トラクターを買い続ける祖父と、マイクを変え続ける自分
今回のエピソードは、今井さんが新しいマイクを導入した話から始まります。手帳を変えたりマイクを変えたりすれば、自分のスケジュール管理やポッドキャストがよくなるのではと、つい機材や道具を買ってしまう習慣があるといいます。
今井さんは、母方の祖父が大きな農家で、資産の多くを耕作機器に使っていることを引き合いに出します。トラクターなどの高価な機器が新しく出ると買ってしまう祖父の姿に、自分を重ねています。
その規模と職種が違うだけで、(祖父と自分は)すっごい一緒だなと思って。
そんな導入から、今回はリスナー「考えすぎパンダさん」からのお便りが読み上げられます。SNSでは自分のいい部分を自然と選んで出してしまい、期待値が上がることへの怖さがある、という悩みでした。
最初から期待されないのは辛い。いい評価をされたい。でも期待されすぎるのは怖い。かといってよく見せ続けるのも疲れる。
相談の核心は、評価のために自分を上塗りする関係から、弱さや未熟さも少しずつ見せられる関係へ、どうすれば移っていけるのか、という点にあります。
ナイーブだった過去と、後天的に身につけた「強がり」
今井さんは、青木さんが以前SNSに「昔の自分はあまりにナイーブだった」と書いていたことに触れ、その弱さは周りにも見えていたのか、と尋ねます。
わかってたというか、もう制御できてなかったんじゃない?
青木さんは、若い頃は感情を制御できていなかったが、強がることは後天的に身につけたものだと振り返ります。そのうえで、相談者はもともと自分をコントロールできる人なのではないかと推測します。
もしかしたら結構最初からちゃんと、自分をコントロールできる人でね。
さらに青木さんは、相談者は自分の弱みが周りに漏れて「あいつしょうもない」と決定的に思われた経験が少ないからこそ、怖いのではないかと考えます。
一方で青木さんは、感情や衝動を制御せず何でも人と共有する生き方について、良い悪いではなくタフさの問題だと整理します。
(衝動を何でも共有したら)なかなかやっぱりタフな人生になっちゃうよね。
強すぎる感受性には「使い方」がある
話は感受性の話へ移ります。今井さんは、若い頃ナイーブで、今はそれをコントロールできるようになった知人に、才能ある人が多いと感じると話します。
青木さんは、自分をいったん外からの目線で見て操作しようとする行為が、他者の無意識のふるまいへの自覚につながり、コンテンツや関係性の作り方に生きることもあると語ります。
今井さんは、若い頃に感受性が強すぎてオーバーフローすることが、時に表現の豊かさにつながるのではと補います。青木さんもこれに同意し、感受性の強さ自体には良し悪しがないと整理します。
(感受性が強いのは)足速いとか、飯いっぱい食えるとか、そういうことでしかない。
使い方を覚えていくってことなんでしょうね、感受性に限らずね。
「弱さを見せる」と「甘える」は紙一重
今井さんは、弱さを見せることと甘えることは紙一重だと問題提起します。自身の遅刻癖を例に挙げ、5分10分の遅刻を繰り返すのは意識の問題だと先輩に厳しく諭された経験を語ります。
そのうえで今井さんは、「遅刻しちゃうんですよ、だから受け入れてくれ」と開き直るのは甘えではないかと自省します。ただし、それをこうしてネタとして話せている状態自体が、弱さの開示でもあると指摘します。
(遅刻を)でもいいとはもちろん思ってないですね。
今井さんは、「これ良くないと思っている」という姿勢を持ちながら弱さに触れることが、大事なのかもしれないと話します。
周りを「楽にする」弱さと、「だるくする」弱さ
青木さんは、三宅香帆さんの本を読む前までの自分の考えとして、弱さの開示には周りの負荷を下げる効果があるケースがあると説明します。
(弱さを見せることで)周りの人の負荷が下がる、っていうケースもあるよね。
青木さんによれば、開示することで周囲が要求レベルを下げられ、傍を楽にする効果を持つ弱さがある一方で、周りをしんどくさせる弱さの開示もあるといいます。
青木さんは、たとえば「いつも青木さんと話していると、自分のこういうところで悩む」と言われたら、聞くのはいいが若干だるさを感じる、という例を挙げます。
(弱さを開示されると)その瞬間はさ、うわ、ちょっとだるいなってなるよね。
ただし青木さんは、そのだるさを乗り越えた先にもっと仲良くなることもある、と付け加えます。問題は、その瞬間の「だるさ」を相手に感じさせる弱さをどう扱うか、という点にあります。
開示すると相手が要求レベルを下げられ、傍が楽になる。愛嬌に近い開示。
聞いた瞬間に相手が負担を感じる。乗り越えた先に距離が縮まることもあるが、その瞬間はだるい。
相手を「世話する対象」として見続けてきた
青木さんは、開示するにせよしないにせよ、これまで自分は一貫して相手を世話する・ケアする対象として見てきたと気づいたと語ります。
これってさ、一貫して相手を世話する対象として見てるでしょ。
