磯川さんとの最終回、コロナ禍のアメリカで何を見た?
番組の冒頭で、井上さんは今回が磯川さんとの最終回だと告げます。オンラインでは理由がないと話す機会を作りにくい、という寂しさも口にしていました。
二人は、また旅をしたいという話から、一緒に行った唯一の海外であるアメリカの思い出を振り返ります。とあるプロジェクトで、テキサス州オースティンのサウス・バイ・サウスウエスト ── 毎年3月にテキサス州オースティンで開かれる、音楽・映画・テクノロジーの大型複合イベント。スタートアップの展示でも知られますに出展する予定だった旅です。
航空券を取ってあった二人は、ロックダウン直前にぎりぎりアメリカへ入国しました。井上さんによると、到着の翌日あたりから、町のお店が一気に閉まっていったそうです。
「ここ行こうよ、明日」みたいな話をしていたら、翌日(カフェに)張り紙がしてあって。
「あれ、え、閉まってる」みたいな。「なんで?」つって、その張り紙を見たら、なんかCOVID-19みたいな。
井上さんは、あの旅はドキュメンタリーが1本撮れたのではないかと思うほど、歴史的にも特殊な体験だったと振り返っています。
スタバのトイレから見えた「最低限ここは」というこだわり
アメリカで営業を続けていたスタバについて、井上さんはトイレの汚さに驚いたと話します。一方の磯川さんは、東京のスタバも利用者が多いぶん綺麗ではない印象があり、地元・北海道北見のスタバは住めそうなほど綺麗だったと返しました。
井上さんは、サービス業ではトイレの清潔感に店のキャラクターがそのまま出るので大事だと考えています。磯川さんも、自分は大雑把だとしつつ、便器の水垢や陶器の洗面台など、最低限ここはというこだわりがあると話します。
磯川さんは今、4畳半・風呂なし・トイレ共有のアパートに住んでいます。共同トイレの綺麗さは、同時に誰が入居しているかで大きく変わるそうです。
今はちょっと多分そこまで、無頓着な方も入られてて。なので、結構割と(トイレを)掃除してますね。
自分でトイレを掃除するのは、磯川さんにとって「結構気持ちいい」ことでもあるといいます。
100年後に嫌な世界線から考える、戦争のない未来
ここで井上さんは、今日のテーマ「100年後に残したいこと」を紹介します。そして、逆に100年後にどんなディストピアは嫌かという考え方もあると切り出しました。
トイレ汚いの嫌って話って、単にトイレが汚いみたいな話で終わらない気がするんですよ。
井上さんは、汚さの背景には他者を気にしないといった理由があるはずだと考えます。そのうえで、磯川さんに100年後の嫌な世界線を尋ねました。
磯川さんの答えは、大前提として戦争はしないでいてほしい、というものです。第二次世界大戦の終戦からまだ80年ほどで、100年前はまだ戦争をしていたはずだと振り返ります。
井上さんも、そう考えると戦争は結構最近の出来事で、今後あり得てもおかしくないと応じます。今も国によっては紛争や戦争が続いている、という認識も二人で共有しました。
なぜ戦争は嫌なのか。理不尽さと「ニキビ」のたとえ
井上さんは、なぜ戦争があってほしくないのかを掘り下げます。磯川さんは、自分の子どもや、その先の子どもたち、そのへんを歩く子どもたちの将来を想像すると、困っている姿が目に浮かぶと話しました。
その子たちが、生きやすい世の中であってほしいなっていうふうには願ってますね。
井上さんの仮説は、戦争が生きづらさの要素の中でも「理不尽さ」に近いというものです。戦争を起こすかどうかは、ごく一部の人が決めています。
