投稿したばかりの理論を、なぜ先に発信するのか?
人口学者の茂木良平さんは、最近提唱している「家族形成インフレ」という理論について説明しています。この理論をまとめた論文を、査読付きの学術雑誌に投稿したところだといいます。
投稿しただけで、査読はまだ終わっていません。茂木さんは、現時点ではブログに書いている状態とあまり変わらない、未承認のアイデアだと説明しています。
そこで茂木さんは、査読を待ちながらSNSなどで発信し、さまざまな人の意見を聞きたいと考えています。
少子化の問いは「希望する数の子どもをなぜ持てないのか」
家族形成インフレ理論が答えようとする問いは、なぜ人々は希望する数の子どもを持てなくなっているのか、というものです。
茂木さんは、少子化の問題は出生率が低いこと自体ではないと、番組で繰り返し話してきました。問題は、希望する子ども数と実際の子ども数のギャップが開いている点だといいます。
結婚や子どもへの希望は、今も広く持たれています。日本などの先進国だけでなく、アフリカや中南米の出生率が高い国でも、希望の数の子どもを持てない人や結婚できない人が増えているそうです。
そのため茂木さんは、この問いは少子化よりも広い視野の問いになっていると考えています。
家族形成インフレとは何か?条件数と基準値の2種類
経済のインフレとは、以前は100円で買えたものが150円出さないと買えなくなるように、さまざまなものの物価が上がり、同じものを手に入れるのにより多くのお金が必要になることです。
茂木さんは、これと似たことが家族形成でも起きていると考えました。交際、同棲、結婚、子どもを持つことを含む家族形成の前提条件が、インフレしているという見方です。
インフレには2種類あるといいます。1つは条件数のインフレで、以前は正規雇用であればよかったのが、年収、持ち家、家の広さなど、条件がどんどん増えていくことです。
もう1つは基準値のインフレです。条件の数は変わらなくても、年収400万円で十分と思っていたのが、500万円、600万円、1000万円と必要額が上がっていくことを指します。
正規雇用ならOKだったのが、年収や持ち家、家の広さなど、必要な条件の数が増えていく
条件の数は同じまま、年収の目安が400万円から500万円、600万円、1000万円へと上がっていく
茂木さんが重視するのは、本当に必要な条件ではなく、必要だと思われている条件がインフレしているという点です。たとえば、子ども3人に年収1000万円が事実として必要なのではなく、必要だと思われていることが大事だといいます。
なぜ起きるのか?ライフコースの脱標準化が「ボタン」を押す
メカニズムの最初の要因は、ライフコースの脱標準化です。かつては、学校を卒業して1つの会社に入り、職場結婚やお見合いで結婚し、子どもを産んで定年まで勤めるという標準的な人生が一般的でした。
その当たり前が崩れ、転職も、結婚前の複数の交際も、子どもを持たないことも、結婚しないことも許される社会になりました。茂木さんは、この変化自体はいいことだと話しています。
一方で、人生を自分で作らなければならなくなります。ドイツの社会学者ベック ── ウルリッヒ・ベック(1944〜2015)。個人化やリスク社会の議論で知られるドイツの社会学者ですは、これをDIYバイオグラフィーと呼んでいるそうです。
何をいつするかを常に選ぶ必要があり、そのたびに条件を考えて判断することになります。茂木さんはこれが家族形成インフレの「ボタンを押している」のではないかと考え、メカニズムAと呼んでいます。結婚や出産が当然のステップではなく、個人の選択になるということです。
条件が厳しくなる3つの理由とは?
