前回の続き、起業前に描いていたのは何だったのか?
この回は、2024年11月に配信した「ツドイ今井雄紀を深掘りする回」のパート2です。前回は生い立ちから、リクルートを辞めて出版社に転職し、編集者になるまでの話で終わっていました。
公開収録やお便りで「続きを聞きたい」という声が届いたことから、今回はツドイ創業後の約9年間に焦点が当たります。青木さんは「前回、直近10年の話は何もしていない」と指摘します。
今井さんはもともと、いつか何かを経営したいという思いをふわっと抱いていました。ただし最初から「編集で起業する」と決めていたわけではなく、青木さんが挙げる例のように、縁次第ではアニメ制作会社やゲームスタジオをやっていた可能性もあったといいます。
なんか独立してるクリエイティブディレクターとかに、なんか憧れは(ありました)。
でも別にそこにこう道が引けてたわけでは全然ない。
青木さんは、新卒で企画系の仕事を経験し、書籍編集につながった流れの中で「編集のプロになった」という感覚が今井さんに一定あり、それで食べていこうと考えたのではないかと整理します。今井さんもこの見立てにうなずいています。
共同創業者はSCRAP出身、編集とイベントの持ち寄り
ツドイは今井さんと共同創業者の2人で始まりました。共同創業者の松田さんは、今井さんより1年ほど遅れて合流しましたが、最初から2人でやると決めていたそうです。松田さんは昨年退職しましたが、今も関係は良好だと今井さんは話します。
松田さんの経歴は、新卒で映画配給と映画館を手がけるアップリンク ── 東京を拠点に映画の配給や映画館の運営を行ってきた会社。インディペンデント映画やドキュメンタリー作品の紹介で知られますに入り、その後SCRAP ── 「リアル脱出ゲーム」を生み出した会社。謎解きを現実の空間で体験するイベントを広め、全国的なブームのきっかけとなりましたの3、4人目の社員になったというものです。
SCRAPを創業した加藤さんは、今井さんや松田さんにとって京都時代の一回り上の先輩でした。加藤さんはバンドマンとしてユニバーサルからメジャーデビューしたものの売れず、その後に「SCRAP」というフリーペーパーを始めます。
フリーペーパーSCRAPの特徴は、毎月何かイベントを開くことでした。音楽の回もあれば、ビールを飲みながらボードゲームをする回もあり、20〜30人が集まる小さな催しを続けていたそうです。
転機は、インターンの学生がブレストで「最近パソコンで脱出ゲームにハマっている」と話したことでした。当時流行していたフラッシュの脱出ゲームを現実でやってみたところ、信じられない速度でチケットが売れたといいます。
まあ爆発的な需要がなかろうとやり続けるっていうこととか、あとその思いつきを(やってみるっていうこととか)、
あと若い子の意見を聞いてみるとか。
今井さんと松田さんは同い年で、大学時代から気が合い、「いつか何かやれたらいいね」と話していた仲でした。結果的に2人が持ち寄ったのは、今井さんの編集と松田さんのイベントです。
だし、まあ社名も、その編集の「集」と人が集まる「集い」から取ってるので。
青木さんは、事業のコンセプトは普通は変わっていくものなのに、ツドイが今も「編集とイベントの会社」であり続けている点を面白がります。一方で今井さんは、音声の仕事がかなり大きくなってきたため、このままの括りでいいのかという迷いもあると明かします。音声は今のところ、社内では「編集」の中に含めているそうです。
独立初期のリアル、着金まで約4ヶ月
青木さんは、プロの技を持ち寄った起業なら最初から食べていけたのかと尋ねます。今井さんによると、2人とも社外の仲間が多かったため、独立のお祝いを兼ねた「ご祝儀発注」を結構もらえたそうです。
一方で、今井さんは貯金がほぼない状態で独立しました。そこから得た教訓を、今井さんは独立する後輩たちに必ず伝えているといいます。
