「聞いてますよ」の声と、読書の秋のお題
14回目を迎えた番組の冒頭で、大谷さんは黒川さんに、リスナーからの反応が届いているかを尋ねます。
黒川さんは、講座を担当したことのある本の要約サービス「フライヤー」のコミュニティで、この番組が紹介されていたと明かします。
(フライヤーの受講者の)コミュニケーションチャンネルの中でも紹介されていたりして。「公晴さんの関西弁が聞ける貴重な場です」みたいな。
大谷さんも、娘を保育園に送った際にパパ友から「聞いてますよ」と声をかけられたそうです。そのパパ友の感想は、黒川さんについて「すごい賢そうに喋るよね」というものでした。
ちょっとトゲあるな。それを紹介してるお前のそのストーリーテリングにもちょっとトゲがあるけどな。
和やかなやり取りのあと、今回のテーマが告げられます。番組から出されたお題は「読書の秋 心が動いた本」で、今回と次回の2回にわたり、2人がそれぞれ自由に選んだ1冊を紹介する企画です。
最初の1冊は朱喜哲『バラバラな世界で共に生きる』
先に紹介役を引き受けた黒川さんは、大げさな紹介ではなく、最近読んで「すごくいいな」と感じた本を選んだと前置きします。
黒川さんが挙げたのは、朱喜哲さんの『バラバラな世界で共に生きる リチャード・ローティの哲学』です。NHK出版から出ている新書で、200ページ余りと分量も多くなく、一気に読める読みやすさだといいます。
黒川さんが「直樹も読んでるかな」と振ると、大谷さんはすかさず、この本を薦めたのは自分だと念を押します。
これ、一応これだけ断っておくけど、俺が公晴に紹介したから。それだけはほんまに覚えといて。
(この本を)紹介した場所まで覚えてる。モーニング食べてるときに。
大阪でモーニングを食べながら薦めたという、2人ならではの経緯です。大谷さん自身も「すごいいい本」と評価し、黒川さんも、界隈ではかなり盛り上がっていて多くの人が読んでいるのではないかと話します。
リチャード・ローティとはどんな哲学者か
黒川さんは、完全に理解できているかはわからないと断ったうえで、自身の解釈も交えながら本の内容を説明していきます。
この本は、アメリカの哲学者リチャード・ローティ ── 1931〜2007年のアメリカの哲学者。プラグマティズムの系譜に立ち、真理や客観性の基礎づけを目指す哲学を批判したことで知られますの思想を紐解きながら、分極化や分断が進む現代で人がどう振る舞うべきかを考える内容だといいます。
黒川さんによれば、ローティは2000年代初頭に亡くなった人物で、アメリカの分極化の兆しを生きてきた哲学者です。1990年代には民主党政権下でグローバル化が進み、西海岸ではテック系企業が盛り上がっていました。
その一方で、製造業や自動車産業といった旧来の主要産業は衰退し、政治の支持基盤も変わっていきます。そうした中で、多様性やジェンダー、人種など、抑圧されてきたマイノリティのアイデンティティが承認されることこそリベラルだ、という潮流が強まっていったと黒川さんは説明します。
ローティは自らもリベラルを自認しながら、当時のリベラルの動きをかなり批判していたそうです。
(リベラルが)アイデンティティポリティクスとかっていうけど、ここを重視するような主張を正義として振りかざしていくと、その反動としていつか「強い男」っていうのが現れてくる。
この主張が、のちのトランプ大統領の誕生を予言していたのではないかと受け止められ、ローティは改めて注目を集めたと黒川さんは紹介しています。
真理を探すな。偶然性・連帯・アイロニーという3つの鍵
黒川さんは、ローティを「哲学者なんだけど、割とアンチ哲学」な人物だと表現します。ローティの主張は、真理など探求するな、というものだからです。
黒川さんの説明では、ローティにとって世界に究極の真理はありません。個人の信念や価値観も、集団の常識も、歴史やそれぞれの人生の中で、その時々の言葉によって作られた偶然のものにすぎないと考えます。
ローティには『偶然性・アイロニー・連帯』という著書があり、本の中でもこの3つがキーワードとして語られていきます。黒川さんの整理は次のとおりです。
個人の信念も集団の常識も、内輪の慣行や約束にすぎず、偶然の産物である
偶然同士だからこそ変わりうる。だから互いに開き、時には手を取り合う必要がある
自分の考えや善も絶対ではないので、自分に対してどこか斜に構えておく