次のメカニズムBは、家族形成に必要だと思う条件が厳格化していく過程で、茂木さんは3つの要素を挙げています。
1つ目は、新しい評価基準の誕生です。アメリカの社会学者ヘイズが論じる集約的子育て(インテンシブ・ペアレンティング)では、現代の子育てには教育だけでなく、情緒的発達の支援、文化体験、親子の密なコミュニケーション、運動なども重要だとされています。
しかし茂木さんによると、こうした数多くの経験則の多くは、エビデンスがほぼないとされています。茂木さんは、中室牧子さんの『学力の経済学』の系統の本ではなく、子育てのエビデンスをまとめた本の話として触れていますが、書名や著者名の表記は確認できないため、中村(仲村)真理子先生の書籍としています。
本当に重要かはわからないのに、言われていることがたくさん出てきます。真面目な親が成功体験の本を読むと、あれもこれも必要だと思ってしまうといいます。
2つ目はリスク回避です。結婚や出産は、一度決断すると後戻りがなかなか難しく、転職よりもずっと難しいと茂木さんは言います。自己決定の責任はすべて自分に来るため、より慎重な判断や高い条件が設定されると考えています。
3つ目は社会的比較です。世代を経るごとに出生率が下がり未婚率が上がるため、身近に結婚や子育てをしている人が減ります。調べるときにSNS、本、テレビなど外の媒体に目が向くようになりますが、そこにはいいことしか載っていないため、過度な比較が生まれるといいます。
関連する研究として、アメリカのオンラインデーティング(マッチングアプリ)の研究があります。マッチを求める相手が、自分と同じ条件ではなく、自分より望ましい条件の人に偏っているというものです。多くの人を見られることで、かえって自分の条件が上がっていくのではないかと茂木さんは考えています。
希望の未実現がさらに条件を押し上げる?フィードバックループ
家族形成に必要だと思う条件が厳しくなると、交際相手や結婚相手が見つからない、希望した人数の子どもを持てないといった、希望する家族形成の未実現が起きると茂木さんは考えています。
ここまでが、希望する数の子どもを持てない理由を説明する流れです。茂木さんはさらに、この結果がメカニズムAとBを強化するフィードバックがあるところが、この理論の面白さだと話します。
1つ目のフィードバックでは、未婚者や子どもを持たない人が社会で増えると、一定の年齢で結婚して子どもを持つという標準が、さらに崩れます。その結果、DIYバイオグラフィーがいっそう強まります。
2つ目は、周囲に結婚している人や理想の子ども数を持つ人が少なくなることです。比較の相手がSNSやメディアになり、切り取られた理想的なイメージが基準になるため、社会的比較などの3要素がさらに厳格化するといいます。
ライフコースの脱標準化
人生を自分で選ぶ必要が生まれる(メカニズムA)
必要だと思う条件の厳格化
評価基準・リスク回避・社会的比較(メカニズムB)
家族形成インフレ
条件の数が増え、基準値が上がる
希望する家族形成の未実現
結婚や希望する子ども数が実現しない
そして、この未実現が最初のメカニズムに戻って強化するのが、フィードバックループです。
理論から何が言えるのか?政策とムードの話
茂木さんは、理論は単純なほどよいとされるため、この説明は単純な形で成立していていいと感じています。ただし、ここからが本題で、この理解を政策やアクションにつなげられるかが鍵だと話します。
茂木さん自身も、この理論から直接アクションを導くことはまだできていません。問題は人々が「必要だ」と勝手に思ってしまっていることなので、政策では難しい面があるといいます。
そんな子育てで肩肘張んなくてもいいんじゃない?みたいな、そういうムードみたいなのが結局大事になってくるのかなとは思ったりもします。
もう1つの示唆は、エビデンスの蓄積が肩の荷を下ろすことにつながる可能性です。エビデンスが見つかっていないことは効果がないことを意味しませんが、必要だと思い込まなくてもよいことは多いと茂木さんは述べています。
さらに、少子化対策があまり機能してこなかった理由の説明にもなりうるといいます。行政が効果のありそうな施策を行っても、受け取る側が「あれも必要、これも必要」と条件を増やしてしまえば、1つの施策の効果は小さくなるという考えです。
不確実な状況でも結婚し、2人の子を授かった茂木さん自身の経験
最後に茂木さんは、個人的な話として、自身の経験を紹介しています。結婚したのは博士後期課程の学生のころで、将来がまったく見えない時期でした。
第一子を妊娠したときは1年契約の非正規の仕事で、次女を妊娠したときは契約があと半年で切れ、その先はどの国でどんな仕事に就けるかもわからない状態だったそうです。
現在、ヨーロッパの研究で重要とされる理論に、将来の不確実性があります。経済、社会、戦争、環境問題などで将来が不確実だと思うほど、出生意欲や出生率が低くなるというものです。茂木さん夫妻は不確実の極みの状態でしたが、結婚し、子どもも2人授かりました。
あれも必要だろう、これも必要だろうっていっぱい考えすぎて、最終的に自分の希望を実現できないっていう方が、なんか勿体ないというか、悲しいのかなと思うので。
茂木さんは、しっかり考えたほうがいいのは前提としながらも、これまで行政に強く期待してきたぶん、これからは受け取る側も考え直す面があると述べています。ただし啓蒙的に個々で考えるという話ではなく、明るいムードがキーになると、割と真面目に考えているそうです。
まとめ
家族形成インフレは、結婚や出産に必要だと思う条件が、数でも基準値でも上がり続けていると見る理論です。茂木さんはその結果、希望する数の子どもを持てない人が増えるという構造を示しました。
- 少子化の問題は出生率の低さではなく、希望する子ども数と実際の子ども数のギャップにある
- 家族形成インフレには、条件数と基準値の2種類がある
- ライフコースの脱標準化がメカニズムAとなり、評価基準・リスク回避・社会的比較がメカニズムBとなる
- 希望の未実現がメカニズムを強化するフィードバックがある
- 必要だと思い込まなくてよい、というムードとエビデンスの蓄積が、肩の荷を下ろす鍵になりうる






