日本一のバンドを、なぜ地下のバンドマンは聴かない?
Mrs. GREEN APPLEが9月30日に新しいアルバム『POPS』をリリースしました。Kazmaさんはあちこちでその名前を目にするうちに、ミセスを一度も聴いたことがないと気づいたといいます。
Kazmaさんが知っていたのは、街中で流れる『ライラック』のイントロと『青と夏』のサビの頭くらい。理久さんも、テレビで流れているのを耳にする程度だったと話します。
今回その(『POPS』が)出てさ、もうチャート全部の1位になってるわけだよな。
Kazmaさんによれば、『POPS』の収録曲はApple Musicのトップ100に全曲が入り、MVも1日で数百万回再生されているそうです。国内のストリーミングは累計100億回にのぼるといいます。
だからアンダーグラウンドなのかもしれない。
2人が強調するのは、尖ってあえて聴かないわけではないという点です。ライブハウスの楽屋でミセスの名前を聞いたこともなければ、嫌いだと言うバンドマンもいない。単純に会話に出てこないのだといいます。
Kazmaさんはスポーツにたとえます。プレーヤーを目指す人なら誰もが現役最強の選手を意識するはずなのに、ミュージシャンは「現役最強のロックバンド」と言われるミセスになぜか触れない。そこが不思議だというのです。
別に売れてるもん嫌いなわけでもなくて、オアシスの話するしさ。
理久さんも、働いている西永福JAMの転換BGMでaikoや平井堅を流しているのに、ミセスは流れないと振り返ります。ミセスもライブハウス上がりのバンドのはずなのに、という疑問が残ります。
ミセスのドラマーと同じバンドにいた理久さん
実は理久さんには、ミセスとの接点がありました。理久さんが以前やっていたバンドで、現在ミセスのライブなどで叩いているドラマーの倉風英之さんが、2020〜2021年ごろの約1年間、サポートを務めていたのです。
本当に素晴らしいドラムですよ。
だからその、今(その人が)ミセス叩いてるのも、こう爆売れしてんのも、もうめちゃめちゃ納得。
それでも理久さんは、ミセスのライブ映像を見ようとはしなかったといいます。Kazmaさんはこれを「食わず嫌い」と呼びつつ、嫌いというより視野に入っていない状態だと整理します。
避けていたのか、という問いにも2人は首を振ります。「ミセスを聴かないほうがかっこいい」という意識もなかったそうです。理久さんはここで、ミセスは「透明」なのだと口にします。
それだからこそのあの売れ方なのかなと思うからこそ、俺らが通過しちゃうのかもね。
Kazmaさんは、以前番組でマイケル・ジャクソンの映画を取り上げた際に「日本にはもう国民的アーティストは出てこない」と話したことに触れます。実はすでに国民的アーティストのミセスがいて、自分たちの視野が狭くて見えていなかっただけだと気づいたといいます。
「確かめよう。」というCMは宣戦布告だった
Kazmaさんが『POPS』を今聴こうと思ったきっかけは、リリース前にXのタイムラインに流れてきたCMでした。音楽についての問いが次々と流れ、最後に「確かめよう。」と表示される映像です。
問いは「音楽に消費期限はある?」「売れる曲がいい曲?」「ロックはバンドだけのもの?」「大衆って誰?」「明るい曲だけがポップス?」など、数十個にのぼります。
すごかったよな。俺らに言ってるみたいな。
Kazmaさんは、このCMを盲目的なファンではなく、俯瞰して考えてしまうアンチや、ミセスに触れずに生きてきた人に向けた言葉だと受け取りました。中でも「音楽の価値は何で決まる?」が一番刺さったといいます。
っていうCMなわけだから、もう宣戦布告に感じて。俺らに対する。
世の中の疑問をミセス自身がすべてメタ的に言い当てたうえで、アルバムを聴いて確かめてくれと言ってきた。だからKazmaさんは重い腰を上げ、3日間ミセスだけを聴き続けたそうです。
初めて聴いた『POPS』は全部入りのテーマパーク
2人はミセスの過去曲を聴いておらず、感想はあくまで『POPS』単体についてのものです。全16曲・1時間超で、タイアップなどの既存曲を除くと新曲は9曲あるといいます。
Kazmaさんは、売れ切って国民的アーティストになったミセスが本気で作ったアルバムを最初の1枚として聴けたことは、頭の凝り固まったバンドマンの入り口としてとても良かったと話します。
テーマパークみたいなアルバムだったなって思ってて、俺は。