間接民主制なら、選挙で選んだ国民にも責任があるという考え方もあり得ます。それでも、その人に票を入れていない人からすれば「なんでやねん」となります。自分で選べていないのに巻き込まれる感覚が難しさだ、と井上さんは語りました。
これを受けて磯川さんは、戦争は「ニキビのようなもの」ではないかと言います。資本主義経済の中で、意思決定のプロセスや定量的な評価のされ方が仕組みとして積み重なっているという見方です。
今の国際ルールの中では、まあある種力によって強奪した方が、まあうまくいくよねみたいな。
仕組み
意思決定のプロセスや、定量的な評価のされ方が社会にある
積み重なり
「戦争した方が得」「力で奪う方がうまくいく」という力学が溜まる
表出
見えないうちに積み上がったものが、戦争という形で表に出る
井上さんは、見えないうちに積み上がったものがあって、そうならざるを得なかった結果が戦争なのかもしれない、と受け止めました。
戦争反対と言えないのはなぜか。見えない力学と体質改善
磯川さんは、嫌なことが起きたときに、なぜそれが起きたのかを深掘りするのが好きなタイプだと自己分析します。
意外と僕あんまりなんかその声を大にして戦争反対とは言えないんですよ。
そもそもなんで戦争が起きようとしてるのかっていうことの方に興味が湧いてしまって。
井上さんは、日々の暮らしが見えない力学の上に成り立っていると指摘します。戦争でガソリン代が上がるという話も、逆に言えば、それまで上がらなかったことにも理由があったということです。
井上さんはさらに、戦争の元をたどって体質改善するには膨大な時間がかかると話します。しかも、その改善は一見戦争とはかけ離れた話に見えるかもしれません。
それでも井上さんは、江戸時代のように戦うことが当たり前だった時代と比べれば、殺し合いの世界は減ってきていると見ています。コテンラジオ ── 歴史をテーマにした日本の人気ポッドキャスト番組。世界史や日本史の人物・出来事を長いシリーズで語ります古典ラジオを聞いていても「どんだけ人死ぬのよ」と感じる、とも付け加えました。
人の死への人類の感覚は変わってきていて、戦争反対の声が上がること自体がその表れだ、と井上さんは考えます。一方で、AIが進めば人が意思決定をしなくても戦争が起きうると懸念します。評価の仕方や価値基準が変わらないと、AIにとって戦争が「良い」選択になる可能性もあるという指摘です。
嫌なことにノーと言える日常は、平和につながるか?
磯川さんは、大きな問題を手元まで手繰り寄せて考えると、日常の小さなことが積み重なっている気がすると話します。嫌なことにノーと言える環境を作る、やりたいことをやる、仲違いした友達と関係を修復してみる、といったことです。
仕事とかもさ、なんか嫌だなって本当は思ったけど、やってたみたいな。それがもしかしたら、人を殺す何かに繋がってたかもしれない。
磯川さんが考えているのは、1人1人が自分らしく生きられ、素直な選択ができる世の中をどう作るかということです。
井上さんは「素直」の意味を確かめます。喧嘩のあと、お互い仲直りしたい気持ちなのに強がってしまう状況に「もういいじゃん」と言うようなことか、という問いです。磯川さんはそれに加え、「このリーダーやりたくないです」と言えることも含むと答えました。
磯川さんの戦争が起きないための、ある種処方箋の一つ、大げさかもしれないけど、が、「溜めない」みたいな話ってこと?
井上さんは、戦争が積み重ねの表出だとすれば、目を伏せてきたものをもっと手前で開いたり、他者が気づいたりすることが大切なのではないかとまとめました。
喧嘩が戦争になるのは「単位」が大きくなるから?
