東京へ家出した未成年からの相談
今回は企画として、パーソナリティ1が用意した1通の相談に2人で答えていく回です。相談の主は、人生の意味がわからず疲れてしまい、地元から東京へ家出をしている未成年でした。
相談者がまず聞きたかったのは、夜に誰かしら起きていて、悩みを直接隣に座って聞いてくれるような場所があるか、という点でした。相談ダイヤルには連絡したものの、助けてはくれなかったといいます。
夜誰かしら起きていて、悩みを直接隣に座って聞いてくれるようなところはあるか。
パーソナリティ1は相談文の書き方に注目します。相手が抱きそうな疑問を先回りして書いている点から、すごく頭がいい方なんかなと感じたと話しました。
自分のこの相手からのネックを想定して回答してる。つまりすごく頭がいい方なんかなと思うんですよ。
相談文は「人生の意味がわからず疲れて東京へ家出した」「未成年である」「聞きたいのはこれ」と、前提と結論が整理されていました。相談ダイヤルという誰もが思いつく行動もすでに試したうえでの問いだったのです。
一方でパーソナリティ2が気になったのは、相談の深刻さと、東京という街への期待でした。地元ではない東京に来たことに、何かを投影していたのではないかと考えます。
東京という街に対しての、ここなら救ってくれるだろうっていう何か投影があったのか。
原因不明の病と「意味を知らないまま帰りたくない」
相談文の後半では、相談者の状況がより詳しく語られます。治らない原因不明の病や思い悩みに苦しみ、毎日体が痛くて苦しく、病院へ行っても治らないと書かれていました。
家出については、家族が心配しながらも理解し、気が済むまで家出することを許してくれたといいます。相談者はある程度のお金を持って出て、最初は安いホステルに泊まっていました。
1階のカフェで、知らない人に泣きながら人生相談をすることをしばらく続けていた。しかし金銭的に限界が近づいている、という切実な状況でした。
それでも家に帰りたいわけではない、と相談者は書きます。その理由が、この相談のいちばん芯にある部分でした。
帰りたくないというか、私の意味を知らないまま帰るのが辛くて怖いのです。
体は病気のせいで常に苦しく、家にいても泣いてばかりで、寝ることも怖い。安静にしていても痛みは襲ってくる。それなら一人で自由にしていてもよいのではないか、と相談者は考えていました。
体を動かせば疲れて倒れそうになる一方で、動くことで生きる意味を知れるかもしれない、と希望も持っていました。相談の最後は、深夜に寄り添って直接隣で話を聞いてくれる人に出会える場所を知りたい、という願いで締めくくられます。
結局私はすぐに死んでしまうので覚悟してるつもりです。
パーソナリティ1は、この「意味を知らないまま帰るのが辛くて怖い」という言葉を、自分の生存アイデンティティに紐付いた素直な言語化だと受け止めました。
その悩みは「初めて」なのか。先人を探すという提案
ここからパーソナリティ2が、一つの視点を出します。相談者の悩みを軽んじたいわけではないと前置きしたうえで、その悩みが本当に人類で初めてのものなのか、という問いです。
果たして自分が持った悩みが、本当に自分がこの数億年単位ある地球の中で初めて抱いた悩みなわけがあるわけじゃないなって思ってて。
つまり、似た苦しみを克服した先人がいるかもしれない、という考え方です。今の時代ならAIでのディープリサーチや読書を通じて、解決のヒントや足がかりが見つかるのではないか、と話します。
何もわからない状態から抜け出すってなると、近い事象の人を見つける、が一旦nextactionになるのかな。
この提案に対し、パーソナリティ1は合理的だと認めつつ、別の角度から反論します。それは「未来のスタンスの話」であって、相談者が今感じている悲しみや苦痛そのものは抽象化できない、という指摘でした。
この人が感じてる悲しみとか苦痛とか、それは本物やと思うんですよ。それも抽象化できない。
生まれた家庭も、土地も、季節も一人ひとり違う。だからこの人の苦しみは本当に自分にしかわからないものではないか、とパーソナリティ1は考えます。
パーソナリティ2は、それでも苦しいを苦しいのまま置いていたら平行線だと返します。前に進めるなら、解決策となる足がかりを調べる方向に自分なら行き着く、という立場でした。
ここでパーソナリティ1が、相談者はすでにそれを実行しているのではないか、と指摘します。話を聞いてくれる人に出会える「場所」を尋ねている時点で、解決策はもう自分の外に探しに行っているのだ、と。
だから場所がどこかって聞いてるのね。解決策はもう知らんと。
「場所」を探すことと、自分の内面と向き合うこと
話は、そもそも「場所というゴールがある」と思っていること自体をどう見るか、という点に移ります。パーソナリティ2は、どこかにゴールがあると信じ続けることのリスクを語りました。
