なぜ京都だったのか? 子育て後の「仕切り直し」
ゲストのHiromiさんは、抹茶のイベントでMikaさんと出会った人物で、50代半ばを過ぎてから抹茶のビジネスを立ち上げ、今年還暦を迎えました。Mikaさんはまず、今の仕事を始めたきっかけを尋ねます。
Hiromiさんの答えは、コロナ禍の時期にさかのぼります。娘さんが日本へ1年間留学する話があり、子どもたちが家を出たタイミングで、Hiromiさん自身も人生を仕切り直したいと考えていました。
京都に行こうとか、お茶をやりたいとか全くそういうことではなく、本当にブランクの状態で日本に帰って、これからの生き方を探したいなと。
夫に「日本に行きます」と伝えたHiromiさんは、結局トータルで10ヶ月ほど家を離れることになります。京都は修学旅行以来行ったことがなく、友人に宿の相談をしたところ、その友人の祖父母の家が空いているので住んではどうかと誘われました。
Mikaさんが「そうだ、京都へ行こう」のCMのようだと笑うと、Hiromiさんは、どこに行けばいいかわからない人には京都がいいと応じます。海外暮らしが長いと日本的なものに憧れが生まれ、ビジネス中心の東京とは違う、ゆっくり考えられる場所を求めていたといいます。
1週間ほどのつもりで訪れたその家は、宮大工が建てた築100年ほどの古民家でした。掘りごたつに座った瞬間に、Hiromiさんは深い安心感を覚えます。
(掘りごたつに座った瞬間に)なんか受け入れられてる、すごくあったかいものを感じて。昭和のお家そのまんまで、うわぁここからやり直しって最高だなって。
お茶を飲まなかった人が、京都で緑茶に惹かれた理由
京都の古民家を紹介してくれた友人は、街を案内し、次から次へと知り合いをその家に連れてきました。そこで出会った人の中に、お茶関係の人たちが何人もいたことが、Hiromiさんとお茶をつなぎます。
それまでのHiromiさんは、お茶に興味もなく、ふだん飲むこともなかったそうです。ところが京都では会う人ごとにお茶が出され、初めてお茶をおいしいと感じたり、緑茶をブレンドする世界があることを知ったりしました。
お茶を出されて、「まあ座って」って言ってお話をするっていう、その作業を何度も繰り返してるうちに、「お茶っていいな」って。
Hiromiさんは、アメリカではコーヒーを勧められることが多いと比べます。コーヒーはカフェインで頭がクリアになるけれど、お茶の持つ雰囲気はまた違うといいます。Mikaさんも、Emikoさんとは茶道を通じて出会ったと明かし、お茶は人をつなぐと共感します。
古民家には、きれいにした家を見たい人や、アメリカから来た人に会いたい人が集まりました。初対面同士が何時間もお茶とご飯を共にする時間が、Hiromiさんの心に引っかかったといいます。
さらに、京都でカウンターのある小さなお茶屋さんを営む友人から、玉露などの緑茶の淹れ方や飲み比べを教わります。帰国前、その友人は飲み比べのセット一式を揃え、アメリカでもお茶を広めたらどうかと背中を押してくれました。
「つい言っちゃった」から始まった飲み比べワークショップ
アメリカに戻ったHiromiさんは、飲み比べセットをどうするか決めていませんでした。転機は、ビジネスでお世話になった歯医者さんへ帰国の挨拶に行ったときに訪れます。
「ひろみは日本から帰ってきて、これから何をやるの?」って聞かれて。とっさに答えが出なくて。
その時にパンと、「いや、お茶の飲み比べをワークショップで」とかってつい言っちゃったの。
歯医者さんは「それはいいね」と即答し、女性ばかりの従業員がいる自分のオフィスでまずやってみてはどうかと提案しました。Hiromiさんは、思いつきの一言でいきなりワークショップを受注したことを「さすがシリコンバレー」と振り返ります。
何かやりたいって言ったら、「じゃあサポートするよ」って。場所を提供されちゃったらノーって言えないじゃないですか。