一方で青木さんは、自分が世話してもらうことを良くないこと、極端に言えば恥ずべきことだと思う節があると打ち明けます。理由を問われれば、そんな自分を受け入れられない気持ちがあるといいます。
青木さんは、仮に自分が一回り年下の今井さんにコンプレックスを打ち明けたら、という架空の例を挙げます。あり得ることではあるが、聞いた側は「自分で処理してきてくださいよ」と思うだろう、と語ります。
先輩それ自分で処理してきてくださいよとは思うよね。
そう考えると、相談者が弱さを少しずつ見せていいのかと悩んでいること自体、これまで人を世話する側に回り続けてきた人なのかもしれない、と青木さんは推測します。
距離が縮まらない印象と、その根っこにあるもの
青木さんは、自分がよく周囲から言われる印象を紹介します。話すと距離がわっと縮まったように見えるのに、そこから何年付き合っても縮まる感じがしない、というものです。
(付き合っても)距離が縮まるような感じがしないっていうね。
青木さんは、その印象の根底に、自分がケアされることを避け、ケアする側に回ろうとする姿勢があるのではないかと分析します。
そのうえで青木さんは、健康で分かりやすく困っていることもないのに、贅沢な悩みを他者に出すことへの抵抗を口にします。自分が出されることをネガティブに思いすぎているから、自分でも出せないのかもしれない、と振り返ります。
「ちょうどいい弱さ」なんてない
青木さんは、扱いが難しいのは愛嬌としてポジティブに働く弱さではなく、出したら場が確実にだるくなる弱さだと整理します。愛嬌のいいおじさんになるだけでは、弱さを出した効果はないと指摘します。
いい感じで弱さを出して、みたいな。でもそれは全然弱さを出した効果ないから。
青木さんは、弱さを見せたいという人や、他人にも見せてほしいという人に対して、だるい弱さを出したときにそれを受け止める覚悟があるのか、と問いかけます。
その論理はこうです。自分がだるさを相手に出すなら、相手のだるさも受け止める道義的責任が生じる。だから、都合よく距離だけが縮まる「ちょうどいい弱さ」など存在しない、と青木さんは語ります。
自分の責任で処理する「ハードボイルド」という美意識
今井さんは、「経営者は孤独だ」とことさらに語る経営者があまり好きではないと話します。自分で会社を始めた創業者なら、自分で始めたのだから、と処理してしまうといいます。
青木さんは、それは今井さん自身が孤独を自分で処理しているからこそ、他人が処理しない姿を「だるい」と感じるのだ、と指摘します。
だから、いや、こいつ処理しねえな、だりいな、っていうふうになると思うんだな。
青木さんは、この背景に世代的な美意識があるのではと語ります。外界も自分も変化するが、それを自分の責任の中で処理してやるべきことをやる、それがかっこいいという価値観です。
青木さんは、ハードボイルドは悪くないとしつつ、それだけが選択肢ではないはずだと語ります。54歳になった今、本当にハードボイルドなまま老人になっていいんだろうかという問いが浮かんでいるといいます。
半熟だった卵が、火の通った卵になるまで
青木さんは、自分の変化を卵にたとえます。若い頃はナイーブで半熟だったが、そのままではいられず、自己規律や自己研鑽の中で時間をかけて硬い卵、ハードボイルドな自分へ移動してきた、という比喩です。
当時半熟だった(卵が固ゆでになった)。
今井さんは、青木さんが今は「すごい火が通った」状態に見えると応じます。青木さんも、当社比ではある種の堅牢性を持つ、調理されたものになったと認めます。
ただし青木さんは、それが本当に完成形なのかと疑問を投げかけます。どんなにハードボイルドでも、体を壊して人に助けてもらわなければいけないとき、そのまま硬いままでは周りも困ってしまうからです。
(助けが必要な)その状況、世話になってるのに、ハードボイルドってさ。(周りも困っちゃう)
他者の切実な弱さを受け止める強さが育っていない
青木さんは、いまも他人がだるい悩みを持ってきたら「だるいな」と思ってしまうと正直に語ります。しかし、それが将来の自分を苦しめるだろうと予感しています。
青木さんは、親の介護など、身近な人の切実な弱さと向き合う場面を想定します。そのとき、自分にはその弱さを受け止める強さが育っていないのではないか、と危惧します。
青木さんは、ハードボイルドが「デタッチメント」、つまり他者と距離を取ることと密接に関係すると説明します。相手からだるいものが返ってきても自分が硬くいられるように、適切な距離を取るのがハードボイルドだ、というわけです。
しかし青木さんは、本当に切実な問題を抱えた身近な人がいれば、距離など取れないと語ります。距離を取らずに対応する力が育っていないことを、54歳になって自覚したといいます。
もうだからね、ハードボイルド気取りおじさんになってしまってるのよ。恐ろしいことに。
「小さな実験」でOKゾーンを広げる
