日本では無名、海外で総フォロワー260万人の日本人とは
今回のゲストは、スペイン語で中南米のローカルな食べ物や日常を発信している日本人インフルエンサーのCaribeさんです。小畑さんは、これまでのゲストの中で日本のリスナーには最も知られていない人だろうと紹介します。
Caribeさんが知られていない理由は、主な活動の場が海外にあるからです。日本語だけで配信している番組のリスナーはほぼ日本人なので、海外での知名度がそのまま伝わっていない、というのが小畑さんの見立てです。
今までゲストの方出てもらったと思うんですけど、多分一番聞いてる人は知らないと思いますね。今までの人の中で。
小畑さんは収録前夜に、CaribeさんのSNSのフォロワー数を調べてきました。各プラットフォームの数字を合計すると、260万人に届きます。
この数字を聞いた種市暁さんは、普通の著名人や芸能人よりも多いくらいではないかと驚きます。小畑さんも、それより多いと思うと応じています。
中学の同級生が「TikTokをちょっと」と打ち明けるまで
小畑さんとCaribeさんの関係は、中学校の同級生です。以前番組に出演したたまや2060%さんも同じ中学で、3人は同じクラスになったことはないものの、当時からずっと仲がよかったといいます。
3人をつないでいたのは音楽です。たまやさんとCaribeさんはバンドを組み、たまやさんがギターボーカル、Caribeさんがドラムを担当していました。高校、大学になっても、よく一緒に遊ぶ関係が続きました。
社会人になってからは会わない時期もありましたが、たまやさんの出演をきっかけに久しぶりにみんなで飲みに行きます。そこで小畑さんが近況を尋ねると、Caribeさんは言いづらそうに打ち明けました。
「ちなみにカリベ最近何してんの?」って聞いたら、「いや、言いづらいんだけど」。え、何々?「TikTokをちょっと」。
小畑さんは、大したことはやっていないのだろうと思っていました。ところが調べてみるとTikTokのフォロワーが100万人いて、驚いて番組への出演を頼んだそうです。
中学時代の3人について、小畑さんは、たまやさんは「こいつ本当天才だな」と思うほど音楽の才能があり、Caribeさんはどちらかというと普通の友達だったと振り返ります。自分自身はジャイアンのような存在だったと笑い、Caribeさんからは「スポーツもできましたし、勉強もできた」とフォローが入りました。
ラム酒とインカコーラで乾杯。名前の由来は「カリブ海」
本題に入る前に、Caribeさんは中南米にちなんだ飲み物を持参していました。キューバ発祥のラム酒バカルディ、ニカラグアのラム酒フロール・デ・カーニャ、ブラジルのガラナ、そしてペルーのインカコーラです。
種市さんが興味を持ったのはインカコーラでした。コーラなのにスペルが「KOLA」で、色も黄色く、コーラというよりオロナミンCのようだと話しています。
乾杯のあと、Caribeさんは改めて自己紹介をします。本名は大野カリベさんで、名字のように聞こえる「カリベ」は下の名前です。カリブ海をスペイン語で「カリベ」と言い、それが名前の由来になっています。
両親が、私が生まれる前なんですけど、1年メキシコに住んでまして。それでメキシコとかラテンアメリカとかスペイン語とか好きになって。
日本帰ってきて、何年かして僕が日本で生まれたんですけど。で、父が僕にカリベと名付けたっていう。
中南米の人にとって、Caribeさんの自己紹介は「僕の名前はカリブです」と聞こえます。そのため「僕の名前はカリベです」で始まる動画自体がウケているのだと、小畑さんは説明します。
種市さんは、メキシコ人が「僕の名前は日本海です」と言うようなものかと例え、Caribeさんも「逆で考えたらそうですね」と同意しました。
小畑さんは、Caribeさんの発信をボビー・オロゴン ── ナイジェリア出身のタレント。独特の日本語と外国人ならではの視点で、日本のバラエティ番組で人気を集めましたに近いと表現します。現地の人にとっては当たり前の日常を、日本人の視点で「ここが面白い」と片言のスペイン語で紹介することが、大きくバズっている理由だといいます。
SEとして7年、高校では留年も
ここから話は、Caribeさんが発信を始めるまでの経歴に移ります。Caribeさんは中学から大学、社会人になってもずっと日本で暮らしていました。
大学を卒業したCaribeさんは、IT関係の会社でSE ── システムエンジニアの略。顧客の要望をもとにITシステムを設計・開発する技術職ですとして7年間働きます。
小畑さんからは、Caribeさんがたまやさんと同じ高校の同じクラスで、2人そろって1年生で留年したという話も明かされます。どちらも不良だったわけではなく、シンプルに留年したそうです。
僕はあんまり学校行ってなくて、めんどくさいことからなんか逃げるような感じの習慣になっちゃってて。
高校行くのめんどくさいって感じであんまり行ってなかったら、もう2学期の途中ぐらいで出席日数が足りなくなって。
学生時代の海外経験は旅行程度でした。ただ、初めて1人で行った海外は、大学生のときのメキシコです。目的はカリブ海を見ることでした。
種市さんは、大学生の旅行ならハワイが普通で、いきなりカリブには行かないと驚き、名前のルーツを感じたようです。
31歳で会社を辞め、フィリピンとカナダへ語学留学
Caribeさんの転機は31歳のときです。新卒から勤めた会社を辞め、英語を学ぶためにフィリピンとカナダへ合わせて1年ほど留学しました。
