HRドメインは他のSaaSと何が違うのか
番組は、カスタマーサクセスの知見をドメインごとに解き明かしていくシリーズです。今回からHRテック編がスタートし、全10回でHR SaaS×CSの知見を4人で言語化していきます。
MCは、新規事業開発やCS組織支援を手がける合同会社Ettyの城田さん。サブMCは、去年までAPaaSサービスでCSの立ち上げからマネジメントを6年ほど担当し、今年からPMMに移った大脇さんです。
ゲストは2人。綾部さんはHRテックのCSや組織マネジメント、事業開発を経て独立し、今はCS組織の立ち上げ支援やCS向けのキャリア支援をされています。
もう一人の瀧田さんは、新卒から8年間HRテック一本で、現在はエンタープライズ領域のオンボーディング部門のマネージャーです。
今回のテーマは「HRドメインのCSが難しい理由」。放送では大きく3つのポイントを扱います。ほかのSaaSと何が違うのか、業務・制度・組織の三重構造、そしてお客様の知識レベルで導入がどう変わるか、です。
まず口火を切ったのは、4人の中で唯一HRテックのSaaS経験がない大脇さんです。外から見た印象として、プロダクトの導入がすぐアウトカムにつながりにくい点を挙げます。
採用成功とか人の定着、エンゲージメント向上とかって、すごく抽象度が高いアウトカムだなと思っていて。それとプロダクト活用をどう紐付けていくのか、距離が結構遠いイメージがあるんですよね。
城田さんは、ひとくちにHRテックと言っても領域が広いと補足します。採用系、労務系、タレマネ ── タレントマネジメントの略。社員のスキルや評価、目標などの人材情報を一元管理し、育成や配置、定着に活かす領域のこと系のように分けられ、それぞれ性質が違うといいます。
瀧田さんが担当するのは人事労務の領域です。入社から退職までの間に発生するイベントの多さを、次のように説明します。
入社の書類をどうやって集めていくか、入社した後に勤怠を打つ、その後に社会保険の手続き、勤怠が終わったら給与計算や振り込みもあります。
結婚しました、住所変更しましたとなれば変更届を労務に出して、その情報が給与や年末調整につながる。労務っていう言葉だけだと少ないなと思うんですけど、実は幅広い、奥深いところがあります。
城田さんは、労務領域では法律や制度が各業務に絡んでくる点が独特だと整理します。瀧田さんも、法律だけでなく会社の制度やカルチャーまで関わってくると応じます。
制度が変わると求められる人材も変わってくれば、会社のカルチャー自体も変わってくる。単純に1システム変えるだけでどこまで範囲カバーできるの、っていう難しさがあります。
城田さんはこれを「踏み越えてはいけないガードレールがありつつ、企業ごとの汎用性をどうチューニングするか」という難しさだと言い換えました。
タレマネは「業務が回っていないと成果が出ない」
一方、綾部さんが担当するタレマネは、労務とはまた違う難しさがあります。抽象度を上げると、難しさは大きく2つに整理できると話します。
1つ目は、そもそもお客さん側の業務が機能していないと、プロダクトを入れても成果につながらない点です。目標設定や評価が回っていないと、データすら入れてもらえません。
目標設定とか評価がちゃんと機能してないと、プロダクト導入したとてデータ入れてもらえない。データ入れてもらえないから、人事の業務が効率化されるわけでもなく、データ活用にもつながらなかったりする。
2つ目は、大脇さんの指摘と重なる「アウトカムの証明のしにくさ」です。定着率の向上などを期待されて導入されるものの、それが本当にプロダクトの効果なのかを示すのが難しいといいます。
退職する理由をあぶり出して改善したいという期待があった時に、じゃあ果たしてそれがプロダクトでできてるのか、できたから退職率が下がったのか、証明が難しいってところがあるあるかなと。
