首位で折り返した前半戦を振り返る
7月12日の試合を終え、アンクラスは約2ヶ月半の中断期間に入りました。最後の水俣戦を勝利で締めくくったことが話題の出発点になっています。
順位は九州女子サッカーリーグ1部で勝ち点25。首位で前半戦を折り返しました。
一時は2位に落ちる場面もありましたが、水俣戦で盛り返しての首位です。2位のFC琉球さくらとは勝ち点1差という接戦になっています。
仮に水俣戦が引き分けだった場合、勝ち点は並び、得失点差でアンクラスが2位に落ちる状況でした。アンクラスの得失点差はプラス16、FC琉球さくらはプラス22という数字が紹介されています。
水俣戦では野澤まゆ選手が今季初ゴールで先制し、追いつかれたあと、原虹香選手が勝ち越しゴールを決めました。
この試合の得点者について、森田さんはアンクラスの勝負強さを挙げています。
原虹香選手もカカズクレア選手も、結構そういう勝負強さを出してますよね。
ディフェンダーの渋川選手や大越選手も得点しており、後ろのラインからも点が取れることがチームの強みだと話されています。
盛り上げ役・嘉数クレア姫麗という人
今回のゲストは、チーム得点王タイの嘉数クレア姫麗選手です。FC琉球さくらに唯一の失点をつけたのも、後半41分に途中出場した嘉数選手でした。
スタジアムDJの森田さんにとって、嘉数選手はイベントや司会で頼りになる存在だと言います。
イベントする時、クレアちゃんが必ずマイクを持ってくれて一緒に盛り上げてくれるから、正直私からしたら超ありがたくて。
本人にとっては、サポートというより自分が楽しんでいる感覚のようです。
サポートっていうよりかは、もう自分で遊びに行ってる、ふざけに行ってる感覚なんで、逆にありがたいですね。
番組では、こうした明るい表面的な印象の裏側にある歩みを掘り下げていきます。
沖縄から鹿児島、そして北海道へ
嘉数選手は沖縄出身で、中学まで沖縄でプレーし、高校から鹿児島の神村学園に寮生活で進みました。
寮生活の間に、家族が沖縄から北海道へ転勤します。家族が大好きな嘉数選手はホームシックになり、北海道でサッカーができる大学を探しました。
全国大会にも出ている札幌大学を選び、進学します。当初は大学でサッカーを引退するつもりで、就職先も決まっていました。
転機になったのは大学4年最後のインカレでした。前年に加入した氏家菜美選手からのDMや、サッカーを続ける同期を見て気持ちが揺れていたところに、アンクラス関係者が試合を見に来てくれたと振り返ります。
続ける踏ん切りは、就職を目前にしての決断でした。
もう就職先決まってて、1月半ばぐらいに急にもう断って。
就職先はアルバイト先からそのまま社員にという話で、職場でも大事にされて楽しかったと語っています。
サッカーを始めた「ギスギス嫌い」という理由
インタビューは、そもそもサッカーを始めたきっかけへ遡ります。嘉数選手は長女で、下に妹がいる女姉妹です。兄や弟がきっかけという定番の入り口ではありませんでした。
父がサッカーとバスケの経験者ではあったものの、直接のきっかけは別のところにありました。小学1年のかけっこ大会で1位になり、女子バスケのキャプテンから勧誘されたのです。
しかし嘉数選手は、女子だけの部活の空気になじめませんでした。
女子だけの部活っていうのがちょっと嫌で。なんかちょっとギスギス感がすごすぎて。
断る口実を探していたところ、男子サッカーに一人だけ混じっていた同じクラスの女の子に相談し、サッカー部を勧められます。父の経験もあり、そのまま入部しました。
森田さんは、小学1年でそこまで考えていたことに驚いています。
あのサッカーやってて楽しいとかじゃなくて、バスケの時の(空気が嫌でという)理由からまさかの。
楽しさ優先から「自分が決めればいい」へ
最初はサッカーが上手かったわけではありません。沖縄は本土から離れていてレベルが低く、上手くなることより楽しさを追求していたと語ります。
中学からは女子サッカー部でプレーしました。沖縄では中学に女子サッカー部があること自体が珍しかったといいます。
身体能力の高さで、沖縄の中では上位の成績を残せていました。ただ、プレーの姿勢には偏りがあったと振り返ります。
自分が点決めればいいやとか、あんまチームのことを考えてなかった。自分が目立てばみたいな。
