は午後の理科の授業から始まり、先生が星図を示しながら、天の川が本当は何かを生徒に問いかけます。
ジョバンニとザネリ 名前に隠された意味
天の川の答えを知っていた主人公ジョバンニは手を挙げますが、よくわからない気がして手を下ろしてしまいます。指名されても答えられず、いたずらっ子のザネリからクスッと笑われます。
藤若さんは、ジョバンニという名前を「ジョバンニはイタリア語の男性名で、キリスト教のヨハネにあたる。作品の舞台は当初イタリアなど南ヨーロッパが想定されていた」と解説します。ヨハネには使徒ヨハネと洗礼者ヨハネの2人がいます。
ジョバンニは使徒ヨハネの要素が強いのではないか、というのが藤若さんの見立てです。その根拠が2つ挙げられています。
- 使徒ヨハネは12使徒で唯一、迫害で亡くならず天寿を全うし布教し続けた信仰の厚い人物
- ジョバンニも使徒ヨハネも、ともに漁師の息子である
一方でザネリの名前は、ジョバンニというイタリア語の名前が変形してできた苗字だと説明されます。ここから重要な見立てが示されます。
ジョバンニが賢治だとしたら、このザネリもおそらく賢治の分身であろうということがわかります。
カムパネルラという名前と、鐘のモチーフ
クラスには友達のカムパネルラもいます。手を挙げていたのに答えなかったのは、宇宙の本を一緒に読んでいたジョバンニに気を使ったからだろうと、ジョバンニは察します。
カムパネルラという名前は、イタリア語で小さな鐘、教会の鐘という意味があります。物語の随所に、この鐘のモチーフが埋め込まれていきます。
カムパネルラのモデルには賢治の妹トシ子説と保阪説があると紹介しつつ、藤若さんはモデル探しそのものにはあまりこだわらない姿勢です。
そんなにこのモデルが誰なんだみたいなのはそこまで重要じゃないのかなとも思います。
授業では、天の川が無数の小さな星の集まりであり、白く見えるのは遠くに星が密集しているからだと先生が解説します。
働く子ども・病気の母 ジョバンニの現実
学校が終わると、クラスメイトはケンタウル祭の準備のため、烏瓜を取りに行く相談をします。しかしジョバンニはそこに加わらず、家にも帰らずに活版所へ向かいます。
活版所でジョバンニは活字をピンセットで拾い、職人から虫眼鏡くんとからかわれても言い返さず、黙々と働きます。ジョバンニは自分で働かなきゃいけない子どもとして描かれています。
夕方にお金をもらい、パンと角砂糖を買って帰宅します。小さな家では、病気で寝込む母が一人で待っています。
砂糖を牛乳に入れて母に飲ませようとしますが、牛乳屋が置き忘れたようで、家に牛乳がありません。父は北の海に漁に出ているはずと話すジョバンニに、母は漁に出ていないかもしれないと返します。
友達はジョバンニの父を「ラッコの上着を持って帰ってくる」とからってくるとジョバンニは言います。当時、密漁したラッコの皮で上着を作ることがあったようですが、父はそんな悪事で監獄に入るような人ではないとジョバンニは思っています。
食事を終えたジョバンニは、牛乳を受け取りに行きがてらケンタウル祭を見てくると母に伝えます。母は川に入らないようにと注意しつつ、カムパネルラと一緒なら安心だと送り出します。
夏のクリスマス? ケンタウル祭のモデル
坂道でいたずらっ子のザネリと出くわし、「お父さんからラッコの上着来るよ」とからかわれます。ジョバンニの胸はパッと冷たくなります。
時計屋の店先で星座早見盤を見て、ジョバンニは星空の中を自由に歩いてみたいと思います。ここで藤若さんは、街のケンタウル祭と銀河のケンタウル祭が同じ文化として描かれていると指摘します。