起業、起業しますとか、あるいは独立しますってFacebookやXに書いた日から、最初に振り込みがあるまで大体4ヶ月ぐらいかかると。
今井さんが挙げた4ヶ月の内訳は、相手が依頼を検討する時間、打ち合わせ、取材、コンテンツ化と納品、そして支払いまでの期間です。青木さんも「翌月末締めとかだからね」と補足します。
独立を公表
FacebookやXで独立・起業を告知する
検討と打ち合わせ
相手が「頼めるかな」と考え、打ち合わせが入る
取材と制作
取材をしてコンテンツにまとめ、納品する
着金
月末締めなどを経て、ようやく振り込まれる
このため今井さんは、4ヶ月ぐらいは食べていけるようにしておくか、水面下で独立の意思を早めに伝えておくべきだと話します。
当時の今井さんの懐事情を表すのが、インターンの大学生との打ち合わせのエピソードです。ドトールでその学生の分だけホットコーヒーのSを買い、近くの公園で打ち合わせをしていたそうです。今井さんは30〜31歳ごろでした。
青木さんは、未経験の分野で起業する人と、培ったネットワークや職能を使って起業する人は大別できると話し、今井さんは「やっていけそう」と思えたのかを聞きます。今井さんは、東大で当事者研究 ── 障害や病気を抱える本人が、自らの困りごとを仲間とともに研究対象として捉え直す取り組み。北海道の「べてるの家」から広がりましたをしている熊谷先生の言葉を引きます。
今井さんにとって、この言葉はまさに独立時の実感でした。あの人とあの人に泣きつけば、それぞれ月10万円ずつくらいは仕事をくれるだろう、という算段が立っていたといいます。
初めての社員と、青木さんが感じた雇用の緊張
食べていけそうになった次のハードルは、社員を雇うかどうかです。ツドイの役員は創業時から今井さん1人で、公募で人を迎えたのは3年目ごろでした。
アルバイトとして来てくれた人の中に、とても優秀なフリーランスのライターがいました。その人にツドイの仕事に専念してほしいという思いと、関係が曖昧なまま頼みごとだけが増えていく状況への引っかかりから、今井さんは社員になる気はあるかと尋ねたそうです。
で、社員になることに興味がある?って聞いたら、お願いしますって言ってくれたんで。
青木さんは、クラシコムで初めてアルバイトを雇ったときの緊張を振り返ります。当時、青木さんと共同創業者で妹の佐藤さんの給料は額面で16万円ほどで、青木さん自身はせどり ── 古本や中古品などを安く仕入れ、より高く売って差額で利益を得る商売。ネット通販の普及とともに個人の副業として広まりましたで生計を立てていたそうです。
まだ自分たちが食べられていない段階で、組織を先に作ろうとアルバイト2人を採用しましたが、入社までの間にリーマンショックが起きました。青木さんは「社会はこれからどうなるのか」と怖くなったといいます。
青木さんはその経験と比べ、今井さんの場合は仕事があふれそうになり、アルバイトがいて、社員へという流れがわかりやすく見えていたのだろうとまとめます。現在のツドイは社員が今井さんを含めて6人で、京都と東京にインターンがそれぞれ3〜4人ほどいる、10人台後半の規模です。
クリエイティブ組織の難しさと、没頭できない強み
青木さんは、クリエイティブの会社は正解のない仕事に社員を向き合わせるため、プレッシャーや不安が強くなりやすく、評価軸も難しい業態だと指摘します。そのうえで、ツドイの組織運営に苦労はなかったのかと尋ねます。
今井さんの答えは「ありました」でした。経営者として未熟だったころは、言わなくてもわかってくれているだろうという面があったと振り返ります。
君が確認しないと進まない物事をほっぽらかして、そのなんか会食という名の、なんか会食って書いてるけどさみたいな。
今井さん自身は、会食や顔を出すことも会社のためと考えていました。ただ、異業種から来た社員からすれば疑問に映るはずで、その説明が足りていなかったといいます。最近は「この仕事はあの時の縁で来た」といった説明も含めて伝わるようになり、社員が今井さんを自由にしてくれている感覚があるそうです。