磯川さんは、戦争を研究しているわけではないと前置きしたうえで、意思決定者同士が1対1で対決するならそれは喧嘩だと言います。問題は、それが国のような組織の単位になることだという見方です。
磯川さんによれば、夫婦喧嘩、友達との喧嘩、企業間の裁判のように、小さな単位の「戦争」は日常的に起きていて、それは正直仕方ない面もあります。
夫婦喧嘩や友達との喧嘩、企業間の裁判など。日常的に起き、ある程度は仕方ない
国などの組織になると戦争や紛争になり、「ノーと言えば仕事がなくなる」力学が働く
多分そういう時に力学として働くのは、いやここでノーと言ったら仕事なくなるなとか。
イワシクラブで見てきた、自分らしく生きたい人たち
井上さんは、これまでの回で話したことがつながってきたと感じています。早い段階で共有し合えたり素直になれたりする状態を作る方法として、よく挙がるのは教育です。一方で磯川さんは、場作りを通じて向き合おうとしている、と井上さんは見ています。
磯川さんが営むイワシクラブには、恋愛や仕事の困りごと、悲しいこと、辛いことを抱えた人がやってきます。そこではさらけ出せるからこそかもしれない、と磯川さんは言います。
井上さんは前回、しんどいときに必要なのは、1人でもいられて誰かとも過ごせるような場だという話が出たことを振り返りました。それも自分らしさを探す時間であり場なのではないか、という問いかけです。
入力してすぐに答え出るもんじゃないじゃないですか。チャッピーじゃないんだからさ、人間って。
磯川さんは、人間には感情と向き合い、整理する時間が必要だと話します。途中で通信が途切れて話が聞こえなくなるハプニングもありましたが、磯川さんは改めて思いを語り直しました。
訪れる人たちの、心を少しでも軽くしたいと思うわけね。
磯川さんは、その一つ一つを軽くしていくことの積み重ねが、平和な未来を作ることに加担できると考えています。戦争のような大きな話を手元に手繰り寄せ、今日何ができるかを考えると、それが自分の場作りだということです。
災害でもゾンビでも、人は「安全な集落」を探す
井上さんは、戦争や災害、ゾンビを描く映画やドラマを思い出します。どんな作品でも、主人公たちは必ず安全な集落を探すという共通点があるそうです。
何か起きた時にどうにかしたりするのは、実は小さな集合体だと思ってて。
井上さんは、いい集合体が増えるほど、何が起きてもそこを探しに行けるし、そこが可能性になると考えます。大きなことが起きても、結局重要なのは小さな集合体の心理的な安全性 ── 集団の中で、否定や罰を恐れずに意見や弱みを出せる状態のこと。組織論の分野で広く使われる概念ですだというわけです。
磯川さんも、大きく見えることも十数人ほどの小さいコミュニティでできていると応じます。社会は村が寄せ集まってできているので、自分たちがやっていることは小さく見えても、実は大きいと最近感じているそうです。
100年後に残したいのは、素顔でいられるコミュニティ
ここまでの話を踏まえ、井上さんは改めて、100年後に残したいことは何かと尋ねます。磯川さんが話しながら「これかも」と思ったのは、コミュニティでした。
磯川さんは、そうした場所は時代によって変遷し、地域や社会での役割によっても変わると考えています。会員制のクラブや地下の秘密クラブのような形もあり得るかもしれません。
まあ例えばイワシクラブだったら、なんか客単3000円、4000円ぐらいなわけじゃないですか。
磯川さんが願うのは、それくらいの金額か、それすら払えない人でも、気安く心の鎧を下ろせる場所があり続けることです。
理想の場に出会ったことはあるかという井上さんの問いに、磯川さんは「ないね」と答えます。ただ参考になった場所はたくさんあり、コミュニティの原体験となった江戸川区の本屋さんレッジ坊行先や、北海道の地元で通った喫茶店やバーを挙げました。それでも、自分の中では「まだもうちょっと」だといいます。
場所より思想。「サボってた」発信をどうするか
井上さんは、磯川さんにそうしたコミュニティを探索してほしいと話します。同時に、世の中の多様なコミュニティにどんなOSが組み込まれるとより良くなるのかを、移植し発信してほしいとも伝えました。