今井さんは、ここからどう努力すればいいのかと尋ねます。青木さんは、努力というより「実験」だと答えます。
青木さんが挙げるのは、思い切って今井さんにだるい相談をしてみる、という小さな実験です。相手が思ったほどだるがらないかもしれないし、逆にきついと感じるかもしれない、と語ります。
(だるい相談をされても)でも今までで一番本当に距離縮まった気がします、みたいなこと言い出すかも。
青木さんは、世界は自分の想像通りにはならないという事実を頼りに、実験を繰り返すしかないといいます。番組内での見た目のイメチェンなども、その実験の一つだと明かします。
青木さんは、この試行錯誤をゴルフのコースにたとえます。狭いと思っていたフェアウェイが、実は意外と広いかもしれない、という感覚です。
だから努力っていうよりは実験じゃない。ちっちゃい実験をする。
青木さんは、狭いと思っていたOBゾーンや、ラフだと思っていた場所が、実は使えるフェアウェイかもしれないと、少しずつ確かめていくしかないと語ります。
暗黙の前提を疑うことこそ、オーバーシンカーの仕事
青木さんは、相談者も自分も、人生の中で確立してきた指針や倫理観、モデルを一度疑おうとしているのだと整理します。それこそがオーバーシンカーの本領だといいます。
青木さんは、新しい前提がまだ確立されていない時期の無様さを受け入れる勇敢さと、細かい実験を根気よく続ける実験精神が、節目節目で求められると語ります。
その例として青木さんは、18歳の頃の倫理観のまま30歳を生きられないことを挙げます。18歳のときは30歳で終わりだと思っていたが、30歳には30歳の世界観と指針があったといいます。同じように、30歳のままでは45歳、50歳にはなれないのだと語ります。
恥をしのいで、恥をかく勇敢さ
今井さんは、大人になることは恥を知っていくことだと考えていると話します。子どもは何もかも恥ずかしくないが、大人になるにつれて恥を感じるようになる、というのです。
今井さんは、それがハードボイルドになっていくことと同義であり、ここから先はそれを緩めていくことになるのかもしれない、と話します。
青木さんは、恥ずかしくないと思うのではなく、恥ずかしいけれど恥を忍んでかく勇敢さを持つことだ、と言い換えます。恥によって自分のOKゾーンが狭まり、綱渡りのようになっている状態を指摘します。
その自分の領域を、要するに恥でさ、狭まっちゃってんだよね。
青木さんは、OKゾーンを狭く捉えて生きる様は、他者からは「打ち解けられない」「マナー警察のよう」に見えてしまうかもしれないと語ります。40代前半に始めた「笑顔の練習」が、それを緩和する始まりだったと振り返ります。
そのうえで青木さんは、直近10年でようやく周りを楽にする弱さを開示できるようになったと語ります。それ以前は、周りを楽にする弱ささえ適切に出せていなかったといいます。
その前は、周りの人を楽にする弱さでさえ適切に開示できてなかったのよ。
三宅香帆『「夫婦」不在社会』に食らった
今井さんは、自分がインプットしたものを全部出す編集学校をしていると、「いつ寝てるのか」「何もしたくない日はないのか」とよく言われると話します。実際は土曜に一日寝てしまう日もしょっちゅうだと打ち明けると、みんなが楽になる感じがあるといいます。
(何もしたくない日は)むちゃくちゃあると。土曜日一日寝ちゃったとか、しょっちゅうだよ、って言うと。
青木さんは、これから50代60代にかけて、身近な人との間で「だるい弱さ」をどう扱うかが、まだ答えの出ないテーマとして自分に突きつけられていると語ります。
今井さんが、そのテーマを考え始めたきっかけを尋ねると、青木さんは三宅香帆さんの『「夫婦」不在社会』を挙げます。
(あの本を読んで)まあちょっといろいろ食らったとこがあって。
青木さんは、この本を読んで「確かにこの側面から見たらこうだ」と気づかされ、考え始めたと語ります。ここ3ヶ月で読んだ本の中でベスト3に入るほど面白かったと締めくくります。
まとめ
弱さを見せられる関係の築き方を入り口に、話は「ハードボイルドという美意識」を疑い直すところまで進みました。都合のいい「ちょうどいい弱さ」はなく、周りをだるくさせる弱さをどう扱うかが、青木さんにとってのいまのテーマです。答えは出ないまでも、前提を疑い、小さな実験でOKゾーンを広げていくことが手がかりとして語られました。
- 弱さの開示には、周りを楽にする弱さと、周りをだるくさせる弱さの2種類がある
- だるい弱さを出すなら、相手のだるさも受け止める責任が生じる。都合のいい「ちょうどいい弱さ」はない
- 困難を自分の責任で処理する「ハードボイルド」は、他者と距離を取るデタッチメントと表裏一体で、切実な弱さを受け止める力が育ちにくい
- 正解を探すより、前提を疑い、小さな実験を繰り返してOKゾーンを少しずつ広げていく
- 恥ずかしくなくなるのではなく、恥を忍んで恥をかく勇敢さを持つことが、狭まった領域を広げる鍵になる







