苦手な立食パーティーを頑張った公開収録の夜
考えすぎフラグメンツの新年最初の回は、今井さんと青木さんの新年の挨拶から始まります。ただし収録自体は年内、12月の初め頃に行われたと二人は明かしています。
まあでもかなりこう余裕を持ってこれ収録していますし、まあそれに頼るより普遍的な内容で極力伝えたいなと思ってるんですけど。
二人にとっての直近の大きな出来事は、公開収録イベント「オーバーシンカーズナイト」でした。狭い会場に30数名のリスナーが集まり、懇親会にも30人以上が参加したそうです。
青木さんは懇親会で、話せていない参加者に一通り声をかけたといいます。どんな人が、なぜ来て、どう感じたのかを直接聞けたことをありがたかったと振り返っています。
懇親会では、参加者の一人から面白い指摘もあったそうです。青木さんも今井さんも立食パーティーが苦手だと、来ている全員が知っている。それなのにホストはその二人だ、というものでした。
いや確かに。それは、僕の近しい人も来てたんで、あいつ今日頑張ってんなと。
青木さんは、5分から10分ほどの短い時間で書いてもらった質問の面白さにも驚いたといいます。来場者についての二人の結論は、やはり「考えすぎている人が来る」というものでした。
またやりたいかと今井さんに聞かれた青木さんは、やりたい気持ちはあるとしつつ、出だしは少し怖かったと本音も明かします。リスナーからの需要の声が届けば、またやりたくなるかもしれないと話しています。
「文フリにプロは来るな」という声をどう受け止めるか
今回のテーマは、2024年11月末の文学フリマで青木さんに直接声をかけたリスナーから届いたお便りです。今井さんが、オーバーシンカーネーム「ほっちゃん」さんの手紙を読み上げました。
文学フリマには職業として活動している作家さんや実店舗を持つ書店も参加していました。一方、一部のネットの意見では「プロは来るな」という声もあり、少し複雑な気持ちになりました。確かに、元より知名度がある作家や書店は集客がしやすかったり、クオリティはある程度担保できたりするのだと思います。ただ、ああいう場に普段出会えないようなプロが参加してくれるからこそ、楽しめたり学べたりする部分もあるんじゃないかなと思っています。デザイナーはいつから自分のことをデザイナーと名乗っていいのかなど、プロとアマの境界はいろんなところにあると思っており、文学フリマに出展してみた感想も踏まえて話してもらえると嬉しいです。
青木さんは、今回の文学フリマには職業作家がかなり参加していたと受け止めています。今井さんも、プロの参加は年々増えていて、今回がピークだったのではないかと見ています。
青木さんによれば、文学フリマは本当の意味でメジャー化したように感じられたそうです。青木さん自身のように、それまでほとんど関わっていなかった人が初めて出展するケースも多かったといいます。
(文学フリマが)うーん、嫌だなと思う人がいる気持ちもわかるよね。それこそ俺とかもなんか「あいつ来んなよ」っていうか。ビジネスしとけみたいな。
青木さんはその視線を気にして、社名ではなく個人名で出展し、手元にあるものを並べるのではなく真剣に作ろうと考えたそうです。一方で、本を書いた経験のない青木さんは、文学フリマでは素人だとも話しています。
今井さんが注目したのは、プロが何を持ってきたかです。知っている作家が市販の新刊を持参しつつ、その日のために作ったZINE ── 個人や小さなグループが自主的に作る少部数の冊子。内容や体裁の自由度が高く、イベントや独立系書店で流通することが多い出版物ですも並べていたことに、場への「マナー」のようなものを感じたといいます。
なんだけど、でもなんかやっぱこう、そこでしか買えないものも作るっていうのは、ある種のマナーっていうか、と思ってらっしゃるのかなと思って。なんかそれはやっぱ美しいっていうか。
青木さんも、自分が知る限りの出展者は場への敬意を持っていたと話します。ずっと場を作ってきた人たちへの敬意には、プロの側こそリスクを感じて特に気をつけていたのではないか、というのが青木さんの見立てです。
社長には誰でもなれる?肩書きの中にいるプロとアマ
プロとは何かと今井さんに問われた青木さんは、逆に編集者という肩書きの幅広さに目を向けます。編集者を名乗る人の中にも、プロから見て「あいつはプロだ」と思える人とそうでない人がいるはずだ、という指摘です。
青木さんによれば、社長という肩書きも同じ構造をしています。技術や経験がなくても、登記さえすれば法的には社長になれるからです。
そういう意味では社長の中にやっぱりプロの社長とアマの社長みたいな全然いるじゃん。
青木さんは、今井さんには編集者と社長という2つの属性が同居しているため、プロの編集者でアマの社長といった組み合わせもあり得ると話します。一方で青木さん自身は「社長でしかない」と言い、財務やシステム、商品づくりの専門家ではないと明かしました。
そこで今井さんは、青木さんには経営者のほかに株主という顔もあるのではないかと指摘します。青木さんはこの見方を面白がり、クラシコムにしか投資していないものの、自分は投資家的な目線が強いタイプかもしれないと気づいたそうです。
