善か悪かの二択で人を語らない
今回はこれまでとは少し違う角度から、シャネルの闇とも言える部分に触れていきます。
シャネルの歴史を語るとき、どうしても避けて通れない時期があります。それが第二次世界大戦前後の空白期間です。
帽子屋から始まり、ジャージー素材で女性の体を自由にし、シャネルナンバーファイブで記憶をデザインし、リトルブラックドレスで黒の意味を変えたココ・シャネル。彼女は女性をコルセットから解放した人物として語られます。
しかしその一方で、戦時中の彼女は自由を奪う強大な権力へ近づいていきました。ここにココ・シャネルという人物の最も大きな矛盾があります。
本編に入る前に、キノは一つ大切にしていることを語ります。現代はどうしても善か悪か、正義か間違いかという二択で語られすぎている、という問題意識です。
でも実際、善か悪かとかではなくて、人間って結構もっと複雑だと思うんですよ。人間だけじゃなくて、物事自体ももっと複雑なんじゃないかなっていうふうに思っていて。
むしろ普通の人にはできない狂気じみた執念や矛盾に、人は惹かれてしまう部分があるのではないか、とキノは話します。清廉潔白なだけのアーティストにあまり魅力を感じないことがある、という例が挙げられます。
そして作品やブランドは、コンセプトが閉じ込められたものであり、本人と密接に関わりつつも切り離された部分でもあると考えられています。
大事なのは、それを自分に持つことで、自分自身にどう影響を与えるのかというところ。なのでシャネルやエルメスといったハイブランドである必要すらないかなと思うんですよね。
Appleを持っている自分、というだけでも立ち振る舞いは変わりうる。物を自分にどう落とし込むかを考えていきたい、という着地が示されます。
今回のテーマは、シャネルが善人か悪人かではなく、彼女自身が何を守ろうとして、何を変えようとしていたのか。その信念と生きるための手段を一緒に見ていく、という切り口です。
1939年、メゾン閉鎖という選択
1939年、第二次世界大戦が始まると、シャネルはクチュールメゾンを閉鎖します。
表向きの理由は「戦時中にドレスを買う人はいない」というものでした。しかしこれは、単純な需要予測ミスだけでは説明しきれないとキノは指摘します。
当時、他のクチュリエたちは戦時下でも服を作ろうとしていました。つまり「戦争だからファッションは終わる」ではなく、「戦争でもファッションを続ける」という選択肢は実際に存在していました。
クチュリエとは、高級な注文服(オートクチュール)を手がける仕立て屋・デザイナーを指すフランス語です。パリの高級ファッションを担う存在として使われます。
実用性を重視していたシャネルは、むしろ戦時下にマッチする存在だったはずです。ではなぜ閉じたのか。ここに彼女の生い立ちが深く関係しているように思われます。
シャネルは孤児院で育っています。彼女にとって仕事とは、共同体を守るものというより、自分を守り、身分を変えて生き延びるための武器だったと考えられます。
戦争が来た時、彼女は従業員を守る経営者という意識よりも、自分が生き残るための判断を優先した可能性が高いんじゃないかなと思うんですよね。
ただし、ここは単純化してはいけない部分だとも語られます。当時のフランスでは労働者運動やストライキが起きており、シャネル自身も関わっていました。労働者側の不満も、経営者側の恐怖や緊張感もあったと考えられます。
冷たい経営者だったという話ではなく、戦争と社会の不安の中で何を優先するのかにどう向き合ったかを見る必要がある、という整理です。
事実として、この閉鎖で約4000人とも言われる従業員が職を失いました。女性を自由にしたデザイナーという神話と、従業員を切り捨てた経営者という現実。この狭間が、戦後のシャネルを語る上で重要になります。
1940年、リッツ滞在と権力への接近
1940年、ドイツ軍がパリを占領します。シャネルはパリに残り、ホテル・リッツに滞在していました。
リッツは単なる高級ホテルではありません。占領下のパリにおいて、ドイツの高官や軍関係者、情報機関の関係者が集まる、権力と情報の空間でした。
