父親のコーチング仲間から、10年越しの初対談へ
The Kosei Yamaya Podcast(KYP)は、Kosei Yamayaさんが話したい人をゲストに招き、あらゆる視座から多層的に物事を捉えるトーク番組です。オープニングトークは用意せず、その時の気分で話していくスタイルだと説明されています。
ゲストの中川文惠さんは、自己紹介で中小企業診断士を丸28年、ITコーディネーターも務め、最近は「天の使い人」として仕事をしていると名乗りました。詳しくは「おいおいと」と、この日の話に委ねています。
Yamayaさんと中川さんが初めて会ったのは11年前、2015年のライフコーディングフェスタという大きなセミナーイベントの運営チームでした。その後も顔を合わせる機会はあったものの、じっくり話すのはこの収録が初めてだといいます。
中川さんとYamaya家の縁は、Yamayaさんの父である山家正尚コーチから始まっています。中川さんはコーチングの資格試験のためにコーチをつける必要があり、紹介された中から選んだのが山家コーチでした。時期は2014年ごろで、フェスタより少し前だったと振り返っています。
「天と仕事をしよう」はどういう意味なのか
中川さんを招いたきっかけは、YamayaさんがMidoriさんと続けてきたポッドキャスト「Serendipity Radio(セレラジ)」でした。2026年8月に番組が区切りを迎えた際、中川さんが問い合わせフォームから感謝のメッセージを送ったのです。
返信しようと中川さんのFacebookを開いたYamayaさんは、「不確実性の時代、今日の選択が未来を作る。天と仕事をしよう」という言葉に驚きます。Yamayaさんにとって中川さんは「ザ・バリキャリ」な中小企業診断士のイメージだったからです。
(どこかで出演を)いや、どこかじゃなくて、いや今だなって思って。
中川さんによれば、「天と仕事をしよう」とは自分の頭だけで仕事をせず、天を味方につけることです。運や縁、エネルギーといった「見えてる世界じゃないもの」も使って仕事をしようという意味だといいます。
中小企業診断士っていう「ザ・リアル」な世界と、目に見えない世界と、別々に考えずに一緒になってます。私の中ではですね。
Yamayaさんは、診断士といえば数字や論理で考えるロジカルな職業というイメージがあり、目に見えない領域はその真逆だと感じていたと話します。そのギャップこそが最初の驚きでした。
夜逃げの経験から「祈祷料」の発見まで、経営を掘り下げた先
中川さんが見えない世界と経営を一緒に扱うようになった背景には、いくつもの経験があります。子どもの頃からキリスト教に触れ、中高はキリスト教系の女子校に通い、「お天道様が見ている」という価値観の中で育ちました。
9歳から10歳になる頃には、祖父の家業の事情で夜逃げを経験しています。そこから「経営とはなんぞや」に興味を持ち、中小企業診断士になりました。中川さんは今振り返ると、役割があって診断士になったと考えています。
診断士として5000社、6000社の経営者と出会う中で、中川さんは「なぜこの社長はこのアイデアを思いついたのか」「なぜこのピンチを切り抜けられたのか」と、うまくいく秘訣を探求し続けました。
その探求の行き着いた先を、中川さんは「大きな流れ」として説明しています。
うまくいく秘訣の探求
多くの企業を見て、成功やピンチの切り抜け方の理由を探る
結局は人
答えは人にあると気づき、コーチングを学ぶ
経営者の意識
人にフォーカスすると、経営者の意識に行き着く
目に見えない世界
意識を掘り下げていくと、見えない世界に入っていく
もう1つの原体験が、新卒で入った情報処理会社TKC ── 会計事務所や自治体向けに会計・情報処理システムを提供する日本の企業での仕事です。企業に会計システムを導入し、勘定科目を設定していく中で、中川さんは「祈祷料」という科目に出会いました。
