都会から漁師町へ、自分だけが外側にいる孤独
この夜のお便りは、ペンネーム春菜さんから届きました。番組をよく聴き、おすすめされる本が「深く相手の方を考えていて好き」と綴られたうえで、自身の悩みが打ち明けられます。
春菜さんの家はステップファミリーで、夫には連れ子が2人、再婚後に生まれた男児もいます。しかし夫との仲は冷え切り、喧嘩ばかりだと言います。
ママ子2人とはほとんど会話はなく、私だけ仲間外れみたいです。あえて私も別行動をして過ごしています。
春菜さんには「子供が2人欲しい」という夢がありました。けれど夫は2人目を断固として欲しくないと言い、その最大の願望すら叶わないのかと日々辛いと綴られています。
都会から田舎の漁師と結婚し、玄関は違うものの義理の父とも同じ家に暮らしています。義父のことは好きだけれど、心は日々のストレスで休まらない。経済面の苦労はなく専業主婦ですが、離婚も、ブロックされている元カレのことも頭をよぎると打ち明けます。
バタやんさんは、単純ではない家の中の人間関係と、都会から漁師町へ移り住んだアウェイな環境で奮闘してきたことに、まず寄り添います。
ご自身だけが外側にいるような疎外感と、そこに引き入れたはずの最も味方でいてほしい旦那さんとも関係が冷え切っている。経済的な苦労はないだけに、余計にヒリヒリとしたお気持ちを感じるお便りでした。
選んだのは「救われる本」ではなかった
今夜の勝手に貸し出しカードは、キム・ユダム著/小山内園子訳の『ケアする心』です。バタやんさんは、なぜこの本を選んだのかをまず説明します。
この本は、現代韓国の女性たちが直面する家族のケアという名の逃げ場のない労働と感情のヒダを描いた、10篇の短編集です。
裏表紙には、訳者・小山内さんの後書きから、この本の性格を示す一節が引かれています。
愛着から嫌悪感まで、それは時に憎しみにも至る。実に多彩な本書の登場人物に共通点があるとすれば、ケアにまつわる感情のグラデーションを体験していることだろうと。
家族の世話をする、面倒を見る、一緒に暮らす。そこには愛や愛着だけでなく、嫌悪や憎しみも地続きにある。バタやんさんは、そういう本なのだと語ります。
救われるとか、Howtoがわかるとか、元気が出るとか、そういうタイプの本じゃないんですけど、ぜひよかったら春菜さんにも読んでみていただきたい。
共感する人が見つかるかもしれないし、いないかもしれない。むしろ憎しみが増したり、理不尽さの輪郭がくっきりしちゃうかもしれないとも添えます。
一方で韓国の小説ならではの距離感も指摘されます。日本と似ているところもあれば、コミュニケーションの取り方やしきたりに異国の部分もあり、そのぶんフィクションとして楽しめる感覚があったと話されています。
自分の居場所の扉を、自分で閉めていく人
10篇のうち、まず紹介されたのは「安」という一文字のタイトルの短編です。主人公は新聞記者の女性で、高学歴の母から「ちゃんと専門職になれ、キャリアを積め」と育てられてきました。
物語の冒頭では、長男の嫁として旧家に嫁いだ叔母が亡くなります。その叔母は、自己犠牲の権化のように嫁の務めを果たしてきた女性でした。対照的な2人の女性像を吸収して育った主人公が、ミニシアター好きの趣味人らしい夫と結婚します。
仲良し夫婦になれるかと思いきや、そこに義母が加わり、3人の女性の影響が主人公に及びます。さらに夫自身が、旧来型の価値観を色濃く持つ男性でした。
君は一人っ子で寂しく育ったから、大勢でご飯を食べる喜び、幸せを知らないんだ、みたいなこと言われちゃって。
いやいや、私は一人っ子だけど、別に寂しく育ってねえわ、みたいなね。
結婚当初からぎくしゃくが始まります。実の母からも「なんで医学部に行かなかったのか」と昔のことを蒸し返され、それに反発して「今の夫の家はいい人たちばかりだ」と言ってしまう。
こうして主人公は、本音を話せる場所、地の自分を出せる場所の扉を、自分でどんどん閉めていってしまいます。バタやんさんは「苦しい」と言いつつ、あるよね、そういうことという手触りのある小説だと語ります。物語の最後で主人公がどんな選択をするのかは、読んで確かめてほしいと結びます。
完璧なベビーシッターが見せた、意外な素顔