最初のワークショップでは、玉露、玉緑茶、ほうじ茶を和菓子とともに出し、参加者自身に淹れ方を体験してもらいました。Mikaさんも一度受けたことがあり、味の違いに驚いたそうです。緑茶にこれほど多様な味があることを知って喜ぶ参加者の姿を見て、Hiromiさんはこのワークショップをきちんとやってみたいと思うようになります。
緑茶を届けるなら、まず抹茶から。ブーム前夜の決断
ちょうど同じ時期、ヨーロッパから戻ってきた元ママ友で、フードビジネスの経験がある女性がHiromiさんの淹れたお茶を飲み、一緒にビジネスにしたいと言ってくれました。
ただ、緑茶を大量に売るのは難しいという話になり、二人は「緑茶をやるためにも、基本となるビジネスは抹茶ではないか」という結論に至ります。当時はまだ抹茶の店も少なく、ブームになりそうな兆しが見え始めた段階でした。
いまのシリコンバレーの抹茶事情について、Hiromiさんは抹茶カフェが毎月1件ぐらいのペースで増えていると話します。Emikoさんは、かつてのラーメン店の乱立のようだとたとえました。
いわゆる日本の茶道で出てくるお薄みたいなのっていうのも、一応メニューにはあるけど、みんな抹茶スイーツだね。
二人は抹茶を仕入れるため改めて京都やほかの茶どころを旅し、一緒にやりたいと言ってくれる供給元と出会って事業が始まりました。Emikoさんがここまでの流れを整理すると、Hiromiさんもそのとおりだと頷きます。
子育てが一段落
これからの生き方を探そうと日本へ
京都の古民家
1週間の予定が、最終的に10ヶ月の滞在に
お茶と人との出会い
緑茶の味と、お茶がつなぐ団欒に惹かれる
ワークショップ
ベイエリアに戻り、飲み比べの場を開く
ビジネス化
パートナーと宇治抹茶の輸入を始める
お茶を飲みすぎて眠れない。試行錯誤と足で稼ぐ営業
現在、HiromiさんのビジネスはレストランやカフェやI菓子店に、京都から仕入れたお茶を卸しています。Mikaさんは、日本人が宇治の抹茶をセレクトして届けていることが信用につながると話します。
一方でHiromiさんは、フードビジネスの経験がなかったため、パートナーの力が大きかったと強調します。アメリカ人向けの味づくりや価格設定、品質レベルといった商品企画は、パートナーとともに進めました。
起業にあたっては周囲の助けもありました。1年間ヨーロッパに戻る友人が、留守宅の管理を頼むかわりにビジネスに使ってよいと申し出てくれ、大きなキッチンのある家を無償で1年間使えたといいます。
最初の1年はすぐに軌道に乗らず、ワークショップや飲み比べを重ねるリサーチとトライアルの期間でした。日本で集めた多くのサンプルから扱う商品を選び、冷茶や温かいお茶、フルーツやチョコレートとの組み合わせまで試したそうです。
お茶飲みすぎてほんと眠れなくなっちゃう日が続いたんだけど、でも楽しかったですね。その時は一番楽しかったかも。
しかし、マネタイズとなると話はシビアになります。Hiromiさんは車にお茶のセットを積み、カフェに行けば必ず抹茶を飲み、いけそうだと思えばその場で話しかけました。前の晩に何種類ものお茶を小瓶に詰めて持ち込んだこともあるそうです。
Mikaさんはその姿を「元リクルートの人っぽい」と評しますが、Hiromiさん自身は営業の経験がなかったといいます。努力しても買ってもらえない経験もしながら、「絶対わかってくれる人いるよね」とパートナーと励まし合っていました。
57、58歳の起業だから、失敗してもいい
Hiromiさんが営業に奔走していたのは57、58歳のころです。Mikaさんは、いくつになっても始められることに強い関心を寄せます。
Hiromiさんがまず挙げたのは夫への感謝でした。お金になりそうにないとわかりながらも、お茶の話ばかりするHiromiさんに、気が済むまでやったらいいと言ってくれたといいます。子どもたちの手が離れていたことも後押しになりました。