城田さんは、システムを入れただけではうまくいかず、そこに乗せる制度や理念というスタートラインが要ると受けます。綾部さんは、巻き込む相手の多さも難しさだと付け加えます。
巻き込む人が多くて、社員全員になってくる。人事の人だけ巻き込んでればいいわけじゃなくて、評価に必要な情報を入力してもらうためにはマネージャーの協力や行動変容も必要なケースがあるので。
話は「やろうと思えば人事コンサルの領域に入ってくる」というところへ進みます。綾部さんは、そのぶん支援が属人化しやすいと指摘します。
ある人は評価制度の構築までやってアドバイスまでやってたけど、とある人はプロダクトのオンボーディングまでと分かれていたりする。そこら辺は属人化してたなっていう印象はあります。
城田さんも採用系CSの経験から、前提の採用戦略が定まっていないと伴走型・コンサル型になりやすいと共感します。
そのうえで城田さんは、SaaSのCSを「業務改善型」と「成果創出型」の2つに分けて整理します。
ERPのように導入自体は難しいが、入れ終われば一定の価値提供ができるタイプ。労務系が近い
CRMやSFAのように、導入後どう使うかでROIが変わるタイプ。採用やタレマネが近い
HRという一括りの中に、性質の違うこの2タイプが混ざっていること自体が難しさだと城田さんは言います。横串で全体像を見ながら設計できるのは、かなり難易度が高いとも話しました。
大脇さんは、それだけでも難しいのにプロダクトへの習熟というメーカーとしてのスキルも要ると付け加え、HRのマルチプロダクトの難しさが浮き彫りになりました。
評価とワンオンワン、価値観に踏み込む難しさ
2つ目のテーマは、業務・制度・組織の三重構造です。通常のSaaSなら業務フローを棚卸ししてDX化する話ですが、HRでは制度設計や社内政治まで動かす必要があると城田さんは前置きします。
綾部さんは、評価がブラックボックス化しやすい背景を語ります。期中のワンオンワンや進捗確認が会社やマネージャーによってバラバラだと、評価にネガティブなギャップが生まれるといいます。
期末に対して、そもそもこの目標って取り組んでないものですよねとか、評価業務自体が形骸化してしまって、評価がすごく従業員にとってネガティブなことになってしまうことは結構あるかなと。
だからこそ、ワンオンワンを定期的にやる運用に落とし込み、それを進捗確認ではなく成果や問題解消の場にすることをマネージャーに動いてもらう必要がある、と綾部さんは話します。
城田さんは、組織規模や成熟度でも状況が変わると指摘します。スタートアップでは目標が短期間で変わり、OKR ── Objectives and Key Resultsの略。高い目標と、その達成度を測る指標をセットで管理する目標設定の手法。ストレッチした目標を掲げるのが前提とされるが3ヶ月ごとに変わって形骸化するようなケースもあります。
綾部さんは、OKRが評価と密接に紐づくと、達成のために目標水準が下がってしまう難しさもあると補足します。
OKRってストレッチした目標を立てようという概念なのに、評価と密接に紐付いちゃってると目線がすごい下がる。この水準を合わせにいくのが大事で、それを教えてあげれるかどうかも導入支援で重要だったりします。
ここで瀧田さんが、労務との違いに気づきます。労務には「正解に近いもの」があるが、タレマネにはそれがない、という対比です。
勤怠だったらこの集計にならないといけない、ワークフローだったらこういう会社のルールに沿って上げてね、で終わる。ワンオンワンってそもそもこういうもので、会社の文化と合わせてこういうことを見なきゃいけなくて、みたいな。それを教えるのめっちゃむずくない?