そこでシャネルは、ドイツの外交官であり諜報機関アプヴェーアとも関係していたハンス・ギュンター・フォン・ディンクラーゲ{要確認: フォン・ディンクラーゲ}と関係を持つようになっていきます。
アプヴェーアとは、第二次世界大戦期のドイツ国防軍の情報・諜報機関です。海外情報の収集や工作を担っていました。
これを単なる恋愛として片付けてはいけない、とキノは注意を促します。占領下のパリで、彼女は最も危険で、同時に最も安全な場所に身を置いたと言えるからです。
つまり、実は贅沢の象徴というよりも、生存のための要塞みたいなものだったんじゃないかなと思います。
シャネルは思想を大事にする人である前に、生存していく人でした。女性をコルセットから解放したという思想は、戦争という巨大な力の中で、最も強い側へ近づいていったのです。
思想を貫きたいなら本来は権力から距離を置くべきかもしれない。しかし彼女は「思想だけでは生きられない」ことを理解していた人ではないか、と考えられます。生き残らなければ思想も残せない、というその順序をどう読み解くかが重要だと語られます。
孤児院という最下層から成り上がる中で、できなかったことは数多くあったはずです。力を得れば自分にはいろんなことができる、力を失えばまたできなくなる。そう考えていた部分があったのではないか、とキノは推測します。
CHANEL N°5の権利と、反ユダヤ政策の利用疑惑
1940年、シャネルナンバーファイブの権利問題が出てきます。ここがかなり重い部分になります。
シャネルは、自分の名前を冠した香水シャネルナンバーファイブの利益の大半を、ヴェルテメール家{要確認: ヴェルテメール家}に握られていました。長年、強い不満を抱いていたのです。
自分の名前を使い、自分が作った香水であり、その世界観を作ることはシャネルの美学でもある。なのに利益の大半が返ってこない。この怒り自体は、創造者として理解できる部分だと語られます。
問題は、その権利を取り戻すために、ナチス占領下の反ユダヤ政策を利用しようとしたとされる点です。ヴェルテメール家がユダヤ系であったことが大きく関わります。
じゃあ、その金を得るために何でもしていいのかっていう考え方が一つあるよねっていうところ。
ここでキノは丁寧に線を引きます。ユダヤ人が嫌いだからという感情と、自分の作ったものへの執着は分けて考えないといけない、という視点です。
彼らがユダヤ人だから権利を取り上げようとしたのではなく、自分自身のものだから、取り返すチャンスだったからという理解のほうが近いのではないか、とキノは述べます。
ナンバーファイブには、かつての恋人カペル{要確認: カペル}への思いもあったのではないか。自分の感性や記憶、美学を取り戻すために手段を選ばなくなっていったようにも見える、と語られます。
もちろん許されるわけではありません。しかし、自由を象徴する香水のために、自由とは正反対の差別制度を利用したというレッテルが背景に入ってしまう。ここにシャネルの光と影が最も鋭く現れている、とキノは考えます。
モデルハット作戦と社交資本の危うさ
シャネルは、モデルハット作戦と呼ばれる和平工作に関与したとされています。
これは、シャネルやヴェラ・ベイト・ロンバルディ{要確認: ヴェラ・ベイト・ロンバルディ}の英国上流階級との人脈を使って、チャーチル周辺に接触しようとしたドイツ側の工作でした。ここでのシャネルは、単なる服飾デザイナーではなくなっています。
社交界を横断し、貴族ともつながる、とんでもなく大きな人脈を持つ人物でした。帽子や服、香水、社交、そして恋愛を使って、自分の階級を超えてきた人生だと言えます。
つまり彼女は、力の構造というのをすごく理解していた人でもあったと思うんですよね。だから戦争下でも自分の人脈が政治的に使えると考えた可能性があるんですよね。
ただし、ここには危険な自己神話も見え隠れします。「自分は特別な仲介者だ」「戦争すら動かせるかもしれない」という感覚があったのではないか、と読み取れます。
女性解放のデザイナーというイメージの一方で、権力に選ばれる自分を捨てられなかったシャネルも見えてくる。女性を解放する聖なる部分と、権力に選ばれ突き進む魔王的な部分。この両極端さもまた、シャネルの魅力なのではないか、とキノは話します。
