「最近欲しいものがない」若い世代は本当に脱消費なのか
速水さんは最近、20代から30代の人たちと話すと「特に欲しいものがない」とよく聞くと言います。
消費社会に加担しているのは年上の世代だという感覚も、わからなくはないと話されています。
ただ、速水さんや菊地成孔さんの世代が「バブルを引きずっている」と言われたことには、少し違和感があったそうです。
ちょっと待って、菊地成孔って俺よりも一回り上だから、同じ世代じゃないよって。
人は50を超えると、20代30代からは50も60も70も一緒くたに見られる、とも述べています。バブルの頃は速水さん自身も中学生ぐらいだったそうです。
若い世代が「消費社会に加担しないほうがいい」という前提で生きている感じは強く伝わる、と速水さんは言います。だからミニマリズムや脱消費へ流れやすいのもわかる、と。
しかし、本当にそうなのかというところにこそ引っかかりがあると話します。
男性用化粧品が20年かけて「普通」になるまで
話題は男性用化粧品に移ります。若い世代からは「化粧水プラス乳液で毎晩シートパックをしていて、やっていないのは速水さんの世代だけ」と言われたそうです。
ですが速水さんから見ると、むしろそちらのほうがよほど消費社会に適応している、という感覚になると言います。
そっちの方がよっぽど消費社会適応してるよっていう気がしちゃうんだよね。
速水さんは2000年ごろにフリーランスのライターになり、男性誌でひげ脱毛や化粧水の使い方を紹介するタイアップ記事を何度も書いてきたと振り返ります。
男性用化粧品の棚自体は30年以上前からドラッグストアにあったものの、当時は「化粧品業界のPRだ」と受け流す人が大半だったそうです。
それが20年、30年と続くうちに、少しずつ実態が伴い、使う世代が増えてきた、というのが速水さんの見立てです。
歯並びの矯正が「親が与える標準装備」になった
同じ変化は歯並びにも表れている、と速水さんは指摘します。今どき歯並びの悪い人をあまり見なくなり、テレビでも白い歯が当たり前になっていると言います。
スポーツ選手も歯が綺麗で、噛み合わせは集中力と結びつくため、歯列矯正はむしろ普通になっていると話します。
ただし、真剣勝負の時期は矯正をやっている暇がない可能性もあり、どのタイミングでやるかという感覚は時代や立場で変わってきているとも述べています。
芸能人やモデルなど人前に立つ人はデビューも早く、小さいうちに歯を治しておく傾向があると言います。
そして今では、歯の矯正は親が子供に与える標準装備のようになっている、と速水さんは表現します。将来のための投資であり、最低限のスタートラインだ、と。
みんなが歯を治しホワイトニングもしていると、逆に歯が綺麗でない人のほうを珍しいと感じ始める、という反転が起きているそうです。
「普通」になるための課金と、終わらないメンテナンス
速水さんは、何もしていない人がもはや普通ではなく、治していることが基準になっていると言います。つまり標準だとみんなが思う敷居がぐっと上がってきている、ということです。
歯の矯正も化粧品もお金がかかります。かつて化粧への課金は女性の世界の話とされてきましたが、化粧水、乳液、シートパックという入り口が男性の標準になりつつある、と述べます。
その先にはファンデーションなど次の段階も控えていて、最低限の課金ラインまで来たら、あとは一直線に増えていくという見立てです。
みんな欲しいものがないなっていうふうなことを言いがちながら、課金はめっちゃしてるわけですよね。
速水さんは、これを新しい形の消費社会のあり方だと考えます。マーケティングでも、商品と欲望を結びつける前提はなくなって久しい、と言います。
今は「インサイト」という言葉が使われ、社会意識の変化こそが消費を生むという前提に立っている、と速水さんは整理します。上の世代とは違う意識だから、違う消費をする、というわけです。
さらに厄介なのは、この「普通」の維持にコストがかかり続ける点です。シワ取りもホワイトニングも、定期的なメンテナンスが必要になっていきます。
速水さんはこれを、思いつきとしながら「課金社会」と呼びます。欲望と消費が結びついた時代に対し、メンテナンスと課金が結びついた社会だ、という見方です。
マルクスからボードリヤールへ。記号消費とは何だったか
ここで速水さんは、消費社会論の古典をたどります。1970年、思想家ジャン・ボードリヤールが『消費社会の神話と構造』を著しました。
速水さんは、これをマルクスのおよそ100年後の仕事として位置づけます。マルクスの『資本論』が商品や生産様式を問題にした時代から、物語が始まります。
20世紀初頭に物が本格的に量産され、『資本論』から50年ほど後にはソ連邦が生まれた、と時代を追います。
さらに50年経つと、自動車も冷蔵庫もテレビも大量生産される時代になり、物の役割そのものから離れた価値が生まれてきた、と説明します。
速水さんは自動車を例に、価値を二つに分けます。速く走れる、たくさん乗れるといった実用の価値と、それに乗ることで得られる序列的な価値です。
速く走れる、人がたくさん乗れるといった、道具としての本来の役割
