「まちづくり求人ポッドキャスト」はどう始まった?
ローカルクルーは、福島県南相馬市小高区で街づくりを進めるOWB株式会社が、一緒に街をつくる仲間を探すための「まちづくり求人ポッドキャスト」です。OWBは、住民がいったんゼロになった小高区に100の事業をつくることを目指しています。
番組の冒頭、井上さんは和田さんのぎこちない進行を、Netflixの「テラスハウス」でナレーションをなかなか覚えられなかったYOUさんになぞらえます。回を重ねるうちに自然と慣れていくその感じが良かった、という話です。
和田さんもユー、ユーさんっていうことで。
多分(ナレーションは)覚えらんないと思います。
井上さんは、小高区でポッドキャストを始めるのはおそらく初めてではないかと話します。和田さんも、自身が食堂を開いたときも「震災後初」だったと振り返り、住民ゼロから再出発した街だからこそ、いろいろな「初」が生まれていると話しています。
OWBの和田さんと、みっけの井上さんは何者?
和田智行さんは、原発事故の避難区域に指定され、5年4ヶ月のあいだ人が住めなかった小高区で、さまざまな事業を手がけています。OWBのミッションは、地域の100の課題から100のビジネスを生み出すことです。
人口が一旦ゼロになったんで、課題しかないんですけども、課題はすべてビジネスの種だろうということで、課題の数だけビジネスを起こしていこうと。
これまでにOWBがつくってきた事業は34。和田さんは「3分の1きました」と、100という目標に対する手応えを口にしています。
井上拓海さんは、長野県小諸市に住みながら株式会社みっけを経営しています。和田さんと出会ったのは5月ごろで、まだ4、5ヶ月ほど。本人は「小高初心者」と言いつつ、行政やまちづくりの視点と、事業をつくる民間の視点を行き来しながら、OWBに関わっています。
OWBという会社を、まあすごいちょっと勝手ながらなんですけれど、もっとより良い会社に、そして和田さんが少しでも楽にならないかというふうに思いながら(関わっています)。
番号としては「0回目」にあたるこの回は、ポッドキャストの狙いと、そもそもOWBが何を考えている会社なのかを共有する場として位置づけられています。
地域に関わりたい人と、仲間がほしい地域をどうつなぐ?
井上さんは最近、まちづくりや地域に関わりたいと考える人が増えていると感じています。和田さんも、小高区だけでなく福島の沿岸部全体で、そうした人がものすごく増えていると答えます。
一方で、地域に関わる入り口は意外と少ない、というのが二人の共通認識です。和田さんは、学生ならフィールドワークやインターンがあっても、社会人になるとローカルの人と接点をつくって関わりしろを見つけるのは難しいと話します。
結構個人の能力にすごい依存するというか。コミュ力次第みたいな。
井上さんは、地域に関わりたい人と、関わってほしい地域の両方がいるのに、つなぐものが「ご縁とコミュ力」になっているのはもったいないと話します。地域おこし協力隊 ── 都市部の人が過疎地域などに移住し、地域の活動に一定期間従事する総務省の制度。自治体が募集し、隊員の活動費などを国が支援しますもありますが、和田さんは、希望する枠や内容が合っていればという面もあると補足しています。
関わりたい人
まちづくりや地域に関わりたい人が増えている
仲間がほしい地域
地域側にも関わってほしいというニーズがある
今のつなぎ方
ご縁とコミュ力に頼っていて、入り口が少ない
ローカルクルー
地域という船に乗る仲間と地域が出会う方法をつくる
ローカルクルーという名前には、地域という船に一緒に乗る仲間、という意味が込められています。井上さんは、求人なら仕事内容や給料が気になるところだけれど、まちづくり求人ではまず「その地域に関わりたいと思えるか」が大事だとして、和田さんに小高区の面白さを語ってもらうことにします。
住民ゼロとは、どんな状態だったのか?
井上さんの最初の質問は「住民がゼロってどういうことですか?」。和田さんによれば、2011年3月の原発事故のあと、原発からおよそ10〜20キロ圏内にある小高区は、最初の避難指示の対象となり、住民は全員退去を強いられました。
最初の1年はほぼ立ち入りができず、厳密には3ヶ月に1回、2時間だけ入ることが許される程度でした。地震で崩れた建物も津波の泥も、震災当時のまま放置されていたといいます。
2012年に避難指示が少し緩和され、復旧工事や除染が始まります。ただ、住民は「店も仕事もない地域には帰れない」、事業者は「働く人も客もいない場所では商売できない」という堂々巡りが続きました。
その店や仕事を作る事業者からすれば、働く人も客もいない店で商売できないと。そういうこう堂々巡りな状態が続いていたと。
長期の宿泊が少しずつ認められ、解除前にも人の出入りは増えていきます。それでも居住人口ゼロの状態は、5年4ヶ月続きました。
物音ひとつしない街は、マトリックスの世界だった
当時の街の景色を聞かれた和田さんは、直後は時間が止まった状態だったと答えます。あっという間に雑草だらけになり、津波に流された車や船が道路に転がり、崩れた建物の合間から草が生えていました。
生活してないので物音がしないんですよ、一切。
和田さんが最初に小高区へ戻ったのは、避難指示が出る直前の4月で、必要なものを取りに帰っただけでした。次に入ったのは半年後の10月ごろ。マイクロバスで各自の家に送ってもらい、2時間だけ滞在が許されたといいます。
当時、和田さんは埼玉に避難していました。普通の生活が続く埼玉と、世紀末のような小高区。その落差を和田さんは映画「マトリックス」にたとえます。
埼玉での生活が、あの機械に夢を見せられていた。現実は荒廃してるみたいな、そういう感覚でしたね。
街が復興するイメージはまったくなく、和田さんは戻れないと考えて英会話を必死に勉強していました。沖縄以外は日本中どこにも原発があるので、海外に行くしかないと思っていたそうです。
「戻れない」が「戻る」に変わったきっかけは?