黒川さんはこれらをまとめて、移ろいゆく自分の正義に絶対性や普遍性はないからこそ、他者に開かれ、自分は変わりうると疑い続ける感覚が大事なのだと読み解きます。
お互いが信じるものが偶然にすぎないなかで、なんとかバランスを取りながら公共を構成していくしかない。黒川さんによれば、ローティはそこに根差しているのが本来のリベラルだと言っているといいます。
ルワンダ内戦で言葉は何をしたのか
黒川さんがこの本で面白いと感じたのは、ローティが言葉をとても大事にしている点です。言葉の扱い方や語り口を誤ると、人は本質主義や「人間が絶対に守るべき普遍的な約束がある」という方向に進んでしまうといいます。
その例として本に出てくるのが、ルワンダ ── アフリカ中東部の国。1994年にフツ系の政府や民兵によるツチ系住民らへの大量虐殺が起き、約100日間で多くの命が奪われましたの内戦です。黒川さんによれば、100日間で数十万人が殺され、政府だけでなく、隣人であるフツの人々がツチの隣人を次々と殺害していきました。
黒川さんは、その背景に「言葉のゲーム」があったと説明します。流れを整理すると、次のようになります。
植民地統治
ベルギーの植民地時代、管理のためにツチとフツの身分が身分証に刻まれる
概念の確立
言語として確立したことで、「あいつはツチ、あいつはフツ」と区別できるようになる
統治の逆転
少数派のツチがベルギーの委任で統治していたが、独立後にフツが統治側に回る
言葉の置き換え
ツチを「ゴキブリ」「ヘビ」と呼ぶようになる
殺戮
「駆除しよう」という号令のもと、ツチの人々が殺されていく
ツチを殺せとは言わずに「ゴキブリ」「ヘビ」と置き換えることで、ゴキブリは駆除するもの、ヘビは頭を狩るものという、その社会で共有された常識が働きます。当時は実際にヘビの頭を狩るローカルな儀式もあったと黒川さんは補足します。
黒川さんは、言葉の置き換えや推論が暴力をここまで拡大させうると指摘します。あいつらと俺らは本質的に違うと決めつける語彙を、ローティは「終局の語彙」と呼んでいるそうです。
断定する、決めきる、終わらせるみたいな語彙の使い方をすると、特にそういう残酷な状況を生み出します。
会話を続けること、そしてバザールとクラブ
「終局の語彙」の話を受けて、大谷さんは本のメッセージを「終わらせない」ことだと受け止めます。
終わらせないっていうのが大事で、だから会話を続けようっていう、なんかそんなメッセージだった。
黒川さんは、会話を続けることがアイロニーにもつながると話します。自分に疑念を抱き続けるからこそ、自分は改訂され続けるというわけです。
大谷さんは、ここでのアイロニーが一般的な意味とは違う点を確認します。普通は他人をくさしたり冷笑的に見たりする意味で使われますが、ローティのアイロニーは自分自身に向けるものです。
自分以外の対象を、くさしたり冷笑的に見たりする
自分に疑問を抱き続ける。ロマン派の芸術家が自作を上から眺め、修正を加え続けた態度に由来するという
黒川さん自身も、「俺ってこうは言ってるけど、そうじゃない部分もあるっしょ」と自分を眺めることがあるといいます。外ではいろいろ語っていても、大谷さんと2人きりになると全然違う一面が出てくるそうです。
さらにローティは、公と私を「バザール」と「クラブ」にたとえていると黒川さんは紹介します。個人の中で公と私を首尾一貫させる必要はない、という考え方です。
ただし、それぞれのクラブで信じている善がぶつかり合わないように、公のバザールでは一定のマナーやモラルを模索しましょう、というのがローティの提案だといいます。
大谷さんはこれを「すごいリアリスティック」だと評します。簡単に諦めるのでもなく、追求はするけれど断定はしない、という構えです。黒川さんはここで、本に出てくる「よりまし」という言葉を挙げ、よりましな社会、よりましな自分を目指すしかないという考え方を紹介します。
アマチュアリズムと関西人の「知らんけど」
黒川さんは、ローティの言う知性とは、本を読んで知的に話せるようになることではないと話します。体を持った目の前の人間が、偶然のもとで自分とは違う信念や価値観を持つに至っていると捉え、そこに向き合うことだというのです。
これを聞いた大谷さんは、自分が大事にしてきた「アマチュアリズム」とのつながりを感じたといいます。仕事の現場ではプロとして振る舞う意識があるものの、その領域にはもっと高名な人が大勢いるからです。