綾部さんも強く同意します。管理職のバックグラウンドによって、ワンオンワンを「詰める場」と捉える人もいれば「成長支援や問題払拭の場」と捉える人もいて、その価値観にぶつかるのが難しいといいます。
綾部さんは、こうした専門性の高さから、最近はCSとコンサルを行うチームを分けるケースが多いと話します。CHROや研修会社の経験者がプロフェッショナルサービスとして提供する形です。
瀧田さんは、ワンオンワンが定着しやすい組織の傾向を尋ねます。綾部さんは職種ごとの分析はしていないと前置きしつつ、印象を語ります。
エンジニア組織はアジャイル開発の考え方があるのか、ワンオンワンをやる文化があって、抵抗感なくやってくれる印象があります。ただ営業だと、やり方に対する価値観がすごく違うなっていう印象はありますね。
城田さんは、ワンオンワンという手段が目的化しないよう、何のためにやるかをインストールすることが重要だと受けます。喫煙所での雑談のほうが相互理解が深まる例も挙げ、目的に応じて手段を変える必要があると話しました。
労務のリプレースとマルチプロダクト戦略
続いて城田さんは、労務領域での抽象と具体のバランスを瀧田さんに尋ねます。生産性の高い働き方から入るとコンサルチックになる一方、現場にはすでに勤怠のルールがあるからです。
瀧田さんは、労務は既存ルールをどうシステムに落とし込むか、システムリプレースが多い世界だと説明します。ベンダーとしては抽象と具体の境目に深くは踏み込まないことが多いといいます。
働き方って会社の文化にすごい影響がある部分なので、文化をガラッと変えるのは難しい。こういう方法がありますよと選択肢を与えて、何かのタイミングで変えてもらう、ぐらいが距離感的にちょうどいい。
大脇さんが、他社にリプレースされないための戦略を聞くと、瀧田さんはマルチプロダクトによる経済圏づくりを挙げます。
勤怠は給与計算にもつながる。使っているシステムのデータをどれだけ幅として広げてインフラ化させて抜けさせないようにするか。単体じゃなくて複合で勝負しに行く、というのが戦略の一つです。
瀧田さんによれば、今のHR労務SaaSの界隈では自社マルチプロダクトが当たり前で、5個6個入っている状態だとリプレースコストが大きくなるため、いかに早く広げて定着まで持っていくかが鍵になります。
城田さんは、自身のマルチプロダクト経験から、最初に経営目線で長い時間軸の絵を描き、そこから逆算してオンボーディングを設計する進め方を紹介します。
たとえば、初年度で勤怠や労務の情報を蓄積し、労務担当の工数が空いたら制度設計に回して、3年後にタレマネへ、という順序です。
この進め方について瀧田さんは「楽はめちゃくちゃ楽」としつつ、法律が絡む難しさを指摘します。
むやみに法律を伝えてしまって、もし間違った法律を伝えてそれに乗っかってしまった時のリスク、ここが一番気をつけないといけないポイントなんですよね。
瀧田さんは、抽象を達成するには具体が必要で、その具体に法律が絡むとリスクになるといいます。自社に相談できる仕組みがなければ、BPO ── Business Process Outsourcingの略。業務プロセスの一部を外部の専門業者に委託すること。ここでは労務の専門知識や資格を持つ人材を外部から確保する意味で使われていますの先で専門知識や資格を持つ人をアサインして進める手もあると話します。
大脇さんが「風呂敷を広げる時にドキドキする」とまとめると、瀧田さんは制度変更の重みを具体例で示します。
給料で1円2円の差が出るとなっても、従業員数が多ければ多いほど、単月×従業員数×時間でインパクトがすごい出る。本当にこれバチッと変えていいの、みたいなのがすごいありますね。
綾部さんは、マルチプロダクトを一気に導入した場合のオンボーディング体制を瀧田さんに尋ねます。瀧田さんの会社では、あえて1人のCSが全プロダクトを一気通貫で担当しているといいます。