作中では、街灯が青いもみやナラで包まれ、プラタナスの木に豆電球が灯り、子どもたちが青いマグネシアの花火で遊ぶ様子が描かれます。藤若さんはこの光景をクリスマスのようだと感じたと話します。
実際、ケンタウル祭のモデルは「夏のクリスマス」とも呼ばれる「聖ヨハネ祭(洗礼者ヨハネの誕生を祝うキリスト教の祭り。夏至ごろの6月24日に行われる)」ではないかと説明されます。
ここでの聖ヨハネは、ジョバンニの要素である使徒ヨハネではなく、洗礼者ヨハネの方です。洗礼者ヨハネはキリストより半年前に生まれたとされ、夏至の6月24日が聖ヨハネ祭とされます。
もともと夏の設定だったこの物語のケンタウル祭と一致するうえ、賢治は保阪と知り合って教会に通う機会が増え、キリストの祭りにも詳しかっただろうと補足されます。
祭りに入れない少年と、丘の上の天気輪の柱
祭りの日なのに、ジョバンニは祭りに加われず牛乳屋へ向かいます。しかし店の人は「担当者がいないから明日にしてほしい。もう少し経ってから来てほしい」と言われます。
帰り道、灯りを持って祭りに向かう同級生たちに勇気を出して話しかけようとします。しかしザネリがまた「ラッコの上着来るよ」と叫び、他の子も一緒にからかってきます。
その中には、気の毒そうにジョバンニを見つめるカムパネルラがいました。ジョバンニはその視線に耐えられず、目をそらしてそのまま駆け出します。
ジョバンニは牧場の裏の丘を登り、天気輪の柱が立つ頂上へ向かいます。林を抜けると満天の星空と天の川が広がり、丘の上には祭りで輝く街や子どもの歌声、口笛がかすかに聞こえてきます。
ツリガネソウとカムパネルラ 小さな花に宿る要素
ジョバンニは天気輪の林の下の草むらに横たわります。作中では、ツリガネソウかノギクの花が一面に香り、鳥が一匹鳴きながら通っていったと描かれます。藤若さんはここで、なぜツリガネソウと明記したのかと引っかかったと言います。
ツリガネソウは花が小さな釣り鐘に似ていることからそう呼ばれ、別名を「カンパニュラ(ラテン語で「小さな鐘」を意味し、カムパネルラの名と同じ語源を持つ)」といいます。ここにカムパネルラの要素が宿っているという読みです。
さらに、夏に咲く小さな白い花と鳴き続けて通る鳥の描写から、藤若さんは賢治が妹トシに向けた作品「無声慟哭」の一節を思い出したと話します。
こういう小さいところにトシの要素だったり、カムパネルラ、そういう要素が見えます。
他の草もそよぐという描写から、ツリガネソウが風に揺れる場面が浮かび、そこから鐘の音が聞こえてくるような感じもすると藤若さんは述べます。
青い琴の星の奇妙な動きと、オルフェウス
遠くから軽便鉄道の音が聞こえ、楽しそうな車窓の人々を見てジョバンニは悲しくなります。星空を見つめると、先生が冷たい宇宙と表現した天の川が、ジョバンニには牧場や林のある野原のように感じられます。
天の川を見ていると、青い琴の星が3つや4つになったり、足がびょんびょん出たり引っ込んだりして変な動きをします。藤若さんは、この奇妙な動きにギリシャ神話の引用を読み取ります。
これはおそらく「オルフェウスの冥界降り(竪琴の名手オルフェウスが亡き妻を取り戻すため冥界へ下るギリシャ神話。地上直前で振り返ってしまい妻を再び失う)」の引用ではないかと、『宮沢賢治の死の世界』を参照しつつ説明されます。
神話では、オルフェウスは冥界の敵に会うたびに歌声と竪琴を奏で、道を進みます。冥界の王ハデスは妻を返す条件として、地上に出るまで振り返らないことを課しますが、オルフェウスは目前で振り返り、妻は煙のように消えてしまいます。
この神話で現実世界から冥界へ入る過程で竪琴が重要な役割を果たしたのと同じく、銀河鉄道でも青い琴の星、つまり琴座が乗車の鍵になっているというのです。