好きな曲として2人が挙げたのは、アルバムでタイアップではない最初の曲『共犯』です。理久さんは『シンデレラ』を、名前どおりディズニーのような曲だと評しました。
Kazmaさんは、『アポステリオリ』のマスロック ── 変拍子や複雑なリズム構成、緻密なギターフレーズを特徴とするロックのサブジャンル。数学的なロックという意味で呼ばれますのような構成や、『Project4』のハイパーポップ ── 極端に加工したボーカルや過剰な電子音を特徴とする、2010年代後半から広がったポップのスタイル的なサウンドに驚いたといいます。
もうこのある程度のクオリティの曲は圧倒的なものを作れるアーティストなんだなっていうのが知れたから、なんかこう、あ、だから最強なんすねっていう感想かな。
一方で理久さんが意外だったのは、歌詞の暗さです。キラキラしたポップスだと思っていたのに、聴いてみると心配になるほど暗かったといいます。2人は、サウンドやメロディが明るいせいで、歌詞まで踏み込まない人には明るく聞こえるのではないかと推測します。
キラキラした明るいポップス。名前は知っていても曲の中身は知らない
変拍子や電子音まで何でもこなす全部入りのアルバム。歌詞は意外なほど暗い
大森元貴の歌はなぜこんなに聞き取れるのか
理久さんがもっとも驚いたのは、大森元貴さんの歌詞の聞き取りやすさでした。これまで膨大な数のアルバムを聴いてきたなかで、初見で一番歌詞が聞き取れたかもしれないといいます。
ゲームしながら聴いてる時ってさ、別にそんな情報入ってこないじゃん。
(それなのに)どんどんどんどん歌詞入ってきやがるからさ。なんか一回やめよう、ゲームみたいな。
Kazmaさんも、小説を読みながら聴こうとしたところ、小説の言葉がまったく入ってこなかったと話します。子音の立ち上がりなど、歌の言葉の輪郭がはっきりしていて、「ムッキムキの拳」のようだったといいます。
理久さんは、日本語の歌はメロディを優先して音節を崩しがちだと指摘します。大森さんはメロディを優先しつつも、滑舌の良さで言葉をはっきり届けているというのです。
Kazmaさんは、この伝達力こそが『POPS』をポップスたらしめていると考えます。雑食で変拍子まで使ったアルバムでもポップスに聞こえるのは、歌の伝達力が一つのポップスの定義だからではないか、というのがKazmaさんの読みです。
理久さんはミックスにも触れます。ボーカルが特に大きいわけではないのに、ストリングスも電子音も全楽器がくっきり聞こえる。Kazmaさんは、イヤホンやiPhoneのスピーカー、車のステレオなど、どんな環境でも良さが伝わるよう設計されていると見ています。
そう、選んでんだよな。
RADWIMPSトリビュートの「狭心症」で知った本気
ライブハウスでミセスの名前が出なかったなか、唯一の例外がありました。Kazmaさんのバンドメンバーの石丸さんが、RADWIMPSのトリビュートアルバムに入ったミセスのカバーを聴いて「ミセスやばくね?」と言ったのです。
石丸さんは久しぶりにCDを買うほどだったそうですが、Kazmaさんはそのときも「怖すぎて」聴かなかったといいます。今回初めて聴いた『狭心症』のカバーは、楽器の音がとても大きく、低音が出過ぎていると感じるほどでした。
そのこっち(オルタナ)の土俵来ないでくださいと思った、なんか。
Kazmaさんは、こうしたミックスでも戦える実力があるのに、『POPS』ではあえて別のミックスを選んでいるのだと受け止めました。理久さんによれば、このトリビュートのときはバンドマンのXがざわつき、タイムラインに初めてミセスが流れてきたそうです。
『POPS』も情報量が多く、雑食で聴く2人だからこそ細部まで分析して振り回されたといいます。それでもインタビューで語られた「誰も置いていかない」という姿勢を、理久さんは「すごいこと」と評価しました。
100手先を読む設計とプロモーション
Kazmaさんは、自分たちがこうした話をすることさえ、ミセスにとっては作る段階から想定済みだろうと話します。理久さんはそれを将棋にたとえました。
Mrs. GREEN APPLEの人たちみんな将棋がうまい。
百手先読んで多分。
Kazmaさんは、ミセスはエンタメ業界全体を盤面として見ていて、アンチコメントが生まれる仕組みまで知っているから、それを読んでも何とも思わないだろうと語ります。