実はなんか社長の割合より投資家的なのの割合のほうが大きいタイプなのかもなって今言われて急に思った。
ただし、青木さんは株式投資では失敗した経験があるといいます。ネットバブルの頃にサイバーエージェントやソフトバンクの株を買い、のちに10分の1ほどに値下がりして大損し、二度と株は買わないと決めたそうです。
青木さんは、そのまま10年寝かせていればとんでもない財産になっていたと振り返り、「プロの投資家じゃなかった」と笑います。クラシコムの株は自社株で売れないため、アマチュアなのにロックインされて結果的に良かっただけだ、という自己評価です。
外資系銀行出身のCFOが「火中の栗」を拾った理由
自分以外でプロだと思う経営者はどんな人かと今井さんが尋ねると、青木さんは「自分で作ったものじゃないものをうまくやれる人」を挙げます。ただし、いわゆるプロ経営者の全員がプロなのかはわからない、とも付け加えました。
青木さんが例に出したのは、収録の前日に話を聞いた、青木さんよりずっと若い経営者の方のエピソードです。その会社では、資金調達を終えてこれからというタイミングで、創業者が何らかの理由で退任しました。
会社を閉じるかどうかの議論になったとき、経営を引き受けたのは外資系銀行出身のCFOでした。プロダクトやブランドは素敵だけれど、黒字の見通しは立たず、短期間で急成長させるタイプの事業でもなかったといいます。
そのCFOは、行き詰まっていた店舗の半分以上を閉める判断を自ら主導しました。商品づくりの経験がないにもかかわらず、自社で手がける製造工程をすべて言語化して整理し直したそうです。
創業者の退任
資金調達を終えた直後に創業者が退任し、会社を閉じるかどうかが議論される
CFOが引き受ける
外資系銀行出身のCFOが、若いメンバーへの責任感から経営を担う
店舗の整理
行き詰まっていた店舗の半分以上を閉める判断を主導する
製造工程の再整理
経験のない製造工程も言語化し、整理し直す
青木さんがなぜ残ったのかを尋ねると、その方は、夢を持って集まった若いメンバーへの「謎の責任感」だったと答えたそうです。そこから先は大変すぎて振り返る余裕もなく、気づけば何年も経っていたといいます。
(会社を引き受ける理由は)責任感とインテグリティ、その真摯さっていうものしかないじゃん。
億万長者になれるわけでも、楽に稼げるわけでも、同じキャリアの人に羨まれる名声が得られるわけでもない。それでも仲間や顧客への真摯さから火中の栗を拾う ── 他人の利益のために、あえて危険や困難を引き受けることのたとえ。フランスの寓話に由来する表現で、本来は損な役回りを担う意味合いを持ちます人を、青木さんは「めちゃくちゃかっこいい」と感じたそうです。
青木さんにとって、うまくやれることも一つのプロのあり方ではあります。ただ、それだけでは物足りなく感じるといいます。経験の浅い分野でも、引き受けた仕事に真摯に向き合うことこそがプロフェッショナルの仕事だ、というのが青木さんの実感です。
プロフェッショナリズムは経験ではなく態度
青木さんの話を受けて、今井さんは「つまり経験や知識ではなく態度である」とまとめます。青木さんもこれに同意し、ドラッカーがプロフェッショナリズムと真摯さの関係を繰り返し語っていたことに触れました。
今井さんが思い出したのは、ドラッカーの有名な彫刻家の逸話です。教会の奥に置かれる彫刻の背中は誰にも見えないと言われた彫刻家が、「神は見ている」と答えたという話です。
青木さんは、スティーブ・ジョブズがパソコンのマザーボードの配線の美しさにこだわった話も重ねます。そのうえで、自分が抜けた後のことはどうでもいいと思える人が本当にプロなのか、と疑問を投げかけました。
高級取りではあるんだろうけど。で、いろんなスキルはあるんだろうけど、プロフェッショナルっていう言葉が当たるのかなっていうのは思うよね。
人が作ったものを継承する編集長と岩田聡さん
「自分が作ったものではないものをうまくやれる」というプロ像に、今井さんは雑誌の編集長を重ねます。長く続く雑誌をリニューアルして復活させたり、自分の代で盛り上げたりすることを複数の雑誌でできる人は、まさにプロだという考えです。
青木さんも、一時代を築いた雑誌を2代目、3代目で再興するのはテクニックだけではできないと応じます。ブランドのクリエイティブディレクターや、立ち上げの担当から引き継ぐ漫画編集者など、継承する仕事は社長以外にも多いと話を広げました。
さらに今井さんは、任天堂の元社長である岩田聡さんの例を挙げます。岩田さんはもともと、任天堂の下請けだったHAL研究所 ── 『MOTHER』シリーズや『星のカービィ』、『大乱闘スマッシュブラザーズ』の開発で知られるゲーム会社。任天堂と深い関わりを持っていますの社長でした。
(任天堂の創業者の)山内さんが岩田に社長やってほしいって言って。もうわけわかんないですよね。
今井さんはこの人事を、自分が青木さんをスカウトするようなものだとたとえます。結果は大成功で、プロ投資家の見立てとプロ経営者の仕事が噛み合った例だというのが今井さんの見方です。
青木さんは、岩田さんは優秀さや実績で知られる一方で、人々が彼について語るときはインテグリティを語っているようだと話します。
