「知の生態学」シリーズの一冊とは?
本紹介シリーズの2回目として、大谷直紀さんが選んだのは岡田美智男さんの『ロボット 共生に向けたインタラクション』です。前回は黒川公晴さんが、チュ・ヒチョルさんの『バラバラな世界で共に生きる』を紹介していました。
大谷さんはまず、この本が東京大学出版会の「知の生態学の冒険」というシリーズの1冊だと説明します。生態学 ── 生物と環境の関係を研究する学問。英語ではエコロジー。個体だけでなく、周囲の環境とのつながりの中で生き物を捉えるについて、黒川さんは「あんまり詳しくない」と答えます。
(生態学は)めっちゃ簡単に言うと、英語で言うとエコロジーなわけ。
生き物と環境の間を、もう一回捉え直すみたいな感じ?が生態学なのね。
大谷さんによると、このシリーズは全9巻で、ロボット、間合い、自己と他者、サイボーグ、動物など、巻ごとにテーマも著者も異なります。その中の1冊が、今回の「ロボット」の巻です。
ロボットを「環境との関係」で見るとはどういうことか
著者の岡田美智男さんは、情報・知能工学の専門家で、豊橋技術科学大学の教授を務めてきた人物です。大谷さんによると、現在は文系大学である筑紫女学園大学の副学長を務めています。
ロボットの専門家なのに、文系の大学の副学長やってるっていうとこ、結構もうその時点で面白そうなんですけど。
大谷さんは、一般にイメージされるロボットは1つの個体として機能を持つものだと前置きします。そのうえでこの本は、ロボットそのものではなく、環境の中に置かれたロボットと環境との関係を生態学的に捉える本だと説明します。
ゴミを拾えない「弱いロボット」が生むもの
この本で最もわかりやすく紹介されている例が、岡田さんたちが作った「ゴミ箱ロボット」です。普通に考えれば、ゴミを正確に把握して回収するのがロボットの役割に思えます。
ところがこのゴミ箱ロボットには、ゴミを拾うアームがありません。紙くずを見つけると、その前で体を振って困った様子を見せるだけです。
その様子を見て、周りで座ってる人が仕方がなく、腰を上げてゴミを拾ってそのロボットに入れるっていう。
本の中では、このようなロボットを「弱いロボット」と呼んでいます。大谷さんは、弱いロボットから人間が考え直せることを、共に生きるためのインタラクションとして論じている本だと紹介します。
黒川さんが「役に立つ強いロボットではなく、あえて弱いロボットを作っているのか」と確かめると、大谷さんはそれを肯定します。岡田さんはアフォーダンス ── 環境やモノが、人や動物に特定の行為を促す性質のこと。心理学者ジェームズ・ギブソンが提唱した概念として知られるの専門家でもあるといいます。
ロボット側の不完全さが人の行為をアフォードするんじゃないかっていう。
ロボットが困る
アームがないため、紙くずの前で体を振って困った様子を見せる
人が気づく
周りに座っている人がその様子を目にする
人が手を貸す
仕方なく腰を上げ、ゴミを拾ってロボットに入れる
床が片付く
ロボットと人の関係の中で、片付けという現象が起きる
ゴミ箱ロボットの例では、ロボットの不完全さが人の行為を引き出し、結果として床が片付いていきます。大谷さんはこれを、あえて完璧に作り込まない「デザインしないデザイン」と表現しています。
リーダーシップは個人の能力なのか?