プロモーションでも驚きがありました。約1か月にわたり複数の雑誌でミセスが表紙と特集を飾りますが、各誌で解説するのは新曲1曲ずつだけ。普通は1誌で全曲を語ってほしいはずなのに、媒体が組んで分担するやり方は初めて見たとKazmaさんは言います。
『共犯』のMVも、ミュージカル風のキラキラした演奏を真顔のメンバーが客席から眺め、最後にそれを宇宙人が見ているというメタ的な作りです。Kazmaさんはこれを、2020年代の考察ブーム ── アニメ・映画・ドラマなどで、作品に隠された意味や伏線を視聴者が読み解いて楽しむ流行に対する音楽の究極系のプロモーションだと評しました。
さらにKazmaさんが印象に残ったのは、国民的アーティストになったことについて聞かれた大森さんの「意図的になりました」という答えです。理久さんは、普通はなれないものだと強調します。
無色透明――ルーツを見せない強さ
Kazmaさんはこの3日間、雑誌やネットのインタビューを一通り読み、配信も見たうえで気づいたことがあるといいます。ミセスは、ロックとポップス以外のジャンル名や固有名詞をインタビューで出さないのです。
普通のミュージシャンは、影響を受けた年代のビートやファンク、好きなギタリストなどを語りたくなるものです。Kazmaさんは、星野源さんがブラックミュージックに、宇多田ヒカルさんがR&Bに言及するから、ライブハウスでもバンドマンの口に名前が上るのだと考えます。
『Project4』の解説記事でも、ハイパーポップやオルタナヒップホップ ── 主流のヒップホップとは異なる実験的なサウンドや表現を取り入れたヒップホップの総称といった言葉は一切出てこず、語られるのは歌詞の内容や制作時の状況だけだったといいます。
やっぱそのジャンル名を出すってさ、その、そのジャンルの土俵に立つわけで。
ジャンル名を出せば同じジャンルの別のバンドと比べられ、揚げ足を取られやすくなります。ミセスはそもそもその土俵にいない、というのがKazmaさんの見立てです。
影響を受けたジャンルや年代、好きなギタリストを語り、系譜の中に自分を位置づける
ロックとポップス以外のジャンル名や固有名詞を出さず、メンバーや制作時の思いだけを語る
理久さんは、ルーツをたどれない今のミセスファンは大変だろうと想像します。何を聴けばこうなれるのかがわからず、若いファンにとってミセスは神様のような存在になるのではないかというのです。
神になるための条件だと思う。そのルーツを提示しないことが。
2人はミセスを、いろいろなジャンルの界隈を一つずつ倒していく存在ではなく、急に現れた巨大な塔にたとえます。大きすぎて、周りを見ていた自分たちの目に入っていなかったのだといいます。
出る杭は打たれるっていうけど、出すぎた杭打たれないっていうもんね。
「異次元の許容」こそポップスなのか
2人がそれぞれインタビューを読んで、最も印象に残った言葉は同じでした。ロッキング・オンのインタビューで大森さんが語った「異次元の許容」です。
Kazmaさんの説明によれば、誰もが自分の持つロック観やアティチュードを正当化してほしいと思っていて、それを「いいよ、認めるよ」と受け入れるのがポップスであり、それが異次元の許容だという趣旨でした。
異次元の許容な。蛍光ペンで引きました。
本当に狭いコミュニティで許容してるだけじゃん、俺ら。
理久さんは、ポップスはただポップに聴かせればいいのではなく、それではペラペラになると話します。Kazmaさんも、エゴを出せば口に合わない人が生まれ、それが大衆の半分になればポップスではなくなるかもしれないと応じます。
一方でKazmaさんは、自分たちのような尖ったバンドマンを取りこぼしているのは意図的だろうと考えます。だからこそ、ムカつきも悔しさも湧かなかったといいます。
人生で初めてゲームで負けイベント出会った時の感情と似てた。
理久さんは、少しつらくもなったと打ち明けます。ここまで全員に手を差し伸べ、異次元の許容をしなければ頂点にたどり着けなくなった。ただのロックバンドでは頂点を取れないのだと思わされたそうです。
Kazmaさんは、令和を数十年後、数百年後に振り返ったとき、音楽の頂点がミセスだったという歴史は確実に残ったと語ります。そのうえ、ミセスは自分たちの終わり方や次の世代のことまで考えていそうだといいます。
星野源『GEN』や藤井風と聴き比べて
