話すことが浮かばなかった夜と、差別に関する記事
この日は散歩もして、日中も特に忙しくなかったのに、夜8時を回るまで話すことが浮かばなかったと切り出します。
ただ、それは余計なことを考えず平和に一日が過ぎた証拠でもある、とも話しています。
何かないかとノートを開いたところ、目に留まったのが差別に関する記事でした。フィリピン留学中に出会った日本人が書いたもので、フォローしているためトップページに出てきたと言います。
その記事の締めくくりが、自分の考えと近かったと振り返ります。差別をしないことは不可能であり、自分も無意識に差別をしているのではと日々考えながら生きることが大事だ、という結論でした。
「差別の定義」を聞きたがる人の心理
差別の話になると、その定義を聞かれることが多い気がする、とパーソナリティは言います。ルッキズムを例に、「じゃあルッキズムの何がいけないのか」と定義の話をし出す人が一部にいる、と。
しかしそれは手段と目的が入れ替わっている、と指摘します。定義を突き詰める前に、そもそもの大前提があると言うのです。
世の中の誰かが正当な理由なく不利益を被っていたら、それは差別じゃんっていう話ですよね
万引きのように迷惑をかけた人を法律で罰するのは認められている。けれど外見などを理由に、個人の判断で誰かが不利益を被る言葉や態度、仲間外れや暴力を受けるのはダメだ、という話にすぎない、と整理します。
つまり根本的には、そういうことをやめましょうと言っているだけだ、というのがパーソナリティの立場です。
一方で、「差別」という言葉が言われすぎているために、どこからが差別なのか、身障者マークは差別なのか、と考えすぎてしまう気持ちもわかる、とも話しています。
「言われた通りにやりました」モードと定義への執着
差別について偉そうに言えるけれど、自分にも弱いところがある、とパーソナリティは打ち明けます。命令されたり「これをやるな」と言われたりすると、自分が「思考停止モード」と呼ぶ状態に入ると言うのです。
例として、掃除の手順を細かく指定してくる相手を挙げます。もっと効率のいい方法が頭に浮かんでも、言った通りにしないと怒るタイプの相手なら、自分は思考停止して言われた通りにやると言います。
言うこと聞いて、その洗剤使って汚れが残っていた時に、ここ取れてないじゃないかって言われても、いや、だって言われた通りやりましたよ、みたいな
差別の定義を聞きたがる人の心理も、これに近いのではないか、と結びつけます。あれも差別、これも差別と言われて何がなんだかわからず、「結局どうしたらいいのか、言われた通りにするから言ってほしい」という気持ちなのかもしれない、と。
ただ、これはあくまで自分がその立場ならこう感じる、という推測だと断りを入れ、実際に定義が気になる人がなぜ気になるのかは、お便りで教えてほしいと話しています。
セクハラの線引きと、答えが一つにならない問い
今おじさんと呼ばれる人たちも、どこからがセクハラなのかで苦労しているだろう、とパーソナリティは言います。同じ「セクハラ」という言葉なのに、その線引きは年々変わっているのではないか、と。
相手が嫌がることをしなければいい、と言われても、どこからが嫌がられるラインかわからない。結局それは主観だから、と難しさを認めます。
主観である以上、確かに差別はなくならないかもしれないですね
自分が食らってきた分野では他人に嫌な思いをさせないよう気をつけるけれど、自分は平気でも他人には嫌なこともある、と例を挙げます。新幹線やバスで座席を倒すとき、後ろの人に声をかけるかどうかは、答えが人によって二分される、と。
電話がいいかメールがいいかも同じで、電話でないと失礼だと本気で思う人もいる。自分はとにかく電話が嫌なメール派だ、とも打ち明けています。
だからこそ、答えが一つになるようなペーパーテストのように考えず、臨機応変に、と話します。新幹線の座席のように相手の希望が見た目でわからない場面では、ゴタゴタと喧嘩せず、SNSに書いたりしないのが一番だ、と。
答えが一つになるような、ペーパーテストじゃないんだから、こういう時はこうって、そんな簡単に考えるんじゃなくて
仕組みで解決する日本、人で解決する海外
