『BLUE GIANT』はなぜ「場所の漫画」なのか
本題に入る前、大谷さんと黒川さんは、二人とも新刊を買って読んでいる漫画『BLUE GIANT』の話で盛り上がります。
黒川さんが注目したのは『BLUE GIANT』のコマの描き方です。ストーリーに直接関係しないような「無駄なカット」が多く、それが逆にリアルに感じられると話します。
なんかすごい無駄なカットが多くない?無駄というかさ。
一方の大谷さんは、『BLUE GIANT』を「場所の漫画」として読んでいるといいます。ジャズの音楽漫画でありながら、主人公が土地を移りながら演奏していく構成そのものに意味があるという見方です。
仙台
物語の始まり
東京
仙台から上京する
ドイツ・ヨーロッパ
ドイツへ渡り、各国を回ってライブハウスで演奏する
アメリカ
ニューヨークではなく、反対側のシアトルから回っていく
大谷さんによれば、作中でも主人公が「土地と音楽を全身でつなぎ合わせていく」という趣旨のことを語っています。だからこそ、物語がずっと東京や最初からニューヨークで進むのでは成立しないと考えています。
だからもう、あれ(物語)がずっと東京であったらあかんねん、あの物語は。
大谷さんが「今回は漫画の回じゃなかったっけ?」ととぼけ、黒川さんが「今回テーマがありますから」と引き戻して、本題へ移ります。
ディレクターの問い「弟子力」と、ラーメン屋で出会ったおいちゃん
今回のテーマは「師の見つけ方と師事する力、あるいは弟子力」です。大谷さんが、番組ディレクターからの手紙を読み上げて始まります。
第10回の番組で学びと身体性についての回で、元大工の頭領のおいちゃんが話題に上がりました。おいちゃんは合同会社ここからの顧問でもあるわけですが、一見業態とは関係の薄い元大工の頭領を顧問に迎えたのはなぜなのでしょうか。
おいちゃんのような全く畑が異なる師匠をどのように見つけてきたのか。また、師から様々なことを学び、解釈し、自分の文脈へと落とし込んでいく力、いわば弟子力はどのように身につけられるでしょうか。これまで人生に影響を与えてきた師匠についても話を聞いてみたいです。
おいちゃんとの出会いについて、大谷さんの答えはシンプルです。たまたま近くのラーメン屋で一緒になった、というのがきっかけでした。
大谷さんたちは東京から糸島に移住したばかりで、土地のことも地域との付き合い方もわかっていませんでした。そこへ、町のことからオフィスの建物の手入れまで、手取り足取り教えてくれたのがおいちゃんだったといいます。
「シロアリにはこれがいい」とか、もう何でも知ってるおいちゃんだったから、
そこ(おいちゃん)にもう純粋に僕らがほんと師事していたというか、教えを乞うていたっていう感じの人ですね。
黒川さんは、おいちゃんが言葉数多く地域について語るタイプではないことに触れ、何を教訓として受け取っているのかを尋ねます。大谷さんは、それも自分たちの「意味付け、こじつけ」だと笑います。
おいちゃんは別にそんなこと(教訓)を教えてるつもりは一切ないみたいなのが面白そう。
釣った魚が「50万円になって返ってくる」とは?
大谷さんがおいちゃんから一番受け取っているメッセージとして挙げたのは、魚の話です。おいちゃんは釣りが大好きで大量に釣るものの、肉が好きなので自分ではあまり食べず、捌いて地域の人たちに配っています。
大谷さんが理由を尋ねると、おいちゃんは「これがいつか50万円になって返ってくる」と答えたといいます。
(おいちゃんは)「いや、これがいつか50万円になって返ってくるったい」みたいなことを言うわけ。「どういうこと?」つって。
おいちゃんは大工なので、地域のどの家のサッシやドアがそろそろ傷みそうかを把握しています。魚やナマコを配っておけば、修理が必要になったときに声がかかるかもしれない、という意味だと大谷さんは説明します。
釣る
趣味の釣りで魚やナマコを大量に釣る
配る
自分ではあまり食べず、地域の人たちに配る
覚えている
どの家がいつ修理したか、そろそろ傷むかを把握している
返ってくるかも
家が傷んだとき「おいちゃんに頼む」となるかもしれない
ただし大谷さんが面白がっているのは、それが計算なのか、本当に余ったからあげているのかが曖昧で、おいちゃんにとってはどちらでもいい点です。何も返ってこなくても相手を責めるわけではなく、うっすらとした希望をナマコに託しているだけだといいます。
黒川さんはこれを「取引的じゃない」と受け止め、大谷さんは「取引的ではないが取引的である」と言い直します。黒川さんは、契約と手続きでギブアンドテイクを規定する西洋的なやり方と比べ、両方を体を使ってやっている感覚が日本っぽいのかもしれないと話します。
ほんま適当に生きてるようで、適当に生きてないんだけど、どう考えても適当に生きてるっていう感じ。