大谷さんは弱いロボットの考え方を、リーダーシップにも重ねます。リーダーシップは個人の完璧な能力として語られがちですが、生態学的に見ると、行為は環境や関係性の中から生まれていると捉えられるといいます。
リーダーシップも、何々する力とかっていうのも、どうしても個人に内在しがちなんだけど。
黒川さんはゴミ箱ロボットの例をゲームの得点にたとえます。最後にゴミを入れたのは人間でも、ゴミが片付いていく現象そのものは、ロボットと人の関係性が起こしている、という見方です。
黒川さんは最近、荒木宏文さんと渡辺航太郎さんのポッドキャスト「超相対性理論」にゲストとして呼ばれ、「リーダーシップって誰のものなんでしたっけ?」という問いで3人で話してきたといいます。その会話も、リーダーシップは個人属性ではなく、さまざまなインタラクションの中で立ち上がる現象ではないか、というところから始まったそうです。
力、スキル、マインドスタンスで周囲に影響を与え、事を成していく
さまざまなもののインタラクションの中で立ち上がってくる
弱さを開示する「ヴァルネラブル・リーダーシップ」
黒川さんは、弱さをあえてまとわせることも、リーダーシップの一つの形だと話します。そこから最近はあまり聞かなくなった言葉として、ヴァルネラブル・リーダーシップ ── 「脆弱さ(vulnerability)」を開示することで信頼や協力を引き出すリーダーシップの考え方。弱さを隠さず見せる姿勢を重視するに触れます。
あれも要は弱さを開示することで、主体的な自律的な行動、あるいは仲間からの支援みたいなことをアフォードするみたいな、そういう感覚なんだよね、きっとね。
大谷さんは「そう思う」と応じ、弱さと支援の関係を「相補的」という言葉で表します。この本はさまざまな概念とつながってくる、と大谷さんは続けます。
その1つが、イヴァン・イリッチ ── オーストリア生まれの思想家・社会批評家。学校や医療などの制度化を批判し、『脱学校の社会』などで知られるの「コンヴィヴィアリティ ── イリッチが提唱した「自立共生」とも訳される概念。人が道具に支配されず、他者と共に自由に楽しく生きる社会のあり方を指す」です。大谷さんは、共に楽しく生きるというこの概念を、人間がロボットを機械的に使うのではなく、よい関係を紡いでいく考え方として紹介します。
言いよどみや冗長さはなぜ大事なのか?
岡田さんの研究では、ゴミ箱ロボット以外にもさまざまなロボットが作られているそうです。大谷さんが挙げたのは次のようなロボットです。
- あまり知らないことを人に教えてもらうロボット
- 弱音を吐くロボット
- 雑談できるロボット
- 言葉足らずなロボット
大谷さんによると、こうしたロボットの不足を人間が補う中でお互いの関係性が生まれ、実は人間の側が学んでいるといいます。そのため、言いよどみや冗長性も大事だとされています。
その雑味っていうものが、ロボットと対峙するというよりかは、一緒に歩んでいく。
大谷さんはこの考え方を、自身の場づくりでも意識しているそうです。言葉足らずさが発話を生み出すと考えると、一人ひとりの言葉に大きな意味があるのだと話します。
人間の組織ではなぜ「補い合い」が起きにくいのか?