理久さんは、海外で活躍するONE OK ROCKや、全編英詞のアルバムを出した藤井風さん、星野源さんらにも話を広げ、『POPS』を聴き比べたといいます。Kazmaさんも、前年に星野源さんの『GEN』などが出た翌年の作品として比べたそうです。
やっぱ星野源の『GEN』のアルバムのあの衝撃はなかったな。
ただこれ(『POPS』)が大衆向けだってのはすごい理解した。
理久さんは、『GEN』は大衆向けを一度やめたような作品で土俵が違うとしつつも、J-POPという括りで見ると衝撃が大きかったと振り返ります。Kazmaさんは、バンドマンならあちらを面白いと思うのは当然だと話しました。
インタビューでミセスは、激論を生みたくて『POPS』というタイトルにし、その激論が今の音楽業界に必要だと語っていたそうです。そこから2人は、ポップスがあるからこそ、その時代のオルタナが定義されるという関係に気づきます。
その時代のポップス
大衆に向けた音楽が主流として存在する
カウンター
ポップスへの対抗としてオルタナティブが生まれる
定義づけ
ポップスがあることで、その時代のオルタナが定義される
定義付けたのかもね。J-POP。
それでも「俺にはミセスが必要ない」
理久さんがシューゲイザーバンドSUMMERHEADのメンバーに「ミセス聴いてる?」と尋ねたところ、全員が聴いておらず、理由も「聴く機会がなかっただけ」と理久さんと同じだったそうです。
必要としたことがない、ミセスを。
Kazmaさんは、アンチになるわけではないものの、明日からはもうミセスを聴かないだろうと話します。理久さんは、隙間のある音楽が好きなので、音が多すぎて耳が疲れてしまったといいます。
本当にすごいと思ったけど、やっぱ俺にはミセスは必要ないんだなって。
理久さんは、自分の人生を変えるようなものはなかったと言い、そうなってしまった自分が少し寂しくもあったと漏らします。一方でKazmaさんは、ミセスの音楽に救われ、生きていくうえで必要だという人が今の日本にたくさんいることにも触れました。
番組ではこれまで、好きになったアーティストのルーツをたどるのが音楽にハマる面白さだと話してきました。しかしミセスはルーツをたどれない、新しい形のアーティストだと2人は語ります。
不完全な音楽が愛おしく見えた理由
理久さんは収録に来る電車でNOVEMBERSや銀杏BOYZのライブ映像を見て、実家に帰ってきたような感覚になったといいます。Kazmaさんも、ふだん聴いている音楽が不完全なものとして、すごく愛おしく見えたそうです。
だからこの不完全さを愛してるのかも、俺。
ここでKazmaさんは、最初の問いへの答えにたどり着きます。ライブハウスでミセスの名前が上がらない理由は、過剰に完成されたものは息苦しいからではないか、というものです。
もう過剰に完成されたものってもう息苦しいんだなって。
KazmaさんはAge Factoryとの対バンでNOVEMBERSを見て「負けた、悔しい」と泣いた経験を挙げ、今回はそれとはまったく違う感覚だったと言います。視聴者の反応まで計算され、そのとおりに進む音楽は、自分には面白くないのだと。
ただしKazmaさんは、つまらない音楽だという意味ではなく、求めているものの違いだと念を押します。理久さんも、オルタナを知らない中高生の頃に出会っていたら、それしか聴かないほどハマっていただろうと話しました。
『POPS』は令和の現代アートなのか
理久さんがポップスをやっている知人に『POPS』の感想を尋ねると、「現代アート」という一言が返ってきました。
Kazmaさんは、現代アート ── 同時代の社会や価値観を反映し、問いを投げかける美術作品の総称。評価が後の時代に定まることも多い分野ですの定義を、数百年後に振り返ったとき、その時代の社会がどういうものだったかを見せるものだと説明します。作家自身は、自分の作品が残るかを生きている間には知り得ないというのです。
俺も今回のアルバムのその感想は現代アートっていうのはすごい近い。
さらにKazmaさんは、売れた国民的アーティストという現象そのものを背負い、それを仕掛けに使っているからこそ、このアルバムは面白いのだと語ります。同じ内容を売れていないアーティストが出しても成立しないといいます。
歌詞が暗いのは今の情勢を反映しているのか、という理久さんの問いに、Kazmaさんは世の大半の人が求めているものを考えた結果だろうと答えます。希望的な歌も歌おうと思えば歌えるはずだ、というのです。