時期は平成2年、バブル絶頂の豊かな時代で、「スピリチュアル」という言葉もほとんど聞かれなかった頃です。それでも一定の歴史がある会社には神棚があり、祈祷料を払ってお祓いをし、四柱推命 ── 生まれた年・月・日・時刻をもとに運勢を読み解く中国由来の占術で見てもらったり護摩焚きをしたりしていました。
あ、やっぱり経営者さんって何かその拠り所、コンサルじゃない拠り所があるんだなっていうのは、まあ現実世界として(見ていました)。
ちなみにYamayaさんは平成3年生まれで、中川さんが祈祷料を目にした頃にはまだ生まれていなかったという話で、二人は笑い合っています。
声以外の情報も読み取っていたと気づいたのはいつか
中川さんが企業の支援を続ける中で、経営者にアイデアの原因を聞くと「ふと思った」「お風呂に入っている時に思った」「寝起きに」「夢で見た」という答えがよく返ってきたといいます。大概の経営者が、どこかでメッセージを受け取っているような発言をするのです。
同時に、中川さん自身も経営者の話を聞きながら、話されていること以外のことを感じていました。耳から入る情報とそれ以外の情報が自分の中では一緒くたで、誰でもそういうものだと思っていたそうです。
新入社員研修の終わりに、人事担当者から一人ひとりに手紙が渡されました。中川さんへの手紙には「あなたは人の話を聞くのが上手だから、そこを伸ばして仕事をしましょう」と書かれており、中川さんはそれを信じて今まで来たといいます。
その後、山家コーチの紹介で、プライベートの悩みもあってMidoriさんのリーディングを受けます。そこで「元々から声じゃない情報も読み取れてたんですね」というフィードバックを受け、みんな同じだと思っていた感覚がそうでもなかったと知りました。
Yamayaさんは、中川さんがどこかで急に変わったタイプだと想像していたと話します。中川さんは、特殊な能力があるわけではないと断ったうえで、見えない世界はずっと信じてきたと答えています。
ロジックと直感はどう共存するのか
Yamayaさんは、見えない世界とロジカルな思考が中川さんの中で共存していることに素直に驚いたと話します。Yamayaさん自身は左脳タイプとして育ち、長男を亡くした経験やセレラジを通じて死や輪廻転生を考えるようになるまで、両者は水と油のように感じていたといいます。
中川さんはIT導入の経験から説明します。社会に出た頃はそろばんの時代で、パソコンと会計システムを入れる「自計化」が進んでいました。しかし、システムは魔法の箱ではなく、生産管理システムを入れれば生産管理がうまくいくわけではありません。
今の会社経営の課題を脇に置いて新規事業に行ったとて、同じ会社と人なんで、同じ課題が起こるんですよ。
結局は人だという前提の中で、同じことをしても結果が分かれる経営者がいます。中川さんはその差を、見えない世界からのメッセージを否定せず、思ったことを行動に移しているかどうかだと、目の前の多くの事例から結論づけました。
本人に自覚がないまま、その力を使っている経営者が多いといいます。そこで中川さんは、社長が何かをやりたいと言ったとき、イメージが湧いているかどうかを確かめます。
「目をつぶって見えますか」に「見える」なら、既にあるので大丈夫
理詰めで提案しても社長がピンとこないなら、やめておく
中川さんはコーチングのスキルで社長の感覚を聞き出し、フィードバックします。ふと思ったことを打ち消さず、方法がわからなくても一旦浮かせて置いておき、行動を起こせば物事がつながってくる、という仕組みを解説しているのだといいます。
診断士は答えを知らない?「答えは現場にある」の意味
中川さんが一貫して言い続けてきたのが、「答えは現場にある」という言葉です。診断士は枠組みを学んだだけで答えを知っているわけではなく、コンサルタントも自分の経験値の範囲でしか助言できません。
診断士の役割は、ある枠組みに照らして抜け漏れや強み・弱みをフィードバックすることだと中川さんは説明します。
