リリース後初収録、届いた反響を振り返る
番組「絶賛懐疑中」は、世の中の当たり前や習慣を懐疑的な視点で捉え直し、世界をちょっとだけ面白くするためのルールを提案するポッドキャストです。パーソナリティは、株式会社MIMIGURIリサーチャーの東南裕美さんと、代表の安斎勇樹さんです。
この回は、番組がリリースされてから初めての収録でした。最初の数回は公開前に撮り溜めていたため、反応が読めないまま録っていたと安斎さんは振り返ります。
最初の何回かは、リリース前に撮り溜めてたやつだったんで、これ滑ったらどうしよう、誰も聞かなかったらどうしようって怯えながら撮ってたんだけど、今回初めてリリース後の収録なんでね。
実際には、Apple Podcastのビジネスカテゴリでベスト10入りし、Spotifyの急上昇ランキングでも上位に入っていたといいます。SNSでハッシュタグ付きの感想が寄せられたことも、二人の励みになったようです。
これまで扱った会議や労働時間といったテーマについて、リスナーや社内から「自分も考えてみたくなる」という声があったことにも触れ、引き続きテーマ募集を呼びかけています。
「優秀」とは何か、辞書を引いて路頭に迷う
今回の会議テーマは「マネジメントは優秀な人がやるべきか」です。安斎さんは講演でも、どういう人にマネージャーを任せるとよいかをよく聞かれると話します。
二人とも最初の反応としては「優秀な人がやった方がいい」でした。ただ、それで終わらせず深めていくのがこの番組の趣旨です。まず論点になったのは、そもそも何をもって「優秀」とするかでした。
優秀な人って何をもって優秀な人というのか問題。プレイヤーとしての優秀さとマネージャーとしての優秀さって、なんか違う気がするし。
東南さんは定義を確かめようと、まず辞書を引いたと明かします。ところが出てきたのは「非常に優れていること、そのさま」という説明で、手がかりがつかめなかったといいます。
非常に優れていること、そのさまって出てきて、何にも言ってないと思って。
博士課程とかで研究されてる方っすよ。国語辞典引いて、あーダメだつって路頭に迷っちゃった。
もっとも東南さんは、組織開発の研究でOrganization Development ── 組織開発。組織の健全さや効果性を高めることを目的に、対話や仕組みづくりを通じて職場に働きかける実践・研究領域を扱う際、Developmentという語の由来を調べる必要があるように、言葉の定義から確かめるのは大事な工程だと補足します。辞書のあとは論文にもあたったと話しました。
優秀さは3つに分けられる、という整理
東南さんは、優秀さがかなり抽象的である以上、場面や状況によって意味が変わると整理します。営業なら営業成績、汎用的には地頭の良さや意思決定の速さ・妥当さ、何でもこなす器用さなど、複数のベクトルがありそうだと挙げました。
安斎さんは、この問いの前提には優秀さの3つの層があると整理します。領域固有の専門技能、領域普遍の汎用的な個人能力、そしてマネジメントという職能そのものの優秀さです。
営業なら営業、エンジニアならエンジニアとしての専門技能
頭の回転の速さなど、領域を問わず効く汎用的な能力
マネージャーという役割そのものにおける優秀さ
この整理から、専門性の高いプレイヤーが良いマネージャーになるのか、賢い人が向くのか、それともマネージャー固有の優秀さがあるのか、という問いが浮かぶと安斎さんは指摘します。
安斎さんの持論「マネージャーはやりたい人がやるべき」
ここで安斎さんは自身の持論を切り出します。マネージャーは、やりたい人がやった方がよいという考えで、MIMIGURIもおおむねその方針だといいます。
背景にあるのは、現代のマネジメントの負荷の高さです。外部環境の複雑性や不確実性が高く、管理職が罰ゲームだとまで言われるなかで、やることは数十年前より膨らんでいると安斎さんは話します。
これに対して前向きな感情を持ってない人がやるって結構厳しくない?って思ってるんですよね。
だからこそ、プレイヤーとしてある程度やり切り、次の挑戦として「マネジメントをやってみたい」と手を挙げた人に任せるのが最適解ではないか、というのが安斎さんの立場です。マネージャーは、やりたい人がやった方がいいという一点に持論は集約されます。
