SNSのアルゴリズムに合わせるのは面倒?
本題の前に、今井さんはFacebookやXのアルゴリズムに合わせて投稿を工夫するのがとても嫌だ、という話から始めます。Facebookでは「本文を投稿してからコメント欄にリンクを付ける」といった工夫が知られています。
今井さんによると、Xでは今「ハッシュタグを付けないほうがいい」という論があります。リプ欄にリンクを付けるのもインプレッションを大きく減らす、とも言われているそうです。
(リンクを)一投稿目につけるのはもちろんダメだし、二つ目でも(ダメ)。
今井さん自身、最近は番組の宣伝投稿にあえてリンクを貼らず、貼るとしても翌日にしているといいます。そこで、同じ形式の投稿を習慣的に続けている青木さんに、リンクを付けずに1週間ほど様子を見てほしいと頼みました。
青木さんは、コメント欄やメンションにリンクを入れる抜け道は、運営側からすればやってほしくないことなので、定着すればすぐ対策されるだろうと思っていたと話します。誰かが違うと言うまで続けていただけなので、試してみると引き受けました。
今井さんの基本的な考えは、プラットフォームに貢献するほど優遇されるというものです。貢献の方法として、動画などのリッチなコンテンツを載せるようにしているといいます。
ただ、この番組はリスナーにハッシュタグで感想を書いてもらっています。青木さんは、ハッシュタグをリンク側やメンションに入れ始めたら謎の投稿になってしまう、と笑い、二人はいろいろ試していくことにしました。
「イタい」と「ダサい」は何が違うのか
今回のテーマは「大学デビューはイタいのか」です。3月後半で新生活が始まる人が多い時期に合わせた話題で、高校デビューや社会人デビューにも当てはまります。
新しい環境でファッションやキャラを変えると、「あいつ大学デビューらしいよ」とネガティブに言われがちです。今井さんはそれが本当に恥ずかしいことなのかを考えたいと切り出しました。
青木さんはまず、「イタい」は「ダサい」や「恥ずい」とは違う言葉ではないかと問いかけます。今井さんは、イタいは「痛々しい」の略で、共感性羞恥 ── 他人が恥ずかしい思いをしている場面を見て、自分まで恥ずかしくなったりいたたまれなくなったりする感覚に近いのではないかと答えました。
青木さんが例に挙げたのは、以前の回で話した杉咲花さん主演のドラマです。大学に入ってすぐ杉咲さんの役と付き合い、2〜3か月で「自分に対しても不安感を持ってほしかった」と自爆して別れようとする純朴な青年が出てきます。
ああいう時なんか、「こいつなんかむず痒いの見えて」みたいな。「もう見てるの苦しい」みたいな。
そのドラマを、青木さんの妻は楽しく落ち着いて見ていました。一方で青木さんは見ていられず、一瞬お茶を飲みに行ったり、離れた場所から見たりして、なんとか見続けたといいます。
この体験から青木さんは、痛々しさは見る側の問題でもあると考えます。イタさは受け取り手の課題でもあり、自分が感じる恥の苦しさから逃れたい責任を、相手に擦り付けているのではないかという見方です。
あいつのせいでこんな気持ちになってる。痛い奴め。痛さを治せみたいな。
なぜ陽キャから陰キャへのキャラ変はイタくないのか
今井さんは、イタいの中身は共感性羞恥だけではないかもしれないと指摘します。大学デビューとして語られるのは、高校時代に暗く友人の少なかった人が、急に茶髪にしてピアスを開け、元気に振る舞うような「陰から陽」への変化だからです。
青木さんは逆のケースを挙げます。高校で「ウェーイ」と言っていた人が、大学で教室の片隅に一人で純文学を読んでいても、それもある種の大学デビューなのに、イタいとはあまり言われません。
青木さんはここから、キャラ変そのものがキーではないと考えます。持たざる者が持つ者へ変わったように見えるとき、周囲には「ずるい」「偽物だ」という感情が湧くのではないか、というのが青木さんの見立てです。
青木さんが挙げたイタさの中身は、いくつもの感情が混ざったものでした。
特に4つ目について、青木さんは、自分を陽キャだと認識していた人ほど、迫ってくる相手に「違うからな」とマウントを取りたくなるのではないかと話します。
理由がこれだけあるなら、感情的な衝突が起きやすく、大学デビューはかなりリスキーです。青木さんは、イタいのかと聞かれれば「イタくなる可能性は否めない」と認めました。
かっこつけるのはダサいのか?