磯川さんは、店舗がなくなることをリアルに考えるようになり、場所よりもコミュニティがどんな思想で運営されているかが重要だと感じています。良し悪しは人によって違うため、自分は何を良しとしているのかを最近よく自問自答しているそうです。
すごい正直な話を今すると、すごいね、サボってたなっていう実感が今の自分の中にあるんですよ。
数年前は発信していたが、常連さんがつき、経営的にはクローズドでも成り立つ状態に
そこで完結するならやる意味があるのかと感じ、外に影響力を出すことが仕事だと考え直す
ポッドキャストと本は相性がいい?話しながら考える思考旅行
文章を書くのが好きな磯川さんに、井上さんは「本出すか」と提案します。磯川さんは「すごい飛躍した」と驚きつつ、最近ちょうどnote ── 文章や画像、音声を投稿・販売できる日本のメディアプラットフォーム。個人の発信によく使われますを書こうと整理していると明かしました。
井上さんは、ポッドキャストとウェブ記事はあまり相性が良くないと最近考えています。ウェブ記事は写真などのビジュアルありきで読まれる面がありますが、ポッドキャストにはビジュアルがありません。
写真やビジュアルありきで読み進められるため、ビジュアルのないポッドキャストとは相性が良くない
文字を読むだけなので、ポッドキャストを素材にしやすく相性が良い
井上さんのアイデアは、喋ることも書くこともできる磯川さんが編集者と2人で喋り続け、それを書籍にしていくというものです。磯川さんが本のタイトルを「思考旅行」にしようかと言うと、井上さんは即座に「ダメです」と返しました。
最後に磯川さんは、今回の対話がいい頭の体操になり、考えがふわふわと形になってきた時期に強度を試す機会になったと感謝します。
考えて決めたことをやっと話すっていうんじゃなくて。話しながら考えるみたいな。
井上さんは、話しながら考えることこそが思考旅行なのだと締めくくりました。
次に思考旅行してほしい人は、練馬のお寺のご住職
最後に井上さんは、今後ゲストに聞こうと考えている質問を投げかけます。この人と思考旅行したい、この人の思考旅行を聞きたい、という人は誰かという問いです。
磯川さんが挙げたのは、東京・練馬にある臨済宗 ── 禅宗の一派。座禅と、師から与えられる問い(公案)への取り組みを修行の柱としますの光徳寺光徳寺の住職、リョウさんです。京都の大徳寺の系列のお寺で、実際のお名前はわからず、お茶の先生が呼んでいたあだ名しか知らないといいます。
磯川さんのお茶の師匠である吉田想関吉田想関さんは、すでに亡くなっています。リョウさんは、書き起こしでは大阪の方にあると語られる円福寺の僧堂で、想関さんと修行を共にした人だそうです。光徳寺には想関さんのお墓があり、磯川さんは時々訪ねていますが、まだリョウさんには会えていません。
(リョウさんと)話をしたら、結構その想関と話をした時のようなことが出てきたりとかしないかなみたいな。
井上さんは「100回ぐらい収録した後にしようかな」とハードルの高さを口にしつつ、いつか実現したいと応じます。磯川さんも自分の方で動いていくと約束し、磯川さんとの思考旅行は幕を閉じました。
まとめ
磯川さんとの最終回は、トイレの汚れという身近な話から戦争の構造へと広がり、最後は「素顔でいられるコミュニティ」を100年後に残したいという答えに着地しました。大きな問題を手元に手繰り寄せ、日常の小さな場から変えていくという視点が、対話全体を貫いています。
- 磯川さんは戦争を、評価の仕組みや力学が積み重なって表出した「ニキビ」のようなものと捉えている
- 嫌なことにノーと言う、意地を張らないなど、日常で「溜めない」ことが処方箋の一つとして語られた
- 何かが起きたとき頼りになるのは小さな集合体であり、いい集合体が増えるほど可能性が広がるという見方が示された
- 磯川さんが100年後に残したいのは、誰もが気安く心の鎧を下ろせる、素顔でいられるコミュニティ
- 井上さんは、発信を「サボってた」という磯川さんに、話しながら本を作る道を提案した