東南さんも、技術の熟達に一区切りがつき、別のフィールドに挑む感覚でマネジメントをやってみたいと思える形が望ましいと応じます。
安斎さんは、結果として手を挙げる人はプレイヤーとしてそこそこ優秀である確率が高い、とも補足します。ある程度やれているからこそ次に進みたくなるためで、まったく優秀でなかった人がマネージャーになるケースはむしろ少ないという見立てです。
くじ引きマネージャーの方が優秀だった、という研究
一度は「これをルールにしよう」となりかけたところで、東南さんが調べた研究を持ち出します。マネージャーに自ら手を挙げた人よりも、くじ引きで決まったマネージャーの方が良い成績を上げた、という実験室研究です。
それは嘘だよ。
実験の枠組みはこうです。3人1組のグループでグループ作業を行い、対象チームを半分に分けます。片方はマネージャー志願者を役に就け、もう片方はくじ引きでランダムに決め、成績を比較すると、くじ引きの方が良かったといいます。
安斎さんが反論しようと座り直したのを察し、東南さんは先に理由の説明へ進みます。手を挙げた人には自信過剰な側面があった、というのが考察のポイントでした。
根拠として、自ら手を挙げた人は「人付き合いがうまい」と高く自己評価する一方、相手の表情から感情を読み取るテストでは点が低めに出る傾向があったと紹介されます。SNSでマネジメントやチームリーダーシップに関するスキルを掲げる割合が平均より高いことも、自信過剰の裏づけとして挙げられていたといいます。
つまり、自分は人付き合いやマネジメントが得意だと過信する一方で現実を正しく捉えられておらず、それが悪影響になったのではないか、という考察です。それなら、そういう人が就くよりランダムに決めた方がまだ成績が良かった、というのがこの研究の主張だと東南さんはまとめます。
「私リーダーやります」がうまくいかない理由
安斎さんは、この研究を学生の授業や就活のグループワークに引きつけて理解します。「私リーダーやりますよ」と率先して引き受ける人が、必ずしもうまくいくとは限らないという実感です。
よかれと思ってリーダーを引き受けてくれた場合に、その自信過剰さによって周りがちょっと受動的になったり、空回ってうまくついていけなかったりして、「なんでみんなちゃんとやってくれないんだ」みたいな圧を出してしまって、余計みんなが空回ってしまう。
そのうえで安斎さんは、これは自信過剰が原因である以上、抜擢問題を抜きにしても通じる話だと論点を広げます。ベテランであっても、マネジメントを最も狂わせるのは過信だという見立てです。
マネジメントを一番狂わせるものって過信だと思うんですよ。自分は正しいっていうか。
権限と高い報酬を得て、5人・10人・20人と責任範囲が広がるなかで、「部下の仮説より自分が正しい」「自分の方が有能だ」と感じた途端に、メンバーを道具のように扱い、意思決定が狂っていく。それがマネジメントの落とし穴だと安斎さんは説明します。
謙虚さこそ優秀さ、という定義
この落とし穴を踏まえ、安斎さんは自分にとっての優秀なマネージャー像を示します。自分を疑いながら謙虚であることが、その中核だといいます。
自分の意思決定に疑いを持ちつつ、周りの人を活かして意思決定を牽引し、それに前向きでいられる人こそ、安斎さんにとって「優秀かつ意思のあるマネージャー」です。だからこそ、やらされて「なんで自分がこの10人の面倒を見なきゃいけないのか」と思う人より、謙虚に意思を持つ人に任せるべきだと述べます。
一方で東南さんは、謙虚さとマネージャーをやりたい意欲が同居する確率は高いのか、と疑問を投げかけます。
ゲームが変わるわけじゃないですか。プレイヤーとしての成果とチームで成果を出すってルールが変わるんで、ジョブチェンジした感覚でやらないとできないと思いますけどね。
みんなやりたがらない時代に、誰に任せるか
東南さんは論点を一段引き上げます。やりたい人がやればよいという原則は認めつつ、現代環境でそう簡単に「やりたい」と思う人が現れるのか、という問いです。
安斎さんはこれを、「みんながやりたがらないこの時代に、誰に任せるのが一番適切なのか」という問いに置き換えます。東南さんは、その適切さの基準として、状況を客観視できる謙虚さがあるのではないかと応じました。