どっかで自分偽物感みたいなところを感じつつも、ただその状況の中でプロとして最大限発揮するみたいな。
ちょっとこう、アイロニカルに自分のところを見ていくような、俺はそれをアマチュアリズムというか、アマチュアがやっぱ一番強いっていう風に言ってた。
黒川さんも、専門家らしく振る舞おうとするほど表現できる言葉の範囲が狭まる感覚があり、アマチュアを自認していると、その範囲を踏み越えていけると応じます。
ここで大谷さんが持ち出したのが、関西人の「知らんけど」です。さんざん講釈を垂れたあとに最後に添える、あのふわっとした構えに、決めきらない余白があるといいます。
(この本を)読んで、リベラルアイロニストやったっけ?なんかこう、関西人の感じをちょっと思ってたんだよね。
黒川さんはこれに同意しつつ、ローティの立場はアイロニストであるだけでなく、社会に向ける一定の善の意識も持ち合わせたものだと付け加えています。
組織の言葉に潜む「戦争のアナロジー」
黒川さんは、組織開発や人材育成に携わる立場から、言葉づかいの大切さを改めて感じたと話します。組織の中では、何気ない語彙で推論や置き換えを無意識にやってしまっていることが多いというのです。
抵抗勢力とかさ。もちろん老害とかもそうだけど、(これらの言葉は)人に対するディスクリプションというよりは、もう対処すべきものとして、俺ら完全に共通認識がある。
黒川さんは、規模も度合いもルワンダとは違うと断りつつ、こうした言葉が緊張関係や対立を生みやすくすると指摘します。
大谷さんは、たまたまXで見かけたやり取りを紹介します。くるりのメンバーと電気グルーヴの石野卓球さんが、「ライブに参戦」という言い方に違和感を示して盛り上がっていたそうです。
俺らライブしに行くのに、なんで戦う戦争のアナロジー使ってんだっていうところ、こう二人盛り上がってんのを見て。
大谷さんは、そうした言葉づかいから、殴り合ってもいい、傷つけ合ってもいいという感覚が持ち込まれていくと話します。企業で使う「戦略」という言葉自体がまさにそうだと続けます。
黒川さんも、経営はもともと軍事的な世界観からアナロジーで来ている面があると応じます。そのうえで、MIMIGURIの安斎さんが、その語彙を組み替えたいという思いから『冒険する組織のつくりかた』を書いたのではないかと触れ、やはり言葉は大事だとまとめます。
夫婦げんかにもローティが効く?
大谷さんが「もう自分のものになった感じですか」と尋ねると、黒川さんは「どうだろう。知らんけど」と返し、さっそくローティ的な態度を見せます。
そのうえで黒川さんは、講師として場に立つときや夫婦関係で、特にこのマインドが重要だと感じているといいます。夫婦のいざこざでは、つい相手を説得しようとしてしまうからです。
ロジックとかってまさにこう、終局の語彙というか、これがこう言ってこう言ってね、これはおかしいよねっていうところで閉じに行こうとする。
黒川さんは、ロジックはこの本の世界観とは真逆の言葉の使い方なのかもしれないと話します。だからこそ、一歩踏みとどまる、たまに黙る、いったん離れてみることが、会話を続けるために大事だと感じたそうです。
最後に2人は、著者の朱喜哲さんにいつか会ってみたいと話します。2人とも面識はないもののFacebookでつながっているそうで、黒川さんは、もしこの番組を聴いていたらメッセンジャーで連絡をもらえればと呼びかけていました。
まとめ
黒川さんが紹介した『バラバラな世界で共に生きる』は、真理や正義を決めきらず、自分を疑いながら他者との会話を続けるというローティの哲学を伝える1冊でした。2人はその考え方を、アマチュアリズム、関西人の「知らんけど」、組織の言葉づかい、夫婦関係にまで引き寄せて語っています。
- ローティは、個人の信念も集団の常識も偶然の産物であり、究極の真理はないと考えた
- 偶然性・連帯・アイロニーを軸に、他者に開かれ、自分を疑い続ける姿勢を重んじる
- ルワンダ内戦の例が示すように、相手を決めつける「終局の語彙」は暴力を拡大させうる
- 組織の「抵抗勢力」「戦略」のような言葉にも、対立を生む置き換えが潜んでいる
- 説得で閉じに行かず、ときに黙って会話を続けることが、身近な関係でも大事になる




