無職で実家へ。コロナ禍で何が起きた?
Caribeさんは会社を辞めて無職になり、実家に戻りました。時期は2020年ごろで、コロナ禍のため海外にも行けない状況だったといいます。
計画を立てずに辞めた結果について、Caribeさんは率直に振り返ります。
で、もうノープランで(会社を)辞めるとどうなるかというと、どんどん病んでくるわけですよ。
両親の反応を種市さんが尋ねると、Caribeさんの母親は「好きにしたら」という態度だったそうです。内心は心配していたのではないか、とCaribeさんは話します。
父親は保守的な考えの人で、生きていたら許さなかったかもしれないものの、すでに他界していたため実家にも戻れた、とCaribeさんは説明しています。
やがてCaribeさんは「普通にまた就職しよう」と考え、発信を続けながら就職活動をして、国内の会社に再就職しました。
35歳の再就職はなぜこれほど厳しかったのか
Caribeさんが入ったのは、貿易船など海外へ行く大きな船にIT機器やITサービスを提供する、少し変わった会社でした。ただ、そこにたどり着くまでの就職活動は大変だったといいます。
当時のCaribeさんは35歳で、直前まで働いておらず、何か月ものブランクもありました。コネもなく、書類選考で落とされ続けたそうです。
初め(は)その海外で携われるような会社探してたんだけど、もう僕の経歴だと圧倒的にSEの期間のが長いんで。
商社勤めは1年半だけで、経歴の中心はSEの経験でした。そのため、IT関連の仕事でなければ書類が通らなかったそうです。最終的に、ITの経験を生かせて、外航船相手に英語も使う仕事として、今の会社に拾ってもらいました。
Caribeさんが感じたのは、以前の転職とのギャップです。31〜32歳で1年留学したあとに異業種へ移ったときは、書類で落ちることはあまりありませんでした。年齢の若さや、新卒から1社で長く働いた経歴が評価されたのかもしれない、とCaribeさんは振り返ります。
31〜32歳、留学後に異業種へ。新卒から1社で長く働いた経歴もあり、書類はあまり落ちなかった
35歳、数か月のブランクあり。書類で落とされ続け、IT絡みの仕事しか通らなかった
就職活動をしたことがない種市さんは、どうやって仕事を探すのかに興味を示します。Caribeさんが使ったのは、リクナビ ── リクルートが運営する就職・転職情報サイト。求人の検索や応募ができる、日本の代表的な求人媒体の一つですやマイナビといったネットの求人サイトでした。
一方、自身の会社で採用をしている小畑さんの見方はシビアです。ビズリーチなどの媒体で人を募集する立場からすると、前職から半年空いた35歳の応募は「即行落としますよ」と話します。
それはそうだと思いますよ。だから別に今の聞いて何の僕は、いや、それはそうでしょって。
38歳で再び退職、なぜメキシコへ?
Caribeさんは再就職先で3年ほど働いたあと、また辞めたくなりました。理由は、スペイン語を学びたくなったことです。
種市さんは、Caribeという名前のルーツにつながる関心が、ここでようやく出てきたと受け止めます。
退職したのは38歳のとき。Caribeさんはそのままメキシコへ渡り、スペイン語の語学留学を始めました。種市さんは、唐突に言語を学びたくなって行ってしまう「放浪癖」のような行動力に驚いています。
「38歳留学生」のVLOGはなぜ伸びなかったのか
メキシコに渡ったCaribeさんは、再び発信活動を始めます。タイトルは「38歳留学生」。無職時代のYouTubeアカウントは残っていて、黒歴史の動画は消し、働きながら国内旅行の動画などを上げていたそうです。
当時の登録者は200人ほどで、ほとんど見られていませんでした。Caribeさんはこのアカウントの名前を、昔「カリちゃん」と呼ばれていたことにちなんで「チャンカリ」に変えています。
で、38歳で留学してるやつなんて珍しいかなと思って。
38歳の留学生も、スペイン語も珍しいからコンテンツになる、という読みでした。しかし日本人向けに日本語で発信した留学VLOGは、まったく伸びませんでした。
メキシコのあとはグアテマラにも渡りましたが、お金はどんどん減っていきます。Caribeさんは「またダメだったな」と感じながらも、スペイン語を少し学べたから心残りはない、と思っていたそうです。
大谷翔平の追っかけで起きたプチバズとは
貯金で暮らしていた時期について話すうちに、Caribeさんは大事なエピソードを思い出します。留学生VLOGが見られない日々の中で、大谷翔平選手を追いかけていた時期があったのです。
大谷選手のファンだったCaribeさんにとって、メキシコやグアテマラからのロサンゼルスは、日本からより行きやすい場所でした。グアテマラからは片道5〜6時間ほどだったそうです。
旅行がてら訪ねたのは、ドジャースのキャンプでした。せっかく来たからと発信してみると、動画が一気に伸びたといいます。
もう今まで発信しても全然フォロワー伸びない生活が続いていたので、それでちょっと目がくらんでしまって。
そこから2〜3か月、大谷選手を追いかける日々が始まります。発信は日本語で、日本の視聴者が増えました。YouTubeの登録者は1000人ほどから5万人ほどまで伸び、Instagramも途中から始めて1万人ほどになったそうです。TikTokも途中から始めましたが、あまり伸びませんでした。
伸びたのはショート動画で、ロング動画は見られなかったため諦めたといいます。Caribeさんが上げていたのは、ホームランのような大きな場面ではなく、インタビュー中の細かな仕草でした。
例えば、大谷選手がポケットに手を入れたままインタビューを受けていて、それが失礼だと気づき、慌てて手を出す。そんな一瞬を切り取った動画です。
