若い頃は「先読みしろよ」と本気で思っていた
お便りをくださった方は今年38歳になって、経営側の言い分がわかるようになってきたと書かれていました。
そのうえで、自分も朝令暮改をせざるを得ない状況になって悩んでいる、と。
「数日前にAと言ってたのにBにしろってどういうことやねん」と若手の頃は思っていた、という部分、これは本当に共感しかないんですよね。
私も一番最初に勤めていた会社で、3、4ヶ月かかっていたプロジェクトを、あと1ヶ月を切ったところで社長に全部止められたことがありました。
「おい、ちょっと待て」「どんだけ大変やと思っとんねん」と、心の中でそっと卒倒したわけです。
でも今になって思うのは、そんな全部のことを先に読めていたら、それはもう全知全能の神なんですよね。
競合や新しいサービスは、こっちの都合なんてお構いなしに突然出てくるわけで、状況が変われば言っていた内容を変えざるを得ない。
そりゃそうだよなと、いまは素直に思えるんです。
経営も仕事も「生き物」だと感じる
この歳になって強く感じるのは、経営とか仕事って生き物だなということなんですよね。
平々凡々と安定してきたなと思った途端に、信じられないところからトラブルの種が来たりします。
そのトラブルも、本当にバッドなものもあれば、新しいチャンスと呼べるようなものもあるんです。
「来週まで?そんなん無理」と思うくらいいいお申し出が急に来て、でもどうやるかを考えなきゃいけない、みたいなことも起きます。
だから年間や月次で方針が変わるのは、もうしょうがないことだと思っているんです。
私はもうすぐ50になりますけど、振り返ると10年くらいごとに大きなことが起きてるんですよね。
90年代前半のバブル崩壊、2000年のITバブル崩壊、2008年から2009年のリーマンショック、2011年の東日本大震災、そして2020年からのコロナ。
そう考えると、10年以上ずっと同じまま進むなんてことは、多分ありえないんだろうなと思っています。
弱肉強食ではなく「適者生存」
そうなってくると、一番大事なのは、その変化にどうやって合わせられるかだと思うんです。
世の中を生きていくのは弱肉強食ではなくて適者生存、という話がありますよね。
変化についていって、そのために自分の意識や感覚を変えられるかどうかが大事になってくる気がします。
これを「変えたくない」「変えるのが嫌だ」となってしまうと、後々けっこう困ってくるんじゃないかと思うんですよね。特に年を取ってからです。
だから朝令暮改を受ける側になったときも、きっと裏で何か大きな状況変化があったんだろう、と受け止められるかどうか。
そこに合わせられるかどうかが、最近の言葉で言う老害かどうか、精神的に老いてしまっているかどうかの分かれ目になるんじゃないかなと思っています。
「今の当たり前」がひっくり返ったときが一番怖い
もう一つ、私がずっと怖いなと思っていることがあります。
それは、世間で「これが今の当たり前だよね」とされているルールが、ある日ひっくり返る瞬間なんです。
たとえばテレワークって、この4、5年で多様な働き方として、すごくいいものだと言われるようになりましたよね。
でも先日、アメリカのAmazonがフルタイムの出社に戻すというニュースがありました。納得いかないなら辞めてもいい、というような話です。
ゆとり教育もそうで、一位を作らない、競争はよくないと言われていたのに、結局やめる方向になったわけですよね。
そのとき、良いと言われていたものを盲目的に信じきっていた人ほど、梯子を外されたようになってしまうと思うんです。
だから私は、いま世間で当たり前とされているルールも、全否定はしないけれど、いつか大きく変わるものとして見ています。
ゲームチェンジが起きて、今よりしんどくなったとき、人間はどうしても楽したい生き物ですから、急に対応するのは難しいんですよね。
だからこそ、変化に対して柔軟でいよう、というのはいつも考えているんです。
まとめ
若い頃は理不尽にしか思えなかった朝令暮改も、いまは「状況が生き物のように変わるなら仕方ない」と思えるようになりました。まだきれいに割り切れているわけではないのですが、大事なのは変化そのものより、それに合わせて自分を変えられる柔軟さなんじゃないか、といまは考えています。
- 競合や新サービスは突然出てくるので、方針が変わるのはある程度しょうがない
- 生き残るのは強い者ではなく、変化に適応できる者だと考えている
- 「今の当たり前」がひっくり返ったときにこそ、柔軟さが試される
- 変化を嫌がって固まってしまうと、年を取ってから困るかもしれない