話を聞いて戻すと、社長が何かを思い出し、頭の中で話がつながって次に進んでいきます。中川さんは自分自身を、触媒やフィルター、枠組みのような存在だと表現しました。
中小企業診断士がなんか分析がすごいとか、未来が読めるとかじゃなくて。自分はこう、触媒?フィルター?枠組み?でしかない。
「つなぐ」使命と、水平から垂直への広がり
中川さんがMidoriさんのリーディングで告げられた使命は「繋ぐ」、つまり触媒でした。中川さんはこの言葉にすぐ納得したといいます。28年の大半を、ITコーディネーターやインキュベーションマネージャー ── 起業や新事業の立ち上げを、事業計画から人脈紹介まで支援する専門職など、「コーディネーター」の付く役職で働いてきたからです。
人と人、技術、会社をつないできたこれまでの仕事を、中川さんは「水平展開」と呼びます。そして「天の使い人」と名乗り出したのは、時代が追いついてきたので、「天と人を繋ぐ」垂直の軸もはっきり言おうと考えたからでした。
人と人、技術、会社など、この世界の中でつなぐコーディネーター
天と人をつなぐ「天の使い人」
水平と垂直という表現は、リーディングで言われたものではなく、中川さん自身の中に降りてきた言葉だといいます。Yamayaさんは、不可視の領域をロジカルに言語化できる人は希少で、それ自体に役割があると感じたと話しています。
化粧品通販の研修と、コントロール不能な息子
中川さんは、見えない世界を取り入れた仕事を、Midoriさんに出会う前から現場で続けてきました。十何年前から「自分らしく生きる」というタイトルのセミナーを行い、営業サポートの女性向け研修では「感謝の『えー』で電話を取ってください」と伝えていたといいます。
化粧品通販の会社では、売上目標を「いくら足りない」で考えるのではなく、いつものお客様を思い浮かべるよう指導しました。「あの方がそろそろこの化粧品がなくなる時期だな」とイメージすれば電話が鳴る、という研修です。
中川さんの考え方を深めたのが、一人息子の誕生でした。夜中の2時、3時まで働くバリキャリとして、自分が頑張れば何でもできたのに、子どもは初めて出会ったコントロール不能な存在だったといいます。
マーケティングでは、経営は自分がコントロールできる領域で勝負すると考えます。営業会議で「円高の影響で売上が伸び悩んでいる」と言っても、円高は変えられないので課題になりません。
目の前にいる息子は何ともできない。マーケティング理論全く通用しない、この人が。
ただ中川さんは、自分が仕事で忙しく気持ちが急いている時ほど、子どもがぐずったり熱を出したりすることに気づきます。今で言う波動のように、自分の気持ちが子どもに伝わっていると、コントロールできない存在から教わったのです。
中川さんは、息子がお腹にいる時から経営相談の面談に同席させ、育休中は打ち合わせにも連れて行きました。「この時間は協力してください、帰ってきたら好きにしていいので」と仕事のスケジュールを説明すると、完璧に通じていたといいます。
息子の金縛りが教えた、会社の「気」と売上の関係
妻のお腹にいる頃から言葉で子どもに語りかけているYamayaさんが、その接し方でいいのかと尋ねると、中川さんは言葉で伝えることに加え、自分を整えれば子どもも整うと体験から答えました。
中川さんは離婚後、息子の小学校入学のタイミングで京都から実家に戻り、両親と4人で暮らし始めました。すると祖父母が「なんで起きないの」「早く身支度しなさい」と思うようになり、生活リズムが合わなくなります。
ある日、息子がダイニングテーブルの下で泣いたまま動かなくなりました。状態を聞くと「体が動かない」と言うため、中川さんは祖父母に部屋に行ってもらい、「なんでなんで」と思わないよう頼みます。その気持ちを外すと、息子は動けるようになったといいます。
「なんでなんで」エネルギーに包まれた息子が金縛りに遭うんですよ。
中川さんは、会社も同じだと話します。社長が「なんでなんで」と思えば、雰囲気という「気」が場を悪くし、売上を下げることもある。会社は意識の集合体なので、子育ても会社経営も結局は人だという考えです。
