初のゲスト回、カテゴリー戦略の田岡凌さんを招いて
Growth Radio by immedioは、普段は浜田英揮さんと清澤さんの2人で、日米の古典的なビジネス本を読む「名著再読」を続けてきた番組です。今回は初めてのゲスト回として、suswork株式会社代表の田岡凌さんを招いています。
田岡さんは、話題の書籍「カテゴリー戦略」の著者です。この本はAmazonのカテゴリーでトップにランクされるなど、growth領域で注目を集めています。
この回は2本立ての企画で、第1回は田岡さんのマーケター・事業家としてのキャリアを、第2回でカテゴリー戦略という本の内容を掘り下げていくという構成です。今回は第1回にあたります。
田岡さんは自己紹介の中で、現在のsusworkが急成長スタートアップや大手企業の新規事業、コア事業まで、事業成長の支援をしていると話します。新卒で入ったネスレでは1年目からブランドマネージャーを務め、その後WeWork、スタートアップのCMOを経て起業したという経歴です。
その中でも特にカテゴリー戦略という領域のご支援が多く、最近本を出版させていただきました。
浜田さん自身も、田岡さんから以前からアドバイスを受けてきた1人です。きっかけは、カテゴリー戦略に関するワークショップに参加したことでした。
日程調整ツールで終わらせない、カテゴリーへの気づき
浜田さんと田岡さんが出会ったのは、この収録の1年半ほど前だといいます。浜田さんが自社サービスのタグラインを考えていた場面が、印象的なやりとりとして語られます。
浜田さんは、immedioを「こういうことができる日程調整ツールです」と説明しようとしていました。それに対して田岡さんが投げかけたのが、カテゴリーの選び方に関する問いでした。
最後、日程調整ツールってカテゴリーにしちゃってもったいなくないですか?みたいなこと言われて。
この一言に、浜田さんもその場にいた参加者も強く納得したといいます。カテゴリーの重要性を実感したこの出来事が、その後の試行錯誤の出発点になりました。
浜田さんは、田岡さんの記事がマーケ人やBtoBマーケティングの業界メディアに多く掲載されていることに触れつつ、改めてキャリアの節目を1つずつ掘り下げていきたいと切り出します。
小説家志望からマーケティングへ、京都大学時代の原点
田岡さんの出身は京都で、実家は京都大学から徒歩5分ほどの場所にありました。小さい頃から「行くんだろうな」となんとなく思っていたといいます。理系一家の中で、反骨心からあえて文系の経済学部に進みました。
もともとは高校の頃から小説家を目指していたと田岡さんは振り返ります。ただ、食べていくのは大変だと考え、進路を組み立て直しました。
法学部とか農学部に所属しながら作家になってる方が結構いたので、これ経済学部もありなんじゃないかと。
当初はコピーライターを目指していた田岡さんですが、大学でマーケティングに出会い、方向性が変わっていきます。言葉で人の心を動かし、行動を変えることを経済活動につなげる点に面白さを感じたといいます。就職活動も、新卒からマーケティングができる会社を探すという一本に絞りました。
大学時代にマーケティングへ関心を深めるきっかけの1つが、スティーブ・ジョブズの考え方でした。自分たちが日々触れるiPhoneやPCを作った人がいるという事実に、映画や授業を通じて触れたといいます。
マーケティング、ブランディングの究極の部分、新しいカテゴリーを作り、その思想を広げていくみたいなところ。
田岡さんは、Appleの強みはその思想がブランドに反映されている点にあり、ゼミでも議論があったと話します。クリエイティブな目線と経済の目線が交差するところに、強く興味を持っていました。今のカテゴリー戦略にもつながる原点だと振り返ります。
大学2年で塾を起業、既存の予備校とは違うやり方を
田岡さんは、大学1〜2年生の頃に塾を立ち上げた経験も持っています。1年目にある予備校でチューターを務めた中で、いい意味での問題意識を感じたのがきっかけでした。
新しい教育のあり方や、受験への取り組み方について自分なりの考えがあり、既存の予備校とは違うやり方をしたいと考えたといいます。そこで友人と一緒に起業しました。
まだ未成年だったため、親に不動産を借りてもらい、小さな家を教室にして塾を始めました。英語教師でもある親も巻き込み、田岡さんや友人は数学や理科、化学を教えたといいます。
