コテンが目指す「人文知への投資」はまだ3%
深井龍之介さんは、株式会社COTENを経営しています。哲学や歴史といった人文知と、ビジネスや政治をもう少しつなげられるはずだ、という考えのもとで活動しています。
その活動の一環がポッドキャスト「コテンラジオ」であり、会社の活動はすべてこの「人文知と社会をつなぐ」という一点に収斂していると、深井さんは説明します。
深井さんは、自著のタイトルにも使われた「人文知」という言葉を、この3年ほど押し通して使い続けてきたと話します。
まずワンステップ目として(言葉として)人文知っていう言葉を使わないと。それをもう少し広げないと。概念として持ってないから、人文知っていう概念が。あんなに大事なのに。
本当はね、「人文知に投資しろ」っていうタイトルにしたかった。一貫して言ってるのはそれ。
現状の進捗について、深井さんは目指すビジョンのうちまだ3パーぐらいだと語ります。壮大な構想を持っているためです。
ただし、ビジネスパーソンに人文知が必要そうだ、という認識は一定の界隈に伝わり始めており、これ自体は今まで誰も成し遂げていない功績だと深井さんは見ています。
ただ経済活動をしているつもりが、戦争の引き金を引いている
深井さんは、いま人類が考えるべきアジェンダが大きく3つあると言います。いずれも人文知に関連し、ほぼお金も労力も使われていないと指摘します。
1つ目のアジェンダは、各地の紛争です。イラン・アメリカ、ウクライナ・ロシア、イスラエル・パレスチナといった局地紛争が、全体戦争や核戦争にエスカレーションしないためにどうすればいいか、という問いです。
紛争をゼロにするっていうのはかなり難易度が高いと思ってる。ただ、その局地紛争がエスカレーションして、全体戦争とか核戦争にならないようにするにはどうすればいいかっていうのは、絶対もっと考えられる。
深井さんによれば、歴史上の戦争は戦争の定義によるものの4000個ほどあり、その全数調査は人類のリソースをもってすれば可能だといいます。
どのプロセスなら戦争を止められ、どこまで行くと止められないのか。そうした傾向分析やパターン分析は大々的にできるはずなのに、それがされていないことに深井さんは驚いていると話します。
こんだけ人類全体が戦争が起こってほしくないだのどうだのこうだの言っておきながら、その調査をしてないことにめちゃくちゃびっくりしてる。
深井さんは、防衛テック(ディフェンステック)への投資自体を悪いとは考えていません。防衛は必要だからです。ただし、過去の防衛テックへの投資競争が国防につながったのか、戦争を招いたのかを分析しないまま投資を進める態度を危険だと見ています。
そして深井さんは、こうした調査の担い手を経済人(ビジネスパーソン)に見ています。理由は、いま最も力を持っているのが経済人だからです。
経済人がやんなかった場合、それを誰がやるんだろうって思ってるんですかってのを聞いてみたい。
高木新平さんは、経済活動をただやっているつもりが、紛争や世界大戦的なものの引き金を引いている可能性がある、と受けます。
それは第一次世界大戦、第二次世界大戦を勉強すればわかるけど、意図せずそうしてる人がたくさんいるわけ。で、今も多分やってる。リアルタイムでね。
この課題に取り組む座組として、深井さんは民間からお金を集め、学者をプロジェクトに混ぜる構想を進めています。金融には声をかけたものの動けなかったため、いまは金融を無視して進めようとしていると語ります。
資本主義が抱える「中核問題」とは何か
2つ目のアジェンダは、ポスト資本主義です。まず前提として、深井さんは資本主義そのものを非常にいいものだと考えています。
資本主義のことはすごくいいものだと思ってる。これすっごい勘違いされてるんだけど、めっちゃいいと思ってる。
深井さんは、いまこの撮影現場にあるものはすべて資本主義の産物であり、乳幼児死亡率を下げ、寿命を延ばし、貧困も減らしてきたと評価します。貧富の差は広がったかもしれないが、貧困そのものは明らかに減っている、という認識です。