現実世界のパートには、この後の旅に出てくる要素が散りばめられています。天の川やケンタウルス座に加え、時計屋で見たさそりや、三本足の小さな望遠鏡が、後の「明滅する三角標」につながると指摘されます。
銀河ステーションと、白鳥停車場のカムパネルラ
やがて、どこからともなく「銀河ステーション」という声が聞こえます。ものすごい光に包まれて気づくと、ジョバンニは夜の軽便鉄道の車室に乗っていました。
向かいの席には、黒い上着を着た背の高い子どもが窓から外を見ています。カムパネルラです。カムパネルラは「みんなで随分走ったけれど遅れてしまった」と話します。
ザネリはもう帰ったよ。お父さんが迎えに来たんだ。
そう言いながら少し顔色が青ざめ、泣きそうな様子です。銀河ステーションでもらった黒い地図を広げ、路線を見せます。二人は白鳥の停車場へ向かうあたりにいました。
窓の外には青や橙色の三角標が立ち並び、野原いっぱいに光っています。その景色を見て、ジョバンニは自分がすっかり天の野原に来たと感じます。
「本当の幸い」とは何か カムパネルラの問い
ここでカムパネルラが急に、おっかさんは自分を許してくれるだろうかと打ち明けます。母が本当に幸せになるならどんなことでもすると言いつつ、では何が母の一番の幸いなのかと問います。
誰だって本当にいいことをしたら一番幸いなのだから、おっかさんは自分を許してくれると思う
カムパネルラは固い決意のように言います。ここで作品の重要テーマ「本当の幸い」が姿を現します。
銀河の中州に白い十字架が見えると、乗客たちがハレルヤと祈りを捧げ、ジョバンニもカムパネルラも立ち上がります。カムパネルラの頬は、熟したリンゴのように美しく輝いて見えました。
プリオシン海岸 化石を掘る学者との出会い
白鳥の停車場で二人は電車を降り、銀河の岸辺へ向かいます。砂や小石が水晶や宝石のように輝き、透明な銀河の水が流れ、手を浸すと水面がちらちら燃えるように揺れます。
この銀河のモデルはおそらく北上川で、宝石のように輝く描写は、北上川の浅瀬に高温水晶が集まる場所があることに由来するようだと説明されます。
ここはプリオシン海岸と呼ばれる場所です。川上ではつるはしやスコップを持った学者らしき人が、牛の先祖の化石や足跡を採掘しています。二人はその学者に別れを告げて駅に戻ります。
どこまでも行く汽車と、殺生する鳥捕り
銀河鉄道が発車すると、赤髭の鳥捕りが乗り込んできます。どこまで行くのかと尋ねられ、ジョバンニが決まり悪そうに「どこまでも行くんです」と答えると、鳥捕りは意味深に応じます。
それはいいね。この汽車は実際どこまででも行きますぜ。
この時点のジョバンニは、自分がなぜここにいるのか、この列車が何なのかをまだわかっていません。
鳥捕りはツルやガン、白鳥、サギを捕る仕事をしています。サギが川へ下りる瞬間に足を押さえると動かなくなると言い、押し葉のように平らな白い鷺を見せます。ガンの足を引っ張るとチョコレートのように離れ、食べるとチョコレートより美味しいお菓子でした。
ジョバンニは美味しいと思いつつ、本当は鳥ではなくお菓子で作ったのではと相手を疑い、その後ろめたさを感じます。カムパネルラが本当はお菓子だろうと尋ねると、鳥捕りはここで降りなきゃと急に姿を消します。
鳥捕りの正体には、案内人説や狐説、賢治の投影説など諸説あると紹介されますが、藤若さんは納得のいくものはなかったと率直に語ります。
チョコレートよりもいいお菓子で美味しいなって思いながら食べるけど、相手を疑うみたいな、その構図から、賢治の家ってお金持ちで、その商売自体は嫌いだったみたいなのにちょっと似てるなと思いつつ。
窓の外では、鳥捕りが線路脇に立ち、雪のように舞い降りる鷺を次々と捕まえて袋に入れています。やがて瞬間移動のように車内へ戻り、何事もなかったように鷺を揃え直します。