そこで青木さんは問いを「大学デビューはしないほうがいいのか」に変えます。今井さん自身は、スクールカーストの上位ではなかったものの、どのグループとも仲が良いタイプで、むしろ「大学デビューはしないぞ」という意思があったといいます。
今井さんは大学に入って服は買うようになったものの、茶髪にしたり、急に酒やタバコを始めたりはしませんでした。関西でいう「イキり」は、かっこつけることに近いと今井さんは説明します。
青木さんは、大学デビューも大学入学をきっかけにかっこつけることだと捉え、問いを「かっこつけることはダサいのか」へと言い換えました。そのうえで、かっこつけるのが上手くないのがダサいのではないかと考えます。
青木さんが挙げた例は、ピアスを付けてストリート感を出しているのに、一番上まで留めるタイプではないシャツのボタンを一番上まで留めてしまっているような、ちぐはぐな着こなしです。バランスや一貫性のなさが、素人感として見えてしまうといいます。
青木さん自身も、49歳ごろに急にアクセサリーをたくさん付け始め、今でもしっくりきていないと話します。今井さんが「上場デビューだと思われて」と返すと、青木さんは実際にコメント欄や知人からいじられていたことを明かしました。
僕もうそれ(いじり)には負けないぞっていう気持ちがすごいあるんで、もう自分の自由をその阻害されないぞみたいな感覚があるんで。
青木さんがいじりに傷つかない理由は、人からどう見られたいかでやっているわけではないからです。他者に陽キャと思われたくて陽キャを振る舞うと、その相手に否定されたときに深く傷つきますが、「お前に向けてない」という感覚ならメンタルは削られないといいます。
それでも青木さんは、かっこつけている瞬間そのものはダサいと認めます。そのうえで、変化には避けられない段階があると続けました。
今井さんも、そこには痛みを伴う過程があると同意します。青木さんは、イタくならずにいることは変化しないことだと言います。
青木さんの経験では、小中学校で痛さなくかっこよかった友人に大学生くらいの年齢で会うと、輝きを失って見えることがありました。青木さんは、その人が変わっていないのではなく、見る側の評価軸が変わったからだと考えます。
同窓会で憧れの人が「そうでもないかも」と感じるのも、年を取ったからだけではないというのが青木さんの見方です。だからこそ、イタさを経てアップデートし続けることは悪くない、と話は「痛さの向こう側」へ進みました。
のび太とジャイアンで見る「いじり」と秩序
青木さんは、イタいと言われることは要するに「いじり」だと整理します。いじりは、集団の秩序を暗黙のうちに守るための仕草であり、固定された役割や位置付けが変わることは構成員に不安をもたらすといいます。
例えに出したのは『ドラえもん』です。のび太が急に筋トレを始めたり総合格闘技のジムに入ったりすると、ジャイアンとの関係がどうなるかわからなくなり、周りがざわつきます。
「お前さぁ」みたいな。なんか、「のび太ごときがそんなことやってんじゃねえよ」みたいないじり方する。
青木さんの説明では、いじりは次のような流れで生まれます。
役割の変化
のび太が急に強くなろうとする
集団のざわつき
ジャイアンとの関係値がわからなくなる
いじり
「調子に乗るな」と一旦思いとどまらせる
秩序の維持
元の位置付けに戻そうとする作用が働く
青木さんは、社会性のある生き物の集団ではこうした動きが自然に出ると考えます。いじり自体を全否定すると集団や秩序の話になってしまうので、無自覚にそうする人がいるのは仕方ない、という立場です。
いじられたぐらいでやめる必要ないだろと。いや、デビューしろよと。だって自分もアップデートしたいんだから。
青木さんは、変化の期間のかっこ悪さや無様さを引き受けて堂々としていることこそ、本当にかっこいいと話します。
青木さんはこれを冒頭のSNSの話にもつなげます。うまくいき続ける人は、途中で実験したり大しくじりをしたりして、アカウントをBANされてもどこかでしぶとく復活します。
一方で、その時に言われていたアルゴリズム通りに変化にも気づかず同じ投稿を続ける人、つまり青木さん自身のような人は、イタくはなくても廃れていくといいます。炎上しながらも思い切った挑戦をするYouTuberのように、リスクを取る人のほうが長続きする気がする、というのが青木さんの見立てです。
ただし青木さんは、変化の頻度が高すぎると「一生デビューしてるやつ」になると注意します。大学デビューを揶揄されるのも1年生の最初だけで、周りもすぐに慣れるといいます。
合わないと思えば、金髪や、友達とハイタッチで挨拶するキャラをスッとやめればいいと青木さんは言います。後になれば「挨拶がわからなくて全員にハイタッチを求めてた」という面白い話になるだけだ、というのです。
「ダサいかもね、でもやるけど」がいちばん強い
