ジャパネットたかたで学んだ「物の向こうにある生活」
後編は、富家さん自身のキャリアに焦点を当てて進みます。富家さんは1990年生まれで、収録時点で36歳になる年。ジャパネットたかた、広告代理店、コニカミノルタジャパン、そしてスタートアップのEVeMを経て、AiKAGIという会社を起業した経歴の持ち主です。
新卒で入ったジャパネットたかたには2年在籍しました。同期は40人ほどで、富家さんはその中でも一番目立つ存在だったと振り返ります。
その中でも一番やっぱうるさかったですね。目つけられてました、いろんな意味で。
総合職として採用され、配属されたのはマーケティング部門でした。リスティング広告やアフィリエイトの運用からキャリアが始まったといいます。
インハウスのマーケターとして、インプレッション ── 広告が表示された回数のこと。ネット広告の効果を測る基本指標のひとつですやCTR、CVR、ROASといった指標がすべて数字で入ってくる世界に、富家さんは強く惹かれたと話します。
数字で見る世界というのがめちゃくちゃ面白いなと思って。これはちょっと極めてみたいなということで、広告代理店に身を置いたっていうのがその時のキャリアの選択でしたね。
もともとはテレビショッピングのMCになりたかったものの、関西弁などの事情もあり、ファーストキャリアでは叶わなかったといいます。ジャパネットは内製主義で、MCも社員がオーディションを経て担当する仕組みでした。
ネット部門への配属には、富家さん自身の商品好きが影響していました。毎週末、家電量販店で家電を片っ端から触り、価格調査までしていたそうです。
そこで叩き込まれたのが、商品のスペックではなく、その先にある生活の変化を伝えるという考え方でした。これは創業者の高田明さんの教えであり、会社の理念だったといいます。
富家さんは、自分がBtoBのマーケターらしくないのは、ルーツがToCだったからかもしれないと語ります。物の向こうにある生活を伝えるという原体験が、後のキャリアの土台になっています。
広告代理店での修行と、コニカミノルタでの最年少部長
ジャパネットの後は、広告代理店に3年在籍しました。ここではクライアントワークを徹底的に教わったといいます。
放送では言えないような、思い出したくない出来事も多かったと富家さんは率直に語ります。それでも、ビジネスパーソンとしての基礎やプロフェッショナルとは何かを教わった場であり、当時の上司には強く感謝していると話します。
その後、コニカミノルタジャパンに移り、BtoBマーケティングを担当します。大企業ならではの力学や生き方を学び、5年ほどで最年少部長に昇進したといいます。
一事業部のマーケ担当から事業全体のマーケ責任者へ、さらに全社マーケを束ねるマーケティングセンターの立ち上げ責任者まで任されました。富家さんは、自分の実力に見合わないほどの機会をもらえたと振り返ります。
富家さんは、コニカミノルタに入った時点ですでに起業したいと考えていたと明かします。ただ、何の事業で独立するのかがイメージできずにいました。
BtoBマーケティングっていう一つの柱をいただけたので、もしかしたらいけるかも、自分でもって思えたのがコニカにいた時だったんですけど。
「なんで偉くなれたのか」――部を作った部長という答え
浜田さんは、富家さんがコニカミノルタ時代にすでに積極的に発信していた印象があったといいます。かつては超難関企業と言われた会社ですが、富家さんがいた事業部は半分以上が中途入社で構成される新規事業部門でした。
僕でも入るまでコニカミノルタっていう知らんかったんで。本当にリードっていう意味も知らなかったですし。
なぜそんなに早く昇進できたのか。富家さんの答えは、運の良さと、そもそもの仕組みにありました。既存のポストは渋滞していて上がれないが、新しい部門を作ればそこの部長になれる、というものです。
新しい部門を作ればいいだけなんです。部門を作った部長なんで、それだけの話なんですよね。
当時マーケチームは3人からスタートし、最大で34人まで拡大しました。BtoBマーケティング組織の重要性が高まる中、それを統括できる適任者がいなかったことが背景にあったといいます。
ただし富家さんは、それを上が引き立ててくれたというよりも、自分から強くアピールし続けた結果だと語ります。喫煙所に足を運んで直談判したエピソードまで飛び出しました。
マーケティングプランを半期ごとに作るんですけど、150枚以上スライド作ってましたもん。150枚作ったら見ないからなんですよ。
一生懸命仕事してますよっていうのも含めて、僕タバコ吸わないんですけど、喫煙所も行ってました。
真の工作員ですよね。
そもそもコニカミノルタには最初は営業として入社しており、当初はマーケターですらなかったといいます。
大企業にいながら発信を続けた理由
浜田さんが富家さんに強い印象を持ったのは、BtoBマーケティングの全体像をまとめた数万字のノートをはじめ、大企業にいながら個として発信していた姿でした。大企業に所属しながらの発信は大変ではなかったのか、と問いかけます。