起訴されなかったことは、潔白の証明ではない
パリ解放後、シャネルは尋問を受けますが、起訴はされませんでした。
注意すべきは、起訴されなかったことが潔白を意味するわけではない、という点です。証拠不十分は怪しい話でもあります。
証拠不足だったり、政治的な配慮だったり、シャネルと関わった有力者というのもとんでもない有力者だと思うんですよね。これは本当に、シャネルの闇というより社会の闇ですよね。
その後シャネルはスイスに移ります。これは事実上の「沈黙の亡命」とも言えるものでした。
もともと彼女は、自分の過去を積極的に告白する人ではありませんでした。孤児院で育ったことや貧しさをあまり語らず、人生そのものを物語として編集してきた人物です。
戦時中の行動もまた、説明ではなく沈黙で処理しようとしたのではないか。そこにあったのは懺悔しようという倫理観ではなく、沈黙によって自己神話を守る技術だったのかもしれない、とキノは述べます。
矛盾を抱えた人間として、物と向き合う
最終的なまとめとして、キノは慎重に整理します。シャネルはナチスの思想家ではなく、公式党員だったと断定できるわけでもありません。職業的なスパイだったと言うのにも慎重であるべきだ、と釘を刺します。
一方で、ドイツの諜報関係者と深い関係にあったこと、反ユダヤ政策を利用して権利奪還の工作をしたこと、和平工作に関与したこと。これらを見ると、完全な濡れ衣とも言い切れません。「火のないところに煙は立たぬ」という、煙だけが立っている状態だと表現されます。
それでもキノは、シャネルを単純に悪人だと言いたいわけではありません。信念や美学を守り続けるために生き残ることを優先した結果、危うい権力構造に巻き込まれていったのではないか、と読み解きます。
その矛盾自体は、人間誰しもが持ってるものなんじゃないかなと思うんですよね。本来、そういう矛盾を抱えているのが人間なんじゃないかなと思うんですよね。
そして話は「物を持つこと」へ戻ります。物を持つことは、意識的にも無意識的にも自分自身を形成していくものだ、とキノは考えます。これは単なる品質やクオリティの問題ではありません。
シャネルにも光と闇があり、闇があるから悪いとは限らない。その信念に共感する人がいることも理解できる。反作用や矛盾を、自分がどう理解し、解釈し、人生に取り込んでいくかのほうが大きい、というのがキノの立場です。
良い物を持つと立ち振る舞いが変わるとよく言われます。しかしどう変わるかは、その物に対するストーリーやコンセプトをどう捉えているかによって変わります。
例えば高級時計を「高級だから」とだけ理解すれば、傷つけないよう丁寧に動く、という話で終わります。しかしロレックスの権威性やプロフェッショナルとしての意識を理解していれば、自分もプロフェッショナルであるべきだ、という立ち振る舞いにつながっていきます。
物が持つ、またそれを使ってきた人たちのストーリーが自分の中にどれだけ落とし込まれているか、どれだけ理解しているかが、立ち振る舞い一つ一つに移り変わっていくと思うんですよ。
だからこそ、あえて闇の部分も話してみた。番組「物と価値のリベラルアーツ」を通して、そうした理解を深める手助けができれば、という言葉で締めくくられます。
まとめ
CHANELは女性の自由を象徴しましたが、ココ・シャネル本人は自由のために戦った聖人ではありませんでした。名前、利益、生存、神話を守るために危うい権力にも近づいた現実主義者であり、その矛盾ごと理解することが「物と価値」を考える手がかりになります。
- 善か悪かの二択ではなく、人も物ももっと複雑なものとして捉える視点が土台にある
- メゾン閉鎖やリッツ滞在は、孤児院出身者としての「生き残る」という判断と結びついて読み解ける
- N°5の権利奪還や和平工作への関与は、シャネルの光と影が最も鋭く現れる部分だが、感情と執着は分けて考える必要がある
- 起訴されなかったことは潔白の証明ではなく、社会の側の事情も絡む「沈黙」として理解できる
- 物を持つことは自己形成であり、そのストーリーをどう自分に落とし込むかが立ち振る舞いを変える