その上で、深井さんは資本主義の「中核問題」を一言で指摘できると言います。ほかの指摘は、この幹が解決すれば枝葉としてカウントできる、という見立てです。
要はその組織が中長期合理性があると見なせるものに投資できない。全部短期合理になっちゃう。
環境問題や教育、戦争の研究など、中長期合理性があるものにお金が流れづらい。それを寄付だけで解決できているなら問題ないが、実際にはできていないから世界がスタックしている、と深井さんは見ています。
この中核問題を現実的に解決する新しい経営理論を、コテンはすでに5年ほど研究しており、来年から再来年ごろには本として出したいと話します。
なぜ人は数字を神聖視してしまうのか
短期合理になってしまう主たる要因を、深井さんは西洋の認知様式にさかのぼって説明します。
端を発するのは13世紀ぐらいからの西洋の新しい認知様式があって、この認知様式でやってると、短期合理性にしか投資することしかコンセンサスが得られないっていうふうな状態になってます。
その認知様式とは、定量的に表現したものの客観性を神聖視するというものです。数字で測るものを神聖視する感覚は、産業革命以降、近代経営が出てから強く定着したと深井さんは言います。
数字に客観性があるとか、数字を見ていれば社会状況がわかるっていう感覚自体は信仰であって、根拠も実績もないわけ。
深井さんは、定量化そのものが良くないと言っているわけではないと繰り返します。コテンも自社でめちゃくちゃ定量化しているが、それを絶対視していない、という点が違いです。
この認知様式がどう生まれたのか。深井さんは、13世紀ごろは主観的世界観しかなく、客観という概念がほぼなかったと説明します。
地図や複式簿記といった技術が出てきたことで、世界は計量・定量できるという感覚が育っていったといいます。それ以前は、世界を測ることは神の領域であり、畏れ多いという感覚があったと深井さんは話します。
この客観重視の感覚が本格的に定着したのは18世紀ごろからで、深井さんはその象徴として天動説・地動説を挙げます。
客観性を一切使わなければ、この地球が自転をしており、凄まじいスピードで動いていることって信じれない。今動いてないでしょってなるから。
高木さんが、産業革命で生活が豊かになったから客観を信じるようになったのか、と尋ねると、深井さんは入り方は複雑だと答えます。大航海時代でキリスト教的世界観が説明できなくなり物理が生まれたこと、ブルジョワジーが力をつけたことなど、複数の因子が絡んでいると説明します。
深井さん自身は、コンセンサスを得るにあたっては主観より客観を重視すると断ったうえで、客観性の担保を数字だけに求める考え方はかなり厳しいと述べます。それでは中長期合理的な領域に投資できないからです。
なんで組織が投資できないかっていうと、その組織は定量的な指標を使ってコンセンサスを得てるからなわけ。定量的な指標のことを神聖視してるからなわけ。
深井さんは、これは物理法則ではなく一定の時代の認知様式にすぎないと言います。だからコンセンサスのスタイルを変えれば乗り越えられるはずだ、というのが主張です。
日本のローカル企業が持つ「もう一つの経営観」
高木さんは、上場していない地域のローカル企業が、株式市場とは違う合理性を持って存在しているのではないか、と問いかけます。深井さんはそこに中長期合理性のヒントを見出していると答えます。
深井さんによれば、定量化を神聖視する認知様式が日本に入ってきたのは150年前で、実はそんなに浸透していないといいます。
海外でその教育を受けたようなWell-educatedされたエリートみたいな人たちは帰ってきて、「日本人、全然MBA的感覚持ってねえな」みたいなふうに思うんだけど、それはそうだよね。西洋的認知様式だから。
創業家の発言権が大きいローカル企業では、力学が違うと深井さんは言います。中長期合理性に投資しないと地域のサプライチェーン全員が死ぬ可能性がある、という課題が東京よりわかりやすく存在しているからです。