Hiromiさんは、若い世代の起業と自分の起業を比べて語ります。若いときは収入や家族の理解、将来のキャリアがかかりシビアですが、58歳の自分は生活の心配が比較的少なく、失敗してもいいから面白いことをやれたらいいと考えられたそうです。
収入、家族の理解、生活、将来のキャリアにつながるかがかかり、シビアになりやすい
生活は大丈夫で、誰にも迷惑をかけない範囲で面白いことに挑戦できる
日本茶の8〜9割が中国産? 生産者と次世代へのバトン
Mikaさんは、Hiromiさんにとって抹茶のビジネスがどんな位置づけなのかを尋ねます。Hiromiさんは、京都の人たちとつながり続け、京都で学んだことをアメリカで伝えたいと答えました。
Hiromiさんが京都で触れたのは、季節を愛でながら暮らす人たちや、日本で忘れられつつある習慣や文化を受け継ぐ職人たちでした。そうした営みもビジネスとして成り立たなければ続かないため、支える手伝いがしたいと考えていたといいます。
さらに農家と話し、自分でも調べるうちに、Hiromiさんはアメリカに輸入される緑茶の8〜9割近くが中国産で、始めた当時の日本産は10%ほどしかないと知り、衝撃を受けました。
農家の高齢化と後継者不足の話も聞き、抹茶を作る人が日本からいなくなるかもしれないと感じたHiromiさんは、外からできる手伝いがあると考えます。ただし立ち位置は「ゆるゆる」で、自分たちの取り組みを若い人たちにつないでいけたらという思いだそうです。
Emikoさんは、Hiromiさんが抹茶を輸入することで、実際に京都の生産者に収入が入っていると指摘します。Hiromiさんは、量的なインパクトは大きくないとしながらも、経済の循環の一部に加わらせてもらっていると受け止めました。
Hiromiさんは、アメリカに住んでいること自体が強みだとも話します。毎年日本の取引先へ挨拶に行くと、アメリカでの抹茶の飲み方などが刺激になると歓迎されるそうです。東京の友人のサロンからは、イチゴジャムを使う「アメリカの抹茶の飲み方」のワークショップを頼まれ、逆パターンの展開になりました。
「お茶を一杯いかが?」はノーと言われない最強の武器
最後にHiromiさんが語ったのは、お茶という商材そのものの強さです。お茶のビジネスでは、一杯いかがですかと勧めて断られたことがないといいます。
これが最強の武器って言ったら変なんだけど、お茶でノーって言う人って。
Hiromiさんは、街で「ちょっとお茶行かない?」と誘うのと半分同じ感覚だと笑い、日本人の営業職の男性にこそ、名刺代わりにティーバッグを持ってお茶を淹れさせてもらうことを勧めます。
お茶の淹れ方は、マスターすれば技術になるといいます。水の質や硬度、温度で茶葉の味が変わることを一度体験した人はハマり、ワインのように品種の掛け合わせやブレンドへと関心が広がっていくそうです。
私はまだ入り口に立ってるだけなんで、興味を持った人たちと一緒に学んでいこうっていう感じなんですけれど。
Hiromiさんは、お茶に出会えて、色々な方たちとお話できる機会ができて幸せだと語り、この回を締めくくりました。
まとめ
Hiromiさんの起業は、明確な計画ではなく、京都の古民家での出会いと「つい言っちゃった」一言から始まりました。50代後半だからこそ失敗を恐れず楽しめた挑戦は、日本の生産者を支え、人と人をつなぐ仕事へと広がっています。
- 子育てを終え、人生を仕切り直すために訪れた京都で、お茶を飲まなかったHiromiさんが日本茶に魅了された
- 思いつきで口にした飲み比べワークショップが受注につながり、抹茶ブーム前夜に宇治抹茶の輸入ビジネスを始めた
- 最初の1年は試行錯誤と足で稼ぐ営業の連続で、家族の理解が大きな支えになった
- アメリカの緑茶輸入の多くが中国産という現実を知り、日本の生産者と次世代へつなぐ意義を見いだしている
- 「お茶を一杯いかが?」は断られない最強の武器で、お茶の世界の奥深さをこれからも学び続けたいと語った






