記念すべき初回、ゲストは中学の後輩コンビ
番組パーソナリティの桑江諒が、記念すべき第1回のゲストとして招いたのは、松竹芸能所属のお笑い芸人・三日月マンハッタンの中嶺拓己さんと又吉隆行さんです。
桑江さんは二人にとって中学の一学年上の先輩にあたり、しかも副生徒会長だったといいます。冒頭から地元ならではの間柄が話のきっかけになりました。
だからあの桑江さんが、その中学校の時の一個上の先輩ということで。だからもうありがたいですね。
二人はともに卓球部だったものの、当時は部員が4人ほどで、桑江さんの世代とはあまり接点がなかったそうです。
幼なじみコンビはどこで結ばれたのか
中嶺さんと又吉さんは宜野湾市生まれで、幼稚園から高校までずっと一緒。付き合いは35年ほどにおよぶ幼なじみです。
ただし、本格的につるむようになったのは中学1年からだと二人は振り返ります。小学校は同じでも5クラスあり、一度も同じクラスになったことがなかったといいます。
転機は、地元から琉大附属中学へ進む抽選でした。同じ小学校の仲間の多くが抽選に外れ、地元が一緒だったのが互いだけになったのです。
地元が一緒なのが、僕、中嶺ぐらいしかいなくて。
そう、僕もこいつしかいなかったんで、仲良くならざるを得ないというかね。
中学時代の記憶は、当時荒れていた周囲の環境と結びついています。帰り道にたびたび絡まれた思い出を、二人は笑い混じりに語りました。
学園祭の漫才から、事務所所属へ
コンビの原点は高校の学園祭でした。中嶺さんが又吉さんを誘い、漫才に挑戦したのが始まりです。
ただ、普天間高校の出し物には予選があり、3年生の人気者コンビが優先される中で、下級生だった二人は落選。それでも「面白かった」という手応えが、次への意欲につながりました。
そこで素人お笑い大会を探し、沖縄の事務所「オリジン」が開いていた発掘大会に出場します。本選で優勝こそ逃したものの、事務所の人に声をかけられて所属が決まりました。
正式な結成は2002年、二人が20歳ごろのことです。当時のオリジンには、後に県内外で活躍する芸人が数多く在籍していました。
ほぼ同期で、あのスリムクラブの内間さんと、あと今シャモジ改めハンジロー。
そして2004年、二人は初めてM-1グランプリに挑戦します。当時は沖縄に予選会場がなく、東京まで飛行機で受けに行っていたそうです。
2丁拳銃さんとジャリズムさんの間に又吉が立ってる顔を後ろから見て、わあってなって。ちょっとテレビの中入ったみたいな興奮がありましたね。
沖縄では得られない非日常の体験が、「いつかは東京へ」という思いを二人の中に育てていきました。
フリーで飛び込んだ、当てのない上京
2004年から上京への思いを抱きつつ、二人はライブ活動を続けます。転機が訪れたのは2007年ごろ。中嶺さんは沖縄の事務所を辞めるかどうかで迷っていました。
当時のマネージャーからは「あと2年待たないか」と引き留められたといいます。迷った中嶺さんが背中を押されたのは、又吉さんの一言でした。
又吉さん相談したら、いやもう今でも遅いぐらいだと。2年後になんて考えられない、もう今行かないとダメって言われて。
普段はあまり決め事を言ってこない又吉さんの言葉だったからこそ、中嶺さんは辞める決意を固めます。
一方の又吉さんは、上京資金を貯める期間やバイトの区切りを考えて計画的に動いていました。同じコンビでも、二人の準備の仕方は対照的です。
又吉の一言で決意。バイトの給料2ヶ月分ほどだけを手に、最小限の資金で飛び込んだ
もっと早く出たかったが、上京資金やバイトの区切りなど、タイミングを見て計画的に上京した
こうして二人は、コネも当てもないフリーの状態で2008年に上京します。芸歴6年があったため、東京の芸人が通う養成所に一年目の若手と一緒に入るのは抵抗があったといいます。
いくつかのプロダクションを回った末、松竹芸能の一般人も出られるライブに何度か出演し、事務所所属を果たしました。
上京直後の手応えと、その後の壁