指導者はチームとしてまとめようとしていたものの、本人は自己中心的なプレーに終始していたと客観的に語っています。
神村学園で味わった自信喪失
この状態から、嘉数選手は自ら沖縄を出たいと考え、神村学園の体験会に参加します。スカウトを待ったのではなく、まず自分から動きました。
ところが体験会で感じたのは、圧倒的なレベル差でした。
もうその体験会で、あ、もう無理だなっていうのをもう感じて。
どうせ受からないと思っていたところ、当時の監督から声をかけられます。嬉しさより戸惑いが大きかったといいます。
正直その時、本当になんで?ってしか思わなくて。他に上手い人いたのになっていう感覚で。
入学後も自信を持てず、AからCのチーム編成の中で下位チームにい続けたと語ります。
神村学園では全然ダメで、もう自信なくしちゃって、最初から。
周囲の成長スピードが速すぎて、自分の成長を実感できないまま自信を失っていったと振り返ります。高校でサッカーをやめることも考えたそうです。
大学で辿り着いた「自信と過信の違い」
嘉数選手は、高校での自信のなさを一度リセットし、北海道の大学で立て直すことを選びます。そこで支えになったのが、高校のコーチの言葉でした。
「自信がつくのと過信になるのは違う」という教えを胸に、堂々と、しかし過信せずにプレーすることを意識したといいます。
堂々とプレーできる、自分を信じてプレーする状態
自分を過大評価してしまい、自信とは別物とされる状態
大学ではレギュラーとしてプレーし、結果を残せるようになりました。技術だけでなく、精神的にも大人になり、考え方が変わったのは大学だと語ります。
一方で、今も不調のときは自信を失うことがあると率直に明かします。
ひどい時はなんか今自分が不調のせいで、周りに迷惑してないかなとかまで考えちゃう。
自己中心的だった中学時代から、周囲を気にかける現在まで。嘉数選手は自分の上がり下がりを客観的に言葉にしていました。
吉田・森田が読み解いた成長の道のり
インタビュー後、二人は嘉数選手の歩みを振り返ります。よしだりょうさんは、小学校の楽しさ、中学の自己中(過信)、高校の自信喪失、大学での完成という変遷として整理しました。
その説明に、よしださんは故事成語を引きます。
鶏口牛後っていう言葉があって。鶏の集団であればトップに立てる人でも、牛の集団に入るとその下位の人になってしまう。
よしださんは、神村学園という強すぎる環境では、かけ離れすぎて成長そのものが難しくなった可能性があると解釈します。いきなり100キロのベンチプレスを課されるようなものだ、という筋トレの例えも添えました。
それでも高校で頑張ったからこそ、大学で自分なりに成長できたのだろうと二人は捉えています。原体験である小学校時代の「サッカーが楽しい」が、最後に生きたのではないかという見方です。
森田さんが注目したのは、嘉数選手が自分を客観視して言葉にできる点でした。中学時代の自分を「自分勝手だった」と言えることを、なかなかできないことだと評価します。
一方で、点を取る選手にはエゴが必要だという話にもなりました。ストライカーはエゴであれという言葉を挙げつつ、全体最適とのバランスが取れていったのではないかと語られています。
明るい盛り上げ役という表面の裏に、繊細さと気遣いがある。二人は、その意外な一面が後編でさらに聞けると予告しました。
まとめ
前編は、嘉数クレア姫麗選手が沖縄で楽しくサッカーを始め、神村学園で自信を失い、北海道の大学で自分のサッカーに辿り着くまでの歩みを辿りました。番組は、環境と成長の関係、そしてエゴと客観視のバランスという視点でこの道のりを読み解いています。
- 水俣戦を勝利で締め、アンクラスは勝ち点25で九州女子サッカーリーグ1部を首位折り返し。2位FC琉球さくらとは勝ち点1差
- 嘉数選手がサッカーを始めた理由は、女子だけの部活の「ギスギス感」が嫌だったから
- 神村学園ではレベル差から下位チームで自信を失い、一度はやめることも考えた
- 高校のコーチの「自信と過信は違う」という言葉を胸に、大学でレギュラーとして立て直した
- 明るい盛り上げ役の裏にある繊細さと客観視する力は、後編でさらに掘り下げられる