いじりへの向き合い方について、青木さんはコツを語ります。鍵は、いじりを気にしているというメッセージを出してしまうかどうかです。
人は、相手が変化しない環境だと認識すると、そちらに合わせるようになると青木さんは言います。いじられ続けるのは、いじりで変化させられるというシグナルを出し続けている状態だというのです。
今井さんも、いじりに影響されない相手には言っている側がダサくなると付け加えました。青木さんの考える、いじられたときの振る舞いは次のように整理できます。
青木さんの例では、アクセサリーを付け始めたときに「ちょっとイタいっすよ」と言われ、「俺は結構かっこいいと思ってるけど」と返すと、いじりが効いているシグナルになります。認めたうえで続けていれば、相手は跳ね返ってもこず、ちょっと大きめの石が転がっている程度の違和感になるといいます。
それでも心底嫌な人は離れていきますが、青木さんは、アクセサリーを付けたくらいで嫌いになる人は「どうぞ」でいいと話します。今井さんは、イタいと言われるのはむしろ変化できている証拠だと受けました。
うーんなんか人にかっこいいと思われるために生きてるわけじゃないからな。
今井さんは、デビューは節目でなくても、いつやってもいいと指摘します。青木さんも同意しつつ、本人にとっては大学入学がやりやすいタイミングなのだろうと話しました。
さらに青木さんは、これまでの自分が不本意だった可能性もあると言います。高校入学直後の出席で大きな音を鳴らしてしまうような事故で、謎の立ち位置に押し込まれていたのを回復したいだけかもしれない、という見方です。
青木さんは、デビューして起きるハレーションに反発せず対抗しないことが大事だと繰り返し、野球未経験者の始球式に例えます。投げ方がダサいと言われても、始球式で投げられること自体がすごいことで、「投げ方がダサいので」と断る選択肢は普通ないだろうというのです。
次のデビュー案件はメンズメイク?
今井さんは、これから「やるかやらないか」を突きつけられそうなものとしてメンズメイクを挙げます。若い世代では当然にありつつ、40〜60代の人がどうするかが問われそうだという話です。
青木さんはすでに一通り試していました。肌をカバーしたり眉を描いたりする程度ですが、「こうなるんだ」とわかった一方、面倒で続かなかったといいます。
青木さんが変わったきっかけはK-POPでした。ナムジャアイドル ── 韓国語で「男性」を意味する「ナムジャ」を使った、男性K-POPアイドルを指す呼び方から入り、それまで関心のなかったアクセサリーやメイクに目が向いたといいます。
アクセサリー、メイク、髪型に深い興味がなかった
男性アイドルに憧れ、アクセサリーやメイクを一通り試した
真似しようと思っちゃう時点で痛いなと思ったけど、あ、これ痛いチャンスだなと思って。
50歳前後で20代前半の青年たちに憧れる時点でイタいと自覚しつつ、青木さんはそれを「イタいチャンス」と捉えて挑戦したわけです。
その結果、青木さんは映像や写真でメイクがどれほど効果を発揮するかを実感しました。妹さんと一緒に出演するときは同じメイクさんにお願いできますが、単独の出演ではまだ言い出せないといいます。今井さんは、会社のためにも絶対やったほうがいいと勧めました。
今井さんは、メイクして映像や写真に出れば、見た人は会う時間よりそちらを見る時間のほうが長いと話します。そのため、実際に会ったときにむくんでいても「今日は調子が悪いんだな」と受け止めてもらえ、晴れの日にきちんとしていることが大事だと考えています。
青木さんは20代のころ、大手化粧品メーカーの催事で実演販売のような仕事をしていた経験から、女性のメイクをかわいいの民主化だと感じたといいます。容姿を気にする若い世代こそ、自分の思うかっこよさに近づけるならメイクすればいいという考えです。
またK-POPには必ずノーメイクのコンテンツがあり、素朴さと、メイクしたときのこの世のものとは思えない美しさの行き来が魅力を増すと青木さんは話します。メイクを洋服のように、する日としない日を行き来できる感覚が広まれば、上の世代の男性メイクも広がるかもしれない、と話は締めくくられました。
まとめ
大学デビューがイタいと言われるのは、共感性羞恥や嫉妬、秩序を守ろうとするいじりなど、見る側の事情が大きく関わっています。青木さんと今井さんは、ダサさを認めながらも引き受けて変化することにこそ価値があると語りました。
- 「イタい」は共感性羞恥、正義感、嫉妬、脅かされる感覚が混ざった、受け取り手側の問題でもある
- かっこつける瞬間はダサくても、かっこつけないとかっこよくならない
- いじりは集団の秩序を保つ仕草で、反発せず「ダサいかもね、でもやる」と構えると収まりやすい
- デビューは節目でなくてもよく、不本意な立ち位置から回復するためのものかもしれない
- メンズメイクも、洋服のように行き来できる感覚が広がれば次のデビュー案件になりうる