では具体的にどういう人か。東南さんは、人の特徴よりシチュエーションだと考え、プロジェクトなどで似た状況の成功体験を積み、マネジメントに近いことを「面白いかも」と感じて動機づけられた人がタイミングとしては良いのでは、と挙げます。
じゃあやりたいやつがやるっていう。でもそれはそれで、なんか釈然としないじゃないですか。
営業か開発か、マネジメントの中身で変わる話
安斎さんは、議論が「やりたい人」に戻ることを認めつつ、何をマネジメントするかで話が変わると新たな軸を持ち込みます。
たとえば営業チームの数値管理と、エンジニア出身者が他職種も束ねて事業成長にコミットする場合とでは、求められるものが異なります。事業マネジメントと人・組織のマネジメントも別物だと安斎さんは整理します。
同職種を束ねるため、営業が得意でない人が担うのは違和感が大きい
部下の職種の専門スキルがなくても、周りの力を借りて事業を推進できる
後者では、デザインやエンジニアリングのプレイングスキルより、「前職でこういうプロダクトを成長させた」「ゼロイチが得意」といった実績の方が説得力を持つと安斎さんは言います。
結局マネジメントすると信頼されなきゃいけないんで、どうやって信頼を獲得していくかの手がかりがどこにあるのかって問題な気がしていて。
信頼の獲得は、実績で得るタイプもいれば人間の器で得るタイプもいます。ただ、尊敬や信頼をまったく得ずにマネジメントするのは難しいため、信頼される根拠のある人がやるべきだというのが安斎さんの結論です。
できなかった人の方がいい、という仮説
東南さんは、論文を踏まえて温めていた別の仮説を持ち出します。プレイヤーとして優秀である必要はなく、むしろ現場の景色がわかることが信頼獲得の一歩になるという見立てです。
そこから東南さんは、同じ現場を経験しながらも成績を出せなかった人の方が良いのでは、と踏み込みます。根拠にしたのは、自身の高校時代の経験でした。
数学が苦手だったけど克服した人とか、わからなかった問題が解けるようになった人からの説明ってめちゃくちゃわかりやすかったなと思ったんですよ。
現場の難しさやうまくいかなさを想像できる人こそ、教える相手に寄り添えるという発想です。東南さんは、できる限り成果を残せなかった人が優秀なマネージャーなのでは、と提案しました。
ティーチングかコーチングか、教える形の違い
安斎さんは、この仮説を「営業チームか、そうでないか」の軸と結びつけて検討します。マネジメントには、ティーチングによるものとコーチング ── 答えを教えるのではなく、問いかけや対話を通じて相手自身の気づきや答えを引き出し、成長を支援する関わり方によるものがあると整理します。
同職種を束ねる場合、その領域の専門技能をある程度ティーチングできないとマネジメントしづらい。ただし自分が天才すぎるプレイヤーだと、なぜできないかを説明できず、かえって教えられないと安斎さんは指摘します。
なんで解けないの?みたいな感じになっちゃう。
そこで安斎さんは、職業スキルでマネジメントするならナレッジマネジメント ── 個人が持つ知識や経験を、他者が再現できる形式知として整理・共有し、組織の資産として活用する取り組みとセットになると述べます。自分のやってきたことを棚卸しし、リフレクションして再現可能な形式知にしていることが、マネジメントスキルと対になるという考えです。
自分がプレイヤーとしてやってきたことをちゃんと棚卸してリフレクションして形式知にしてあるっていう学習工程を踏んでない人がマネージャーやるのは結構きついと思う。
つまり必ずしも昔つまずいた経験は必要なく、リフレクションができ、言語化できる人がマネージャーに向く、という整理です。
自分の知らない仕事を持つ部下をどう育てるか
一方で安斎さんは、現代環境では自分が部下の誰よりも優秀という前提が崩れていると指摘します。マトリックス型の組織などでは、部下が自分の知らない領域を担当するのが当たり前になっているためです。
その状況では、噛み砕いて教えるティーチング型だけでは立ち行きません。やったことのないデザイナーでも育てられる、学習支援できるコーチング的・ファシリテーション的な関わりが必要になると安斎さんは言います。
そこで安斎さんが最も大事だと挙げたのが、メンバーの成長を願えることでした。期待し、応援できることの方が重要だという見立てです。
他人の成長を願うために、自分が満たされていること