深井さんは、こうした後継ぎ企業の態度が新自由主義的なMBAの態度とは異なる点を指摘します。
地域に根付いた企業は、定量化できない関係性であっても大事だから投資する、という態度をとっている。これは定量化神聖視主義ではない、と深井さんは言います。
日本人はもともと日常では定量化至上主義ではなく、ビジネスパーソンだけがそれをエデュケーションされている。だからこそ、深井さんはこのハイブリッドこそが重要だと考えます。
深井さんは、投資のカバレッジ(範囲)が狭いのは指標が単一だからだと整理します。指標を2つ以上に増やせば、投資できる範囲は広がるという理屈です。
単一指標よりデュアルスタンダード、トリプルスタンダードである方が、その投資カバレッジは増えるわけ。その代わりコンセンサスコストが上がるわけ。
深井さんは、ESG投資はこの中核問題にチャレンジしたものだったが、ヨーロッパ人が主導したために定量至上主義に陥ってしまったと見ています。彼らは自分の認知様式をメタ認識できないからです。
でも僕たちは最初からハイブリッドなわけじゃん。だから、新しいオルタナティブを出すとしたら、日本から出せばいいじゃんって思ってるわけ。
この主張の根拠が、後継企業への着目です。すでに日本で実践されているものを言語化・理論化し、看板方式のように世界へ出せるのではないか、と深井さんは考えています。
間接民主主義の「情報の非対称性」という中核問題
3つ目のアジェンダは、民主主義をどうアップデートするかです。深井さんは、これが最も難易度が高いと言います。
深井さんは、巷で流れている民主主義論の多くが、民主主義をマネジメント論として語っている点を危険だと指摘します。
民主主義はマネジメント論ではなくて、自由を担保する原理として考えられてる。
ルソーらの系譜を経て、みんなの自由を持続的に担保しようとしたら「これするしかない」として出されたのが民主主義であり、統治のうまさで選ばれたものではない、と深井さんは説明します。
深井さんが見る民主主義の現代の中核問題は、情報の非対称性です。政治家と一国民が持つ情報が違いすぎるのに、国民は政治家を選ばなければならない、という問題です。
今のような間接民主主義とか代議制みたいなのをやっている中の情報の非対称性っていうのは、僕が勉強し得る限り、民主主義の原理の中で解決されてないんだよ。
これを解決するには、原理を損なわずにアップデートし、新しい技術で情報の非対称性をなくす必要がある。それはビジネスパーソンだけでも政治家だけでもなく、哲学者を入れて政治原理から考えるべきだと深井さんは言います。
深井さんは、政治原理を押さえずにマネジメント論として議論することの危険性を強調します。マネジメント論なら、中国スタイルの方がいいに決まっているからです。
だけど、中国スタイルを取ると何が起こるかっていうと、万人の自由が原理レベルで保障されないわけ。
民主主義はいまピンチにあるのか
高木さんは、リベラルなものへの逆風や自国主義化を挙げ、いま民主主義がピンチになっている前提があるのか、と尋ねます。深井さんはピンチだろうと答えます。
背景にあるのは、この20年ほどで経済人が恐ろしい量のお金と技術力、実際の権力を持つに至ったことです。深井さんは、いまアメリカを事実上コントロールしているのは政治家というよりビジネスパーソンだと見ています。
そのなかで台頭している思想が、頭のいい人たちだけで統治すればいいという、いわゆる哲人政治寄りの考え方です。深井さんは、その代表としてピーター・ティールの思想を挙げます。
深井さんは、ビジネスパーソンが社会について考えて動くこと自体は否定していません。ただし、いまアメリカで起きている潮流の具体的な方向性には反対だと言います。
メタ的な構造としては、ビジネスパーソンが社会のこと考えて動いてていいねって思ってるけど、具体的なベクトルの方向性は、いやそっちの方向やばいでしょって思ってんのよ。
だからこそ、ティールらの思想に対するオルタナティブを世界に出す必要があり、それを日本から出すべきだと深井さんは考えています。