お客さんからしても、この人に聞いてもらえればここの範囲全部わかるほうがストレスがかかりづらい。難しいんですけど、こっちのほうがいいっていうのは結構こだわってやってます。
そのぶん育成が重要になります。瀧田さんは、業務の知識・法律の知識・自社プロダクトの知識という3つを押さえたうえで、OJTと組み合わせ、直近では3ヶ月で戦力化するプランを引いていると話しました。
お客様の知識レベルの格差問題
3つ目のテーマは、お客様の知識レベルによって導入がどう変わるかです。エンタープライズかSMBかといった規模感に加え、労務の知識やITへの明るさの影響を受けやすい領域だと城田さんは言います。
瀧田さんは、人事担当のバックグラウンドで進み方が変わると話します。中には、法律違反に近い制度をそのまま運用しているお客様もいるといいます。
すごいストレートに言うと、法律違反みたいな制度をやってしまっている時がある。それをそのままシステムに落とすのか、いやちょっとねと言って変えていくのかで変わってくる。
システムに不慣れなお客様には、隣についてパソコンを一緒に触りながら教えることもあるといいます。自社システムのオンボーディングなのに、パソコン教室をしているみたいな時もあるという言葉に、現場のリアルがにじみます。
城田さんは、SMB領域での経験から、法令を守りきれていない現場をシステムでどこまで許容し、その範囲をCS側でどうコントロールするか、絶妙なバランスが必要だったと振り返ります。社労士ではないため踏み込みきれない難しさもあったといいます。
瀧田さんは、労務のもう一つの厄介さとして「最低ラインさえ下回らなければ、あとは青天井」という点を挙げます。ホワイトであるほど何でもよく、大企業ではユニークな休暇制度などにシステムが追いつかないこともあるといいます。
タレマネでも、お客様側の担当者のバックグラウンドが導入の進み方に大きく影響します。綾部さんは、プロジェクトマネジメント経験のある人事担当だとプロジェクトが進みやすいと話します。
適切にマネージャーの人を巻き込んで、期日通りに動かしてくれるのが比較的しやすい。総務など様々なバックグラウンドで兼務されている場合は、なかなか進捗が進まなかったりします。
大脇さんは、タレマネの推進者と運用担当者が分かれているケースについて、担当者の熱意がないと進めにくい領域ではないかと問いかけます。綾部さんは、推進力を保つ鍵は担当者の「目標」にあると答えます。
綾部さんは、SaaSベンダーは「運用担当は誰か」「推進者は誰か」を聞きがちだが、本当に重要なのはその人の目標だったと分析します。経営層には、意欲を持てる人をアサインするよう伝えていたといいます。
形式的に担当者になるのではなくて、意欲を持ってくれる人をアサインするのが結構重要ですね。
城田さんも、いろんなCSの現場で「この方は何で評価されますか」「どうしたら昇格させてあげられますか」とお客様に聞いていたと振り返ります。
特にバックオフィスSaaSでは、担当者はミスると怒られ、普通にやっても評価されにくい性質があります。だからこそ、その人をどう評価対象に引き上げてあげるかを意図的にやっていたと城田さんは話しました。
まとめ
HR SaaSのCSは、勤怠・給与・評価・育成と守備範囲が広く、法律や制度、現場の価値観、お客様の知識レベルまでが絡み合う領域です。今回は、その難しさの正体を4人が労務とタレマネの両面から言語化していきました。
- HRテックは「業務改善型」と「成果創出型」の性質が違う領域が混在し、通常のSaaSのCSがそのまま通用しにくい
- タレマネは目標設定や評価などお客様側の業務が回っていないと成果につながらず、アウトカムの証明も難しい
- ワンオンワンや評価は管理職の価値観に踏み込む必要があり、組織開発に近い専門性が求められる
- 労務はマルチプロダクトで経済圏を広げる戦略が鍵になる一方、法律が絡むぶん制度変更のリスク管理が重要になる
- 導入の進み方はお客様の知識レベルや担当者の目標設定に左右され、意欲を持てる人のアサインが推進力を分ける