もともと海外の興味とかあったんですけど、あんまり英語も学んでこないまま、その年になって。
留学の目的について、Caribeさんは海外に携わる仕事がしたかったと答えています。海外に住みたい気持ちもありましたが、行き先の国に強いこだわりはなく、海外ならどこでもよかったといいます。準備もほとんどしないままの決断でした。
Caribeさんの留学先の選び方には、費用と学び方への試行錯誤が表れています。流れを整理すると次のようになります。
フィリピン
費用が安いため、まず3か月ほど基礎を学ぶ
カナダ
英語が母国語の国へ。物価が高くグループレッスン中心になり、合わなかった
再びフィリピン
マンツーマンのレッスンに戻る
留学費用はサラリーマン時代の貯金から出し、旅行も含めて1年で300万〜400万円ほど使ったといいます。英語力については、日常会話程度で、世界は多少広がったものの思い描いたほどは伸びなかったかもしれないと振り返っています。
帰国後、Caribeさんは日本食を扱う専門商社に営業職として転職します。アメリカに支社があったため、東京で頑張ればいずれ海外で働く道もあるかもしれない、という期待がありました。
父の急逝をきっかけに、何も決めずに退職
Caribeさんは専門商社を1年半で辞めます。その背景には、商社勤めの最中に、Caribeと名付けた父が前触れもなく倒れて急逝したことがありました。
ただ、このときのCaribeさんには、何をしたいかは見えていませんでした。仕事自体は興味のある分野に携われていたものの、それ以上に自分で何かできないかと考え、何も決めずに会社を辞めたといいます。33歳ごろのことです。
仕事は、結構興味あることに携われてたんですけど。でもなんかそれ以上になんか自分でなんかできないかなと思って。
種市さんは、31歳での語学留学、そして2年ほどで何も決めずに退職という流れに「すごいな」と驚きを重ねます。ここまでの経歴を時系列で並べると、次のとおりです。
2019年、すでにレッドオーシャンだったYouTubeへ
退職後、Caribeさんはまずブログを書いてみましたが、あまり好きになれず続きませんでした。そこで目を向けたのが、当時流行していたYouTubeです。
2019年のYouTubeについて、Caribeさんは発信者が増え、芸能人も参入し始めていて、レッドオーシャン ── 競争相手が多く、激しい争いになっている市場のこと。反対に競争の少ない未開拓の市場はブルーオーシャンと呼ばれますになりつつあったと振り返ります。
種市さん自身は、YouTubeをよく見るようになったのはここ数年だと話します。サーフィンやスノーボードの動画のほか、ファッション系の発信をする先輩など、おじさん世代の参加も増えてきたと感じていたそうです。
小畑さんは、YouTubeが広く見られるようになった背景について、コンテンツの増加だけでなく、スマホやネットワークといったデバイス側の進化もあると指摘します。2019年はiPhone 11の頃で、まだ4Gだったかもしれないと話しています。
黒歴史のチャンネル「カリベノープランで会社を辞めたらどうなるか」
東京の足立区に住み、職もない状態で、Caribeさんはいきなり発信を始めます。本人も「ちょっと黒歴史」と前置きしつつ、包み隠さず最初のチャンネルの中身を明かしました。
本当にノープランで辞めたから、もう本当にこのありのままの自分を発信したら面白いかもと思って。
そうしてつけたチャンネル名が「カリベノープランで会社を辞めたらどうなるか」です。種市さんは、そもそも誰もCaribeさんを知らないのに、と思わずツッコミを入れます。
このチャンネルの内容は、どうしようという心境をカメラの前で話したり、気持ちが病んできたので朝の公園を散歩したりする様子でした。機材はなく、撮影はiPhoneだけ、編集もiPhoneのアプリで簡単に済ませていたそうです。
何人まで増えたかな。でも最後結局100人ぐらいしかいなかったと思うよ。
チャンネル登録者は最初10人ほどで、半年ほど続けても100人ほどにとどまりました。収入はなく、貯金を削り続ける日々です。
そこでCaribeさんは、海外で旅系YouTuberになることも考えます。しかし、2019年末に会社を辞めた直後の2020年に新型コロナウイルスの流行が始まり、海外へ行くことも難しくなりました。
行き詰まったCaribeさんは実家に戻り、かつて祖母が住んでいた隣の空き家に住まわせてもらいます。その様子も発信しながらの生活でした。中南米で100万人に届く発信者になるまでの話は、次回へと続きます。
まとめ
今回は、中南米で総フォロワー260万人を持つCaribeさんの、発信者になる前の遠回りがたどられました。カリブ海に由来する名前、SEとしての7年間、31歳での語学留学、父の急逝をきっかけにした退職、そして登録者100人ほどで終わった最初のYouTubeチャンネルまでが、次回以降の飛躍の前段として語られています。
- Caribeさんは、スペイン語で中南米の日常を日本人の視点から発信し、SNSの合計フォロワーは260万人に届く
- 名前はカリブ海のスペイン語読みで、メキシコ暮らしを経験した父が名付けた
- SEとして7年働いた後、31歳でフィリピンとカナダに語学留学し、帰国後は日本食の専門商社に転職した
- 父の急逝をきっかけに何も決めずに退職し、2019年にiPhone1台でYouTubeを始めたが、登録者は100人ほどだった
- コロナ禍で海外へ行けなくなり、実家の隣の空き家に移って発信を続けるところから次回へ続く