AIや防衛テックを日本が使う際には決断が必要だと深井さんは言います。彼らはもっと大きなビジョンで動いているため、無自覚に技術として入れることは危険だ、というのです。
彼らとどういう距離感、どういう関係性を築くかっていうのは、世界情勢をこの後決めちゃうんだよね。実際に決めるわけ。
そのためには、キリスト教倫理のデフォルトを理解した上で、ティールの思想がどこでずれているのかを判断するだけの膨大な知識が経営者に必要になる、と深井さんは述べます。ここで人文知が効いてくる、という論旨です。
人文知を経営に翻訳する「新しい部署」の実装
高木さんは、3つのアジェンダに誰も投資して取り組んでいない現状を確認し、いまどう動いているのかを尋ねます。深井さんは、民間からお金を集め、学者をプロジェクトに混ぜる形を説明します。
ただし、研究結果を経営判断にどう生かすかにはジャンプがあります。深井さんは、過去のビジネス界隈での人文知活用が失敗したのは、このジャンプが大きすぎたからだと分析します。
哲学者をいきなり呼んで話聞いてもどうしていいかわかんないし。
そこでコテンが作っているのが、経営企画や情報システム部の人文知バージョンにあたる新しい部署です。経営者とエンジニアの間に情報システム部が入るように、学者の研究と実践の間をつなぐ役割を担います。
民間からお金を集める
学者をプロジェクトに混ぜ、高度な研究・調査を行う
各企業に人文知の部署を作る
情報システム部の人文知版として、研究と実践の橋渡しをする
経営に反映させる
研究結果を受け取れる人材が育ち、実際の経営判断に生かせる状態にする
この部署はすでに何社かに導入されていると深井さんは話します。研究、道具としてのデータベース、概念が揃えば、それがぐるぐる回る世界線は構築可能だと考えています。
深井さんは、こうした倫理的経営が最もやりやすいプレイヤーが多いのも日本だと見ています。データベースは10年前から作り続けているといいます。
金融には伝わらなかった。それでも呼びかけ続ける理由
この構想を進める上での障壁を問われ、深井さんはまず自分の時間のなさと体の弱さを挙げます。もう一つの障壁が、金融に伝わらなかったことです。
深井さんによれば、九州のBETAと東京のANRIというVCは理解して出資してくれたものの、それ以外の100何十社には伝わらず、ソーシャルインパクト投資家にも伝わらなかったといいます。
まずアジェンダ設定の粒度と階層が全然違った。そんな大枠じゃないですみたいな。
一方で深井さんは、これこそ金融本来の役割だと主張します。金融の本来の役割は、技術を使って、存在しないけれどあった方がいいトランザクションを作ることだからです。
過去20年の金融と未来20年の金融がこの技術変革の中で同じ挙動すると、まず思いますか?思わない場合、誰が新しいやつ始めるんですか?
それでも深井さんは、金融が突拍子もない提案にすぐ乗るとは思っていないと言います。声をかけなければ包摂できないから声をかけている、というスタンスです。
今この瞬間、優秀な金融の人たちを包摂できなくて、僕たちが民間からお金を集めて新しいカバレッジを作ってしまうっていう現象を起こしたら、それはそれで世界的なリソース配分の効率が悪いと思ってんだよね。
必要なのは覚悟を決めた少人数の結託
深井さんは、加速に必要なのは覚悟を決めた人だと語ります。パラダイムシフト系の変革は、覚悟の決まった人間同士で結託するしかない、というのが歴史を学んだ結論です。
もう消去法で確かにこれやるしかないかもねって思ってる人たちと一緒にやらない限り、このような変革はもう何にも起こんないね。
その代わり、大した人数はいらないと深井さんは言います。3つのアジェンダも、何兆円もかからず数百億円ほどでできる見込みだからです。個人の富裕層でも払える金額です。
それでも深井さんは、一人の富豪ではなく広い民間から集めたいと考えています。日本の民間がそこにお金を出すこと自体が、国内外の学者へのエンパワーメントメッセージになるからです。
