遠野で夜10時から録ったポッドキャスト
冒頭、青木さんと今井さんは、二泊三日で訪れた岩手県遠野での出来事を振り返ります。初日の夜、内沼慎太郎さんのポッドキャスト「本の惑星」を、主催者の樅山さんも交えた3人で収録したそうです。
朝6時7時に起きて疲れがたまるなか、それでも初日の夜に収録したのは、青木さんが「やる」と言い出したからでした。今井さんは、それを青木さんらしいと受け止めています。
後ろ倒しする方が不確実性が増していくから。まあ約束してるしね。早く(収録を)やっちゃおうって。
内沼さんは、青木さんがやると言う前からマイク4本をセットしていたそうです。編集の都合を考えても、日にちに余裕があるほうがいい。頑張って初日に録った甲斐はあった、と2人は話します。
そもそも「代わりのもの」って何を指す?
今回のテーマは「代わりのもので満足するのは寂しいこと?」です。ダイエットコーク、ノンアルコールビール、名作家具のリプロダクト品などが例に挙がります。
今井さんは、こちらが本物であちらは代わりのもの、という感覚がなんとなく存在すると整理します。健康を害するから、お金がないからといった事情で本物が手に入らないとき、代わりに買うもののことです。
代わりのもので満足するって、寂しいことだ。ポエムだ。
青木さんはお酒が飲めないため、日常的にノンアルビールを飲んでいると明かします。水やお茶では物足りない場面で、ノンアルビールやノンアルシャンパンはありがたい存在だと話します。
(お酒が飲めないから)ちょうどいいっていうかね。まあまあ美味しいから飲んでるのかな。
今井さんも似た経験を挙げます。タバコを吸わないのに、ニコチンの入っていないVAPEを楽しんでいるそうです。ミントやコーラ、モンブランといったフレーバーの白い煙が出るものだといいます。
本物を知らなくても代替品が好きになることはある。ここまでは、2人とも自然に納得します。
「代替品」と「偽物」は別もの
ここで青木さんは、「代わりのもの」には大きく2種類あると切り分けます。ノンアルビールのような代替品と、ブランドもののコピー品や模造品のような偽物です。
要するにコピー品っていうか模造品みたいな。例えばブランドものの偽物。これはさ、明確に寂しいよ。
青木さんは、ビーガンの人が食べる代替肉を例に出します。本人が肉を食べたくなくて選んでいるなら、それは寂しくない。一方、偽物のハイブランドの財布や、ピカソの贋作を飾ることには寂しさがある、と対比します。
ただし今井さんは、アートには贋作だけでなく、正規の複製品もあると付け加えます。ポスターのように公式が認めたコピーは、寂しさとは結びつかない、と青木さんも同意します。
話題は、徳島にある大塚国際美術館にも及びます。世界中の美術を複製で収蔵した美術館で、入場料が3000円から4000円ほどと、日本でもかなり高い部類だと今井さんは説明します。
本物より良いものとして自ら選ぶ。ノンアルビールやVAPE、代替肉など。寂しさは生まれにくい。
本物を安く手に入れたい、そう見られたいという動機。肩身の狭さや寂しさがつきまとう。
リプロダクト家具を持つ、少し複雑な気持ち
今井さんは、名作家具のリプロダクト品であるワゴンを実際に持っていると告白します。本物が予算オーバーだったための選択でした。
(リプロダクト品だと)今告白できて清々しい気持ちみたいな。
一方で、来客に「これ誰々の家具ですね」と言われるとモヤっとする、と青木さんは代弁します。しかも今井さんの場合、この番組の作家をつとめるノジ君が本物を持っているという逆転現象もあるそうです。
ただ今井さんのワゴンは、リビングではなく自分しか見ない場所に置いてあるため、まあいいか、と割り切っているといいます。
青木さんは、寂しさの正体を動機に見出します。VAPEをタバコのように吹かして、タバコを吸っていると思われたくてやっているなら、それは寂しいというより「さもしい」と言います。
(偽物やコピー品を持つのは)それをコスパよく持ってると思われたいっていう、その気持ちから出てきてるから、なんか肩身狭いっていう感覚もわからないではないよね。
VAPEはタバコより良いもの、ノンアルビールはビールより良いもの、代替肉はビーガンにとって良い肉。それに対し、リプロダクト品や模造品は「より良いもの」ではなく、より現実的に手に入るものにすぎない、と青木さんは整理します。
ただし今井さんは、この色はリプロダクトでしか出ていない、と言われると途端におしゃれに見える、と例外も挙げます。値段以外の選ぶ理由があるかどうかが、印象を分けるようです。
再発よりオリジナル、その価値はどこにある?