「伴走支援」と「等価交換」、お金をめぐる感覚
中川さんが京都リサーチパーク ── 京都市にある民間運営のリサーチパーク。ベンチャー企業や研究機関の入居・支援拠点として知られるでコンサルタントとしてデビューした平成10年当時、経験がなかったため、一緒に走るしかできることがありませんでした。そこで掲げたキャッチコピーが「伴走支援」です。
今では当たり前になった伴走支援という言葉も、当時は大手コンサルが主流でほとんど使われていなかったといいます。素人集団として共に走り、お金をもらいながら知識と経験の引き出しが増えていく仕事を、中川さんたちは「ミツバチ」と呼んでいました。
お金について中川さんは、「お金はエネルギー」「お金は人が運んでくる」とよく言われることに触れたうえで、最近は「等価交換」というキーワードをよく耳にするといいます。
以前は、できることだからとボランティア的に相談に乗ることも多かった中川さんですが、それは相手にとって等価交換にならず良くないらしいと知り、今は同じ価値の交換になるよう気をつけているそうです。
今回の出演について中川さんは、表に出して発信しようと決めたタイミングに重なり、自分の中で整理ができた「めっちゃタイムリー」な機会だったと話しています。何かを成し遂げた人は必ず「おかげさま」と言う、という言葉も添えました。
ChatGPTのリサーチが示した「最後は人」という思想
Yamayaさんは出演依頼にあたり、自分での検索やFacebookの過去投稿に加えて、生成AIでディープリサーチをかけたと明かします。ChatGPTがまとめた中川さんの思想は、「最後は人だ」と「つなぐという思想がかなり強い」というものでした。
リサーチには、2022年に吉田松陰 ── 幕末の思想家・教育者。私塾「松下村塾」で多くの維新の志士を育てたを教育モデルとして取り上げたという記述もありました。中川さんは、四柱推命や論語、中国の四書を教わる師匠に出会った時期があったと説明します。
そこから中川さんは、これからの時代には「大人の寺子屋」が必要で、江戸時代のような村社会になるという感覚を持っているといいます。「現代文明を持って江戸を生きる」というイメージです。
リサーチには「AIについても考えは一貫している」「未来を決めるのは人です」ともありました。中川さんはこの考えを、TKC時代の会計システム導入の経験から説明します。
足し算、入れた数字の合計、決めた按分ルールでの計算、検索や分析
どの数字をいつ見たいかの項目設定、分けるルールの指示、意味づけ
たとえば普通預金にA銀行・B銀行・C銀行の補助科目を設けずに全部入力すると、あとから銀行別の額を出すには分けるルールを教えるしかありません。中川さんは、算盤から会計システムに移った時代からずっと同じだと話します。
使うのは人で、どんな情報が欲しいかをリクエストして、明確な意思を持って使わない限り、あの、何の役にも立たない。
28歳でつけたビジネスネームと、生まれた名前に戻す理由
中川さんには、活動名の「普巳重」と生まれた時の名前「文惠」があります。名前を分けたきっかけは28歳の時、日本マンパワー福岡校を創業することになった頃でした。
博多駅の地下で占いコーナーの先生と目が合い、吸い込まれるように入ったところ、生まれの星が男っぽい星なのに女性らしい名前で「名前負けしてるよね」と言われます。音は残し、字画や運勢を見てつけてもらったのが「普巳重」でした。
戸籍は変えず、ビジネスネームとして使ってきたため、行政の仕事の振込口座は「文惠」、活動名は「普巳重」という状態でした。周囲は屋号のように捉えてくれ、それで通ってきたといいます。
Yamayaさんのもとに届いたセレラジの問い合わせも「文惠」名義だったため、担当者が同一人物か迷ったそうです。Facebookの表示名だけは変更できず、括弧で両方の名前が並んでいたことで確認できたという裏話も語られました。