不動産借りて大人巻き込んでって完全にもう事業ですよね。
ネスレで1年目からブランドマネージャーになる
学生時代を経て、田岡さんはネスレに入社します。マーケターにとって王道のキャリアとされる会社で、入社と同時にマーケティング職に就きました。
正式にはビジネスグループと呼ばれる、飲料事業本部への配属でした。狭い意味のマーケティングだけでなく、PLを見ながらコミュニケーション、商品開発、サプライチェーン、ファイナンス、リーガルまで、各部署の支援を受けて事業を回す部署です。田岡さんは、1年目からこの部署に配属された初めてのケースだったといいます。
この背景には、当時の高岡浩三社長が進めていたネスレパス ── ネスレ日本が導入した採用制度。田岡さんは、当時の高岡社長がイノベーションの一つとして始めたと語り、自身はその第一期生としてマーケティングに1年目から取り組んだと話していますという新しい採用方法がありました。田岡さんはその第一期生として、1年目からマーケティングに取り組みました。
浜田さんは、ネスレのマーケターがいわゆるマーケターとはスコープが違うと感じたと話します。田岡さんも、今のスタートアップの文脈でいえばPMM ── プロダクトマーケティングマネージャーの略。製品と市場をつなぎ、どう売るかまでを設計する役割を指しますやCRO、COOに近いと応じます。
グローバルのFMCGのメーカーは、ブランドマネージャーを置いて、そのブランドマネージャーを中心にビジネスを回していく。
田岡さんが担当したのは、ネスカフェドルチェグストとミロでした。多くのブランドは1人1ブランドで担当しますが、田岡さんの場合はECチャネルやカプセルなど、1つのブランドの中でも数の多い商品を、数人のチームで分担して受け持ったといいます。
戦略よりオペレーション、ブランドマネージャーの日常
浜田さんは、グローバルなマーケティング企業が家庭やオフィスまで入り込み、解像度を上げるWho/Whatの世界を思い浮かべつつ、それはごく一部ではないかと問いかけます。ブランドマネージャーの日常が何なのかを尋ねます。
田岡さんによれば、日々はコミュニケーション、商品開発、ファイナンス、サプライチェーンといった複数のプロジェクトが並行し、その全体をマネジメントする仕事だといいます。目の前だけでなく、1年で終わるものから3年かかるものまで、中長期の戦略も考えます。
その上で田岡さんが強調するのは、戦略以上にオペレーションが重要だという点です。商品開発もサプライチェーンも1人ではできず、他ブランドも抱える多くの人と協力してブランドを成長させる必要があるからです。
プロジェクトマネジメント、オペレーション、コミュニケーションっていうところがやっぱり主にはなる。
田岡さんは、それぞれのメンバーがリーダーだという思考を1年目から感じたと話します。プロジェクトごとのリーダーシップを生かしながら、全体で売上をどう上げるかを考えることが重要だといいます。
振り返って最も大きかったと感じるのは、責任の所在が明確なことと、市場と対峙したときに考えられるレバーが多いことでした。コミュニケーションだけに閉じず、商品そのものやビジネスモデル、チャネルまで含めてビジネスを作れる経験が、今にも生きていると話します。
高岡浩三氏の凄み、経営そのものがマーケティングという思想
浜田さんは、新卒の仕組みを作った高岡浩三さんについて、外からは何がすごいのか分かりにくいと尋ねます。田岡さんから見た高岡さんの凄みを聞きます。
田岡さんが挙げたのは、経営全てがマーケティングであるという思想を全社にインストールした点でした。マーケティングやイノベーションは特定の部署が取り組むもの、という一般的な認識を超える考え方です。
田岡さんは、経営学者の入山章栄さんも同様のことを述べていると触れつつ、人事のお客様は従業員であり、サプライチェーンもファイナンスもリーガルも全てがマーケティングだと語ります。その思想の上に、顧客の潜在的な課題への価値提供をどう起こすかを、全社でアワードとして取り組んでいたといいます。
このアワードは、ほぼ全員が提出するものでした。しかも、単なるアイデアではなく、すでに実行したことを共有する仕組みだった点が特徴です。
