ティッシュ配りのお姉さんとルイヴィトンの紙袋
しもちゃんが、カラオケの帰り道で見たある光景の話から始めます。行き道にティッシュを配っていたお姉さんが、帰り道でもまだ同じ場所に立っていたそうです。
そのお姉さんが持っていたのが、ルイヴィトンの紙袋でした。オレンジ色のブランドものらしい紙袋で、しかもサイズは小さかったといいます。
そしたらその人にルイヴィトンの紙袋があったんですよね。それでティッシュ配りしてるんですよ。ルイヴィトンの紙袋に入れて。
しもちゃんは、その小さな紙袋をわざわざ使っていることに引っかかったと話します。紙袋は本来、大きなものを運ぶときに丈夫さや利便性だけで使うものだという考えからです。
でもわざわざちっちゃいサイズで何かを買ってその紙袋を残すって、これ用途以外の何かがあるじゃないですか。
紙袋を残す人の心理を読み解く
しもちゃんは、紙袋を残して使うという行動から、その人の生活や価値観まで想像を膨らませます。ブランドに執着のない人なら、使いにくい小さな紙袋は普通に捨てるはずだという見立てです。
本当に執着ない人。ただの、あ、好きなブランドの一つ。私GUとかユニクロも大好きやけど、このブランドルイヴィトンのこれもめっちゃ好きやねん。だから買うねんな。なんかこんな人って全然普通に捨てるじゃないですか。
そこからしもちゃんは、ブランドものというだけで価値を感じてしまう価値観に従っているのではないか、と推測します。
ブランドものっていうだけでいいっていうような価値観に従ってる生き方してる、自分に対して素直に生きてない生き方に近いから、なんかこの人とは多分俺相性悪いんやろうなと思いながら歩いてた。
一方、いなけんは別の可能性を持ち出します。そもそもそのお姉さんがルイヴィトンを買ったことすらないのではないか、という視点です。
いや、でももはやその人がルイヴィトンを買ったことすらない可能性も俺あると思ってて。
紙袋だけが売買される「見栄マーケット」
いなけんは、ブランド品の紙袋そのものがメルカリなどで売買されているという話を紹介します。見栄を張りたい人が、紙袋だけを買うマーケットがあるというのです。
割といい値段でブランド品の紙袋って二次流通してるみたいな。要は見栄張りたい人がそこで紙袋だけ買うみたいなマーケットがあるらしいのよ。
さらにいなけんは、見栄の「最たる例」として、マッチングアプリのプロフィールらしき画像を持ち出します。あからさまに合成されたような写真で、肩書きに意味も知らずCEOと書いていそうだ、とやり取りが続きます。
なんか本当にガワだけ取り繕って何もない空虚な人なんだなっていう。
いなけんは、やるならもっと徹底してほしかった、と半分冗談で締めます。紙袋だけでなく、生活全体を取り繕うくらいの覚悟がほしい、というわけです。
もうなんていうのお風呂の中でガツ束広げてるみたいな。あれぐらいまでやりきってくれよっていう。
トレンドは「ペンギンの問題」?懐かしのカードとゲーム
しもちゃんは、話題を出してはデータで返してくれるこの番組の流れを、ニュース番組みたいだと表現します。世の中のトレンドを自分たちの視点で押さえたい、とテンションが上がります。
じゃあ例えば今のトレンドは何?
いなけん さんからの質問
しもちゃんが「ペンギンの問題」と答えたことから、話は一気に子どもの頃の思い出へ。いなけんはドンピシャ世代だと反応し、当たりのカードを引いたときの興奮を振り返ります。
真っ金金の俺一番当たりのやつ出た時、マジあの小学生の時、あのマジあのもうなんか脳汁出た。マジなんか持ってるやついなくて、マジ勇者になってたもん。
当時何人で行動していたか、という話にも及びます。2、3人のときもあれば、5人から10人くらいのときもあった、と2人の記憶はおおむね一致します。
モンハンとマリオカート、あの頃の「究極の楽しさ」
何人で何をしているときが一番楽しかったか、という問いに、いなけんはゲームで盛り上がっていた時間を挙げます。デュエマ、モンハン、マリオカートといったタイトルが並びます。
でも人ぐらいでデュエマして、モンハンやってゲームしてみたいな。楽しかったかな。マリオカートしてみたいな。
しもちゃんは、当時のモンハンの楽しさを「究極」と振り返ります。今、あれほど心を震わせるものに出会えているか、という問いも投げかけられます。
あの時のモンハンめっちゃ楽しかった。今なんかああいうものに心震わせるものに出会ってるすか?