上京してからの最初の一年は、二人にとって調子のいい時期でした。観客が数人ほどの地下ライブでも、沖縄で鍛えた自信を持って臨めたといいます。
こっちもフンフンしてるんで、なんか俺らが面白いぞみたいな感じで行くわけですよ。そしたら結構なんか勝てたというかね。
一年目からエンタの神様やあらびき団といったネタ番組にも出演でき、手応えを感じていました。翌年にはスリムクラブがM-1で準優勝し、「一緒にやってた人が勝てるんだ」という気持ちにもなったといいます。
一方で、生活を支えたのはバイトでした。中嶺さんが「一番楽しかった」と挙げたのは、モデルルームでサクラを務める仕事だったそうです。
お客さんと同じ部屋を買おうとしてるオーラを出す人をずっとやるっていう。なんか本当に売り上げ変わるんですって。
順調だったのは2、3年ほど。その後、M-1に代わって開かれたTHE MANZAIでは認定漫才師50組に選ばれるところまで進みました。
しかし復活したM-1は芸歴15年までしか出場できず、2017年がラストイヤーに。決勝に届かなかったとき、ずっと漫才一本だった二人は今後の方向性を考えることになりました。
東京か沖縄か、二人で分かれる暮らしの好み
上京から時間が経ち、人生の半分近くを沖縄以外で過ごすようになった二人。改めて暮らしを比べると、好みははっきり分かれました。
中嶺さんは、今のところ東京が好きだと話します。沖縄にはない店や交通の便利さが理由で、ホームシックになったことはないといいます。
たまに沖縄帰ると、東京に帰りたいなっていう逆ホームシックはあるんですよ。
対して又吉さんは沖縄がいいと即答しました。理由は「寒いのが好き」だから。ただし生活の便利さでは車社会の沖縄に軍配を上げます。
話は地元の思い出のスポットにも及びます。二人が子どもの頃に大々的にできたハンビータウンや、メダルゲーム、アヒルのレースが懐かしい場所として挙がりました。
中嶺さんは沖縄そばの食べ歩きが趣味で、60〜70店ほど回った中でのお気に入りは浦添の高江洲そばだそうです。
当時の宜野湾や北谷は今ほど遊ぶ場所がなく、二人で自転車に乗ってネーブルカデナまで行っていたといいます。埋め立てたてで何もなかった美浜が、今ではラウンドワンまである街に変わったことに二人は驚いていました。
今も追いかけるM-1と、迷う若者への言葉
今後についても二人は具体的に語りました。M-1は結成15年を超えると出場できないため、もう一人を加えたトリオのユニット「三日月ヶ浜」として挑んでいます。
昨年はこのメンバーで準々決勝まで進出。あと2つ勝てば決勝という位置にいるといいます。
やっぱなんか出だしがM1だったので、M1に出たことがある人生にしたいなっていうのはちょっと目標としてはありますね。
直近では、10年ほど前から続くライブ「帰ってきた漫才セブン」に出演予定。増田岡田さんの主催で、先輩芸人と同じ舞台に立てることを二人は楽しみにしていました。この公演は11月26日に東京の浜松町で開催されます。
番組の締めくくりに、二人は東京行きを迷う若者へメッセージを送りました。中嶺さんの言葉は、自身の経験に裏打ちされたものです。
嫌だったらすぐ帰ればいい、という又吉さんの言葉も、それを後押しします。二人にとって上京は、一度きりの決断ではなく、いつでもやり直せる選択でもあったのかもしれません。
まとめ
宜野湾の幼なじみコンビが、沖縄で芸を磨き、当てのないフリーの状態で上京し、今もM-1という原点を追いかける。三日月マンハッタンの歩みは、迷いながらも一歩を踏み出すことの意味を静かに伝える回になりました。
- 三日月マンハッタンは幼稚園から高校まで一緒の宜野湾出身の幼なじみで、高校の学園祭の漫才が原点
- 沖縄のオリジンに所属して2002年に結成、2004年のM-1初挑戦が上京への思いを育てた
- 2008年にコネも養成所も選ばず、フリーの状態で上京し松竹芸能に所属した
- 暮らしの好みは中嶺さんが東京、又吉さんが沖縄と分かれ、地元の思い出も語られた
- 今はトリオ「三日月ヶ浜」でM-1決勝を目指し、迷う若者には「一度出てみる」ことを勧めている