すでにやったことを共有するんですよね。なので自然とそういう行動様式が身についていく。
田岡さんは、皆が業務の中で顧客の課題を探し続ける行動様式を自然に身につけていたと振り返ります。新卒でそうした組織に属せたことが、今も役に立っていると話します。
WeWorkへ、満員電車で感じた働き方への問題意識
ネスレの後、田岡さんは日本にまだ数拠点しかなかった頃のWeWorkに、ブランディングとマーケティングの責任者として入ります。入社を決めたのは、当時WIREDでWeWorkが特集されたことがきっかけでした。
関西出身の田岡さんは、東京で働いた際に初めて満員電車に乗って衝撃を受けたといいます。多くの人の顔が明るくなく、生き生きしていないことを、あまり語られない大きな問題だと感じました。
一方でWeWorkに遊びに行くと、そこで働く人たちが目を輝かせていた印象があったといいます。日本人にとって働き方やモチベーションは重要なテーマだと考え、コーヒーとは違う働き方の領域に興味を持ってWeWorkに入社しました。
毎月拠点が増える急成長、パーパスを信じたメンバーたち
浜田さんは、WeWorkを描いたドラマ「WeCrashed」に触れつつ、社内はお祭り騒ぎのような世界観だったのかと尋ねます。田岡さんが入社した頃は、まだほとんど認知されていない状況でした。
知る人ぞ知る新しいスタートアップみたいな感じ。ただ、これをもうほぼ毎月のように拠点をオープンさせていく。
その時期に、急速に認知や人々の関心がWeWorkへ向かっていったと田岡さんは振り返ります。ただ、単なるお祭り騒ぎではなく、日本でこの新しい働き方を浸透させるという思いを社員一同が信じ切れていたといいます。パーパスやミッションドリブンで人が働いていた組織でした。
田岡さんは、WeWorkに来てもらうだけで価値を伝えられた点をポジティブに感じていました。特に日本は顧客のニーズをよく捉えていたといいます。
その後、さまざまなニュースやコロナの影響で厳しい局面が続いたのも事実だと田岡さんは認めます。それでもパーパスやミッションを信じるメンバーが多かったといいます。現在は日本で新しい拠点がまたオープンし、メガベンチャーの本社が入るなど、インフラとして定着した部分もあると話します。
日本のスタートアップCMOへ、マーケティング×SaaSの掛け算
外資2社を経て、田岡さんは日本のスタートアップでCMOに就きます。番組では社名が明示されず、ネスレのような大企業から小さな組織へジャンプした意思決定として語られています。
この転身の背景には、ちょうどその時期に子供が生まれたこともあったといいます。自分ならではの、日本への価値の残し方は何かを考えた田岡さんは、ずっと続けてきたマーケティングが自分の軸だと捉え直しました。
このマーケティングっていうものをよりこう多くの方々に届けていく一つの切り口として、当時SaaSが非常にグロースしていた。
マーケティングとSaaSの掛け算をやってみたいという思いが、この選択にありました。当時、SaaSが大きく成長していた時期だったことも後押しになったといいます。
SaaSのCMOも本質は同じ、事業成長を実現する一点
浜田さんは、SaaSのCMOはそれまでのマーケティング職とは違うものだったのかと尋ねます。ネスレのようにブランド全体を握るのか、認知獲得など違う戦いになるのかを問いかけます。
田岡さんの答えは、最終的には同じだというものでした。そもそもCMOが何をやるべきかは、ほとんどの場合決まっていないと指摘します。
CMOが果たすべきものはやっぱり、いかにして事業成長を実現するか、もうこの一点かなと思ってます。
田岡さんは、認知を上げることやリード獲得に振り切ること自体が、そもそもCMOの視座ではないと語ります。認知はドライバーとして重要でも、あくまで事業成長を実現するための手段だという考え方です。ネスレで1年目から自社のブランド事業をどう伸ばすかを軸にしてきた経験が、この視座につながったといいます。
一方で、BtoBやSaaS、スタートアップの組織マネジメントには、まだ学ぶべき部分が多かったとも振り返ります。うまくアンラーンしながら吸収する必要があり、もっと早くアンラーンすべきだったという反省もあると話します。
なぜ起業したのか、意志と組織を担う経営者への転身