パンチラインに惹かれる弟子力と、その危うさ
大谷さんは、おいちゃんの中に自分にないものがたくさんあると見てしまうため、一言一言に勝手に意味付けをしていると振り返ります。たとえば「看板出すやつはあかん。俺なんて看板なくてここまでやってきた」という言葉にも「なるほど」と感じ入ってしまいます。
黒川さんはすかさず「それが弟子力じゃん」と指摘します。大谷さんはさらに、「アナグマは右手より左手がうまい」というおいちゃんの話を紹介し、本当かどうかわからない言葉にさえ重みを感じてしまうと笑います。
大谷さんは会社員時代の構えもあまり変わっておらず、自分は弟子力が高めだと認めます。そのうえで、弟子力が高いぶん相手の言説に引っ張られやすく、師事する人を間違えると間違った学び方をしてしまうかもしれない、とリスクにも触れます。
おいちゃんにも尊敬できない一面はあると、二人は認めます。大谷さんは、おいちゃんが釘を山に投げたとき「300年経ったら土に返るから大丈夫ったい」と返された話を挙げ、師と崇める人の言葉でも「それはちゃうやろ」と見分けられることも弟子力の一部だと話します。
黒川さんも、文章が上手い、スライドが綺麗といった技能から入った憧れが人格面にまで広がり、その人の言うことが何でも正しく聞こえてしまうのは、弟子力の高い人ほど注意が必要なポイントだとまとめます。
黒川さんの師はフェーズごとに現れる
大谷さんから特定の師がいるかを聞かれた黒川さんは、自分も弟子力は高めだと答えます。人生のフェーズごとに違う師がいて、名前と顔が個別に浮かび、学んだ内容もかなり言語化できているといいます。
結構その身近で自分のその特定分野における技能よりもレベル高くそれを発揮してる人?
(その人)が自然に目について、とにかくその人の真似をしまくるみたいなのがパターン。毎回。
黒川さんのパターンは、まず「こうなりたい」という憧れから入り、英語や文章力といった技能を徹底的に真似していくことです。具体例として、時期ごとの師が挙げられました。
振り返ると、黒川さんの師は「技能系が多い」といいます。これに対して大谷さんは、技能で師を思い浮かべることはないと応じます。
うん、やっぱ俺人から入ってるんやと思う。あ、この人いいなとか、かっこいいなとか。
大谷さんは「こんな生き方をしたい」「生き様が素敵だ」というところから師に入っていくため、どの力を学んだかを分けて説明できないことがあるといいます。黒川さんは逆に、生き様を重ね合わせる師はいなかったと話します。
技能から入る。身近で自分より高いレベルで技能を発揮する人を見つけ、徹底的に真似する
生き様から入る。「この人いいな」「かっこいいな」と感じた人に惹かれ、学んだ力を分けて説明しにくい
「真似と憑依」で何を受け取っているのか
弟子力をどう育んできたのかと大谷さんに聞かれ、黒川さんは「とにかく真似するのと、憑依させる」と答えます。「あの人だったらどう表現するか」と考えるのが憑依です。
黒川さんによれば、特に影響を受けやすいのは言葉の選び方で、単語レベルで人の影響を受けるといいます。
大谷さんはここで、おいちゃんの言葉を思い出します。釘の刺さり方の角度や、カンナで削ったくずを見れば、その人が何を考えているかがわかるという話です。
(すごい上手な人の釘を)見た時に、「ああ、ここはこうやるんだ」っていう情報量が、俺らが見たら普通の釘が入ってるだけやんやねんけど。
大谷さんは、同じものを見ても受け取る情報の質がまったく違うという点に注目し、黒川さんの真似も普通の真似とは摂取する情報量が違うのではないかと尋ねます。
黒川さんは「違うと思う」と答えます。言葉を表現として取り込むだけでなく、思考プロセスや体のスタンス、声の出し方まで含めて憑依させている感覚があるといいます。
俺なんか多分比較的、その一対一とかで話すと、その波長をチューニングしていくのって得意な方だと思うのね。
黒川さんは、相手によって話の流れやスピード、話す角度を無意識に合わせていて、その過程で言葉にできない相手の情報が伝わりやすいのだと話します。その体質は、16歳での1年間の高校留学や、言葉も文化も違う相手と折衝する外交官の経験で培われたのではないかと考えています。
大谷さんは、全部を受け取ってしまうのも良くないとして、相手との間合いのコントロールが鍵ではないかと応じます。そして認知的徒弟制 ── 職人の徒弟制度のように、熟達者の仕事を観察し、模倣し、支援を受けながら学ぶ学習モデル。思考のような見えにくい過程も見える化して学ぶ点が特徴とされますを引き合いに出し、師匠が手取り足取り教えない空間で波長を取っていくことが結果的に一番の学びになる点が似ていると話します。
価値観が真逆の人からも学べるのか?