違和感を大事にした先の結論、「結局は周波数」
「天の使い人」を名乗るのは節目なのかと問われ、中川さんは「風の時代」という言葉にも触れつつ、見えない世界の話をわかる人が増えてきたと答えます。先に知ったのならちゃんと伝えなさい、という使命も感じたといいます。
中川さんは十数年前から、売上が右肩上がりに伸び続けるという前提をおかしいと感じ、そうしたコンサルが嫌になりました。『ハーバード・ビジネス・レビュー』の事例を使った研修から人にフォーカスする方向へ移り、さらに型にはめることにも違和感を覚えたといいます。
現場が教えてくれてるというか、まあ自分の違和感ですよね。違和感を大事にしているというか。
未来への思いを聞かれると、中川さんは診断士になった時のキャッチフレーズと、今の思いを並べて語りました。
診断士になった時: 「人と企業が元気になるお手伝いを」
今: 「みんなが自分の魂を生きれるようにサポートしたい」(人も会社も)
中川さんによれば、人は魂のデザインと今世の使命を持って生まれ、それを一旦忘れて思い出すストーリーを自分で書いてきます。全員が思い出せるわけではないからこそ、知っている自分が出会った人に伝え、その人と天をつなぐのが役割だと考えています。
これまでは企業にもわかる人にだけ伝える「裏メニュー」でしたが、そろそろ「表メニュー」にしたいといいます。そのきっかけは、「こうしたらうまくいく」と伝えても実行されない、実行しても結果が出ない会社を見て、原因が会社の波動や周波数にあると確信したことでした。
周波数という言葉はYouTubeなどでメジャーになってきたからこそ、正しく伝えたほうがいいと中川さんは考えています。引き寄せも、正しく伝えないと引き寄せられないといいます。
スピリチュアルの専門家は多くいるなかで、中川さんはせっかく中小企業診断士なのだから企業の担当なのだろうと感じています。本人が受け取っているものを聞き出して認識してもらい、それを現実のものにする方法論を診断士としてサポートする、それが伴走だと語りました。
同じ美容師を目指しても、なぜ違う美容室になるのか
Yamayaさんは、見えない世界に妄信して人間としての職業や役割を度外視し、失敗する人も多いとMidoriさんから聞いていたと話します。だからこそ、中小企業診断士という役割に立つ中川さんの視点が大事だと感じたそうです。
中川さんはこれを経営の例で説明します。美容師になりたい人が10人いても、魂が違うので違う美容室になる。昔から創業支援で「あなたはどうしたいですか」を大事にしてきたのは、一人ひとり違うからだといいます。
話は京都の老舗にも及びます。8代目、9代目が続く本当の老舗は、代を継ぐ時に戸籍上の名前まで変えることがあると中川さんは紹介しました。創業者は自分の思いで始め、2代目以降はその家に生まれたというストーリーを生きます。
魂が変われば、あの、なんかスタイル、表現、手段、なんかいろんなものは変わっていいと思ってて。
譲れないものと変わっていいものを見極め、時代に合わせながら代表が魂どおりに生きていると、事業は栄えていく感覚があるといいます。百人いれば百通りで、同じ魂のデザインがないように、会社経営も同じだという結論です。
科学は絶対ではなかった?研究者ほど見えない世界を大切にする
締めに入りかけたところで、中川さんは京都で大学のベンチャー支援をしていた頃の話を思い出します。研究者に研究テーマや技術が生まれた理由を聞くと、「降りてきた」と言う人が割といたそうです。
文部科学省の仕事もしていた中川さんは、科学は絶対で、世の中のことは科学が明らかにしていると思っていました。ところが研究者たちの答えは違ったといいます。
(研究者の先生方は)「わからないことがたくさんあるから科学研究するんだよ」って。
医学部の研究者からは「人体なんてもう小宇宙でわかんないことだらけだよ」と言われ、衝撃を受けた記憶があるそうです。中川さんは、研究者ほど目に見えない世界を大事にしており、芸術家も「私は媒体です」とよく言うと話しています。