青木さんは、前回の深掘り回で今井さんが話していた「没頭できない」という性質に注目します。それはコンプレックスであると同時に、マネジメントに向いた強みなのではないかという見立てです。
青木さんによると、自信を持って起業する優秀な人の多くは、没頭による強烈な集中力と生産性で成果を出してきました。そうした人が組織を率いるには、一度その武器を捨てなければならない局面が来るため苦労するのではないか、と青木さんは考えます。
(僕は)その周りが見えなくなるみたいなことはほとんどない。
ほぼそれじゃない?そのしくじりって。
得意な組織規模は「20人以下か100人以上」
青木さんは、一歩引いた空気を持つ今井さんがどんな組織を作りたいと考えたのかを尋ねます。今井さんの答えは少数精鋭で、人には率いるのが得意な人数があるのではないかという持論を語ります。
僕多分20人以下。
か、100人以上。
今井さんは「やったことがないので想像ですが」と断ったうえで、100人以上なら良いところだけを見せられ、「大きい組織を率いているのに気さくな人だ」と思ってもらえるかもしれないと話します。20人以下なら直接関われる人数なので、「ああいう人だから」と全部ひっくるめて付き合ってもらえる気がするといいます。難しいのは、その間の規模です。
青木さんは、よく言われる「30人の壁」と重ね、軍隊のたとえで説明します。20人までの小隊のリーダーは先頭に立って「続け」と言えるため、多少の問題があっても勇敢さや責任感が全員に伝わります。
ところが30人規模のトップになると、先頭に立てば一発でやられてしまうので、大本営から無線で「次はそれ行け」と指示する形になります。すると部下から「あいつは」と思われやすくなる、というのが青木さんの見立てです。今井さんは、腕を見せる機会も減ると付け加えます。
| 規模 | リーダーの立ち位置 | メンバーからの見え方 |
|---|---|---|
| 20人以下 | 小隊のように先頭で「続け」と率いる | 直接関われるので、人柄ごと受け入れてもらいやすい |
| 30人前後 | 大本営から無線で指示を出す | 腕を見せる機会が減り、「あいつは」となりやすい |
| 100人以上 | 大きな組織の長として距離がある | 良いところだけを見せられる可能性がある(今井さんの想像) |
青木さんはさらに、腕で食べていく人たちは、まるでスカウターが付いているかのように互いの技量を瞬時に見抜き合うと話します。今井さんも、打ち合わせで2、3の発言を聞けばわかると同意します。リーダーの「戦闘力」が統率力に直結するため、少し弱るとガタガタになりかねないのがクリエイティブ組織の難しさだといいます。
今井さんは特性に加えて、意思としても少人数を選んでいます。ツドイを「あそこが作るといいもの、かっこいいもの、チャーミングなものを作るよね」と言われる会社にしたいと考えているからです。
となると、やっぱ基本的に僕全てのアウトプットを今見ていて。
一部はもう社員に任せているものの、今井さんは記事1本までほとんどのアウトプットをチェックしています。そのため、自分が見られる限界は10人ほどだと話します。
初期の名刺代わりの仕事、海賊シェフの記事
青木さんは、ツドイにとって最初の代表作、つまり名刺代わりになった仕事は何かと尋ねます。今井さんがまず「実は」と挙げたのが、レストランsio ── 東京・代々木上原のレストラン。シェフの鳥羽周作さんが手がけ、ミシュランの星を獲得したことでも知られますの鳥羽周作さんが世に出るきっかけになった記事です。
その記事は、徳谷柿次郎さんが編集するメディアジモコロ ── 全国のローカルな人や仕事を取材するウェブメディア。書き手自身が顔を出して記事に登場する、くだけたスタイルが特徴ですに掲載された「海賊シェフ」でした。青木さんはこの記事を読んでいましたが、書いたのが今井さんだとは知らなかったそうです。