黒川さんは「我以外皆我が師」という言葉を挙げ、話を広げます。生き様に憧れて師を選ぶ大谷さんは、自分の価値観でフィルターをかけているのではないか、自分と全く合わない人や付き合いたくない人からも学ぶ経験はあるのか、と問いかけます。
黒川さんは例として、ミネルバでファカルティを務める橋本さん(マサさん)が、ニューラボという会社の社長で、「最近嫌いな人と飲みに行くんすよね」と話していたことを紹介します。
大谷さんは、大学院に行ったことは得意分野ではない場所に身を置く体験だったと振り返ります。ただ黒川さんに「それも領域や」と言われ、人という意味では率直に「この人嫌い」という相手から学ぶことは「あんまないかも」と認めます。
黒川さんは、大谷さんがかっこいいものとかっこ悪いものをはっきり分けているイメージがあると言い、かっこ悪いとする人から学ぶことがあるのかに興味を示します。
人から入るとそれがあるんやろな、多分。こう、かっこ悪いが先来てるから。
大谷さんは、能力面なら学ぶところはあると思う一方、生き方や生き様のテーマで「これはちゃうやろ」という人から学ぶところまでは、まだいけていないと話します。
黒川さんはこれを整理し、大谷さんはまず「在り方」のフィルターを通った人の能力を真似しに行くのに対し、自分は能力という枝葉から入ると指摘します。大谷さんは、素敵だと思わない人の能力を学びに行った経験が思い浮かばないとして、「これはちゃうやろ」と思う人をウォッチしてみると宣言します。
大谷さん: 在り方のフィルターでOKになった人だけ、その能力を学びに行く
黒川さん: 在り方は問わず、能力という枝葉から「これを真似したい」と入る
人間として合わなくても、能力は尊敬できる
大谷さんは逆に、能力は高いが人の在り方として全く共感できない相手からも学べるのか、と黒川さんに尋ねます。「ヘコヘコして学ぶのか」という問いに、黒川さんは「ヘコヘコしなくてもいい」と笑いながら、「全然ある」と答えます。
あんまりこだわらない。多分そこ。「このレベルでこれできるってすごいな」っていうことしか見えないみたいな。
大谷さんは、自分は人の在り方と能力を紐付けてしまうと話します。黒川さんも、能力の発揮の仕方や影響の出し方には、その人の価値観が一定程度紐付いていると認めます。
さらに大谷さんは、価値観の合わない人を支持していると周りから思われる可能性もあると指摘します。黒川さんは「それでいい」と言い、外交官時代のエピソードを話します。
新しい課に配属された黒川さんの周りには、特に女性から嫌われ、はぶられている中間管理職がいました。黒川さんは「普通に学校かここ」と思うほどだったといいます。
しかし黒川さんがその中間管理職と話してみると、仕事の仕方が緻密で博識で、学べるところがたくさんありました。そこで飲み会では、ポツンと座りがちなその人の横にあえて座り、話を聞き込むのが好きだったといいます。
その結果として、「黒川君、なんかあの人とは結構話してたよね」みたいなこと言われることもあったりした。
それでも黒川さんは全く気にならなかったと言い、「ある意味ドライなのかも」と話します。大谷さんはこれを、人と能力を弁別できているということだと受け止めます。
自分も誰かに教えているかもしれない
終盤、黒川さんは「誰からも学べる」という考えを裏返します。自分も誰かに教えているかもしれないという視点で見ると、身が引き締まるというのです。
大谷さんは、それは所作も含めての話だと確認し、黒川さんは「もう割といい年だしさ」と応じます。
大谷さんは最後に、自分はいったん在り方から距離を置く必要があるのかもしれない、と振り返ります。在り方から入ることで何を得て何を失っているのかが、次のテーマかもしれないといいます。
これからだからちょっと、もうちょっと偉そうに歩くわ。歩く時。
黒川さんが「着地のさせ方が下手くそになってきてません?」とツッコミを入れ、番組は締めくくられます。
まとめ
今回の話は、師をどう見つけ、どう学ぶかという問いを、おいちゃんとの関係や外交官時代の経験から掘り下げたものでした。技能から入る黒川さんと、生き様から入る大谷さんの違いを通して、弟子力の強みと危うさの両方が見えてきます。
- 大谷さんは糸島のラーメン屋で出会ったおいちゃんの、取引的ではないが取引的でもある生き方に惹かれている
- 弟子力が高いほど相手の言葉に引っ張られやすく、誰につくかの見立てと「それはちゃうやろ」と見分ける力も問われる
- 黒川さんはフェーズごとに技能の高い人を見つけ、言葉や思考、体のスタンスまで「真似と憑依」で取り込んできた
- 黒川さんは人として合わない相手でも能力を切り分けて学べるが、大谷さんは在り方と能力を紐付けがちだと気づく
- 誰からも学べるなら、自分も所作を含めて誰かに教えているかもしれないという視点が示された