黒川さんは、もう一段深い問いとして、なぜ人間の世界では弱いロボットのような補い合いが起きにくいのかを投げかけます。ロボットは本来、完全な機能を備えた道具だと思われているのに、その不完全な挙動はつい助けてしまう、という対比です。
人間世界であんま起きないよね、でも。そのリーダーとかさ、例えば課長、部長という役職の人たちが、まずその弱い振る舞いみたいなのをしづらいはもちろんあるけど。
黒川さんは、弱い振る舞いをするリーダーを見たときに、メンバーが一様に補おうとする相補性が毎回生まれるわけではない気がする、と話します。
なんか弱さ見せることが大事だっていう、まず言説はあるやんか。でももう「ほんまに弱いです」って言い続けてたらダメなわけやん。
大谷さんは、メンバーがその場で弱さを「見立てて」いるのではないかと考えます。この弱さなら補いたいが、全部弱いと言われるとお手上げ、というラインが毎回違うのかもしれない、という見方です。
黒川さんは、状況や扱っているイシューによっても変わると付け加えます。組織は1対1ではないため、中間にいるマネージャーが上の弱いリーダーを見たときの反応は、1対1のときとは違ってくるかもしれないといいます。
ロボットやAIやリーダーに完璧を求めすぎていないか
大谷さんは、損得などさまざまな要素が混じるため一概には言えないとしつつ、リーダーにもロボットにも、人は「単体で有能な知能」であることをどこかで期待していると指摘します。
その単体で有能な知能であるっていう風に俺たちはやっぱどっかに期待してるから。
それ(単体で有能であることへの期待)はもうAIもそうやと思うねんけど。
大谷さんは、生態学的に物事を見ることはシステム思考 ── 物事を個々の要素ではなく、要素同士のつながりや相互作用の全体として捉える考え方ともつながると考えています。関係性やあり方によって、まったく違うものが生み出されてくるからです。
そのうえで大谷さんは、弱いロボットから人や社会、生きること、組織を考えられる点で、とてもよい本だと評価しています。
役割どうしの取引として見ることの弊害
黒川さんは、床からゴミがなくなっていくという現象がどう作られているのか、という問いの視座が大事だと話します。逆に役割と役割の1対1の取引として見ると、リーダーに対して「なんでわかってくれないの?」「なんでここで決められないの?」といったストレスが生まれがちだといいます。
黒川さんは飲食店の例も挙げます。料理が来るのが遅いなど、あるべきだと思っているサービスがないだけでストレスを感じるのも、役割で規定しすぎているからではないか、という指摘です。
できるだけ全員のお客さんの食事体験が良いものになっているみたいな現象を全員で作ってるっていう風に見ると、確かにちょっと見え方変わってくるなとか。
店とお客の役割同士の取引として見ると、サービスが遅いだけでストレスになる
その空間の食事体験を全員で作る現象として見ると、見え方が変わってくる
大谷さんは、本の中でも触れられている「注文をまちがえる料理店 ── 認知症の人がホールスタッフを務める企画型のレストラン。注文と違う料理が届くこともあるが、それも含めて楽しむことをコンセプトにしている」に言及します。大谷さんは「間違いの多い料理店」と呼び、障害のある人が運営する店として紹介しています。
注文と違うものが届くかもしれない中で、その場をどう楽しむか。大谷さんは、まさにコンヴィヴィアリティ的な場であり、間違いさえ一緒に楽しんでいくのは「着地として面白い」と話します。
振る舞いの原因を個人の内側に求めない
大谷さんは、エコロジカルに見るというと自然環境のイメージが浮かびやすいものの、それとは別の話だと補足します。人と環境を全体として見て、原因を個体の内側に求めないのが生態学的な見方だといいます。
そういう振る舞いとか、そういう現象が起こってるのは、何がどう置かれてるからだっていう風に見ていくみたいなのが、生態学的に見るっていう感じかな。
黒川さんは、この見方はいわゆる「強者」と「弱者」の両方によい示唆を与えてくれそうだと話します。
自分の能力で勝ち、「なんでみんなこのようにできないんだ」とストレスを抱えている人は、「そうさせてもらっている」という観点が加わるだけで、無駄なストレスが軽くなるかもしれません。一方、一般常識的に弱いと見なされている人は、自分がいるからこの空間やチームの力学が成り立ち、持続しているのだと思える、と黒川さんは話します。
自分の力でできているのではなく「そうさせてもらっている」と捉え、ストレスを減らせる
自分がいるからチームの力学が成り立ち、持続していると思える
弱さは設計できるのか?