本当ですか。それ僕が書いてるんですよ。
柿次郎さんから「面白いシェフがいるので一緒に取材に行きませんか」と誘われ、鳥羽さんが本当に面白かったことから生まれた記事でした。当時の今井さんはまだライターもしていましたが、のちに書く仕事はすべてやめたそうです。ライターを兼ねていた理由について、今井さんは利益率が一番高いからだと話し、青木さんは「ピッチャー自分、4番自分の方がコスパがいい」と笑います。
創業翌年の代表作「神保町編集交差点」
もう1つの代表作が、今はオンラインから消えてしまった「神保町編集交差点」です。LINEが運営していたBLOGOS ── LINEが運営していたニュース・言論プラットフォーム。政治家や識者の寄稿を集めていましたが、現在はサービスを終了していますから、「編集者を採用したいが若手への知名度が低いので、若い編集志望者が興味を持つコンテンツを作ってほしい」と依頼されたのが始まりでした。
ツドイが考えたのは、1つのテーマで編集者やライターのプロフェッショナルが2人1組で語るイベントと記事の連動企画です。今井さんは、ブッキングと、2人が並んだときのテーマをありきたりにしないことに、ツドイらしさが出たと話します。
| 登壇者 | よく聞かれがちなテーマ | ツドイが設定したテーマ |
|---|---|---|
| オモコロ編集長の原宿さんとデイリーポータルZの林さん | アイデアの出し方、面白い企画の作り方 | 面白いチームの作り方 |
| BRUTUS編集長の西田善太さんと博報堂の嶋浩一郎さん | 情報の集め方 | 情報の捨て方(何を見ないようにしているか) |
司会はすべて今井さんが務めました。同業者から今でも「あそこに行っていました」「記事が面白かった」と声をかけられる仕事だといいます。
今井さんが昔の自分を褒めるとしたら、登壇者の半分ほどがまったくの初対面だったことだそうです。吉田豪さんにも緊張しながら依頼し、西田さんも連絡先こそ知っていたものの、食事をしたこともない間柄でした。
青木さんは、名刺代わりの仕事ができると「あれのこういうバージョンをやりたい」という派生の依頼が来るようになると話します。この企画は2018年、つまり創業翌年の仕事でした。今井さんは、登壇時に紹介する仕事がずっと変わらないのは嫌なので、名刺を更新し続けたいと考えています。
文章がうまい人は、読むのがうまい
青木さんは、編集者は大勢いる中で、ツドイが名刺代わりの仕事を生み出せた強みは何だったのかを尋ねます。今井さんによると、当時よく言われたのは「テキストがうまい」ということでした。
書籍編集をしていたころの今井さんは、リライトをしながら先輩たちより下手だと感じていたそうです。それでも若いウェブ編集者の中では少し書けたのは、書籍出身だからだろうと今井さんは見ています。
青木さんは派手な答えを予想していたものの、むしろ本質的だと感じたといいます。そして、若林恵 ── 編集者。雑誌『WIRED』日本版の元編集長で、独立後は出版社兼編集事務所「黒鳥社」を立ち上げましたさんと対談した際に聞いた言葉を紹介します。
青木さん自身、文章を書くときには読み手としての自分から「展開が強引すぎない?」「表現が寒くない?」とツッコミが入るといいます。書籍編集者には、この読む力がとりわけ求められると青木さんは考えます。
今井さんはそれを「網目が細かくなっていた」と表現します。書くのは速いほうですが、出すまでに時間がかかるタイプで、自分の文章にも人の文章にも細かいそうです。青木さんは、網目の細かさとは認識の解像度の高さのことだと言い換え、一緒に番組を作っていても、Slackで後から細かいが大事な指摘をしてくると明かします。
青木さんは神保町編集交差点の顔ぶれについても、若手、有名人、大御所、出始めの人をうまく混ぜるバランス感覚があると評価します。単にバランスを取るとつまらなくなるところを、あえてバランスを取りに行っている点が印象的だったといいます。