高木さんは、実際にアメリカの大学のトップ層を訪ねて対話し、驚くほど共感を得られた経験があると話します。国家の予算縮小により、海外の人文学者も不安定な状況に置かれているためです。
国家よりも民間の方が「公共性が高い」という発想
高木さんは、人文学は国家の枠にとらわれるレベルのものではなく、より公共性が高いと述べます。国家の利害とコンフリクトすることも余裕であり得るからです。
高木さんは、プロジェクトベースのものを行政主体でやると投資効率が悪いと指摘します。クールジャパンの例を挙げつつ、一点突破型のプロジェクトは民間がやった方がいいという立場です。
同じお金を使うにしても、民間にやってもらったり、民間のやる気ある人間がやった方が圧倒的に成果が高くて。
高木さんによれば、国家が力を持っていた時代は国家が公共性を担えばよかった。しかしポピュリズム的になり、何のプロジェクトをしても文句を言われ頓挫する時代には、事情が変わったといいます。
高木さんは、第2回の東京オリンピックが散々だった例を挙げ、いまは行政が何をやってもそうなりやすいと述べます。だからこそ「誰がやれば解決できるか」を問うてほしい、というのがメッセージです。
ビジネスパーソンは「少年」から「大人」になった
高木さんは、権力の主体が入れ替わってきた歴史の傾向から、いまの状況を捉えています。かつて国家や官僚がやっていた仕事の主語が変わっている、という見立てです。
高木さんは、これまでビジネスパーソンは社会の中で少年や青年のように扱われてきたと言います。しかし、いま持っている力を考えれば、彼らは明らかに大人だ、と指摘します。
一番パワーを持ってるわけ。だから、もしこの一番パワーを持ってる人が世界について考えなかった場合、誰が考えるかっていう話になった時に、結構危険なんだ。
高木さんは、この主体の交代を歴史の自然な現象として説明します。武士が台頭したときも、ブルジョワジーが台頭したときも、力を持ったからこそ新しい仕事を始めた、というのです。
それが源頼朝だったわけ。ブルジョワジーだってそう。力がなかったら別に何もさせられてなかったよ。だけど、力を持ったから、新しい仕事が増えたわけ。
高木さんは、実質的に面倒を見られる人へ権力が移行するのだと整理します。国家が力を失い、ビジネスパーソンに移行しているのがいまだ、という見立てです。
今アメリカは国家が強いじゃないかって思うかもしれないけど、あれはビジネスパーソンに乗っ取られてるから。
高木さんは、ローマ帝国から国民国家までの主体の交代を、有史以来5〜6回目の入れ替わりとして概観します。
高木さんは、ドローンや無人機、AIによって企業が軍隊を組成可能になれば、リバタリアンである企業は国家から独立していくだろうと予測します。
失われた30年を回収する「倫理経営」という戦略
高木さんは、日本が失われた30年を経てもなお、信頼と資金を持つ強いプレイヤーだと言います。この力を活かし、自分たちにしかできないことをやるフェーズに入るべきだ、という主張です。
その方向性が倫理経営、ポスト資本主義的経営です。高木さんは、労働市場がいまかなり倫理と接続している点に勝機を見ています。
アメリカの企業に与したくない優秀な労働者っていうのはたくさんいるわけよ、今世界に。その人たちに何のオルタナティブも提供してない、誰も、経営者って今。
高木さんの予測では、AI時代に投資市場・消費市場・労働市場のなかで最も大事なのは労働市場です。人・物・金のうち、人が最も希少性が高いと見ているからです。
高木さんは、こうした戦略を建設的に議論したいのに、誰も反論してこないと言います。感情論ではなく、情勢やファクトを集めた議論を求めています。
いつ誰がこれについて考えて、どうやって戦略作るつもりなの?だから失われてるんだろう、30年、って思ってる。
深井さんは、この話を受けて、ビジネスパーソン自身の存在意義の刷新が必要だと整理します。数字の達成によって存在意義を証明してきた人たちが、それを超えていく自己規定こそが一番のチャレンジングポイントだ、というのです。
