無限列車編で心に残った、価値観のぶつかり合い
この回でたいぞーさんが取り上げるのは、以前見たという映画『鬼滅の刃』無限列車編です。鬼滅の刃 無限列車編 ── 人気漫画『鬼滅の刃』を原作とする劇場アニメ。主人公たちが列車の中で鬼と戦う物語で、公開時に大ヒットした作品です。
ストーリーはもちろん、作画や映像のクオリティも高く、世界観に引き込まれたと話します。大ヒットも頷ける内容だったと振り返ります。
その中でも特に印象に残ったのが、物語後半にある煉獄杏寿郎と猗窩座の戦いのシーンです。
たいぞーさんは、このバトルを単なる戦いとして見ていません。価値観と価値観のぶつかり合いとして構成されている点が面白いと語ります。
鬼になろうという誘いを、煉獄はどう断ったか
猗窩座は、強さを求めるために鬼になるという選択をした存在です。永遠に生きる中で、強さを極めていこうとしてきました。
同じく強さの極みを目指す煉獄に対して、猗窩座は「鬼になって一緒に高みへ登ろう」と誘います。
しかし煉獄は、その誘いをはっきりと断ります。たいぞーさんが注目するのは、断り方そのものです。
煉獄は、猗窩座の強さを極めたいという価値観も、そのために鬼になった選択も否定しません。そのうえで「自分はその手段を選ばない」という自分の軸に従って断ります。
自分はその手段を選ばないという自分自身の軸に従って、この手段を選択していく。その自分の選択を貫くという姿がとても印象的で、面白いシーンだなということを思いました。
相手を否定せず、自分の選択を貫く。この態度こそが印象的だと話します。
強さを極めるために鬼になる道を選び、煉獄も同じ道へ誘う
相手の価値観を否定しないまま、鬼になる手段は選ばず自分の軸を貫く
違う価値観に出会ったとき、否定したくなる理由
たいぞーさんは、このシーンが現実にもそのまま当てはまると言います。
人は自分と違う価値観に出会うと、つい「それは違う」「間違っている」と否定したくなることがあります。
けれど本来は、相手は相手、自分は自分です。違う価値観を持っていること自体は、何も悪くないと話します。
大事なのは、その中で自分がどう選ぶのか。そこに焦点を移すことだと語ります。
強い価値観に揺さぶられたときの向き合い方
逆に、強い価値観を持った人に出会うと、「自分はこれでいいのかな」「この人の方が正しいのでは」と揺れ動くこともあります。
これも同じで、相手は相手、自分は自分だとたいぞーさんは言います。共感するなら取り入れてもいいし、違うと思うなら違うままでいい。否定も肯定もせず、相手は相手と考えればよいという整理です。
そのうえで大事なのは、比較しすぎないことだと話します。
誰かが頑張っているからといって、自分が頑張っていないわけではありません。誰かが大変そうだからといって、自分の大変さがなくなるわけでもありません。
結局は、自分がどう感じているかがすべてです。ベクトルを自分自身に向けたほうが、今の現状をフラットに捉えられると語ります。
比較は悪ではない。プラスかマイナスかで選ぶ
一方で、比較すること自体が悪いわけではない、という点も大切だとたいぞーさんは付け加えます。
比較することでモチベーションが上がり、もっと頑張れることもあります。だから、自分にとってプラスなら比較すればいいし、マイナスなら比較しなくてもいいという考え方です。
どっちを選んでもどっちでもいい。ここに大切さがあると話します。
名シーンが伝える「あり方」と、日々への応用
たいぞーさんは、煉獄のあり方は強さというより「存在そのもの」「あり方」なのではないかと語ります。
相手の価値観を否定せず、自分の価値観も曲げない。このバランスは簡単そうでとても難しいものです。だからこそ、最後のバトルは名シーンとして心に残ると話します。
日々の中でも、いろいろな価値観に触れる機会があります。そのときに「どっちが正しいか」ではなく「自分はどうするのか」という視点を持つこと。それだけで人生を少し楽に過ごせ、自分の成長にもつながると締めくくります。
まとめ
『鬼滅の刃』無限列車編の煉獄と猗窩座の対決を手がかりに、違う価値観との向き合い方を考える回でした。相手を否定せず、自分の軸で選ぶという姿勢がテーマです。
- 煉獄は猗窩座の価値観も選択も否定せず、鬼になる手段は選ばないという自分の軸を貫いた
- 違う価値観に出会っても、相手は相手・自分は自分と捉え、自分がどう選ぶかに焦点を移す
- 他人と比較しすぎず、自分がどう感じているかを軸にすると現状をフラットに見られる
- 比較はプラスなら使い、マイナスならしない。どちらを選んでもよい
- 「どっちが正しいか」より「自分はどうするか」の視点が、日々を楽にし成長につながる


