祖母がこぼした「死ぬのが怖い」の一言
この回は、しもちゃんが帰省したときの話から始まります。祖父母と両親と食事に行った席で、80歳ほどになる父方の祖母が「死ぬのが怖い」と口にしたそうです。
(祖母が)「死ぬの怖い」って言ってたんですよ。
しもちゃんは、まだ祖母が人生に満足していないのではないか、と受け止めたようです。とても元気な祖母だといいます。
(死ぬのが怖いというのは)どっちとも取れんじゃない?
相方は、この発言を一つに決めつけませんでした。年齢を重ねて死が近づくと、ぼんやりとした恐怖を持つ人もいれば、やりきったからこそ恐怖が薄れる人もいる、と2通りの可能性を挙げます。
(祖母は)もう80とかちゃうかな。めっちゃ元気やけどな。
しもちゃんは、死そのものは「状態」だから怖くないのではないか、という自分の考えも口にします。祖母の実感とは少し距離のある見方でした。
一人で海外旅行に行っていた相方の祖母
ここから話題は、2か月ほど前に亡くなった相方の祖母のエピソードに移ります。相方は祖母を「ファンキー」と表現しました。
もう若いというかな。(祖母は)なんかファンキーだったのよな。
相方の祖母は「死ぬのが怖い」とは真逆の姿勢だったといいます。相方の見立てでは、家族に迷惑をかけるくらいなら早く死にたい、延命治療で寝たきりになるより早く逝ったほうが自分にとってハッピーだ、というくらいの感覚を持っていたようです。
別に娘たち息子たちが悲しもうが早く死んじゃった方がむしろ自分にとってハッピーだしぐらいに(思っていた)。
平均寿命を超える80代後半で、健康寿命も長かったといいます。大きな病気で亡くなったのではなく、老衰で最後に少し体を悪くしただけの、いわば「クイックな」最期でした。
その祖母は、70代でも一人で海外旅行に出かけていたそうです。最後の旅行では、海外で亡くなったら周りに迷惑をかけるから、と自ら区切りをつけたといいます。
(祖母は)最後、あの、めっちゃ海外旅行行ってて。もうだから70代とかで。
相方によれば、祖母はタバコを吸い、肉を食べない偏食でもあったといいます。ただそれも、自分が楽しければいい、食べたくないから食べないだけ、という一貫した態度でした。
別に早く死んだ方が別に自分が楽しければ良くない?みたいな。
相方の祖母と祖父はとても仲が悪く、祖父が先に亡くなったあとは、むしろ晴れやかになったようにも見えたといいます。本音はわからない、と相方は付け加えます。
「命を燃やさずに死ぬ方が怖い」という死生観
祖母のこうした生き方を見てきたからこそ、相方自身の死生観も形づくられたと語ります。死ぬのが怖くないわけではないけれど、と前置きしたうえで、その先の考えを続けました。
一日一日を大切に生きてれば、まあだっていつか死ぬのは必定事項なんだから。そんなのに怯えててもしゃあないよな。
相方は、死は確定事項だからこそ、人間として生きている今世で命を燃やさずに死ぬほうがむしろ怖い、と話します。
明日交通事故で動けなくなって死ぬことになっても「生きててよかった」と思えるくらい、全力疾走していたい、というのが相方の今の感覚だといいます。しもちゃんも、この話を受けて祖母の人生を「いい人生だった」と受け止めました。
親に本音で話しづらいのはなぜか
話は、祖母が「死ぬのが怖い」と言った食事の席へ戻ります。そのやり取りは、しもちゃんと祖母の対話が中心だったといいます。そしてしもちゃんは、家族との会話で気づいたことを口にします。
僕普通にまだ親と友達になれてないなと思ったわ。
しもちゃんは、家族全員が自分にまだ気を使っていると感じたそうです。その原因を、自分の過去に見ています。
(自分が)思春期とか学生の時に、周りを抑圧するコミュニケーションしてたから、まだ今も気使ってくれてるんやと思うんですよ。
相方は、それを一般化して受け止めます。自分の中では変わっていても、親や祖父母は当時の色眼鏡のまま自分を見ているのではないか、というギャップの話です。
実家帰ると、なんか親ってまだ俺のことなんか中学生ぐらいに思ってんのかなみたいな。そのギャップない?