まさにホームラン打ったとか、メインのところは、それはもういろんなメディアがやってるんで、そんなもん見られなくて。
本当に何かカリベの独自の視点で見た、ちょっと面白いシーンみたいなやつを上げたら、それが回ってったみたいな。
大谷選手が主役では意味がない、と気づいた理由
大谷選手の追っかけで手応えをつかんだCaribeさんですが、その路線を続けることはありませんでした。理由は大きく分けてお金、依存のリスク、動画の無断転用です。
お金が続かない
アメリカで試合を見続けると、月に50万円ほどかかることもある
大谷選手頼みのリスク
怪我をしたら終わり。小畑さんは移籍の可能性も指摘
動画を勝手に使われる
フォロワーの多い大きなメディアが、Caribeさんの動画に英語を載せて転用する
自分を主役にする
大谷選手が主役では自分に意味がないと気づき、方針を転換
とくにCaribeさんに響いたのが、動画の転用です。視点の面白さが評価された結果、大きなファンサイトやメディアが、Caribeさんの日本語の動画に英語を重ねて投稿していたといいます。
あ、これ大谷選手主役でも自分何にも意味ないかもって思って。これ自分主役にしないと意味ないわと思って。
こうしてCaribeさんは、自分を主役にしたコンテンツを作ろうと決めます。40歳になるころ、働かずに貯金を食いつぶしながら、スペイン語での発信を始めることになりました。
貯金が尽きるまであがく、楽観的なしぶとさ
小畑さんは、なぜ日本に帰ろうとは思わなかったのかを尋ねます。Caribeさんは家族の用事で年に1回ほど帰国していたものの、配信者としての活動は続けたと答えます。
種市さんがさらに、配信者で生きていくと決めていたのかを聞くと、Caribeさんの答えは意外なものでした。そこまで強い意志はなく、少し収入ができればいいかな、くらいだったといいます。
基本自分に自信がないんで、もう諦めつつみたいな感じだったかな。
種市さんは、強い意志があるのかと思ったら、ふわっとしている感じが逆にリアリティがあっていいと話します。自信がないとは思えない楽観的なところが、すごくいいと評価しています。
もうほんと貯金が0になるまで足掻こうかなみたいな感じだったけど、せっかくもう会社も出て。
この発言に、小畑さんは「ちょっとおかしいですよ」と返します。うまくいかないなら貯金を使い切る必要はなく、少し残して帰るのが普通の判断だ、という立場です。種市さんも、大学を出たばかりの若者ならわかるが、40歳で2社ほど勤めた人の判断としては、メンタルが強いと話します。
小畑さんが、35歳の転職であれほど苦労したのに、と指摘すると、Caribeさんの答えに笑いが起きます。
でもその時は本当に思った。もう二度と無計画で会社を(辞め)ないって。
3年経つと忘れちゃうんだよね。
最後のあがきで始めたスペイン語発信とは
小畑さんの整理では、貯金はまだ残っていて、大谷選手頼みでは厳しい。普通なら帰国を選びそうな場面で、Caribeさんは最後にあがいてやろうとスペイン語の発信を始めました。
スペイン語で発信するきっかけは、日本で暮らす外国人が片言の日本語で生活を発信する動画でした。外国人が日本を好きになってくれるのが嬉しく、外国人から見ると日本はこう映るのか、という発見もあったといいます。
あ、これのなんか自分バージョンをやってみようかなって。日本人がラテンアメリカで片言のスペイン語。
スペイン語を学び始めて1年半ほどたったころ、Caribeさんは2025年6月1日から、各SNSに同じショートVLOGを出し始めました。撮影には、主に360度撮れるInsta360 ── 360度撮影できるアクションカメラのブランド名。自撮り棒に付けて歩き回るだけで、周囲全体を記録できますを使っています。この時期は語学学校にも通わず、SNSだけに絞っていました。
転機は4本目の動画です。床屋で髪を切ってもらうだけの内容でしたが、初めて現地の人とのコミュニケーションが生まれた動画でした。
治安を気にしながら、鉄格子のある店にそろりと入り、撮影の許可を求めます。アジア人が来たことに驚いた、タトゥーの入った女性の理容師が髪を切り、最後には警戒心が解けたように笑顔を見せたといいます。
Caribeさん自身、アップしたときの手応えはそれほどなかったそうです。それでも、それまで1000人ほどだったTikTokのフォロワーは、最初の1か月で41万人ほどに増えました。
有名人に取り上げられたり、テレビに出たりしたわけではありません。当時は毎日投稿をしていて、プチバズを重ねるうちに、さらに見られる動画が出てきたとCaribeさんは話します。
TikTok、Instagram、YouTubeのフォロワーは連動しておらず、最初に大きく伸びたのはTikTokでした。ほかのSNSは徐々に増えていったといいます。どこにコツがあったのかは、この続きの第3回で語られます。
まとめ
Caribeさんの道のりは、無職、再就職の苦戦、語学留学、大谷選手の追っかけと、遠回りの連続でした。それでも、自分が主役であることにこだわり、貯金が尽きるまであがくと決めたスペイン語発信が、TikTokで1か月41万人という結果につながっています。
- 35歳・ブランクありの再就職では書類で落ち続け、ITの経験を生かせる仕事でようやく採用された
- 38歳でメキシコへ語学留学したが、日本語の「38歳留学生」VLOGは伸びなかった
- 大谷選手の細かな仕草を切り取った動画はプチバズしたが、コストと転用を経て「自分が主役でないと意味がない」と気づいた
- 最後のあがきで始めたスペイン語のショートVLOGは、床屋での交流を描いた4本目から伸び、TikTokは1か月で41万人に達した