夜逃げも離婚も人生の台本、過去生がつなぐ縁
中川さんは、夜逃げや人生の悩み、結婚・出産・離婚、Midoriさんや山家コーチとの出会いまで、すべて自分が生まれる前に書いてきたストーリーだと捉えています。
自分で書いてる自分がすごいな、偉いぞ私って。
すごい台本です。豪華キャスト。
過去生の話では、中川さんは山家コーチが兄だった時代があると聞いたそうです。Yamayaさんは、父と何度も親子をやっていると言われているため、中川さんが叔母だった可能性もあると笑います。
Midoriさんとは研究所で一緒に働いていたと言われ、中川さんが超文系なのに科学技術系の仕事をしてきたのは、過去生の「魂が喜ぶ」世界だからだと考えています。
今世に最も影響のある過去生は、貧しい家から勉強して国を治める立場になりながら、人に騙されて失脚し、京都で余生を送った中国系の人物だったといいます。縁のなかった京都で12年働き、今も懐かしく感じるのはそのためだと中川さんは話します。
Yamayaさんも、前世はフランス革命で戦死したらしく、フランスに行ってみたいと明かしました。イギリスに行きたいという中川さんに、半年ほど留学していたと答えたYamayaさんへの「今世ですか?」という問いに、二人とも思わず笑っています。
「袖触れ合うも多少の縁」「虫の知らせ」に残る知恵
Yamayaさんは、この番組では過去生のような話も存分にしていきたいと語ります。息子の死を通じて、あらゆる視座で世の中を捉え、とにかく今を楽しもうと思うようになったからです。
中川さんは、日本語の言い回しにも見えない世界が残っていると指摘します。「袖触れ合うも多少の縁」は過去生の縁のことであり、話の中では江戸しぐさにも触れていました。Yamayaさんはその場で調べ、江戸しぐさは1980年代以降に提唱されたものだと補っています。
中川さんが挙げたもう1つの例が「虫の知らせ」です。虫の知らせを受けて飛脚を走らせる、それはテレパシーをキャッチした状態だと中川さんは表現しました。
今も、「虫の知らせ」、違和感は大事に。
Yamayaさんは、違和感を大事にしてこなかった時期が非常に長かったとして、これからは大事にしていきたいと応えています。
Instagramとマルシェ出展、「天の使い人」のキックオフ
今後の発信について聞かれた中川さんは、マルシェに誘われて10月4日・5日に出展するため、「天の使い人」のInstagramアカウントを作ったと話します。まだ投稿はなく、これから自分の過去を紐解きながら、この日のようなエピソードを書いていく予定だといいます。
Yamayaさんは、番組の概要欄にアカウントを載せることを約束しました。中川さんは、天の使い人として生きると決め、これから具体化していく段階にあり、この日の収録はそのキックオフのような時間だったと振り返っています。
Yamayaさんは、トーク番組と言いながらほとんどインタビューになったものの、たまにはこういう回もいいと話しました。10月末のレゾナンスサミットで再会する約束をし、また新たな節目が来たら2回目の出演をと呼びかけて収録を終えています。
まとめ
中川文惠さんにとって、中小企業診断士としてのロジカルな支援と目に見えない世界は対立するものではなく、「結局は人」「結局は周波数」という一続きの探求でした。祈祷料や経営者の「ふと思った」、息子の金縛りといった具体的な体験が、その考えを支えています。
- 中川さんは経営の秘訣を探る中で、人、意識、目に見えない世界へと関心を深めていった
- 診断士の役割は答えを示すことではなく、社長の中にある答えを聞き出して戻す触媒だと考えている
- 人と人をつなぐ「水平」に、天と人をつなぐ「垂直」の軸を加えて「天の使い人」を名乗り始めた
- 方法論だけでは会社は変わらず、会社の気や周波数を上げる必要があるというのが現在の確信
- 一人ひとり魂が違うように、同じ職業や家業でも経営のあり方は百人百通りだと語られた





