そもそもこの番組は何を話す場なのか
番組の第1回として、KoseiYamayaさんは自身がゲストを招き、あらゆるテーマを二人でトークしていく構成を説明します。
最初のゲストが、研修講師でカリキュラム構築コンサルタントの水野浩志さんです。この仕事に就いて25年ほどになると話します。
水野さんは、意識改革と行動変容をテーマに活動してきたと語ります。
「人の意識がどう変わっていくのか」とか、「どうやったら一歩踏み出せるようになっていくのか」みたいな、そんなところをずっと25年、「ああでもない、こうでもない」って言いながら取り組んでます。
番組には台本もなく、テーマを形式ばって深掘りするのではなく、二人でトークしていく趣旨だと説明されます。
二人が抱えた、それぞれの死という重いテーマ
第1回の本題として、二人がともに直近で大切な人を亡くしているという共通点が提示されます。KoseiYamayaさんにとって死は、この1、2年で大きなテーマになっていると話します。
KoseiYamayaさんの長男は2024年8月に生まれ、完全大血管転移症 ── 生まれつき心臓の血管のつながりが正常と逆になっている先天性の疾患。手術による治療が必要になることが多い。という先天性心疾患を患っていました。
2度の大きな手術を受け、最後は人工心肺のエクモ ── 体外式膜型人工肺。心臓や肺の機能を体の外の装置で代替し、回復を待つための生命維持装置。にも乗って回復を図ったものの、エクモは離脱できたあと、合併症の感染症で旅立ってしまったと語られます。
一方、水野さんは今年4月19日に、妻を乳がんで亡くしました。妻は、がん治療をとにかく嫌がる考えの持ち主だったと言います。
妻は2023年頃からがんの自覚がありながら、誰にも言わず秘密を抱え込み、取り返しがつかないところまで黙っていたと話します。
今年2月20日、咳がひどくなった妻を病院へ連れて行こうとしたとき、末期の乳がんであることを告白されたと振り返ります。
もう首根っこ捕まえて「今日行くぞ」って言って病院連れて行こうとしたら、「ちょっとここ座ってくれる?」って言って、自分が末期の乳がんであるということを告白されたと。
病院では「年は越せないでしょうね」と言われましたが、実際には進行が速く、告白から59日後の4月19日に妻は旅立ってしまいました。
2月に会った1週間後、同じ状況が自分に
二人は年始のイベントで久しぶりに会っていました。そのときKoseiYamayaさんが子どもを亡くした話をし、水野さんは大切な身内を失うことの重さについて語っていたと言います。
「いや、本当にもう大変だったね」みたいな。「もう大切な身内を失うっていうのは本当に想像ができないよ」って言ってた1週間後に、まさか自分の身に同じ状況が降りかかってきたんで。
そのとき水野さんは、KoseiYamayaさんにペリネイタルロス ── 流産・死産や、生後まもない子どもとの死別など、周産期に子どもを亡くす経験とその喪失感を指す言葉。の経験をもっと世に発信してもいいのではないかと勧めていました。
KoseiYamayaさんは、その言葉をきっかけに、亡くなってから書けていなかった物語の執筆を再び始めたと話します。あの出会いはターニングポイントの一つになったと振り返ります。
一方の水野さんは、自分が勧めた側であったのに、まさか同じことをする立場になるとは思わなかったと語ります。
妻の死と、3年前の猫の死。悔いの重さの違い
水野さんは、妻の死には「悔いや後悔」が少ないと話します。妻自身が治療しない選択を意識的に選んで進んだからです。
その対比として語られるのが、3年前に15歳で旅立った愛猫のけいすけのことです。
「本当にこの子はうちに来て幸せだったのかな」とか。晩年、なんとか元気になって欲しくていろいろやってあげたんだけど、結構辛そうで苦しそうだったから、「かえって苦しい思いをさせてしまったかな」とか。
猫は本人の意思がわからないまま、飼い主の価値観で判断するしかなかった。だからこそ悔いが大きいと語ります。
自分の意思で治療しない選択を貫いた。望んだことをやりきれたという救いがある
本人が望んでいたかわからないまま判断した。「あれで良かったのか」という後悔が残る
水野さんは、Facebookに書いた「やりきった」という言葉について、妻が望んだことを全部やりきった感覚だと補足します。
この意思疎通の難しさは、赤ちゃんの長男を看取ったKoseiYamayaさんにも通じるものでした。
看取りの直前、時間にすれば数分の間に、人生であんなに頭が回転したことはないほど葛藤したと話します。
1年間、一人で抱え込ませてしまったという後悔
KoseiYamayaさんは、夫の立場なら妻の告白を受けたとき、自責の念に強く駆られるのではと問いかけます。