考えが変わり始めたのは、2012年4月の避難指示の緩和でした。家業が織物業の和田さんの両親は、戻って工場を再開すると言い出します。東京出身の妻も、解除されたら当然戻るという考えでした。
あれ、なんか俺だけ戻れないと思ってたみたいな感じになってですね。
和田さんは、現場を見ていたのが自分だけだったという情報量の差があったと分析します。見ていない家族にとっては「戻れるなら戻る」が自然で、和田さん自身もそちらに引っ張られていきました。
街が動き出したと感じた瞬間として和田さんが挙げたのは、ゴミの回収です。一時帰宅のたびに出されたゴミが集積場に山のように溜まっていましたが、それが回収されてなくなったとき、生活インフラが動き出したと感じたといいます。
その集積場に溜まったゴミがマジで山のようになってたんで、それがなくなった時はちょっとした感動だったし、やっぱりいやありがとうって思いましたよね。
井上さんは、ふだん当たり前すぎて見えない国や行政の仕事も、一度止まると動き出したときの重みを感じるのだと受け止めています。
課題が可能性に見えた瞬間、何が起きた?
井上さんは、和田さんが「復興させる」というより、課題を事業の種として面白がっているように見えると問いかけます。和田さんは、家族で帰る方向が決まったあと、自分は何をするかを考えていた時期を振り返ります。
避難指示の緩和後、和田さんはボランティアや復興支援の企業などを大型バスで案内していました。みんな現場を見て心を痛め、何かしなければと決意して帰っていきます。けれど、そこから何も生まれなかったといいます。
一方、宮城や岩手では外から来た人と地域の人が新しいプロジェクトを次々に生み出していて、和田さんはそれを羨ましく見ていました。インフラが整わず腰を据えて活動できない、という違いがありました。
そこで和田さんは、起業経験があり、子どもを連れて帰る予定の住民は、小高区で自分しかいないのではと気づきます。
暮らしが先か仕事が先かっていう議論が終わんないんだったら、いや俺なら暮らしと仕事同時に始められるのかって思っちゃって。
使命感が湧いた状態で地域を見直すと、たくさんの課題がすべて可能性に見えてきた、と和田さんは話します。
街は世紀末のようで戻れない。海外移住を考え英会話を勉強していた
暮らしと仕事を同時に始められる自分が、課題を可能性として事業にしていく
リアルシムシティとしての小高は、なぜ魅力的だった?
震災前の和田さんは、インターネットのスタートアップで忙しく働き、その働き方に限界を感じていました。2008年ごろのリーマンショック ── 2008年に米投資銀行リーマン・ブラザーズが破綻したことをきっかけに広がった世界的な金融危機。日本の企業や景気にも大きな影響を与えましたでダメージを受けたことも引きずっていたそうです。
ここに自分が本当に理想とする生き方ができる暮らしができる街を自分が作ればいいじゃないか。だって誰もいないんだから。リアルシムシティできるんだからって思っちゃったら(ワクワクしてきた)。
井上さんは、スタートアップでは資金調達のためにマーケットの大きさが問われ、やるほど「市場がない」となりがちだと指摘します。和田さんも当時、どこまで成長すればゴールなのか疑問に感じていました。
なんか全速力でゴールの見えないマラソンさせられてるみたいな。
何のために事業をやり、何のために働くのか。その問いの答えが小高区にあった、という感覚だったと和田さんはうなずいています。
34の事業はどんな順番で生まれた?
34の事業には、OWB自身がつくったものと、OWBのプログラムで伴走して生まれたものが含まれます。最初はコワーキングスペース、その後に食堂、スーパー、ガラス工房と続きました。
ガラス工房は、地元の子育て中のお母さんたちの仕事として始めたものです。生活インフラを整えても若者は帰ってこないという諦めがあったため、通勤なら呼び込めるのではと考え、帰還を決めることの多い女性に向けた魅力的な仕事をつくろうとしました。
次に始めたのがNextCommonsLab ── 地域おこし協力隊の仕組みを活用し、地域で事業を起こす起業家を募集・支援するプロジェクト。各地の拠点で、地域があらかじめプロジェクトのテーマを設定しますです。井上さんが「一気に事業が増えた起爆装置」と呼ぶこの仕組みから、これまでに約15の事業が生まれ、ざっくり15人がそれぞれ起業したことになります。
クラフト酒からハンバーガーまで、何がある?