「高い車に乗っているらしい」という、社会的な序列やイメージにまつわる価値
広告や購入の理由になるのは、多くの場合この価値ツーのほうだ、と速水さんは言います。物本来ではなく、付け加わった付加価値が売られている状態です。
この上乗せされた記号を消費することを、ボードリヤールは「記号消費」と呼んだ、と紹介します。教科書的な本である一方、1970年に書かれたため今読むと素朴すぎるとも述べています。
カウンターカルチャーもまた商売になる
速水さんは、広告やブランドを攻撃する姿勢、つまり「自分たちは騙されようとしている」というカウンターカルチャーや左翼思想もまた一周している、と指摘します。
その根拠として、哲学者ジョセフ・ヒースの議論を挙げます。
カウンターカルチャーに乗ることが、実は最も資本主義を延命させる、というのがヒースの見立てだと速水さんは要約します。その本自体が、今や古典になっている、と。
「個性のため」から「人並みのため」へ反転する消費
話は再びボードリヤールに戻ります。速水さんは、彼が「自分らしさや個性は本来自分の中にあるはずなのに、人々は商品の中にそれを感じるようになっている」と論じた点を取り上げます。
広告は、画一的な商品を身につけることで、逆にあなたの個性が引き出されるとくすぐる、と説明します。本来は矛盾するはずのメッセージです。
ここで速水さんは、現代の課金社会がこの構図を反転させていると言います。課金すれば個性的になれる、とは誰も言っていないのです。
むしろ、課金をした時点でデフォルトになれるという論理だ、と述べます。歯を治すことは「みんなと同じになれる」ことを意味し、課金しなければ人と同じにすらなれない、というわけです。
そして、その状態を保つにはずっと課金し続けなければならない、と加えます。
速水さんは、これでボードリヤールの消費社会論は完全に一周した、と結論づけます。人と違うためではなく、人並みになるために消費する時代になった、という見方です。
無課金おじさんが象徴する、こっそりチートの課金社会
速水さんは、かつて水や空気は希少性がゼロで交換価値にならないと言われた、と補助線を引きます。しかしペットボトルの水のように、無料だったものが商品になっていく時代でもある、と述べます。
一方で課金のシステムには逆の性質もある、と指摘します。ゲームの課金アイテムのように、有利になったことはなるべくバレたくない、というものです。
勝つための課金はこっそり行われる、と速水さんは言います。勉強していないふりをして家庭教師をつける、進学のために学区を変えて住む場所を変える、といった例を挙げます。
チートと課金は相性がよく、それゆえ現代の消費社会は複雑になっている、と整理します。バブルの頃のように欲望そのものが商品と結びついていた時代には、わかりやすさがあったのだ、と。
今は商品らしさや欲望と結びつかないまま、課金だけが生じる状態が常態化している、と速水さんは言います。
その象徴として、速水さんは射撃競技の「無課金おじさん」を挙げます。他の選手がサンバイザーなど様々な装備をつける中、一人だけ手ぶらで臨み、それでも非常に上手かった選手です。
何も課金していないのに実力がすごい、という点で、無課金おじさんは二重に現代の課金時代を象徴していた、と述べます。
日傘男子でようやく腑に落ちた「記号消費」
最後に速水さんは、日傘男子を例に挙げます。男らしさに縛られない自分をアピールするために日傘を差そう、というメッセージが典型だと言います。
以前はうるさく感じていたものの、これこそがボードリヤールの言う記号消費だと理解してから、そう思わなくなったそうです。
あなたが日傘を差すっていうのは、有害な男性性を和らげるために最適な記号として日傘を身につけるのがいいですよっていう、ああ、これ記号消費じゃん。
ボードリヤールの言うことはどこか空疎に感じていたものの、日傘男子で腑に落ちた、と速水さんは打ち明けます。50年目にして今更か、と自ら茶化しています。
速水さんは、ボードリヤールがインターネットや生成AI以前に、オリジナルなきコピーが生まれる状況を予言的に論じていた点にも触れます。
記号消費やシミュラクルといった言葉を生み出し、次の世代がずっと引用して考え続けている点を、速水さんはコピーライターとしての凄さだと評しています。
まとめ
この回は、若い世代の「欲しいものがない」という感覚を入り口に、消費社会論の古典が現代でどう反転したのかを、速水さんが思いつきをふくらませながら考えたものです。個性のための消費から、人並みに追いつくための課金へ。その軸のずれが繰り返し語られました。
- 化粧品や歯の矯正が「当たり前」になり、標準とされる敷居が上がっている
- 維持にコストがかかり続ける「メンテナンスと課金」が結びついた社会になっている
- ボードリヤールの記号消費は「個性のため」から「人並みになるため」へ一周した
- 勝つための課金はこっそり行われ、チートと相性がよいという複雑さがある
- 無課金おじさんや日傘男子は、現代の課金社会と記号消費を象徴する存在として語られた