富家さんの答えは、結果的にそれが楽しくてやっていた、というものでした。当時、大企業の看板を背負ってBtoBマーケの生々しい実践事例を、小気味よいテンションで話せる人がいなかったため、頻繁に登壇に呼ばれたといいます。
最初は自社の取り組みだけを話していたものが、次第に自分なりのナレッジと混ざり合っていきました。コニカでの実践を抽象化して聞き手に還元する、というスタイルが生まれていったのです。
コニカではこうやってます。これを抽象的に捉えるとこうで、皆さんにお聞かせこうなんじゃないでしょうかってことをやってたんですよね。
それを続けるうちにどんどん楽しくなり、ライフワークにできると感じるほどのやりがいになったと富家さんは話します。
3万字のノートから書籍出版へ、自ら動いたキャリア
書籍の話は、EVeMに移ってから形になりました。富家さんはもともと本を出したかったものの、編集者から声がかかるわけもなく、まずnoteを書いたといいます。
「BtoBマーケターが5年間やってわかった仕事の全体感」というタイトルのnoteは約3万字。公開すると3ヶ月で1000スキを超えました。BtoBマーケのテーマで1000スキを超えるものはほとんどなかったといいます。
BtoBマーケターって調べたら、なんとサイル様を抜いて僕のnoteが検索一位なんですよ。ただ待ってください。今二位やったら落ち込むんで。
1000スキを超えた瞬間、富家さんは企画書を持って翔泳社に持ち込みました。マーケ本を多く手がける出版社で本を出したかったからです。発行までには、そこから1年1ヶ月かかったといいます。
持ち込みました。だってそんな気づいてもらえるわけないんで。企画書全部自分で作って、本出したことある人に相談しながら企画書作って。
EVeMではマーケティングの1人目として入社し、採用をかけながら最大で4人ほどの組織を作り、2年ほど務めました。EVeMはマネジメントのナレッジを扱う会社で、富家さんはマーケとマネジメントの掛け合わせに自分の強みを見出していたといいます。
マーケターとしては本当に平凡なんですよ。マーケ×マネジメントっていう、このスペシャリティの掛け合わせだったら、日本の中でも実力があるマーケターになれるんじゃないかと思ってて。
起業とは「決めて行動しただけ」――EVeMで得た気づき
起業への確信は、EVeMで多くの経営者や起業家と近い距離で接する中で生まれました。当初、富家さんは起業家を特別なビジネススキルの持ち主だと思っていたといいます。
ところが実際に話を聞いてみると、経営者は人間として大きく欠けている人ばかりだと感じたそうです。では何が彼らを起業家にしたのか。富家さんがたどり着いた答えは、シンプルなものでした。
AiKAGIを設立したのは昨年10月、9月創業という形で、収録時点で7ヶ月ほどでした。当初はBtoBマーケの支援事業としてスタートしています。
「BtoBマーケに飽きた」から生まれたビジネスMCという生き方
最初はBtoBマーケターの教育のような仕事をやりたいと考えていた富家さんですが、あるポッドキャストで「BtoBマーケに飽きたので引退します」と語ったほど、テーマ自体に飽きを感じていたと打ち明けます。
これに対して心血注ごうっていう意欲がもうなくなってしまってて。そんな奴が、人を採用して支援業をやるのは僕は許せなかったんですよね。
転機は、カテゴリー戦略の田岡さんとの飲みの席でした。「福さんいつまでマーケやってるんですか、向いてないですよ」と言われ、富家さん自身も同じことを思っていたと応じます。
そこで田岡さんから告げられたのが「福さんはビジネスMCです」という言葉でした。まだない言葉だから、自分でカテゴリーを作ってほしい、と。
富家さんはその日のうちにXで覚悟が決まったと投稿し、ビジネスMCとして生きていくことを決めたといいます。サイトを用意し、スタジオ兼事務所となるオフィスを契約し、マーケティング支援の仕事はすべて断って切り替えを進めていると語りました。
作りたいのは「BtoB版ジャパネット高田」
スタジオを持つのは、ポッドキャストの企画制作を手がけるためであり、Growth Radio以外に自分の番組も持とうとしているからだといいます。その根底には、ジャパネット出身ならではの欲求がありました。
僕、やっぱ自分の好きなものを自分の言葉で届けたいという欲求があるんですよ。
富家さんが本当にやりたいのは、自らバイヤーとしていろいろなものを見聞きし、それを届けること。つまり「BtoB版のジャパネット高田」を作りたいというのが今のやりたいことだと語ります。
この構想の背景には、BtoBマーケの現場への問題意識があります。リードを取り、電話でお願いして商談を取る流れは、みんなが不幸なのではないか、と富家さんは感じています。
リード取ってなんか電話してお願いしますって商談取るのってみんな不幸なんじゃないかなってちょっと思ってるんですよ。
