「清水の舞台から飛び降りる」人は本当にいた?
新井さんが今回訪れるのは、京都の東、東山にある清水寺です。入口になるのは、思い切って大きな決断をすることを表す「清水の舞台から飛び降りる」という日本語の言い回しです。
新井さんによると、この言葉を知っていても、実際に清水寺の舞台に立ったことがある人は意外と少ないかもしれません。舞台の高さは崖の下からおよそ13メートルで、4階建てのビルくらいにあたります。
では、ここで1つ質問です。この(清水の)舞台から本当に飛び降りた人っていたと思いますか?
実はいたんですよね。それも1人や2人ではありません。
新井さんはここから、2つの問いを立てます。当時の人々はなぜこの高さから飛び降りたのか。そもそも、なぜ崖の上にこんな舞台を作ったのか。今回の放送は、この2つの答えを探す流れで進みます。
清らかな水から始まった寺と、釘を使わない舞台
清水寺は778年に設立されたと伝えられています。前回取り上げた伏見稲荷と同じく、平安京ができる前のことです。
清水寺の始まりは、奈良で修行していた円珍というお坊さんが、ある夜に夢の中で受けたお告げだといいます。お告げの内容は「北へ行き、清らかな泉を探しなさい」というものでした。
円珍がたどり着いたのは、いまの清水寺がある音羽山です。そこに湧いていたのが音羽の滝で、清水寺という名前はこの滝の清らかな水に由来しています。新井さんの言葉を借りれば、清水寺はもともと水から始まったお寺です。
清水寺を大きくしたのは、坂上田村麻呂 ── 平安時代初期の武将。桓武天皇に仕え、征夷大将軍として東北地方への遠征を担ったことで知られますという武将です。第1回で話した、平安京を造った桓武天皇に仕えた人物でもあります。
坂上田村麻呂は円珍と出会って深く心を動かされ、観音様を祀るお堂を建てたと伝えられています。ここから清水寺は、都の人々に親しまれるお寺になっていきました。新井さんは、この観音様こそが今回の話の一番の鍵だと予告しています。
一方で、いまの清水寺の建物は平安時代のものではありません。清水寺は長い歴史の中で何度も火事で焼けており、今ある本堂は1633年に江戸幕府の3代将軍・徳川家光によって再建されたものです。
清水寺の舞台は、本堂の前に張り出しています。舞台は崖の斜面に太い木の柱を何本も立て、その上に板を張って作られています。
この建て方は懸造り ── 崖や斜面に長い柱を立てて床を支え、建物を空中に張り出させる建築様式。山の地形を活かした寺院建築に見られますと呼ばれます。驚くのは、清水寺の舞台が釘を1本も使わず、木を組み合わせるだけで建てられている点です。
新井さんが本堂に入ったとき、「舞台小柱」と書かれた古い大きな柱が展示されていたといいます。かつて舞台を支えていた柱で、釘を使わない組み方だからこそ、古くなった柱を取り替えながら舞台は何百年も守られてきました。
神社とお寺は何が違う?見分け方とお参りの作法
なぜ清水寺は崖の上に大きな舞台を作ったのか。新井さんは、その答えを知るには、まずお寺という場所について知っておく必要があると話します。
前回の伏見稲荷大社は神社で、清水寺はお寺です。どちらもお参りをする場所ですが、祀られているものがまったく違います。
神社に祀られているのは、日本に古くからいる神様です。伏見稲荷ならお米の神様であるお稲荷さんで、狐はその使いでした。一方でお寺に祀られているのは仏様です。仏教はインドで生まれ、中国や朝鮮半島を通って538年頃、飛鳥時代に日本へ伝わりました。
神社とお寺の見分け方として、新井さんは鳥居を目安に挙げます。門は神社にもお寺にもあり、伏見稲荷にも豊臣秀吉が寄進した大きな門がありますが、鳥居があるのは神社で、お寺には普通鳥居はありません。
お参りの仕方も違います。神社では基本的に二礼二拍手一礼で、2回お辞儀をして2回手を叩き、最後にもう一度お辞儀をします。お寺では手を叩かず、静かに手を合わせるだけです。
| 項目 | 神社 | お寺 |
|---|---|---|
| 祀られているもの | 日本に古くからいる神様 | 仏様 |
| 見分ける目印 | 鳥居がある | 普通は鳥居がない |
| お参りの仕方 | 二礼二拍手一礼 | 手を叩かず静かに手を合わせる |
新井さん自身は清水寺でお参りの前に、大きなお鈴を1回だけ軽く鳴らして手を合わせたそうです。
神社では手を叩く、お寺では叩かない。これを覚えておくだけで、日本のお参りがグッと身近になります。
困った人の声を聞きつける仏様、観音様とは
清水寺に祀られている仏様は、坂上田村麻呂の話で出てきた観音様です。観音様は正式には観世音菩薩といいます。観世音とは「世の中の音を見る」という意味で、困っている人の声を聞きつけて助けに来てくれる仏様です。
新井さんによると、仏様には大きく2種類あります。すでに悟りを開いた如来と、悟りを目指しながらも目の前の人々を救うことを優先している菩薩です。
すでに悟りを開いた仏様。第1回で話した奈良の大仏はこちら
悟りを目指しながら、目の前の人々を救うことを優先する仏様。観音様はこちら