だから金融の人たちが難しいのもそうだよなっていう。一番そこの部分がアイデンティティになってる人たちだと思うから。一見否定に見えるアップデートをどうやってしていくか。
個人の幸せと成功が接続していない、4つ目のアジェンダ
高木さんは、成功して富豪になったビジネスパーソンに、3つのアジェンダ以外に何をやるつもりなのかと問いたいと言います。そして4つ目のアジェンダを提示します。
実は4つ目のアジェンダは、個人の幸せと我々の成功モデルが接続されてないことだと定義してるんだけど。
高木さんは、ホモサピエンスがどうすれば幸せになれるかは、哲学と科学からほぼわかっていると言います。仲間だと見なしてる対象に、自分しかできないと思える方法で貢献することだ、というのです。
だから力のある経済人が3つのアジェンダに取り組めば、役立っている感覚が得られて幸せになれるのではないか、と高木さんは提案します。
高木さんは、資産を持った人が守りに入ってしまう構造を、仏教哲学の観点から説明します。執着が苦の結実につながる、という考え方です。
いらないという認識に慣れてないものを所有する苦しみを彼らは表してるわけ。
高木さんによれば、ここから先は無駄だ、捨てていいと言えない限り、資産は常に守るべき対象として確保され続けます。どれだけ水を与えても流れ出てしまう状態だ、というのです。
これが資産家の脳の中で起こってることだよね。実は自分はどんだけでも金があって余ってると思ってても、それを減らせないっていう風に思ってるんであれば、やっぱりそのまだ足りない人として存在してるわけ。
そして高木さんは、この慣習が変わらないのも資本主義の定量化ドグマのためだと接続します。証明も説明もできないことに投資しないのは、ビジネス投資に慣れた人たちの習慣だ、というのです。
君はどうする。呼びかけから当事者へ
高木さんは、人文知の基金やファンドとして、法人・個人を問わず資金を集めたいと考えています。ただし、いきなり全額が集まるとは思っておらず、数億ずつでもプロジェクトを走らせて成果を出す道筋を描いています。
深井さん自身も、この番組で自分にできることを考え、まずは呼びかけることから始めたと語ります。しかし高木さんは、呼びかけ以上に踏み込むよう促します。
どちらかというとここで呼びかけるというよりは、もうシンペイ(深井)自身がこれに対してどう動けるか、僕は問いたいね。
高木さんは、3つのアジェンダを設定し、戦略を立て、プロジェクトをマネジメントする。アカデミアも民間も包摂し、人文知のエコシステムに独立性を担保したままお金を流す。それ以上に世界を良くする案を、自分はまだ思いついていないと語ります。
そして高木さんは、四半期決算を考えているだけでは個人も会社も幸せにならないことは、もうだいぶわかったはずだと述べます。だからこそ、いま意思を持って決めるべき時だ、というのです。
深井さんは、この熱量をこの距離で浴びたら自分もやらなければ、と応じます。前回の対話とは違う手応えを口にし、具体的に連携していきたいと締めくくりました。
まとめ
深井龍之介さんは、紛争のエスカレーション、ポスト資本主義、民主主義という3つのアジェンダを掲げ、それを担う主体はいまや最も力を持つ経済人だと語りました。高木新平さんは権力の主体の交代という歴史の視点からそれを裏づけ、倫理経営を日本の戦略として示します。装飾ではなく、誰がやるのかという当事者性を問う対話でした。
- 人類が今すぐ取り組むべきアジェンダは、紛争・ポスト資本主義・民主主義の3つで、いずれも人文知に関わる
- 資本主義の中核問題は、組織が中長期合理性のあるものに投資できず、すべて短期合理になってしまうこと
- その根には、定量化したものの客観性を神聖視する13世紀以来の西洋の認知様式がある
- 権力の主体は国家から経済人へ移っており、最も力を持つ者が世界を考える当事者になるしかない
- 日本はハイブリッドな認知様式と信頼・資金を持ち、倫理経営という新しいオルタナティブを世界に出せる