文学フリマにおける「プロのアマチュア」とは
青木さんは、プロとアマの違いがインテグリティの有無なのだとしたら、文学フリマにも当てはめられると考えます。続いていく文学フリマという場や、文学・文芸という文化へのリスペクトと責任感を持ってそこにいたかどうかで、プロとアマが分かれるのではないか、という問いです。
この見方に立つと、文学フリマでのプロとアマは、それで食べているかや経験の長さとは関係がなくなります。そのため青木さんは、アマチュアの中にも「プロのアマチュア」と「アマチュアのアマチュア」がいそうだと話します。
だからプロでそれで食ってる人も、もしかしたら本当なんかさ、自分の既刊の本の在庫だけ持ってきて並べてるみたいな感じだと、まあ(文学フリマの)場においてはアマチュアだよねって感じするじゃない。
逆に、職業作家があえて新刊を持たず、コピー本を持ってきたなら「この場においてはプロだ」と感じるといいます。
今井さんは、人が作ってきたものに乗って自分が成り立っていることへの恥じらいや、それをどう引き継ぐかという意識にもプロらしさがあると話します。特に職人的な人たちのプロフェッショナリズムを感じるのは、プロジェクトがこじれたときだそうです。
今井さんによれば、クライアントの要望とクリエイターのやりたいことが食い違うと、経済合理性から最終的にはクライアントが勝つことが多いといいます。クリエイターが本当は納得していない状況でも素晴らしいアウトプットを出してくれると、今井さんは「プロだな」と感じるそうです。
どんなに優れたアウトプットしてても、職業名に泥がつくようなことをしてる人は、あんまりプロだと思えないんですよね。
プロに共通するのは「周りが見えている」こと
今井さんの話を聞いて、青木さんは別の見方を示します。職業への矜持を持つ人たちは、クライアントの事情や間に入る制作会社の立場、仕事の経緯といった「周り」が見えているのではないか、というものです。
青木さんの考えでは、プロとしての真摯さや矜持の背景には、文脈を理解できる視野の広さがあります。プロに共通する能力は、周りが見えているかどうかなのかもしれない、と青木さんは話します。
周りが見える
関係者の事情、経緯、背景を理解できる
事情を受け止める
自分一人ならそうは思わない判断にも、理由があると理解する
最大限やる
制約の中でできることを尽くし、真摯さや矜持として表れる
青木さんはこの視点を文学フリマにも当てはめます。成り立ちや出展者の気持ちを調べずに出ると「新刊持ってきましたプロ」になってしまう、という指摘です。
青木さんとクラシコムの広報担当者は、出展前にTwitterで文学フリマ関連のタグを検索しまくり、参加者たちのやり取りをインプットしたそうです。その結果、自分たちが格好いいブースを作るのはむしろ良くない、と判断したといいます。
(製本やデザインに)どこまで凝るかみたいなのも、なんかちょうどいいトーンというか、場に馴染むトーンあるよねとかっていうのを、まあ考えながらやってるじゃない。
一方で、能力はあっても自分のことしか見えていない人が、葛藤の場面で「お前プロだろ」と言いたくなる動きをすることもある、と青木さんは話します。今井さんはこれに、周りの事情に加えて「自分がなぜ今その仕事をできているか」という視点も挙げました。
締切の守り方、破り方と「見る能力」
今井さんは、周りが見えているかどうかは締切の守り方や破り方にも表れると話します。青木さんは、自分が前倒しで出すと周りを煽ってしまうから余裕を持たせて出す、といった判断をプロらしさの例に挙げました。
青木さんは時間軸の視野にも触れます。今は追い込まれている仕事でも、以前もらった楽しい仕事を思い出して判断できる人と、良かった思い出を忘れて目の前のことだけで判断する人がいるといいます。
やっぱり追い込まれた時に視野の広さとか認識の広さを、その維持できる人はやっぱりプロだな。
青木さんは、社長業のプロとしての要件はほぼこれだけだと言います。コップや洋服を届ける裏には、設備やシステム、お金、ステークホルダー、社会情勢、地球の裏側から続くサプライチェーンまでがつながっているからです。
社長は「意思決定する仕事」と言われますが、青木さんの考えでは、意思決定は見ることから生まれるものです。見る能力がなければ、意思決定はできないといいます。
全体を見続ける
サプライチェーンや社会情勢まで、興味を持って見続ける
意思決定する
見たことを前提に、さまざまな判断を下す
そのため青木さんは、インセンティブや目標だけを見て動くプロ経営者が本当の意味でのプロなのかはわからない、と話します。そうした人は「仕事人」ではあるが、「助っ人」に近いのではないかという見方です。
デザイナーはいつから名乗っていい?成長意欲より貢献意欲
お便りにあった「デザイナーはいつから名乗っていいのか」という問いに、青木さんは独自の答えを出します。デザイナーになりたいという気持ちを忘れるほど、貢献意欲で動いている自分に気づいたときだ、というものです。
「あれ、なんか自分って今別にデザイナーになりたいってわけでもないけど、デザイナーの役割を果たしてしまっている」みたいな時に、なんかもうその人(デザイナーを)自称していいんじゃない?