観音様は実在した人物ではなく、仏教の教えの中で語られる慈悲の仏様です。観音様のもう1つの大きな特徴は、救う相手に合わせて姿を変えることで、お経では33の姿に変わって救いに来ると説かれています。
そのため観音様には様々な種類があります。頭の上に11の顔を持ってあらゆる方向を見守る十一面観音や、千本の手でより多くの人を救う千手観音などです。
人の悩みの数だけ観音様の姿があると言ってもいいかもしれません。
清水寺のご本尊は、この2つを合わせた十一面千手観音です。ただし普段は扉の奥に隠された秘仏 ── 普段は厨子や扉の奥に納められ、一般に公開されない仏像。決まった年や行事のときだけ開帳されることが多いですで、公開されるのは原則として33年に1度だけです。ここでも33という数字が出てきます。
人々はなぜ観音様に頼り、舞台を作ったのか
人々がこれほど観音様に頼った理由について、新井さんは、観音様が今生きているこの世の悩みを助けてくれる仏様だったからだと説明します。病気や火事、水害などがその例です。
お経には、観音様の名前を唱えれば火の中でも水の中でも救われると書かれています。観音様は、身分に関係なく誰でも頼れる仏様でした。
観音様の人気を表すのが西国三十三所 ── 関西一帯にある33か所の観音霊場を巡る巡礼。日本で最も古い巡礼路の1つとされますです。関西にある33の観音様のお寺を巡る巡礼で、清水寺はその16番目にあたります。
ここで話は清水寺の舞台に戻ります。清水寺は清らかな水が湧く山から始まったお寺なので、本堂も平らな土地ではなく、音羽の滝が流れる山の斜面に建てられました。そこで斜面から空中に張り出す形で造られたのが、あの舞台です。
清水寺の舞台は、観音様に舞や能などの芸能を奉納するための場所でした。新井さんは、舞台は観音様に見てもらうためのステージだったとまとめています。
水から始まる
清らかな泉を求め、音羽の滝が湧く山で寺が始まる
斜面に本堂
平地ではなく山の斜面に本堂が建てられる
空中へ張り出す
斜面から張り出す形で舞台が造られる
観音様へ奉納
舞や能などの芸能を観音様に届けるステージになる
江戸時代に234人が飛び降りた理由
冒頭の問いである「清水の舞台から本当に飛び降りた人はいたのか」に、新井さんはここで答えます。江戸時代の記録には、舞台から飛び降りた人が234人も残っているといいます。
江戸時代の人々が飛び降りたのは、観音様に命を預けて飛び降りれば願いが叶うと信じていたからです。困った人を必ず助けてくれる観音様ならきっと守ってくれると信じて、人々は飛んだと新井さんは話します。
驚くのは、飛び降りた人のうち約85パーセントが助かっていることです。舞台の下には木々が生い茂り、地面も柔らかかったためだと言われています。
ただし亡くなった人もいたため、1872年、明治時代になって京都府が舞台からの飛び降りを禁止しました。
「清水の舞台から飛び降りる」という慣用句は、単なる大胆さの比喩ではなく、観音様への深い信仰に支えられた実際の行為から生まれていたことになります。
狛犬・奥の院・音羽の滝、清水寺を歩く3つのコツ
最後に新井さんは、清水寺を訪れるときのポイントを、歩く順番で3つ紹介しています。
1つ目は、入り口の赤い門である仁王門の前の狛犬です。狛犬は普通、片方が口を開けた「あ」、もう片方が口を閉じた「ん」のペアで、阿吽の呼吸の「阿吽」にあたります。ところが清水寺の狛犬は、2頭とも口を開けています。
自分も(清水寺の狛犬を)初めて見た時は思わず二度見しまして、その理由にはいくつか説があるそうです。
2つ目は、舞台に立った後に奥の院の前まで歩いて振り返ることです。舞台の上にいると、舞台そのものは足元なので見えません。奥の院からなら崖に張り出した舞台の全体が見え、写真やポスターでよく見る景色はここから撮られています。晴れていれば、舞台の向こうに京都タワーも見えます。
3つ目は、坂を下りたところにある音羽の滝です。清水寺の名前の由来になった水で、滝は3つの流れに分かれ、それぞれ学業、恋愛、長寿のご利益があるとよく言われています。
自分は左側の水を飲みました。
ただ、3つ全部飲むと欲張りでご利益がなくなるとも言われているので、気をつけてください。
まとめ
清水寺は清らかな水から始まったお寺で、斜面に張り出した舞台は観音様に芸能を届けるためのステージでした。江戸時代の人々は、困った人を必ず助けてくれる観音様を信じて舞台から飛び降りており、慣用句の裏にはその信仰があります。次回は、観音像が1001体並ぶ三十三間堂へと話が移り、今回たびたび登場した33という数字の意味も掘り下げられる予定です。
- 清水寺の名前は音羽の滝の清らかな水に由来し、釘を使わない懸造りの舞台は柱を取り替えながら守られてきた
- 神社は鳥居があり手を叩いて参拝、お寺は鳥居がなく静かに手を合わせて参拝する
- 観音様は困っている人の声を聞きつけ、相手に合わせて姿を変えて救う菩薩で、この世の悩みを誰でも頼れる仏様だった
- 舞台は観音様に芸能を奉納する場で、江戸時代には234人が願いを託して飛び降り、約85パーセントが助かった
- 訪れる際は、口を開けた2頭の狛犬、奥の院から見る舞台の全景、3つに分かれた音羽の滝に注目したい





