予定を変更してまで、いま話したかったこと
この回は、当初予定していたテーマを急きょ変更し、熊本地震から1か月というタイミングで収録された特別回です。
七月二十八日の午前4時27分に発生した地震について、収録時点でわかっている数字が共有されます。人的被害は38人、住家被害は計約4万2000棟、避難者はピーク時で約1万500人にのぼりました。
杉山さんは熊本と東京、そして産・官・学という複数の拠点を行き来してきた立場から、この1か月をビジネスの視点で振り返っていきます。
発災の瞬間、二人はどこにいたか
杉山さんは発災当日、たまたま熊本市東区の自宅にいて、ビデオ会議の最中に揺れに遭ったといいます。下から突き上げるような揺れに慌ててモニターと本棚を押さえ、子どもの様子を見に行ったと振り返ります。
印象的だったのは、揺れが収まったあとの感覚です。自宅の窓から見える風景はほとんど変わらないのに、テレビでは車で30〜40分ほどの、よく知っている場所の映像が流れてくる。
同じ熊本で、当然よく知っているところが、あんなに大変なことになってる。自分の中でちょっとふわふわした感じというか、手触り感がないんですよね。
一方の田中さんは、熊本市南区の自宅で揺れに遭いました。地震の1時間半ほど後に大きな音が響き、テレビをつけると近くのイオンモール熊本の映像が流れていたといいます。
元新聞記者だった田中さんは、まだ何が起きているか分からない「第一報」の重要性を語ります。すぐに現地の写真を撮り、地元のジャーナリストに情報を送りました。
第一報っていうものがすごく大事になってくるので、とりあえず写真を撮りに行って、現地の様子をまとめて送ろうと。
田中さんはその後、東京の民放の中継にも出演し、翌日からはジャーナリストとともに被災した事業者を取材。さらに熊本支援チームに密着し、広報活動を手伝ったといいます。
断水と炎天下、止まってしまう生活
発災直後の現場では、目に見える混乱がありました。高速道路が8月中旬まで使えず、渋滞が続いたといいます。
田中さんがボランティアで訪れた家屋の中には、西南戦争のころから守られてきた住まいもありました。壁が剥がれ、電気も通らず、砂埃が舞う中での片付けが続きます。
とくに深刻だったのが断水です。トイレが十分に使えないと、食事や水分をとることも控えがちになり、結果として健康状態にも影響しかねません。
普段何気なくやっていることができないっていうことへの不便さ。しかもこの炎天下の中だったので。
今年の夏は例年より暑く、クーラーの効いた車で運転していても気持ち悪くなるほどの日差しだったと二人は話します。
発災当初はガソリンスタンドにも行きづらく、車中泊に必要なガソリンすら手に入りにくい状況でした。そこで物資支援としてガソリンの携行缶を手配し、各家庭に届ける活動も行われたといいます。
見た目には分からない、事業者の被害
ここから話は、田中さんが取材した事業者の被害に移ります。建物が歪んだり倒壊した現場は取材されやすい一方で、見た目には被害がなさそうな事業者にも深刻な影響が出ていました。
益城町のある製麺所は、10年前に2回の震度7を経験した地域にありながら、今回はそれよりも被害が大きかったといいます。水道管から水が漏れて水が使えず、地面が液状化のように歪み、工場にヒビが入りました。
大きな機械が横倒しになっていたものの、たまたま人がいなかったため事故は避けられました。それでも復旧のめどは立たず、製麺を続けられる状態ではなくなっています。
宇城市松橋のベレー帽の染色工場でも、水を大量に使うためポンプの水が上がらず、管がずれて供給できない状態に陥りました。染色という事業の要となる部分が損なわれたのです。
命とも言えるような箇所が損壊してしまって、どうしても納期が迫ってると。供給し続けないと、キャッシュフローっていうところはどうしても難しくなってきます。
建物が無事でも、事業そのものが止まってしまう。田中さんは、見た目以上に実態はなかなか難しい事業者が多いのではないかと語ります。
農林水産、文化財、鉄道に広がる影響
1か月が経ち、経済インフラへの影響も数字として見えてきました。
農林水産被害は、10年前の熊本地震に次ぐ規模で、県内で2番目に大きいものでした。文化財の被害も広がり、八代市の復旧概算だけで約430億円にのぼるといいます。
鉄道への影響も深刻で、JR九州は前回の熊本地震よりも大きな被害を受けました。新幹線の構造物被害は約1000箇所にのぼり、収録時点では復旧できていません。ただし、九月中の復旧見込みが立ったとの報道もあり、観光の見通しも少しずつ出てきました。
杉山さんは、被害そのものは局地的でも、自粛のムードや交通インフラの停止が広く影響することを再認識したと語ります。
農業で作物ができても、物流が止まったらものが運べなくて、消費地に届かない。いろんなところがつながってて、そういう機能って大事なんだなっていうのを再認識しました。
熊本は、九州の物流の要衝だった
話は物流の話題へと移ります。杉山さんが改めて感じたのは、熊本が九州のちょうど真ん中に位置しているという事実でした。
九州自動車道は縦に走り、人吉の先で宮崎と鹿児島へ分かれます。そのため八代のあたりが止まると、福岡から鹿児島や宮崎へ抜ける経路が大きく迂回することになります。