いなけんは、自分たちの世代はモンハンが小中学生の頃にちょうど来たことが衝撃だったと語ります。PSPが出回った時期と重なっていたそうです。
だってもう小学校の時学級崩壊してたからさ。授業中みんなで後ろの席で人狩りしてたよ。
「授業を聞く意味あるんですか」——ルールをめぐる2人の違い
ゲーム機を学校に持ってくることについて、しもちゃんは「ルールに染まってない感」がかっこよく見えた、と話します。ここから2人のルール観の違いが浮かび上がります。
いなけんは、そもそも授業を聞く意味を疑うタイプだったと明かします。テストで点を取るためなら、聞いても聞かなくても同じではないか、という理屈です。
そこに座って授業を聞くって、つまるところテストで点数取るためじゃないんですか?でも聞いても聞かなくても一緒だったら、みんなでゲームやってる方がその時間最大化できてるじゃんみたいな。
一方しもちゃんは、ルールを守ること自体に社会的な意味があると考えていたと返します。個人的な納得とは別に、集団にいる以上は守った方が生活しやすい、という立場です。
学校のルールだからですよ。ルールを守るからそこに意味があるんですよ。社会的な意味ね。個人は知らんけど。
いなけんは、その根っこに大人への不信があったと振り返ります。自分の人生の責任を取ってくれるわけでもない相手に、なぜ従うのかという感覚です。
俺の人生をお前が責任持つわけじゃないだろって思いながら生きて。
「達観したクソガキ」だった小学生時代
しもちゃんは、大人を信用していないなら友達も信用していなかったのでは、と問います。大人と友達の境界はグラデーションで、どこかで線を引けるものではないという指摘です。
いなけんは、信用していないというより、友達を「幼い」と感じていたと表現します。仲は良かったが、どこか達観していた、というのです。
仲はいいし、本当に友達だけど、バカだなってか幼いなっていう意味かな。
達観しちゃってたんだよね、多分。早いうちから。だからなんか小学生だけど、もう先に中学生ぐらいの精神年齢になってたりとか。
さらにいなけんは、先生に盲目的に従う同級生をダサいと感じ、自分の側に周りを引き込もうとしていたと明かします。しもちゃんはそれを「嫌な政治家」と評します。
盲目的に先生に従うやつらがなんかダサいなとか思っちゃう。仲良くても。大人の言うこと聞くのダサくない?みたいな。そっちになんかマジョリティ持っていくみたいな。
真面目君まで巻き込んだ「知能犯」の反抗
いなけんは、具体的なエピソードを語り出します。クラスに開成なども狙えそうな、飛び抜けて頭のいい「トト君」がいたそうです。
いいところの息子で落ち着いた真面目君だったそのトト君を、いなけんたちの「先生の言うこと聞くのだるくない?」という空気が巻き込んでいったといいます。
どんどんと輪が広がってったら、なんかそいつ(トト君)までグレ始めて。先生になんか反抗し出すっていう。
これに対ししもちゃんは、その行為自体は「秩序を乱す」という意味で社会悪になると指摘します。ただしそれは今の年齢の視点であり、当時のいなけん個人を否定しているわけではない、と断りを入れます。
もっといい方向に僕はそのオセロの返し方を使ってほしいなって思った。
いなけんは、自分が「知能犯」だったと振り返ります。実行役は自分ではないため、事象だけを切り取ると何もしていないように見える、という手口です。
悪いことしても実行役は自分じゃないから、事象だけを切り取ると、俺何もやってないように見えるんだよ。でも掘っていくと、どうやら一番悪いのは俺だみたいな。
「事故していい時期」に失敗できてよかった、という理屈
いなけんは、その悪知恵を早い時期に使い切ったことに、ある種の意味を見出します。社会性を身につける前の、失敗が許される時期に悪い方へ振れておいたことで、良くなかったと学べた、というのです。
俺は社会性はある程度その事故してもいい時期に、なんかその悪い方に使って、今「あんま良くなかったよな」って客観視して。でも大人とか先生に歯向かう反骨心はあの時あってよかったな。
いなけんは、この悪知恵がもっと大人になってから開花していたら、と想像します。しもちゃんは、この運命が違えば闇バイトの首謀者になっていたのでは、と半ば冗談で切り返します。
闇バイトの首謀者やんなって、構造。この運命違うかったらマジで闇バイト首謀してそう。自分は絶対捕まらへんみたいな。
いなけんはこれを否定せず、悪いことも楽しいことも自分にとっては同じ「ゲーム」だったと認めます。周りをモチベートさせ、大人を手玉に取る感覚に発火していた、というのです。
悪いことするのも楽しいことするのも、結局俺にとって同じゲームなのよ。
ピンポンダッシュを「開発」して全校集会沙汰に
いなけんは、代表的な武勇伝としてピンポンダッシュの話を持ち出します。ただし自分はあまり実行しておらず、「ピンポンダッシュゲーム」という遊びの仕組みを作った側だったと語ります。
