「健康的に長生きする」を定義してみたら詰まった
この回は、前回まで語られてきた毛利さんの思考整理のやり方を受けて、秋山さんが実際にひとつのテーマを定義してみた、その途中経過から始まります。
秋山さんが選んだテーマは「健康」でした。ただ、それだけでは深掘りが難しいという毛利さんのアドバイスを受けて、「健康的に長生きする」という形に絞ります。
まず秋山さんは、この文章を「健康的」と「長生きする」に分けました。長生きのほうは定義しやすかったと言います。
平均寿命と呼ばれているものより時間的に長く生きていることを、長生きするという定義に一旦仮置きしようと思って決めてます。
問題は「健康的」のほうです。日常でなんとなく使っているけれど、意味が定まっていない。ここを深掘ろうとしたところで、思考が止まってしまいました。
障害者は病気なのか、それとも健康的なのか
秋山さんは、毛利さんが以前話していた「反対から考える」という方法を使い、健康の反対を「病気」と置きました。そこから健康を「体に病気がない状態」と仮に定義します。
さらに病気を、体の病気と心の病気に分けます。体の病気は「不調が起こり、苦しみがある状態」と考えたところで、思考が別の方向に飛びました。
体の病気というジャンルの中に、障害者と呼ばれる人たちがいる。その中には、病気を抱えて苦しむ人もいれば、それを個性として前向きに、元気に生きている人もいる。ここで秋山さんは引っかかります。
障害者の中にもプラスの部分、障害者で元気に前向きに生きている人たちって、むしろ健康的なんじゃないの?と思って。
病気の中に、健康的に生きている人がいるように見える。この矛盾で身動きが取れなくなった、というのが秋山さんの現在地でした。
「健康」と「健康的」を分ける
毛利さんがまず指摘したのは、テーマの言葉そのものです。「健康的」を考えるなら、「健康」と「的」を分けたほうがわかりやすいのではないか、と話します。
なぜなら、「健康的」の対義語は「病気」ではなく「病気的」になるはずだからです。この視点で、さっきの矛盾がほどけると毛利さんは言います。
自分が病気をしているという認識を持たず、この個性が自分の健康な状態だと捉えて前向きに生きていれば、それは病気的ではない。「的」を分けるだけで、もつれていた思考がほどけるという指摘です。
毛利さんは、乙武さんのように手足がなくても、その状態で前向きに生きていれば健康的だと言える、と例を挙げました。「健康」と「病気」に「的」が入ることで曖昧さが生まれていた、というわけです。
体に病気があるかどうかという状態そのもの。障害があれば病気の側に入りうる
本人が前向きに生きているかどうか。障害があっても病気的ではないと言える
反対語だけで解くのが難しいときの手がかり
続いて、健康の反対語についても掘り下げます。健康の反対は「病気」でいいのか。毛利さんは、直訳すれば「不健康」であり、その中に病気が含まれるのではないかと整理します。
例えば、病気をしていなくても、毎日ポテチとコーラだけで生き、運動もせず一日中テレビを見ている人は、健康とは言いにくい。
毎日ポテチとコーラで生きてますっていう人が健康的なのか、健康なのかっていうと、はてなマークがつきますよね。
ただ、今回のテーマを反対語だけで完全に解くのは難しそうだ、と毛利さんは判断します。そこで手がかりとして持ち出したのが、WHOの健康の定義でした。
体の機能が正常に働き、日常生活を問題なく送れる状態。十分な栄養や睡眠、適度な運動が欠かせない
心が安定し、生きがいや前向きな意欲を持ち、ストレスに適切に対処できる状態
家庭や職場、地域などの中で自分らしい役割を持ち、良好な人間関係を築けている状態
借りてきた定義を、違和感を頼りに分解する
秋山さんは、辞書や既存の定義を調べることには、どこか「逃げ」のような感覚があったと打ち明けます。自分なりの言葉を出すには、対比や分解から始めたほうが腑に落ちると思っていたのです。
これに対して毛利さんは、言葉は誰かが生み出したものだから、先人たちの定義を見るのは自分もよくやると答えます。
それが自分にとって違和感があるかないかっていうところは、結構シビアに見ていった方がいいなって思うんですよね。