この考えの背景には、前日の経営者との「成長意欲は本当にプロに必要か」という会話があったそうです。青木さんは、成長意欲の正体は人より上に行きたい、何かが欲しいといった、自分のための意欲であることが多いと話します。
一方で、成長意欲はなくても貢献意欲が強い人は多いといいます。目の前に困っている人がいれば、自分のことを脇に置いても手伝いたくなる人たちです。
でさ、意外と成長意欲ある人って成長につながらないとそういうこと(困っている人の手伝い)を無視したりするのよ。
人より上に行きたい、もっと欲しいという自分のための意欲。成長につながらない手助けは無視することもある
困っている人がいれば自分を脇に置いて動く。貢献の機会を重ねるうちに、結果として成長することがある
青木さんは成長意欲そのものを否定しているわけではありません。貢献が成長につながると認識できれば、2つの意欲がそろって大きく貢献してくれることもあると話しています。
そのうえで青木さんは、どちらで動いているかがプロとアマチュアを分ける、わかりやすい目安になると考えます。経験やスキルが豊富でも、成長意欲だけで動いているならアマチュア寄りのマインドセットかもしれない、という指摘です。
誰に貢献するのか、クラシコムユニバースという考え方
今井さんは、ツドイのメンバーが若い頃のエピソードを思い出します。体育会系で育ったそのメンバーは、今井さんを立てることに意欲を燃やしていたそうです。
その時言ったのは、(貢献する先は)うちはじゃあツドイにかっていうと、それもそう(ではなく)、プロジェクトにしてくれ。で、クライアントにでもない。
青木さんも、クラシコムでは「お客様と仲間に貢献することにフォーカスしてほしい」と伝えているといいます。お客様と仲間は全部合わせて1つのチームで、役割が違うだけだという考えです。
仲間と会社はどう違うのかという今井さんの問いに、青木さんは「会社は箱すぎる」と答えます。会社の内にも外にも仲間がいて、本来それらは等価だからです。
青木さんはそれを「クラシコムユニバース」と呼びます。その全体を管理する管理人として、クラシコムという会社があるというイメージです。
ユニバースには、コンテンツを見るだけのお客様や、その奥さんを見ている旦那さんのようなステークホルダーまで含まれるといいます。関わる人たちにえこひいきせず、バランスよく貢献すれば、社会の中で一番いい形で存在できるのではないか、と青木さんは考えています。
今井さんが「結果、そこにクライアントが入ってくることもある」と言うと、青木さんも同意します。発注や買い物だけでなく、気遣いや相談、難しい企画への協力を通じて、お客様やクライアントもクラシコムユニバースに貢献してくれているからです。
そういう(仲間)にもちゃんと貢献する意識を持てば、なんかバランスよくいくんじゃないかなみたいには思ってるよね。
まとめ
文学フリマへのお便りから始まったこの回では、プロとアマチュアの線引きが、食べているかどうかや経験の長さではなく、場や仲間への真摯さ、周りを見る視野の広さ、貢献意欲といった「態度」にあるのではないか、と語られました。
- 文学フリマでは、場へのリスペクトを持ち、そこでしか買えないものを持ってくるかどうかに、プロらしさが表れると話されました
- 青木さんは、利得がなくても責任感から「火中の栗」を拾うインテグリティこそがプロの姿だと感じています
- プロに共通するのは周りが見えていることで、社長業では「見る能力」が意思決定の前提になると青木さんは考えています
- 成長意欲だけで動くのはアマチュア寄りで、成長は貢献の副産物だという見方が示されました
- 貢献の向き先は会社や上司ではなく、プロジェクトや「お客様と仲間」だという点で、二人の考えは一致しました