俺あんまピンポンダッシュしてなくて。ピンポンダッシュゲームっていうのを俺が開発して。であまりにも流行りすぎて、全校集会でそういうことはやめましょうみたいな。
犯人は特定されないまま終わったそうです。いなけんは、まともな大人になっていなければ闇バイトのルフィのような人になっていた、と自分を振り返ります。
ワンピースで語る、正義と悪は立場次第
話は連想的にワンピースへと移ります。しもちゃんは、自分は「表世界のバギー」になりたいと語り、犯罪のリーダーの偽名としてのルフィとは対極だと主張します。
しもちゃんは、ワンピースの世界はルフィ目線で描かれているだけだ、と指摘します。一般市民から見れば、猛スピードで四皇になるような海賊は、ただ恐ろしい存在に映るはずだ、というのです。
普通の一般市民から見たらもうクソ怖い海賊だって。あんなスピードで四皇なるやついないじゃないですか。だから、それ恐ろしいじゃないですか。
善と悪は立場によって反転する、という見方です。もっとも、しもちゃん自身「話がまとまっていない」と認め、この番組は対話で何かを補うゲームだ、と笑いに変えます。
断片化する小学生の記憶
いなけんは、小学生時代がもう20年ほど前になることに気づきます。情景は覚えているものの、一本につながったストーリーとしては思い出せない、という感覚を語ります。
小学校時代の思い出ってなると、自分がクソガキだったなっていうぐらいしか、なんか出てこないんだよね。
これを受けてしもちゃんも自分の「クソガキ」エピソードを披露します。買ってもらったポケモンの本を学校の本棚に入れ、みんなが手に取ったところで「俺の」と主張する遊びをしていたそうです。
しもちゃんは、これを自分の本を読みたいと思わせる「マーケティング」だったと表現します。価値あるものを持つ自分を認知してほしかった、という子どもなりの見栄でした。
価値あるものを持ってるっていう自分を認知して欲しかった遊びをしてました。
「本と漫画の何が違うんですか」朝の読書時間の論破
いなけんも、自分のクソガキエピソードを重ねます。朝の読書の時間に、本を読もうが漫画を読もうが同じではないか、と先生に食ってかかったそうです。
なんで本はよくて漫画がダメってさ、それ論理的に説明できるんですか?みたいな。それっぽいこと先生に食ってかかって。で、ワンピース読んでた。
学習漫画は許されるのにワンピースはダメな線引きはどこにあるのか、という理屈です。しもちゃんは、それは説明する必要がなく「ルールだから」で終わる話だ、と返します。
ルールだからじゃわかんないですって言ってワンピース読んでて。他のみんなはルールだからでちゃんと本読むわけよ。ハリーポッターとか。
周りとは違うという優越感に浸りながら先生を論破していた自分を、いなけんは「ひろゆきみたいなクソガキ」と表現します。しもちゃんも深く納得します。
尖りすぎた末に、地元とは疎遠になった今
しもちゃんは、昔の方がモテていたのでは、といなけんに投げかけます。しかしいなけんは、尖りすぎていたがゆえに人に話しかけられない人生でもあったと明かします。
その尖りすぎてたが故に、なんかあんま人にも話しかけられないみたいな人生だったな。
いなけんにとって尖ることは、大人の決める正解に折れないための姿勢でした。いいと思ったものをダメと言われるのが納得いかず、そこで折れるのがかっこ悪いと感じていたのです。
自分がいいと思ったものがダメって言われるのが納得いかないというか。そこで折れるのが俺にとってかっこ悪いっていう感じだった。
当時仲良くしていた人と今も仲がいいか、という問いには、自然と疎遠になっていると答えます。会おうと思えば会えるが、地元勢と呼べるつながりはあまりない、というのです。
人間関係がさ、古くなればなるほどなんか疎遠になってってる感あってさ。すげえ地元勢みたいなのあんまねえな。
いなけんの今の人間関係は、大学以降、あるいは会社員になってからのつながりで多くが構成されているそうです。中学や小学校の友人とは、意図せず疎遠になっていると締めくくられます。
まとめ
ルイヴィトンの紙袋という小さな違和感から始まり、見栄の心理、子ども時代の遊び、そしてルールへの向き合い方までが行き来した雑談回でした。話はまとまらないながらも、2人の対照的なルール観と、尖っていた過去が今の人間関係にまでつながっていることが浮かび上がります。
- 使いにくい小さなブランドの紙袋をわざわざ使う行動から、見栄や価値観の話が広がった
- 紙袋だけが二次流通する「見栄マーケット」の存在が紹介された
- いなけんは「授業を聞く意味」を疑い、しもちゃんは「ルールを守る社会的意味」を重視するという対照的なルール観を持っていた
- いなけんは実行役ではなく仕組みを作る「知能犯」タイプで、失敗が許される時期に反骨心を使い切れたことに意味を見出している
- 尖りすぎた結果、地元の友人とは疎遠になり、今の人間関係は大学以降や会社員になってからのつながりが多い