富家さんがBtoBマーケに飽きたと言うのは、クリエイティブだと思っていた仕事が、実際にはオペレーションや実行強度の管理に寄っていたからだと説明します。
だからこそ、自分が商品を10分から15分ほどで説明し、興味がある人にそのまま商談を取ってもらう。その方がみんな幸せではないか、という発想にたどり着いたといいます。
同じアイデアは居酒屋でも何度も語られてきたはずだと富家さんは言います。それでも、本当にルーツを持っている人がやったら面白いかもしれない状況は今が初めてだと考え、チャレンジしてみたいと話します。
AI時代に「ヒューマンIP」が成否を分ける
浜田さんが、マーケターからインフルエンサーや自分で届ける人への流れは増えていくのか、と尋ねます。富家さんは、より直接的に届けることが重要になると答えます。
その理由として富家さんが挙げたのが、ヒューマンIP ── 特定の個人そのものが持つ知名度や信頼、キャラクターを指す言葉。ここでは、誰が発信するかがコンテンツの価値を左右するという文脈で使われていますの重要性です。AIが優れていく中で、クリエイティブの成否を分けるのは、誰がそれを発信し届けているのかだといいます。
クリエイティブの善し悪しが、どの人間がそれを発信しているのか、届けているのかによって大きく成果が変わってるのも皆さん感じ始めてるじゃないですか。
コンテンツが飽和している今、ヒューマンIPを使って直接届けることの重要性が上がっている。その領域に自分は向かおうとしている感覚がある、と富家さんは語ります。
この話題のきっかけになったのが、immedioがMetaで展開している広告でした。浜田さんによると、同社のマーケ責任者が田岡さんと話して盛り上がった企画で、日本ではまだ珍しいBtoBインフルエンサー企画の第一弾になるという狙いがあったといいます。
浜田さんは、アメリカではBtoBでもインフルエンサーが多く存在する一方、日本ではインフルエンサーがまだBtoC中心だと指摘します。実際にやってみると企画は当たり、スタジオを飛び出して外で叫ぶ動画が一番伸びたそうです。
屋上空いてるらしいですよ。行ってみますか?つってバーって行って、3・2・1でBtoBマーケティング皆さんってやったらそれが一番だったっていう、ほんと何が当たるかわかんないですよね。
選ばれるイベントに必要な「参加者へのコミットメント要求」
後半では、Slidoで寄せられた質問も取り上げられました。浜田さんが投げかけたのは、参加者視点の話です。BtoBイベントが増え、参加者数の確保に苦労する中で、選ばれるイベントになるために参加者体験をどう考えるか、という問いでした。
いい登壇者を設定する以外に、イベントを企画する側として考えていくこと、やれることはあるか。
浜田 英揮 さんから
富家さんの答えは、申し込み者数の減少というリスクを飲み込んだ上で、参加者にどれだけ強いコミットメントを求められるかがカギになる、というものでした。
無料をやめる、事前課題を出す、無断欠席した人には二度と参加できないと確認させる。準備する側と参加する側が対等でフェアな関係を作ることこそ、正しい関係性の作り方だと富家さんは語ります。
無料なんてやめてしまえばいいと思いますし、無断で来へんかったやつは一生オプトアウトすればいいって思ってるんですよ。
ただし、これは目的によるとも付け加えます。カジュアルな交流を目的にしているのに強いコミットを求めるのは違うため、バランスは必要だといいます。提供するものに自信があるなら、相応のコミットメントを求めるべきだ、というのが富家さんの立場です。
一方で、そもそも自社イベントやウェビナーを「これは本当に面白いのか」と疑いの目で見ている人が社内にほとんどいないことが、より根深い課題だと富家さんは指摘します。
自社が提供しているリアルイベントや交流会を、本当の意味で引いて見て「これで大丈夫か」と思う人が社内にいれば、自然とPDCAが回っていい イベントになる、と富家さんはまとめました。
まとめ
ジャパネットたかたで学んだ「物の向こうにある生活を伝える」という原体験から、コニカミノルタでの最年少部長、書籍出版、そしてビジネスMC起業まで。富家翔平さんのキャリアは、好きなものを自分の言葉で届けたいという一貫した欲求で貫かれています。イベントの参加者体験についても、フェアな関係と「本当に面白いか」を問う視点の大切さが語られました。
- 富家さんはジャパネットたかたで「スペックではなく生活の変化を伝える」という理念を叩き込まれ、それがBtoBマーケターとしての土台になった
- コニカミノルタでの最年少部長は「新しい部門を作れば部長になれる」という仕組みと、喫煙所での直談判を含む自らのアピールの結果だった
- 起業家との差は特別なスキルではなく「決めて行動しただけ」だと気づき、AiKAGIを創業した
- 田岡さんの一言をきっかけに「ビジネスMC」というカテゴリーを自ら作り、BtoBマーケ支援からの転換を決めた
- AI時代にはヒューマンIPが成否を分けるとし、「BtoB版ジャパネット高田」として自ら商品を届ける構想を進めている