バタやんさんがこの短編集で一番好きなのが、表題作の「ケアする心」です。生後8か月の娘を育てる主人公が、復職を目指してベビーシッターを探す話です。
なかなかいい人が見つかりません。むしろこちらが値踏みされ、マウントを取られているような感覚に陥ります。
ママさんがちゃんと分かってないからさ、みたいなこと言われたりして、嫌な思いをするんですよ。
そんななか、同じ団地に住む高齢のマダムが「私が面倒見ましょうか」と申し出てくれます。ちゃんとした人で「よかった」と安堵したのも束の間、ある日、思いがけずそのマダムの意外な一面を知ってしまいます。
その正体は語られませんが、聞くともなく偶然知ってしまった彼女の一面を前に、「さてどうする」という展開になります。バタやんさんは、団地の情景が目に浮かぶサスペンス感のある一篇だと話します。
私ならどうするかな、なんて言うかな、なんて話すかなって、すごい考えちゃう小説でした。
この作品を読みながら、バタやんさんは一穂ミチさんの『恋とか愛とかやさしさなら』を思い出したと言います。婚約した素敵な彼氏が電車での盗撮で捕まってしまい、それを知って「さてどうする」という物語です。
主人公が自分の考えとか気持ちとかもちろんあるんですけど、それとは別に家族や親友がいろいろ言ってくるんですよね。そうすると自分の気持ちって上書きされたりする。
「ケアする心」でも、周りが子育てにあれこれ言ってくる場面があります。とりわけバタやんさんが頭に来るのは、夫の態度でした。
以前来ていたベビーシッターに、家の石鹸や備品をくすねているかもしれない疑惑が持ち上がり、主人公が夫に相談する場面があります。
そんなことで目くじら立てなくても、そのくらい許してやれよ的な感じ、呑気な感じなんですよ、その旦那さんは。イラついてるお前がバカって言われてるような。
バタやんさんは、こうした細かい描写こそキム・ユダムさんの上手なところで、訳者・小山内さんの訳も自然だと評します。主人公ミヨンさんが職場の後輩のやらかしに振り回される場面も含め、仕事でも家でも憤ったりホッとしたりしながら読んだと語ります。
「ケアは一方に強いられてはいけない」という一節
続いて、この本から今夜の神フレーズが紹介されます。後書きにある、著者キム・ユダムさんへのインタビューからの一節です。
後書きには、課せられた負担の重さや振り当てられた人生の理不尽、ケアにあえぐ人に寄り添う物語がこの本には集まっており、多くの葛藤を抱えた人へのケアとなることを訳者として願う、とも綴られています。
バタやんさんは、この後書きを読んで「ああ、そういう物語だったんだ」と気づいたと言います。ケアという言葉には、上の人が下の人に施すようなイメージがつきまといがちです。
けれど、お互いが対等で心地よく過ごすことだとすれば、一方がすごく我慢をすることでは成り立たない。察してくれよ、では成り立たず、歩み寄りや気遣いが必要になります。
だからこそ、ケアを受ける側にも、気を遣い、朗らかに振る舞い、感謝を示す姿勢がいる。この本は、それを代弁してくれる小説のように感じたと話されています。
上の人が下の人に、健常者がそうでない人に一方的に施すもの
対等な相手同士が歩み寄り、双方が気遣いや感謝を担うもの
春菜さんのお便りの何かがこの回で解決したわけではありません。それでもバタやんさんは、読後に生まれる気持ちに期待を寄せます。
もっとムカついたり、イラッとしたり、家族の想定からは外れる行動を取ったっていいし、知らんぞっていう気持ちが、この本を読んで後押しされるといいなと思って。
まとめ
家族のケアには愛も憎しみも地続きにある――そんな感情のグラデーションを描く『ケアする心』を軸に、我慢を一方に押しつけない関係のあり方を語った相談回でした。悩みを直接解決する本ではないぶん、読んだあとに背中を押される感覚を大切にした選書になっています。
- 『ケアする心』は、家族のケアにひそむ愛着から憎しみまでの感情を描いた韓国の短編集
- 短編「安」は、本音を出せる場所の扉を自分で閉じていく苦しさを描く
- 表題作「ケアする心」は、ベビーシッターの意外な一面をめぐる「さてどうする」の物語
- 神フレーズは「ケアする心が一方にばかり強いられてはいけない」
- ケアは一方の我慢では成り立たず、対等な歩み寄りと気遣いが必要という視点が示された