大谷さんは、この本の面白さの1つとして、岡田さんが弱さを「設計」している点を挙げます。どこまでやると嘘くさくなるのか、どこまで意図すると怪しくなるのかといった点も、試行錯誤しながら探っているそうです。
岡田さんは結論を断定しているわけではなく、今もロボットを開発しながら、人とロボットがどう共生するかを探っているといいます。大谷さんは、それが違う人同士がどう共生するかという問いとも全部つながってくる、と紹介します。
黒川さんは、マネージャーや組織のリーダーにとって、弱さを作り出すという発想自体が難しいと話します。強いからリーダーのポジションに就いているという前提があり、「弱さがない」と迷う人も多いだろうという見立てです。
そこで黒川さんは、前回紹介した本に出てきたローティ ── リチャード・ローティ。アメリカの哲学者で、真理や価値観の偶然性を強調したネオ・プラグマティズムの代表的論者の考え方につなげます。自分の強さが立脚している価値観や規範は、実はとても相対的で偶然性があるため、自分は強いのだとレッテルを貼らなくてよい、という考え方です。
熟達とは手放せるようになること
大谷さんが最後に紹介したのは、熟達についての一節です。本の中では、熟達とは制御の精度を完璧に高めることではなく、環境に委ねる部分を増やすことだと書かれているといいます。
学んで成長したっていうのは、自分でコントロールできる範囲が広がったっていう風に普通考えるやん。
じゃなくて、生態学的には上手くなるっていうのは、うまく手放せるようになることだっていう風に書いてるわけ。
自分でコントロールできる範囲を広げ、制御の精度を高めること
環境に委ねる部分を増やし、うまく手放せるようになること
大谷さんは、ファシリテーションでも、場を完璧にコントロールするのではなく、力を抜いて場に委ねるのが本当の熟達だと言われることがあり、それに近い話だと感じたそうです。制御を増やしすぎると、逆に効かなくなるといいます。
黒川さんは、資料作りや部下への指示、プレゼンテーションを例に挙げます。自分の中でルールを決めて再現性高くこなすことではなく、その場の人や相手の価値観、現状と呼応しながら振る舞えることが熟達だ、という理解です。
個人の能力より「配置」が大事?
大谷さんは、生態学的には一人でできるようになることにはあまり価値がなく、関係の中でできればよいと考えると話します。本当の熟達とは、どれだけうまく手放せるようになるかだというのです。
黒川さんは、そこが弱いロボットとつながっていると気づきます。放つ力よりも、弱さや見立て力、観察力のような「受け取る力」が大事なのではないか、という見方です。
ただし大谷さんは、生態学をやっていくと、今の「その人の力」という語り方が使えなくなるので難しいと話します。問いが、どういう縁や配置なのかという話になってくるからです。
机の配置とか、結構こだわったりするんよ、キミハルも。ここの椅子がこうとか。
それは指示とか、その人ができるできないとかじゃなくて、その配置の方が100倍大事っていうふうな捉え方って感じ。
黒川さんは、主観や理性を完全に排除するわけではなく、環境により重きを置いて、全体で何を達成しようとしているかを見に行く見方だと整理します。大谷さんは、2人が感覚的にやっている「歩きながら話すセッション」なども、まさにそうした例だと話します。
シリーズには間合いを扱った巻などもあり、大谷さんはそこにも面白さを感じているそうです。2人は、本紹介をたまにやりたいと話して回を締めくくりました。
まとめ
岡田美智男さんの『ロボット 共生に向けたインタラクション』を通じて、大谷さんと黒川さんは、弱さや不完全さが人の行為を引き出すという視点から、リーダーシップや熟達を捉え直しました。原因を個人の内側ではなく、関係や配置に探る生態学の見方が、組織や場づくりにもつながることが語られています。
- ゴミを拾えない「弱いロボット」は、不完全さによって人の手助けを引き出し、関係の中で片付けという現象を生む
- リーダーシップを個人の能力ではなく、インタラクションの中で立ち上がる現象として見る視点が示された
- 弱さを見せれば必ず補われるわけではなく、状況や見立てによって補い合いが起きるかどうかは変わる
- 本では、熟達とは制御を増やすことではなく、環境に委ねる部分を増やし、うまく手放せるようになることだとされている
- 個人の力よりも、机や椅子などの配置や場のあり方が大事だという捉え方が紹介された