違和感があるところにこそ、自分なりの定義や世界の見え方がある。違和感がなければ、その定義をそのまま使えばいい、という考え方です。
そのうえで毛利さんは、WHOの定義を一文ずつ分解していきます。「体の機能が正常に働き」であれば、体のどこの機能がどこまで働けば健康と言えるのか。全部が正常でないと健康でないとしたら、障害者は健康と言えないことになる、と問いを立てます。
「日常生活を問題なく送れる状態」も同じで、何ができれば日常生活と言えるのかを掘れる。食事や睡眠、あるいは自分の足で移動できることが条件に入るかもしれない、と具体例を挙げました。
大きく抜き出して、並列を見分けて分解する
精神的健康の「心が安定しており」も、毛利さんは難しい箇所として取り上げます。秋山さんは、心だけで小さく抜き出すと掘りにくくなるのでは、と尋ねました。
毛利さんは、心でも大丈夫だと答えます。心の安定を考えれば、結局「心とは何か」に行き着くからです。ここで秋山さんが、掘り方のコツをつかみます。
小さく抜き出すよりも、大きく抜き出してから細かくしていくほうがスムーズか。
その通りで、精神的健康は「心が安定している」「生きがいや前向きな意欲を持っている」「ストレスに適切に対処できている」という3つに分かれ、それぞれを定義すれば全体が定まる、と毛利さんは整理します。
もうひとつ毛利さんが強調したのが、文章の中の「並列でないもの」を見分けることです。肉体的健康の説明に付いた「十分な栄養や睡眠、適度な運動が欠かせません」は、状態そのものではなく、その状態を作るために必要な条件です。
この2つを同じ並びのものとして扱うと、また混乱の原因になる。並列に見えて並列でない情報は多い、と2人は確認し合います。
答えは、もうあなたの中にある
話は思考整理の核心に入ります。毛利さんは、分解や対比の前に「仮説を立てる」ことが大事だと言います。
例えば「良好な人間関係を築く」を真っさらな状態から分解することもできるが、「コミュニケーションが上手に取れる人ならそういう関係を築けそうだ」という自分なりの仮説があると、その裏付けとして掘り進められる、というのです。
毛利さんは、自分が以前話した「心が豊かになるのは経験」という定義も、経験を積めば心が豊かになりそうだという仮説から始まっていた気がする、と振り返ります。
なんとなくこうだろうという答えは、気づいているかどうかは別として、もうある。思考の整理は、その答えに形をつけていく作業だ、と秋山さんが言葉にします。
最初の仮説の言葉が完璧とは限りません。「経験」が「いろんなことにチャレンジする」に近い曖昧な言葉になっていることもある。一度仮説を立てて紐解けば、もっと合う言葉が見つかることも、元の言葉のままはまることもある、と毛利さんは説明します。
「健康的に長生きする」も同じで、「元気」「楽しく生きている」「人生を前向きに捉えて生きている」といった方向性がざっくりあるはず。それをWHOの定義や対義語で解像度を上げていけば、確信を持って話せるようになる、という流れです。
そこをまず目標として仮説を立てて、その方向に手探りで進んでいくことによって、結局そこに到達できるし、通ってきた道のりも説明ができる。
秋山さんは、詰まっていた原因が「仮説を立てていなかったこと」にあったと気づきます。直感で動くのが得意なタイプにとって、答えはすでにあると考えられるのは、心強い手がかりかもしれません。
まとめ
「健康的に長生きする」の定義に詰まった相談を通して、思考整理は「答えを探す作業」ではなく「もうある答えに形をつける作業」だという見方が見えてきました。
- 「健康的」を考えるなら「健康」と「的」を分ける。障害があっても前向きなら「病気的」ではない
- 反対語だけで解けないときは、WHOの定義など先人の言葉を借り、違和感を頼りに分解する
- 小さく刻む前に大きく抜き出し、状態と「その状態を作る条件」の並列でないものを見分ける
- 分解や対比の前に仮説を立てると、思考のゴールが定まって進みやすくなる
- 向かうべき方向は問題が出た時点で自分の中にある。思考の整理はそれを形にする作業