水野さんの妻はがんの家系で、母を高校1年のときにがんで亡くしていました。闘病の辛い様子を見て、自分はがんになっても治療しないと結婚前から言っていたと言います。
そのため、命を延ばすために何かしてやれることはなかったか、という種類の後悔はなかったと語ります。
一方で、胸が締め付けられるのは、妻が1年間一人でがんを抱え込んでいたことでした。
結局私がどんだけ人の話を聞く人間であったとしても、多分言わなかっただろうと思うんですよね。だからといって、自分の気持ちが救われるかっていうと、それでも救われなくて。
妻の親族も同じ心境で、「どうしてもっと早く言わないの」と言いつつ、自分も言わなかっただろうと話していたと言います。それでも自分を責めてしまうと語ります。
理屈で固めた受容。それは本当の整理だったのか
数ヶ月という段階で、気持ちの整理はできているのか
水野さんは、そもそも整理とは何だろうと問い返します。まずはこの状況をどこまで受け入れられるかにかかっていると考えていたと言います。
水野さんは、幼稚園がカトリックで聖書が身近にあり、神の存在やスピリチュアルな考え方にも抵抗がないと明かします。生まれ変わりや輪廻も信じていると話します。
だからこそ、死を消滅ではなく次元が変わることと解釈し、悲しいことではなく、物理的に一緒にいられない寂しいものだと整理していたと語ります。
生きている間は妻の願いを全部聞こうと無我夢中で動き、亡くなってからも手続きに追われ、四十九日を過ぎてしばらくはそれでなんとかいけたと言います。
しかし、それは意識のレベルで自分を納得させようとしていただけでした。
冷凍パンのテレビ番組で、突然あふれ出した悲しみ
転機は6月25日でした。水野さんは『マツコの知らない世界』の冷凍パンの回を見ていたと言います。
妻は業務スーパーの台湾餅の冷凍パンが好きで、二人でよく食べていました。番組で別のパンを見つけ、これも一緒に食べたいと写真に語りかけた瞬間のことでした。
「今度ピタパ買ってくるから食べようね」って言った瞬間に、「あ、でもこれ現実、俺一人で食うことになるんだよな」って思ったら、そこで突然なんか蓋が開いちゃったみたいで。
水野さんは、人生でこんな大声で泣いたことはないというほど号泣したと振り返ります。号泣しながら、それをメタ認知するもう一人の自分もいたと言います。
これから新しい体験というものをこの世で二人で積み上げていくっていうことが、もう絶対にできなくなっちゃったんだ。
このとき、告白を受けてからずっと理屈でガチガチに固め、自分の感情に反論させないようにしていたことに気づいたと語ります。
KoseiYamayaさんも、喪主として、父親として気丈に振る舞い、しばらく涙を流さなかった経験を重ねます。数ヶ月後に前触れもなく感情の高が外れる瞬間が来たと話します。
もう少し自分の感情に正直になって泣いたりした方が良かったかな、って、その時はちょっと思いましたね。
二人は、パートナーがいて吐き出せる環境の大切さと、片方が残されて吐き出せない局面に陥る人の多さについても語り合います。
死にたいという衝動と、死なない理由を置く日々
水野さんは、語弊を恐れずに言えば死にたかったと打ち明けます。自分で死ぬという選択肢はないと思いつつ、積極的に生きる理由が見えなくなったと言います。
早くね、その啓介と、カミさんのところに行って二人に会いたいっていう。
踏みとどまる理由は、母親ともう一匹の猫のあつみがいることでした。この二人が先に行くまで、自分は先に行くわけにはいかないと語ります。
KoseiYamayaさんの父と久しぶりに酒を飲んだとき、思わぬ言葉をかけられたエピソードも語られます。
「あ、でも死んでも会えないよ」って言われて、「もう周波数が変わっちゃってるから会えないと思うよ」って。「だから行っても無駄だよ」とかって言って。
結果的に、その言葉が先に逝く意味を失わせ、抑止力として働いたと水野さんは話します。
KoseiYamayaさんも、息子を亡くしてから目に見えない領域を探求するようになったと語ります。それまでの死生観のままでは生きていけなかったからだと言います。
二人は、生きる理由ではなく、死んじゃいけない理由がないと死んでしまう、という感覚を共有します。
死んじゃいけない、なんか生きる理由じゃなく、死んじゃいけない理由がないと死んじゃうんだと思って。だって生きる理由に目を向けられないんだもん。
水野さんは、極限状態ではやりたいことに目を向けるエネルギーがなく、心情的な底辺で死なない理由を身近に置いて生きていたと語ります。
弱さを見せられない仕事。誰にも相談できなかった