ここでパーソナリティは、以前から唱えている説を紹介します。点字ブロックのように身体障害のある人向けの設備を作るのは日本が得意だ、と。
では海外がそういう人に冷たいかというと真逆で、車椅子の人が階段の下で立ち往生していれば、通りかかった人がみんなで車椅子を運んでいく、と言います。ただし主語が大きくなることには自分で注意を促しています。
一方、日本はそれをやらず、仕組みで解決するタイプだと考えている、と話します。車椅子用の昇降装置を駅に設置してほしいと市民自身が要望するのが日本的なムーブだ、と。
日本語での注意書きや設備など、仕組みで人々の行動を規制し解決しようとする
その場の人たちが臨機応変に直接動き、人の力で解決していく
だから、電車で大音量の迷惑行為をする海外のTikTokerを日本は処理できないのだ、と続けます。日本は「マナーを守りましょう」という仕組みで行動を規制しているからだ、と。
その仕組みが成り立ちやすい理由も自明だ、と言います。島国で、北海道から沖縄までみんな日本語が通じるという、他国では当たり前でない前提があるからです。
マレーシアではマレー系・中華系・インド系がいて、同じ国民でも言葉が通じないことがざらにある。その前提で国ができているため、置かれた状況がそもそも違う、と対比します。
だから日本がインバウンドで悩むのは、ある意味当たり前で必然であり、差別のような問題が出てくるのもその流れの必然だ、と話しています。
自分で考える力の弱さと、思考停止の怖さ
差別の話を置いても、臨機応変力や応用力は教育の課題な気がする、とパーソナリティは話を広げます。ペーパーテストの性質上どうしようもない面はあるものの、絶対的な答えが一つあるという考え方は人間の思考を脆くする、と。
その脆さは詐欺やグレーな健康食品にも応用される、と言います。よくわからない成分でも「タウリン千ミリグラム配合」などと言われると、成分が何かも知らないのに良さそうに思ってしまう、という消費者心理には名前がついている、と紹介します。
反ワクチンに騙された人の「水銀が入っている」という反応や、フッ素をめぐる思い込みも同じ構図だ、と例を挙げます。過去にフッ化水素を誤って使った事件をきっかけに、無害なフッ化ナトリウムまで悪者扱いされているのではないか、と話します。
自然派志向の人ほど「人工なんとか化合物不使用」という文脈でフッ素無配合を受け入れやすい。けれど虫歯予防の観点では効果が真逆だ、ととんでもないと感じている、と話します。
そして話は「自分で考える力」に戻ります。AIの登場で今の若い子は考える力が育たないのでは、と偉そうに言う大人こそ、よほど考えていない場面が多いのではないか、と。
AIが何かもわかってないくせに決めつけてるんだよなっていう。ちょっと口調がすいませんね、荒いんだけど
これは世代を問わない話だと補足しつつ、人間の脳は省エネで短絡的に考えるようにできていて、少し恐ろしくなる、と話します。ブラインドタッチのように無意識でできるようになる仕組みは便利だが、同じように思い込みも刷り込まれていく、と。
小麦は体に悪い、睡眠は8時間であるべき、といった刷り込みは、いったん入ると覆しにくく、冷静な判断力を失わせる。だからこそ、人間はそこをもっと鍛えなければいけないのではないか、と締めくくります。
まとめ
差別の定義を問う心理から出発し、思考停止や刷り込みへと話が広がった回でした。答えが一つに定まらない問いに、どう向き合うかを考えさせられる内容です。
- 差別は定義を突き詰める前に、正当な理由なく不利益を被る人がいるかどうかで考えるべき、というのがパーソナリティの立場です。
- 「言われた通りにするから答えを教えてほしい」という思考停止が、定義への執着の背景にあるのではと推測しています。
- 日本は仕組みで、海外は人で問題を解決する傾向があり、その違いが差別やマナーの問題にも表れると論じています。
- 絶対的な答えを求める姿勢は思考を脆くし、詐欺や健康食品の思い込みにもつながる、と警鐘を鳴らしています。
- AIをめぐって若者を批判する大人こそ、自分で考える力が弱いのではないかと問いかけています。