東京がゴールなのか、沖縄なのか、海外なのか。どこかに特別な場所や薬があるという発想はわかりやすい。しかし、つまるところ大事なのは自分の内面と向き合うことではないか、という見方です。
場所にとらわれると、どこかにたどり着くまではずっとラットレースなわけじゃん。
パーソナリティ2はこの構図を、漫画『ONE PIECE』の最終目的地ラフテル探しにたとえます。ただ、たとえた直後に自分でしくじったと苦笑いする一幕もありました。
たとえの主旨はこうです。ラフテルは、実はすでに通った島にあったというオチもありうるし、そもそも存在しなかったというオチもありうる。ゴールを盲目的に信じて追い求めているだけかもしれない、というものです。
ゴールを求めるが故にゴールにたどり着かないと、それって自分を苦しめることになる。
ここでパーソナリティ1が、話の変化を指摘します。先ほどはゴールを作ってそこへ進む話だったのに、今度はゴールから離れる話になっている、という矛盾です。
パーソナリティ2はその矛盾を認めたうえで、自分の中には2つのベクトルが同時にあると整理しました。相反する2つを並行して追いかけている、という自覚です。
医者でもわからないなら、自分で足がかりを探しに行く。前向きな個人の戦略。
もし自分が一人目の悩みなら、探して見つかるものなのかを同時に疑う。ある種の諦め。
これ矛盾してるというか、相反するものをパラレルで追いに行ってるって話。
結局は自分で決めるしかない、という答え
では今回の相談そのものにはどう答えるのか。パーソナリティ2は、隣で話を聞いてくれる場所があるかと問われても、自分も知らないと正直に答えます。
場所がありますか?って言われたら難しいよね。だって俺も知らねえもん。
パーソナリティ1は、この番組に出てくれてもいい、と半ば冗談まじりに応じます。相談者が「隣で」と書いていることを受けての反応でした。
パーソナリティ2は、普通なら家族や友達、恋人が隣で理解者になるはずだと指摘します。そのコミュニティから飛び出して探しているということは、身近な環境がないか、あるいはそこが毒になっているのではないか、と読み取りました。
むしろそこが毒になるっていう環境なのかなとも思っちゃうね。そうじゃないと飛び出ないのかな。
パーソナリティ1は、相談者が今ネガティブな状態にあるからこそ、問題解決そのものより、ポジティブになるためのエッセンスが欲しいのだと解釈します。だから「隣で」というキーワードが重要なのだ、と。
そのうえで2人がたどり着いたのは、結局は答えのない問いであり、自分で決めるしかない、という地点でした。
ただしそれは突き放しではありません。自分で決められる、とも言い換えられる、とパーソナリティ1は続けます。
パーソナリティ2は、決め方そのものにヒントを添えました。この場所に行けば隣に話を聞いてくれる人がいると決め込んでしまえば見つかるかもしれない。逆に「ここじゃない」と思い続ければ一生見つからない、という考え方です。
ここじゃないかもって思い続けたら一生見つかんないっていうかさ。
当事者にしかわからない苦しみと、それでも伝えたいこと
最後に、パーソナリティ2から相談者への補足が語られました。当事者にしかわからない苦しみがあるだろうから、浅く適当なことは言えない、という誠実な前置きです。
当事者じゃないとわからない苦しみとかあるだろうから、浅い適当なことは言えないけど。
そのうえで伝えたのは、いつか死ぬのだから楽しんだもん勝ちだ、という考え方でした。番組内で以前語られたおばあちゃんの話にもつながる、やりたいことをやればいいという姿勢です。
もちろんお金をはじめ、いろいろなしがらみや制約はある。それでもその中で最善の手段を選んでいけばいい、とパーソナリティ2は締めくくりました。
いろんなしがらみとか制約もあるけど、その中で最善手段を選んでいけばいい毎日じゃないでしょうか。
パーソナリティ1は、話したくなったらいつでもみんなに話してほしいと呼びかけます。そして相談者へ、番組にリスナーとして出てくれてもいい、と改めて伝えて収録を終えました。
まとめ
人生の意味を探して東京へ家出した未成年からの相談に、2人は「解決策を探しに行く」ことと「自分の内面と向き合う」ことのあいだを行き来しながら向き合いました。明確な答えは出さず、最後は自分で決めるしかない、しかし決められる、という地点に着地しています。
- 相談者は原因不明の病を抱え、生きる意味を知らないまま帰るのが怖くて東京で家出を続けている
- パーソナリティ2は、似た悩みを克服した先人を探すことを一つの足がかりとして提案した
- 一方で、場所というゴールにとらわれると終わりのないラットレースになる、という見方も示された
- 2人は「解決策を探す」と「探して見つかるか疑う」という相反するベクトルを同時に抱えていると整理した
- 最終的な答えは「答えのない問いだから自分で決めるしかない」、そして決め方次第で見つかるかもしれない、というものだった