躍進を支えたデザイナーと「おしゃれだけど排他的にしない」
今井さんは、テキストに加えてもう1つ、ツドイが躍進できた理由としてデザイナーの存在を挙げます。名刺を作った石井さん、頻繁に会っている前田さん、相良さんといったデザイナーたちのおかげが大きいそうです。
青木さんは、言われてみるとツドイの仕事にはデザインに一貫したトーンがあると気づきます。その背景にある今井さんの考え方が次の発言です。
おしゃれなものは作りたいんですけど、排他的にはしたくないっていうのがあって。
青木さんは、その都度いろいろなデザイナーと組んでいるだけでなく、あるトーンのデザイナーとずっと組んでいるような空気があると話します。発注側に「こうしたい」というビジョンが明確だからトーンが生まれるのだろう、というのが青木さんの見立てで、今井さんもかなり自分の好みが出ていると認めています。
最新の名刺仕事と、企業が求める「生活に入り込む」コンテンツ
最新の名刺仕事を聞かれた今井さんは、まず冗談めかして「これですよ」とこの番組を挙げます。青木さんも、イベントや賞、文学フリマへの出展など、想定外の成功をしていると認めます。
そのうえで今井さんが挙げたのは、企業の広い意味でのオウンドメディア ── 企業が自ら所有・運営する情報発信の媒体。自社サイトやブログ、冊子などを通じて、広告とは別の形で顧客との接点を作りますです。例としてジーンズパークというウェブサイト、カーペット会社と作ったカーペットの本、少年ジャンプ+と作った読み切りのポータルサイト「読み切りディスカバリー」、SmartHRの10周年記念タブロイドが挙がりました。
いずれも、企業の価値や認知を高めるためのコンテンツを、見たことのない形で出すことを意識しているそうです。作って終わりのものは少なく、継続的に運営するほうが多く、そのほうが力を発揮できると今井さんは話します。
青木さんは、企業はどんな課題感からメディアを始めるのかと尋ねます。カーペットの本やタブロイドは届く人数が多くありませんし、青木さん自身が文学フリマに出る理由もまだ言語化できていないからです。今井さんはその場で考え、次のように答えます。
なんか総じて言うと、今考えたんであれですけど、なんかもう少し生活に入り込みたいみたいな。
スマホから出たい。
今井さんによると、今は紙を作る仕事がとても増えています。紙や音声には、スマホから出て部屋に入り込み、しかも心地よくそこにいられるという需要があるのではないか、と今井さんは考えています。
切り抜かれにくいメディアとしてのポッドキャスト
今井さんは、インタビューをテキストで読む人がかなり減っていると感じています。かつてウェブメディアの中心だったインタビューは、YouTubeやポッドキャストで済ませる形が増え、そもそも生産自体が減っているのではないかと青木さんも同意します。エッセイのような文章は別だといいます。
インタビューはテキストで読む、ウェブメディアの中心コンテンツだった
YouTubeやポッドキャストで聞く人が増え、テキストのインタビューは減っている
テキストのインタビューが減った理由の1つとして、今井さんは切り抜かれる面倒さを挙げます。反対に音声メディアが伸びた理由には、ちゃんと伝えられること、切り抜かれにくいことがあるといいます。
悪意を持って聞くには、人の話を、嫌なやつの話を1、2時間聞くって多分しんどいので。
青木さんは、嫌なところを切り抜くにも集中力が要ると笑いつつ、いつかポッドキャストも「修羅の国」になるのかと心配します。2000年代終わりに始めたTwitterも、90年代後半のインターネットも、当初は牧歌的な世界だったからです。それでも、一度立ち行かなくなりかけた紙の本やラジオが、別の形で生まれ変わるニーズはあるのかもしれないと話します。
次にやりたいことは自社事業