話題は、初版本やレコードのオリジナル盤にこだわる感覚へ移ります。時計、クラシックカー、レコードなど、より「オリジナルなもの」を求める文化は珍しくありません。
再発よりはやっぱオリジナル持って。なんなら音は再発の方がいいんだけど、なんかオリジナルの方がよく見えちゃうみたいな。あれなんだろうね、何に惹かれてんだろうね。
今井さんは、大阪でうっかり入ったレコード店での体験を語ります。初版しか扱わない店で、値段はどれも高額でした。何が価値なのかを尋ねると、納得できる答えが返ってきたといいます。
その店主によれば、海外のレコードは現在の製造だと音質の劣化が著しく、当時プレスされたもののほうが音がいいのだそうです。一方、日本のレコードはプリント技術が保たれているため、再発でも大丈夫だといいます。
(海外の再発は音質が劣化しているから)海外版の再発は気をつけた方がいいよみたいなことは(言われた)。で、僕1枚も買えなかったんですけど。
一方で本の場合、初版が優れているとは限りません。むしろ誤字脱字が減り、クオリティは上がっていくのが普通です。ただし革表紙のように、今では作れない技術が使われた古書には別の価値がある、と2人は確認します。
遠野で見た『遠野物語』のオリジナル版も話題に上ります。350部しか刷られておらず、研究者の富川君は一冊欲しいと言い、価格は数十万円ほどだと聞いたそうです。
遠野物語(が)350(部)しかエディションなくて、数十万で買えるんだったらすごいよな。
フィガロは30年経つと「本物」になる
青木さんは、時計やクラシックカーを例に、興味深い現象を指摘します。古いモデルのニュアンスを引き継いで作られた新しい車は、当初は「オリジナルのほうがかっこいい」と見られがちだ、というのです。
その象徴として挙がるのが、日産のフィガロです。60年代あたりのクラシックカーを参照し、当時の技術で作られた可愛い車で、ガチのクラシックカー好きからは「何やってんな」という目で見られていた側面もあった、と青木さんは説明します。
それが今の若い子たちからするともう30年以上前のものだから、立派なオーセンティックなクラシックカーみたいな感じの人気を博してるわけ。
青木さんは、パオやラシーンといった車も同じだと続けます。60年代を参照して90年代前後に作られた車は、当時「パクってんな感」があったものの、今ではオーセンティックな車好きが高く評価しているといいます。
これはなんかすごく、その本物とは何か、偽物とは何かっていうことを突きつけてる気がするのよね。
つまり、今リプロダクトが「シャバい」と見られていても、100年後には立派なアンティークになる可能性がある。逆にイームズチェアも、もとは病院や空港の待合に置かれた「なんでもない椅子」だった、と青木さんは指摘します。
大量に捨てられていたイームズが、あるとき「これいいじゃん」と見出され、高値がつき、リプロダクト品が生まれた。そのオリジナルすら、登場時には偽物っぽさやシャバさがあったのかもしれない、と青木さんは想像します。
価値を「追い求める側」か「生み出す側」か
青木さんは、本物と偽物の評価は「タイミング次第」だと言います。ヴィトンの偽物も、100年後には「これ偽物なんだけどさ」という語りしろが生まれる、というのです。
今井さんは、まさにそれがプラモデルで起きていると応じます。ガンプラが流行った当時に出た偽物「カンタム」のようなものが、今では価値を持ち上げられている、と例を挙げます。
ここから青木さんは、この回の核心にたどり着きます。代わりのもので満足できるかどうかは、価値を追い求める側にいるか、価値を生み出す側にいるかの違いだ、というのです。
模造品やリプロダクト品を持ちながら寂しさを感じる人は、他者が発見した正解を追い求めている。逆に、オルタナティブを見つけて満足するのは、価値を自分で発見していく気概でもある、と青木さんは言います。
90年代の日本でイームズを流行らせた人は、誰も見向きもしないときに「これかっこいいじゃん」と言い始めた人だったはずだ、と青木さんは推測します。本物か偽物かの前に、まず価値を見出す人がいた、という順序です。
見出す
誰も価値を認めていないものを「これいいじゃん」と発見する人が現れる
広がる
その価値が共有され、みんなが欲しがるようになる
分岐する
本物か偽物かが問われ、模造品やリプロダクト品が生まれる
サムライマックのソース抜き、発見できるのは誰か
今井さんは、SNSのちょいアレンジレシピで、コンビニのプライベートブランド商品が「発見」される現象を挙げます。このつけ麺が実は美味しい、といった投稿です。