この収録の3年ほど前、田岡さんはCMOから自ら起業する道を選びます。浜田さんは、そのきっかけや決意を尋ねます。
田岡さんは、学生時代から30代では起業するのだろうと、なんとなく感じていたと振り返ります。したいというより、そういう運命だと思っていたといいます。
スタートアップのCMOを経験して感じたのは、CXOと経営者では考えることが違うという点でした。事業だけでなく組織をどうするか、戦略のロジックだけでなく意志も重要になります。
何がいいかってことと同じぐらい、どうしたいかってことが重要だと思っていると。
田岡さんは、その経験が今までできていなかったと痛感し、最後は自分でやらないといけないと感じたといいます。当初はウェルネス系の事業を考えていましたが、売上がゼロの状態から自分が世の中に残せる価値を考え直しました。
行き着いたのは、これまで教わってきたマーケティング、ひいてはグロースを世の中に還元することでした。立ち上げ当初から「手伝ってくれませんか」という問い合わせや面談の機会が多く、そこから今のカテゴリー戦略ファームへと形を変えていったといいます。
susworkとは何か、カテゴリー戦略ファームという自己定義
浜田さんは、susworkが広告代理店でもクリエイティブエージェンシーでも戦略コンサルでもなく、そのどの要素もある会社だと感じたと話します。そこで、suswork自身のカテゴリーは何かを尋ねます。
田岡さんの答えは、カテゴリー戦略ファームでした。「カテゴリー戦略といえばsuswork」を実現したいといいます。もともとはグロースへの思いで名付けていましたが、顧客からカテゴリーの相談が多く、成果も出ていたことから、これを打ち立てるべきだと考えたといいます。
本にも書いている通り、既存のカテゴリーで戦うのではなく、新しいカテゴリーを作り、グローバルに発信していくことに日本のビジネスの未来があるという考えです。プロダクトが良くてもカテゴリーを作れなかった、機能はあっても意味を顧客に認識してもらえなかった、という製造業メーカーが多かったと指摘します。
浜田さんは、番組で読んだ「クラウド誕生」でSalesforceがまさにカテゴリー戦略を実践し、Salesforce Japanが日本最大のSaaS企業になったことに触れ、日本企業がグローバルへ出るきっかけになりうると応じます。
企業を超えて、文化や街づくりへ広げるカテゴリー戦略
田岡さんが、カテゴリー戦略ファームと名乗り直して取り組みたいと語るのは、企業以外の領域です。文化や街づくりもカテゴリー戦略だと考えています。
自分たちの文化を自社目線で「こんなにいい」と発信しても、他国の人からはよく分からないストーリーになっていることが多いといいます。新しいカテゴリーをグローバルに広げる視点は、文化の継承や浸透にも重要だという考えです。
移住促進や観光客誘致でも、「海が綺麗で山が綺麗」ではどこにでもある話になってしまうと田岡さんは指摘します。顧客にとってのディファレント、つまり違いは何かから設計する街づくりや自治体のマーケティングが重要だといいます。ビジネスかライフワークかは別として、取り組みたいテーマだと語ります。
浜田さんは、田岡さんのキャリアを振り返る第1回をここで締めくくり、第2回でカテゴリー戦略とは何か、どんな場面で使えるのかという具体を掘り下げると予告しました。
まとめ
小説家志望からコピーライター、そしてマーケティングへ。田岡凌さんはネスレ、WeWork、スタートアップCMOを経て、事業成長を軸に据えたキャリアを重ね、カテゴリー戦略ファームのsusworkを起業しました。一貫していたのは、どの立場でも「なんとかして事業を伸ばす」という一点でした。
- 田岡さんはネスレで1年目からブランドマネージャーを務め、戦略以上にオペレーションとコミュニケーションが重要だと学んだ
- 高岡浩三氏の下で「経営そのものがマーケティング」という思想を全社で体感し、顧客の課題を探し続ける行動様式を身につけた
- CMOの役割は認知やリード獲得ではなく、事業成長の実現という一点にあると田岡さんは考えている
- 既存カテゴリーで戦うのではなく、新しいカテゴリーを作りグローバルに発信することに日本のビジネスの未来があると位置づけている
- カテゴリー戦略は企業だけでなく、文化や街づくり、自治体のマーケティングにも応用できるテーマだと田岡さんは語る