青木さんは、今井さんがこれからどうしていきたい人なのかを尋ねます。今井さんは、仕事で一番楽しいのは自社事業をしているときだと答えます。この番組にも、2、3割はそうした気持ちが出ているそうです。
クライアントワークも楽しい一方で、ありがたい取引先の担当者もいずれ偉くなったり退職したりします。今井さんは、今ある仕事が来年すべてなくなってもおかしくない状況にあると話します。
今ある仕事が全て来年なくなってもロジックは立っちゃう。
今井さんは、ラーメン屋なら「もう1店舗出そう」と自分で最大化に向かえるのに、受託の仕事にはそれがないとたとえます。経営の手本として挙げたのは、雑誌で培ったネットワークを生かしてフェス事業へ移ったロッキング・オン社です。
具体的にやってみたいことの1つは、集まるための道具を扱うグッズショップで、例えばレジャーシートのような商品だそうです。今井さんは、クラシコムの事業に近いかもしれないと話します。
青木さんが商業施設に興味はないのかと聞くと、今井さんは運営を任せてもらうのはやってみたいが、自社事業として建てるイメージは湧かないと答えます。青木さんは、儲かりにくいがかっこいい場所を、自分たちが関わることで成り立たせることに関心があるものの、クラシコムにはその運営能力がないため、一緒にやれることがあるかもしれないと話します。
今井さんも、新しい施設が年月とともにうまく運営されなくなる例を見てきたと話し、ホームワークビレッジのような場を羨ましく思ったといいます。ツドイが開いた「ポッドキャストウィークエンド」も、イメージはショッピングモール作りでした。
八百屋さん、農業系ポッドキャストを呼んで八百屋さんやってもらう。
ワインのポッドキャストにワインバーを、カレーのポッドキャストにカレー屋を任せるなど、番組の人気より場づくりを先に置いて声をかけていたそうです。今井さんは、こうした場の運営をぜひやってみたいと話します。
青木さんから見た今井さんと「いないところで話題になる」
青木さんは2回にわたって今井さんの半生を聞き、いろいろな顔がある人だと感じたといいます。冷静で一歩引いた面と、損得を考えず面白さで動く衝動的な面が同居していて、俯瞰しているのか没頭しているのかわからないところがあるそうです。
番組を始めてから、青木さんは「今井さんと仲がいい」という人によく出会うようになりました。広告代理店の人などが語る今井さん評は、みんな褒めているもので、そこから仲間をきちんと作っていく人だと感じたといいます。
なんかね、イマイさんってちゃんと(仲間関係を)メンテナンスしてきてる感じがする。
青木さん自身は興味のある人に強く惹かれる一方で、関係のメンテナンスを怠りがちなタイプだそうです。今井さん本人と話すより、社員や社外の仲間を通して見るほうが今井さんのことがわかる、と青木さんは話します。
今井さんは、それは編集者になったときの編集長の教えだと明かします。
青木さんは、番組を始めてから実際に「今井っていいやつなんすよ」と話題に上るのを聞くと話し、「まだ本当にいいやつか判断中だけど」と笑って締めくくりました。
まとめ
後編では、ツドイが編集とイベントを持ち寄って生まれ、ご祝儀発注と人のつながりに支えられて立ち上がり、名刺代わりの仕事を更新しながら現在に至るまでが語られました。俯瞰しすぎるほどの冷静さと面白さへの衝動、そして仲間を大切にする姿勢が、今井さんの仕事の土台にあるようです。
- ツドイの社名は編集の「集」と人が集まる「集い」に由来し、創業時から編集とイベントの会社として続いている
- 独立から最初の着金までは約4ヶ月かかるため、その期間を乗り切る準備が必要だと今井さんは話す
- 今井さんは得意な組織規模を「20人以下か100人以上」と考え、全アウトプットを見られる少数精鋭を選んでいる
- ツドイの強みは、書籍編集で培った網目の細かい文章力と、おしゃれでも排他的にしないデザインにある
- 受託の不安定さを踏まえ、今井さんは集まるためのグッズショップや場の運営などの自社事業に関心を持っている