水野さんは、この手の仕事をしているからこそ誰にも相談できなかったと話します。周囲には「そういうふうになってはいけない」と主張する人が多く、自分もそうしてきたからです。
寄り添ってもらっても「違うんだよな」という感覚が残ると言います。これまで見せてきたスタンスの延長では、死にたいという気持ちを打ち明けられなかったのです。
FacebookやKoseiYamayaさんのnoteの記録も、本人から見れば上澄みや表層でしかないと二人は確認し合います。
だからさ、やっぱり言えないよね。だからしばらく人には会えなかった。
水野さんが会えたのは、妻の晩年を間近で見てくれた病棟の看護師でした。楽しそうな姿も苦しむ姿も両方見てくれた相手だったからです。
それでも、少し元気になってからでないと会えず、しばらくは膝を抱えて籠っていたと語ります。
気持ちは上がるのではなく、上げるもの
KoseiYamayaさんは、2年近く経った今、いろんな視座で見ることも大事だったが、時間が解決する部分も多かれ少なかれあると話します。
水野さんは、気持ちは放っておいても上がらず、自分で上げるものだと言います。
KoseiYamayaさんは、仕事に復帰したり、あえて人が集まる会に出たりして気持ちを上げてきた経験を語ります。
ただし、その場では話せても、帰宅後に感じたことのない疲労に襲われることもあったと明かします。
その会にいる時は人とも話せますし、大丈夫なんですけど、やっぱり帰ってきたらもうどっと疲労というか、感じたことのない疲労を味わうことになったりとか。
水野さんは、KoseiYamayaさんの父から「1年はかかるんじゃない」と言われたことに触れ、自分はまだ4ヶ月だと話します。
元には戻らない。違う自分を作っていくという歩み
KoseiYamayaさんは、急に元に戻るのではなく、違う自分を作っていくというスタンスが自分には強かったと語ります。
妻がいてこその自分、子を持つ親としての自分。その像には戻れないという実感を二人は共有します。
水野さんも、なんとか元に戻りたいと思っていたが、だんだん戻れなさそうだと感じ始めたと言います。
かつて情熱をかけてきた仕事に情熱が湧かなくなり、もっと違うところに気持ちを向けたいという思いがふつふつ湧いてくると語ります。
一方で、積み上げてきたものや生活、やってきた自負を、かなぐり捨てるわけにもいかない。二つの気持ちの端境に立っていると話します。
「拡大していきたい」って思うかっていうと、その気持ちは全くないんだよね。来たらやるけど、積極的にやっていきたいとは思ってないよっていう。
KoseiYamayaさんは、スパッと切り替えるのではなく、グラデーションのように徐々にシフトしていく歩み方を提案します。
水野さんは、還暦を超えてこの経験をしていることの大きさにも触れ、長生きしたいという気持ちが今はないと率直に語ります。
常に「もういいじゃん」っていう言葉が何かとついて回ってくるっていう。これがカミさん亡くなった後、大きな変化だよね。
先を歩く人の言葉が、後を歩く人の支えになる
水野さんは、KoseiYamayaさんを「2年先輩」と呼び、その歩みが自分の参考になり、不安の払拭や安心、励みになっていると語ります。
先を歩いてくれる人の、その迷いとか変化とか。それを見て、参考になるところもあれば、不安が払拭されるところもあれば、安心できたりとか。
KoseiYamayaさんも、先を歩く人の言葉を必要としている人がいると実感したと話します。長男の記録を世に出したときも、多くの反響があったと言います。
水野さんのFacebookの投稿には300、400のいいねがつき、参考になったという声が多く寄せられたと語られます。
肩書きを脱いで、ただ表現したいという衝動
水野さんは、今日の対談のために自分のFacebookを読み返し、リライトしたくてたまらなくなったと明かします。内容ではなく、書くスタンスが変わったからです。
当時は「こういう風になるんだぞって教えてやろう」という気持ちが強かったと振り返ります。今なら、教えや教訓を交えず、内側に起きたことを粛々と書くと言います。
水野さんの中で、表現したいというエネルギーがガーッと上がってきていると語られます。以前は仕事に絡めて教訓を乗せる書き方でしたが、今は純粋に書きたいのだと言います。
だからどっちかっていうと、作家的な感覚に接近してる感じ。
この変化は、弱い部分や脆い部分を口にできるようになった感覚と、大きく関わっていると水野さんは分析します。
これ前の仕事に絡めてのアイデンティティだったら言えないことだと思うのよ。
KoseiYamayaさんは、それを言葉を選ばず「縛られている」と表現し、水野さんも同意します。