北九州から東回りで宮崎、さらに鹿児島へと向かうと時間が大きく延びます。そこにドライバーの労働時間管理の問題が重なり、人の手配が難しくなるといいます。
新幹線が使えないことで、鹿児島県や宮崎県はお盆休みという書き入れ時に観光客を迎えにくくなりました。目に見えない経済的な被害は県外にも広がっていると考えられます。
10年前と、何が変わったのか
話題は10年前の熊本地震との比較に移ります。当時、田中さんは山口県の大学に通う学生で、現地に戻れたのはゴールデンウィークごろでした。
杉山さんは10年前、発災時に東京にいました。前震のあと弟から15件ほどの着信があり、大変な状況を知ったといいます。当時は妻が二人目を妊娠中で里帰りしており、より心配だったと振り返ります。
今回被災した地域は、10年前と重なる部分もあれば、宇土市や美里町など前回とは異なる地域も大きな被害を受けました。前回ほど熊本市中心部の混乱はなかったといいます。
大きく変わったのは、この10年で進んだ半導体の集積です。杉山さんは、前回の教訓をふまえたBCPが県内の製造業でワークした点に触れます。
熊本県知事もおっしゃってましたけど、前回の教訓が生きたっていう部分もやはりあったのは確かですよね。
杉山さんは、イオンモールの映像が衝撃的だったため、ニューヨークやドイツの友人からも心配の連絡が来たと語ります。それでも、経済が回っている場所もあることを伝え、動いている部分を止めない大切さを強調します。
自粛一辺倒でもダメだよ、経済ちゃんと回していかないとかえって良くないよ、っていうのが以前に比べると徐々に浸透してきてる感覚はありますよね。
田中さんも、経済を止めてしまえば物理的な被害にさらに被害が重なると指摘します。復興支援は水面下で続けつつ、事業は動かしていこうという機運が、事業者のあいだで高まっているといいます。
AIによる情報支援が、はじめて機能した
今回、田中さんが新鮮に感じたのが、AIを使った情報支援でした。大きく2種類あったといいます。
トイレが使える場所、物資の支援、お風呂が使える場所など、市民が持ち寄った情報を集約して共有する
行政・警察・自衛隊の公式情報を集約し、罹災証明や災害ゴミの仮置き場など日々のアップデートを反映し続ける
これらを立ち上げたのは、特別なシステム開発者ばかりではありませんでした。一方は普段そうしたサイトを作っている人ではない女性、もう一方は生成AIのレクチャーを事業とする人だったといいます。
前回自分が何が困ったかっていうところに、いち早く応えられるものを何か作れないかっていうところで、ご自身で動いたっていうところはありますよね。
断水でトイレも我慢しながら、朝方までかけてサイトを作った人もいたと田中さんは話します。10年前からのAIや技術の進歩が、支援の形として目に見えて生きた変化だったと二人は受け止めています。
善意のパンクを、どう受けとめるか
後半は、これからの支援の話です。短期に集中した支援はありがたい一方で、中長期の支援が必要になると田中さんは指摘します。
杉山さんは、東京と熊本、熊本と外をつなぐ仕事をしてきた立場から、経済の復興フェーズで息の長い支援をしたいと語ります。具体的には、熊本の食を全国に結びつけようとする会社の手伝いをしているといいます。
熊本の食が、今それこそ食べて応援じゃないけど、そういう形につながるような、お手伝いができたらいいななんて思ったりはしてますね。
田中さんは、農家と全国をつなぐには個人レベルでは難しく、企業や行政がまとまって動く必要があると応じます。
そのうえで田中さんは、この1か月の状況を「善意のパンク」と表現します。何かをしたいという人はたくさんいるのに、どこに物資を届ければいいのか、どこでボランティアをすれば力になれるのかが分かりにくいのです。
田中さんが携わるボランティア団体は、いち早く組織化して県外からの支援を受け入れ、しかるべき場所に手配していました。それでも情報が届く相手はまだ一部にとどまります。
だからこそ、普段から関係性を作り、災害時にも平常時にも使える仕組みにつなげられないか、と田中さんは語ります。杉山さんも、災害をきっかけにできた縁が、その先の成長につながればと応じます。
最後に二人は、時間が経つほどニュースの回数は減っていくからこそ、発信を続ける大切さを確認します。杉山さんはポッドキャストやnoteで、経済や二拠点の視点から熊本のいまを細々とでも発信し続けたいと話しています。
まとめ
熊本地震から1か月を、経済と物流の視点で振り返った特別回です。見た目には分からない事業者の被害、九州の要衝としての物流、10年前の教訓が生きたBCPやAIによる情報支援、そして支援を続ける仕組みづくりが語られました。
- 建物が無事でも、断水や設備の損壊で事業が止まる「見た目には分からない被害」が多く出た
- 熊本は九州の物流の要衝であり、八代周辺の寸断は県外にも影響を広げた
- 10年前の教訓をふまえたBCPが製造業で機能し、AIによる情報支援も今回はじめて大きく働いた
- 短期の集中した支援から中長期へ移るなか、「善意のパンク」を受けとめる仕組みと、発信を続けることが課題となる