ここ数週間話題になったのが、マクドナルドのサムライマックだといいます。ソースを全部抜いて、塩とバンズとチーズだけで食べると美味しい、という食べ方が広まったそうです。
それを実は全ソース抜いた方が美味しいみたいな話が出て。塩とバンズとチーズだけで食べる。それが美味しいんですよね。
めっちゃ食いたくなった。こういうことですよ。
青木さんは、こうした発見ができるのは、いつも本物にこだわる人ではなく、代わりのものを探す人のほうだ、と結論づけます。自分自身も、代わりのもので満足できるものをずっと探してきた人生かもしれない、と振り返ります。
ただし青木さんは、リプロダクトを求める気持ちは、本当の満足を求めているのとは少し違う気もする、と留保します。主観的な満足というより、他者からの正解感をコスパよく満たそうという不純さが混じる、というのです。
代わりのものであっても、自分の主観で芯を食って選べている実感があれば、寂しくない。むしろかっこいい、と2人は話します。うんちくや来歴よりも、自分がどう感じたかのほうが大事だ、というのが青木さんの立場です。
(ワインやコーヒーで)あれ、これ美味しくない?みたいな。飲んでも飲んでもそう思うし、他のものと比べてもそうなんだけど。って思えてるっていうことがすごく重要で。
古着屋でキャッキャできない、という自認
今井さんは、ファストファッションで全身をまとっていても、意思を持って「これめっちゃ良くないですか」と言える人はかっこいい、と語ります。
YouTubeでよくやってるユニクロのこれめっちゃ良くない?みたいな。欲しくなるもんね。
青木さんが素敵だと言うのは、動画を見て欲しくなる自分ではなく、みんなが一様に見ているユニクロのシャツに「これめちゃくちゃ良くないですか」と最初に思える人です。ハイブランドでもGUでも古着でも、自分基準で選べる人に憧れる、といいます。
一方で今井さんは、自分は昔からそれができないと打ち明けます。古着屋に行っても選べないのは、正解がわからないというより、別の自認があるからだそうです。
服が似合う体型をしていないと思っていて。服の方に頼らないといけない気がしてて。(だから)最近作られたものの方がいいんじゃないかと。
以前、青木さんと内沼さん、上田さんと古着屋に行ったとき、2人がキャッキャと盛り上がっていたのに対し、今井さんは「俺に似合う服はここにないんだよな」と感じていたと明かします。
青木さん自身は、お金のなかった高校時代、古着で謎の服を買って代わりのもので満足していたそうです。対して今井さんは、私服がほとんどいらない生活のなか、BEAMSで買った2枚の服をずっと着ていたといいます。
おしゃれって、本当に「全部なのよ」
青木さんは、自分はおしゃれな人ではないと言います。理由は「似合う」がわかっていないから。おしゃれな人はスタイルの変化量が少なく、自分に似合うサイズ感や色、デザインの幅が決まっている、と観察します。
(僕は)似合うものも似合わないものも、好きになったら買ってきちゃうとこあるから。
青木さんは、服が好きなこととおしゃれであることは別だと整理します。服好きと言われても、本当におしゃれな人から見ておしゃれだと思われている気はしない、というのが自己認識です。
では、おしゃれとは何なのか。今井さんが問うと、青木さんは「本当に全部なのよ」と答えます。サイジング、髪型、体型との相性、顔色の判断、そして着方までが関わる、というのです。
本当にオシャレな人って着てるアイテムがオシャレっていうよりも着付けが上手いんだよ。
シンプルなボトムスとシャツでも、着付けが違う。5ミリ単位のコントロールを本人は自然にやっていて、感覚のない人がマニュアル的に真似しても、絶対にたどり着けない、と青木さんは語ります。
青木さん自身は、柄と柄を合わせないといったルールベースのコントロールしかできない、と自嘲します。それでも、本当におしゃれな人は何を着てもおしゃれで、鍵はアイテムやコーディネートより、サイジングと着付けにある、と締めくくります。
まとめ
この回は「代わりもので満足するのは寂しいか」という問いから始まり、代替品と偽物の違い、時間が本物と偽物を入れ替える現象、そして他者の正解ではなく自分の主観で価値を見出す姿勢の話へと広がりました。
- ノンアルビールや代替肉のように「より良いもの」として自ら選ぶ代替品には、寂しさは生まれにくい
- 模造品やリプロダクト品の寂しさは、他者の正解をコスパよく満たそうとする動機から来る
- 本物と偽物の評価はタイミング次第で、フィガロやイームズのように後から本物扱いされるものもある
- 代わりのもので満足できる人は、価値を追い求める側ではなく、価値を見出す側にいる
- おしゃれの核はアイテムより、サイジングと着付け。自分の主観で選べることが寂しさを消す