NextCommonsLabから生まれた事業は「バラっぱら」だと和田さんは言います。同じ飲食でも、目指すところや目的がみんな違うそうです。
- クラフト酒という新しいジャンルの酒蔵が2軒
- グラフィックデザイナー
- 耕作放棄地で育てた野菜を出すサラダ屋
- ハンバーガー屋
- キャンピングカーのレンタルでインバウンドを呼ぶ事業
- 1足40万円ほどの革靴職人
- 馬が多い地域ならではの、馬を活用したビジネス
僕がハンバーガー食べれないって言ったら、「ハンバーガー作ります」って言ってハンバーガー屋始めたりとか。
多様になった理由のひとつは、募集の段階でOWBが「こういう事業をつくってほしい」というお題を設定していることです。本当に何もない状態なので、いろいろなものが必要とされ、お題は設定しやすかったといいます。
ハンバーガーがね、その地域の課題解決になってるのかちょっとよくわかんないですけど。はい、僕の課題解決のだけです。
住民ゼロの街だから生まれる新しいカルチャーとは?
井上さんは、ゼロから始まる街では、課題かどうかの線引きにきりがないと話します。必要なものだけでなく、あってもなくてもいいけれどあったら嬉しいものも大事にできる。そこに一度住民ゼロになった街の醍醐味がある、という見方です。
「それは課題じゃない」「そんなものいらない」という声が先に出やすい
過去を思いつつも、新しいことを否定する必要がない
和田さんは、小高区では実際に新しいカルチャーが生まれつつあると話します。わかりやすいのがクラフト酒で、それがかつて地域にあった地酒を復活させる動きや、地域の草花と一緒に発酵させたお酒にもつながっています。
新しいカルチャーが生まれていって、面白いことに、それで過去の地域のいろんな魅力とか資源とか文化とか歴史もそれに引っ張られてまた顕在化していく。
新しいものが生まれることで、過去の魅力までもう一度掘り起こされていく。小高区のゼロからの街づくりには、そんな循環が起きているようです。
イノベーターだけでなく、「支える人」が必要な理由
最後に井上さんは、ここまでの話だとすごいイノベーターしか小高区には来られないように聞こえるかもしれない、と切り出します。OWBは100の事業をつくるだけでなく、1つ1つの事業の強度を上げ、きちんと雇用していくことも大事にしています。
ビジネスは生まれ続けるけど、和田さん何人必要なんだみたいな感じになってきちゃう。
和田さんが挙げた、いま欲しい仲間の例は具体的です。宿泊できるコワーキングスペース「小高パイオニアヴィレッジ」で起業家支援をしながら運営するスタッフ、ラーメン屋で腕を磨き2号店・3号店の責任者になれる人、そしてガラスブランド「IZE」の販売やECを強化してくれる人です。
| 事業 | どんな仲間か | ひとこと |
|---|---|---|
| 小高パイオニアヴィレッジ | コワーキングスペースの運営スタッフ | NextCommonsLabの起業家支援も一緒に |
| ラーメン屋 | ラーメンを作れるようになりたい人 | 2号店・3号店の責任者も視野に |
| ガラスブランドIZE | 販売やECを手伝う人 | 今後どんどん強化したい |
井上さんは「そういう人たちも入っていいんだ」と感じたと言います。ラーメン屋と聞いて、大手つけ麺チェーンで働きながらもっと面白い環境を求めている友人の息子を思い出したほどでした。
そういう人はいっぱいいるんですけど、みんなどこもあの、そういう人を支える人が足りてないですね。
自分の夢を叶える人だけでなく、誰かの夢を支えたい人とも出会いたい。二人は、このローカルクルーでまず100人の仲間を増やすことを目標に掲げ、初回を締めくくりました。
まとめ
原発事故で住民がゼロになった小高区で、和田さんは課題を可能性と捉え直し、34の事業を生み出してきました。ローカルクルーは、そんな街に関わりたい人と、仲間を求める地域をつなぐための新しい入り口です。
- 小高区は原発事故後5年4ヶ月、居住人口ゼロの状態が続いた
- 和田さんは「暮らしと仕事を同時に始められる」と気づき、課題を事業の種と見るようになった
- OWBはNextCommonsLabなどを通じて、クラフト酒やハンバーガー屋など多様な34の事業をつくってきた
- 住民ゼロからの再出発が、新しいカルチャーと過去の魅力の掘り起こしを同時に生んでいる
- いま必要なのはイノベーターだけでなく、運営や販売、ラーメン屋などで事業を支える仲間