安斎さんは、他人の成長を願うためには、自分がプレイヤーとして一定満たされている必要があると続けます。大きな成果や一位である必要はなく、職業人としての自己実現がそれなりに満たされていることが前提だといいます。
自分の職業人としての自己実現がそれなりに満たされてないまま他人の成長を願うって結構むずいと思ってて。
自分より優秀な人や才能のある人に対しても素直に応援できるかどうか。そこに悔しさや妬み、「自分の方が有能だと見せつけたい」という気持ちが残っていると、応援できず、それがマネジメントの足かせになると安斎さんは説明します。
だからこそ、優秀である必要は必ずしもないものの、プレイヤーとして一定の職業的満足感を得た人がやってみようと思えることが大事だ、というのが安斎さんの立場です。
東南さんは、この結論に大きく納得を示しつつ、「やりたい人がやるべきか」にはまだ引っかかりが残ると率直に述べます。それでも、リフレクションできることと、プレイヤーとして満足を得ていることは重要だと受け止めました。
満足感をどう支援するか、組織の役割
安斎さんは、満足の解釈の難しさにも触れます。「この程度で満足してはならない」という考え方もあり、こんなものでいいと思う人がマネージャーになるのはどうか、という議論もありうるためです。
それでも、マネジメントを阻害するのは自己逃避や、弱みを見せられなさ、部下への嫉妬から思ってもないことを言ったり機会提供をしなくなったりする歪みだ、と安斎さんは整理します。抑圧を抱えたままのマネジメントは難しいという見立てです。
そこで安斎さんは、プレイヤー時代に自己ケア的な支援が必要かもしれない、と提案します。褒められて一人前になるのではなく、「自分らしい営業ができるようになった」と自分で認められる経験を、組織として支えるという発想です。
東南さんは、ある領域で巨匠と呼ばれるほど道を突き詰める人は、一つひとつには満足しても道としては満足できないのかもしれず、その人にはその人に向くキャリアがある、と応じました。
提案するルールと、その言い回しをめぐって
まとめとして、二人はこの回のルールづくりに入ります。東南さんが印象に残ったのは「過剰な自信を持っている人はダメ」という点でした。
グループワークで腕まくってブンブン回してる人はやめとけと。
ただし、ある程度の自信や満足感は必要で、そのバランス感覚が大事だという点も両者は確認します。現代のビジネス環境で一人でマネジメントをやり切るには、かなり健全でなければ難しいという結論です。
安斎さんは、そこでMIMIGURIが全チームを2人のマネジメント体制にしている理由に触れます。事業寄りと組織寄りにマネジメントを分けることで、「これなら責任を持てるかも」と手を挙げやすくする狙いです。
ルールの言い回しでは、東南さんの「そこそこの人がやろう」という案が挙がりますが、聞こえの悪さから二人で却下します。そのルールで抜擢されるのは嫌だし、誰も手を挙げなくなる、という理由でした。
最終的に安斎さんは、いろいろな論点を出したうえで、持論を変えずに提案します。ただし今回の重要な論点は、マネージャーの自信の問題だと付け加えました。
こうして今回のルールが決まりました。適度な自信と謙虚さを保ったまま、やってみたいと思えることが重要だ、というこの回の議論を一言に凝縮したものです。
まとめ
この回は「マネジメントは優秀な人がやるべきか」を、優秀さの定義、くじ引きマネージャーの研究、自信過剰の落とし穴、そして他人の成長を願う姿勢へと辿りながら掘り下げ、最終的なルールにたどり着きました。
- 辞書の「非常に優れていること」では手がかりがなく、優秀さは専門性・個人能力・マネジメント職能の3層に分けて考えられた
- くじ引きで決まったマネージャーの方が、自ら手を挙げた人より成績が良かったという研究があり、その一因は志願者の自信過剰と考察された
- 安斎さんは、マネジメントを最も狂わせるのは過信であり、自分を疑い謙虚であることこそ優秀さだと述べた
- 必ずしも優秀なプレイヤーである必要はなく、リフレクションして形式知にできること、メンバーの成長を願えること、プレイヤーとして一定満たされていることが重視された
- この回のルールは「マネジメントはやりたい人がやるべき。ただし、自信満々のやつには気をつけろ」に決まった