どうやって一瞬で戻ったのか尋ねると、鳥捕りは「来ようと思ったから来た。逆にあなた方はどこから来たのか」と問い返します。しかしジョバンニもカムパネルラも、自分たちがどこから来たのかを思い出せません。
どこへでも行ける切符 妙法蓮華経という読み
車掌が切符の提示を求めます。カムパネルラは小さな切符を見せます。エピソード説明では、カムパネルラの切符を緑と言っているのは誤りで、実際は灰色の切符だと訂正されています。
ジョバンニは切符を持っていませんが、服のポケットを探ると、四つに折ったはがきほどの緑色の紙が出てきます。よくわからないままそれを渡すと、車掌は敬意を払うように丁寧に確認します。
車掌は「これは三時空間からお持ちになったものですか」と尋ね、ジョバンニは「なんだかわかりません」と答えます。二人がその紙を見ると、黒い唐草模様の中に10ほどの奇妙な字が印刷され、見ていると吸い込まれそうな気がします。
この切符について、藤若さんは今野勉さんの本を引きます。島地大等の『観自在経妙法蓮華経(仏教の経典。表紙にサンスクリット語で妙法蓮華経を意味する文字がある。賢治が愛読したとされる)」をモデルにしているのではないか、というのです。
この本は小ぶりの辞典ほどの大きさで、はがきよりやや大きい程度です。表紙にはサンスクリット語で「無上の真理、蓮華の花のようなお経」を意味する文字が、ちょうど10文字書かれているそうです。
つまりジョバンニのポケットには、いつの間にか妙法蓮華経を思わせる紙が入っていたことになります。それを見た鳥捕りは、本当の天上へさえ行ける、どこへでも勝手に行ける通行券だと妙に感心します。
ジョバンニは、切符をうらやみ鷺を捕って喜ぶ鳥捕りを邪魔だと感じ、軽くあしらいます。しかし、そうしているうちに、鳥捕りがひどく気の毒に思えてきます。
ついにジョバンニは、この人の本当の幸いになるなら、光る天の川の川原に100年立って鳥を捕ってもいい、とまで思うようになります。本当の幸いを求める気持ちが、他者へ向かって動き出した瞬間です。
あなたの本当に欲しいものは何かと尋ねようと振り向くと、鳥捕りはいつの間にか姿を消していました。ジョバンニは、邪魔だと思っていたことを少し後悔します。
氷山に沈んだ船 三人の来訪と後編への予告
車内にリンゴと野バラの香りが漂う中、幼い男の子とその姉、二人を連れた黒い服の青年が突然現れます。男の子はガタガタ震え、裸足で立っています。
男の子は「船に乗らなきゃよかったな」と言います。青年は、自分たちは天に向かう旅の途中だからもう怖いものはない、お母様も待っている、これから神様の元へ向かうのだと二人を励まします。
灯台看守がどこから来たのかと尋ねると、青年は事情を明かします。自分は二人の家庭教師で船に付き添っていたが、乗っていた船が氷山に衝突して沈没し、気づいたらここにいたのだと答えます。
まとめ
『銀河鉄道の夜』前編は、名前や祭り、花、切符といった細部に賢治の意図が張り巡らされ、その全てが「本当の幸い」というテーマへ向かっていく構造を持っています。藤若さんはその一つひとつを丁寧にたどりました。
- ジョバンニは使徒ヨハネ、ザネリはその変形で、どちらも賢治の分身と読める
- カムパネルラの名は「小さな鐘」を意味し、ツリガネソウ(カンパニュラ)にもその要素が宿る
- ケンタウル祭のモデルは夏の聖ヨハネ祭、青い琴の星の動きはオルフェウスの冥界降りの引用と読める
- ジョバンニの切符は島地大等の妙法蓮華経がモデルとされ、どこへでも行ける通行券とされる
- 鳥捕りへの気持ちの変化を通して、「本当の幸い」を他者へ向ける視点が動き出す