パッションと生活が見えない音楽
Kazmaさんは、憶測だと断ったうえで、もう一つの理由を挙げます。本当にその歌詞を歌いたいのか、その音を鳴らしたいのかという衝動が見えないというのです。
そのパッションが感じないんだろうな。
理久さんは、生活が見えないことを挙げます。どんな飯を食べ、誰と過ごしているかが見える、日記のような音楽が好きだからです。
隙間があり、不完全で、作り手の衝動や生活が日記のように見える
音が多く、過剰に完成されていて、衝動や生活が見えにくい
Kazmaさんによれば、ミセス本人たちはインタビューで『variety』を「俺らの日記」と語っているそうです。ただ、ミセスの生活は、大衆にどんなものを提示するかを考えて創作に向き合うことそのもので、自分たちの日記とは違いすぎるといいます。
1か月の休みを取ったのに、1週間旅行した翌週にはミーティングを始めていた。受賞式の後にも曲を2曲完成させていた。そうしたエピソードに、2人は驚きを隠せません。
いやだからね、でもすごい気持ちいい。なんでミセスを聞かなかったかがすごいわかった、自分で。
あのポジションになれると言われても、Kazmaさんは「全然嫌です」と即答します。理久さんも、ライブハウスで聞く売れたバンドの話から、エンタメとは何かを理解して作る道には立てないと感じたといいます。
それでも2人の結論は、リスペクトを持ったうえで聴かなくなる、というものです。そして、ふだん聴いている音楽がより好きになり、別次元の世界で音楽をやり続けたいと思ったと語りました。
で、それは完成度じゃないんだなと思った。食らい方。
「ミセスはバンドじゃないと思っているあなたへ」
Kazmaさんによると、「確かめよう。」の広告は渋谷駅などに大きく掲出され、バンドの聖地である下北沢には「ミセスはバンドじゃないと思っているあなたへ」という広告が出ているそうです。
怒ってんじゃんちょっと。
Kazmaさんは、聴けば「やっぱりバンドじゃない」と言い切れると思っていたものの、言い切れない音楽だったと話します。インタビューでもミセスは、アイドル的に見られることもバンドだと言われることも想定していると語っていたそうです。
理久さんは、ミセスをロックバンドとジャニーズの中間のような、推し活も含んだ存在だと表現します。普通ならうまくいかない組み合わせでも、あそこまでやれば成立してしまうのだといいます。
ミセスの感想で、その人の美学がわかる
最後に2人は、ポップスの頂点を一度見ることは、自分のジャンルを定義することにつながると話します。
カウンターカルチャーってんなら何にカウンターしてんのかがわかるんだから。
Kazmaさんは、聴いたうえでなぜ好きではないのかを自分の中に持つことが大事だと語ります。理久さんが、星野源さんを食わず嫌いしていたものの『GEN』を聴いて夢中になった経験を語るなど、今後も食わず嫌いしているアーティストを徹底研究してみようという話にもなりました。
Kazmaさんは、King GnuやCreepy Nuts、Suchmosもライブを撮影して衝撃を受けたといいます。理久さんも、スピーカーで爆音で聴くとミセスは大きな会場が似合う音像だと感じ、一度ライブを見て判断したいと話しました。
そのミセスを聞いた感想でそいつの美学が何かわかるから。
理久さんも、自分もKazmaさんに完全同意しているわけではないとし、いろいろなバンドマンの感想を聞いてみたいと締めくくりました。
まとめ
Kazmaさんと理久さんは、『POPS』の完成度、歌の伝達力、ルーツを見せない設計に何度も驚きながら、それでも自分には必要ない音楽だと結論づけました。日本一のバンドを本気で聴いたことで、2人は自分たちが不完全さや衝動、生活の見える音楽を愛していることを確かめています。
- ライブハウスでミセスの名前が出ないのは、嫌いだからではなく、単に視野に入っていなかったからだった
- 大森元貴さんの歌の聞き取りやすさと伝達力が、雑多な『POPS』をポップスとして成立させているとKazmaさんは考えている
- ジャンル名やルーツを語らない無色透明さが、ミセスを比較の土俵から外し、神のような存在にしている
- Kazmaさんは、過剰に完成された音楽は息苦しく、自分には必要ないと感じた
- ポップスの頂点を聴くことで、自分たちの美学や、何にカウンターしているのかがはっきりした