水野さんは、Facebookに書いた文章を「濁った綺麗さがある」「ノイズにまみれて気持ち悪い」と評します。一方、KoseiYamayaさんの記録は清らかで澄んでいたと語ります。
とても清らかですごく澄んだ中に、ちゃんと出来事と感情が記されてたから。余計なフィルタリングとかかまさずに素直に読めた。
出来事に意味はあるのか。妻の人生に土足で踏み込まないために
話題は、出来事の意味付けへと移ります。KoseiYamayaさんは、亡くなったタイミングや死に目に会えなかったことをどう考えるか、と問いかけます。
水野さんは、意味付けをすべきかどうかを考えてしまうと言います。基本は「出来事に意味はない」という考え方をベースに置いているからです。
その理由は、意味があるというスタンスを振り回すと、自分の都合のいいように解釈し、大事なものから目を背けてしまいそうだからだと語ります。
さらに、妻の死と向き合う中で、「奥さんの分まで生きなきゃ」「意味があるはずだ」という言葉に強い怒りを覚えたと明かします。
だってカミさんはカミさんの意思でカミさんの人生を生きているんだから。それを俺が勝手に意味付けをしたりとか、カミさんの分まで生きなきゃとかって思うことは、ある意味カミさんの人生に土足で入り込んでいくような行為だと思うし。
自分の生きたいように生き、死にたいように死ぬと貫いた妻。その死に、自分が勝手に意味付けをしていいのかという葛藤です。
水野さんは、心が弱まると意味付けをしたくなると言います。前向きに生きるための解釈もあれば、弱い自分を救うための解釈もあるが、そのどちらも自分がやりたいことではないと感じたと語ります。
だから、悲しむだけ悲しんだ後、出来事にではなく、自分の人生に意味付けをしていきたいと考えたと話します。
自分の人生としてこれをしていきたいんだとか、こう生きていきたいんだっていう自分の人生の意味付けを自分で決めていくっていう。
その筋が立って前に進めたとき、初めて妻の死にも意味はあったのかもしれない、と考えたいと語ります。
意味付けは禁止ではない。倫理観というフィルターの上で
水野さんは、意味付けをすること自体を否定しているわけではないと補足します。妻のことに関してはそう考えた、ということです。
基本は「出来事に意味はない」を置きつつ、自分や周り、ひいては社会が良くなる意味付けを、あえて自分の意思でするのはありだと整理します。
水野さんは、KoseiYamayaさん夫婦が必死に意味を考えた部分については、あの時の二人にとって絶対に必要なことだったと語ります。
KoseiYamayaさんも、生前は意味付けを考えたが、意味付けをしたところで、という境地にもなり、いいように使えばいいというスタンスだったと話します。
水野さんは、安易に「出来事には意味がある」と声高に言いたくないと語ります。それが余計に人を苦しめることになるからです。
答えは出ない。それでも表現したいという感情
水野さんは、これほど模索の深さがディープになったのは久しぶりだと語ります。深く潜るほど、答えは見つからないと言います。
答えを見つけに潜ったのに、答えが見つかる様子が全く見えない状態だから。
それでも、この悶々とした気持ちの中でふつふつ湧き起こってきたのが、これを表現したいという感情だと話します。
KoseiYamayaさんは、人間・水野浩志として書いたものをぜひ見たいと伝えます。水野さんは、それを世に出すときは別名の作品として出すつもりだと明かします。
対話は1時間20分に及びました。KoseiYamayaさんは、こういう話をしたかったと語り、水野さんとの会話が今後の番組の指標になるかもしれないと話します。
水野さんは、2年先輩であるKoseiYamayaさんの足跡を、記録と生の対話の両方で聞けたことを勉強になったと語り、この先の1年半をこんな風に生きるのだろうというイメージが見えてきたと締めくくります。
まとめ
妻を亡くした水野さんと、長男を亡くしたKoseiYamayaさんの対話は、大切な人の死をどう受け止め、どう生き直すのかを率直に描くものでした。理屈で固めた受容の限界、突然あふれ出す悲しみ、そして意味付けとの距離の取り方が、二人の言葉を通じて浮かび上がります。
- 理屈で受け入れたつもりでも、感情は追いついていない。ふとした瞬間に悲しみは突然あふれ出す
- 極限状態では生きる理由が見えなくなる。そのとき支えになるのは「死んではいけない理由」を身近に置くこと
- 弱さを見せづらい立場の人ほど相談できず、孤立しやすい。吐き出せる相手や環境の有無は大きい
- 大切な人の死に他人が意味を押し付けるのは、その人の人生に土足で踏み込む行為になりうる
- 元の自分には戻れない。無理に戻ろうとせず、違う自分を作っていく歩みもある