相方は、親世代と自分たちでは同じ10年でも時間の感覚が違うのではないか、という見方も示します。一方でしもちゃんは、より実務的な原因を挙げました。
一番は普通に情報の共有してないからやなって聞いてて思いました。だからアップデートできないんですよ。
「親だから」を理由にしないというマインドセット
しもちゃんは、親を「親」と思わず「友達」だと思って話す、というマインドセットを提案します。ただし、それが筋トレに近い難しさを持つとも言います。
友達は正直自分で物語を作れてしまうじゃないですか。物理的なその繋がりはないから。
しもちゃんによれば、親子関係は受精卵から生まれたという覆せない事実の上にあるため、「親だから言いづらい」「親だからこうしてほしい」といった理由付けが生まれやすいといいます。友達なら多少は解釈を入れられる、というのがその対比です。
これに対し相方は、そもそも親と友達は同じ関係性にはなれないのではないか、と率直な疑問を投げかけます。
親と友達ってさ、究極その関係性って絶対一緒になんないじゃんって俺は思っちゃってさ。
しもちゃんは、その指摘を一度受け止めたうえで、それでも本当の友達に近い、と返します。変えられない事実があっても、自分との約束を守ってコミュニケーションを取る強度が最も求められるのが親だ、という考えです。
合理的に考えたら、親にこそ、ほんまに仲良い友達みたいなコミュニケーションできた方が(いい)。
しもちゃんが求めているのは、たとえば急に帰っても「あんた、帰ってくるなら言いなさい」と迷惑がりつつ受け入れてくれる、友達のような距離感でした。血の繋がりがあるからこそ、そうしてほしいと思ってしまう、と本人も認めます。
(親を)人と人ってだけ(で見てる)。経験してる事象の回数とか、僕のことをいろんな方面から見てる人。
相方は、しもちゃんが関係性の枠ではなく、名前のついた個人として相手を見ていることに気づきます。
親だからとか友達だからとか、それはないです、僕。枠で捉えて。
なぜ本音で話すのが「小っ恥ずかしい」のか
相方は、自分は親と本音で話すのが小っ恥ずかしくて話したくない、と正直に打ち明けます。しもちゃんは、その理由を過去の自分に縛られているからではないかと分析しました。
親の前では、「あ、俺こういう俺じゃないな」っていう、過去の自分に縛られてるから言われへん気する。
相方は、少しかっこつけた答えかもしれない、と前置きしつつ、自分なりの理屈を出します。親なのだから言わなくてもわかるだろう、ノンバーバルのほうが伝達力は高い、という考えです。
言わんでも察してくれよ。
しもちゃんは、ノンバーバルというなら親の顔を見て笑っているか、と切り返します。相方が「この年になると恥ずかしい」と答えると、しもちゃんは、結局は恥ずかしさに落ち着いてしまうと指摘しました。
ノンバーバルって相手に伝えようっていう手段やから、伝えたいってまず思いがないといけないんですよ。
相方の「以心伝心でテレパシーのようにわかるのが血の繋がりだ」という言い分に対しても、しもちゃんは、先に答えを決めてしまうその発想こそがいびつだ、と返します。状況は一つひとつ個別に伝えていくしかない、というのが彼の立場でした。
個別伝えていかな、世の中。
「小難しく考える」職場の人をめぐる議論
話題は、しもちゃんの職場の人へと移ります。世の中を小難しく捉える人で、商売人・マーケター・デザイナー・職人といった役割の構造について語っていたそうです。
その人が悲しさを覚えていたのは、製造業の商流で、顧客に近い側が力を持ってしまう構造でした。メーカーが値上げを申し出ても、アパレル側に「売れないから100円下げてほしい」と言われてしまう、といった上下関係です。
金儲けの最適化できるやつに頭下げながら作る職人って、それ職人じゃないよねとか。
しもちゃんは、その構造を悲しんで受け入れないでいる姿を「小難しく考えすぎ」だと感じたといいます。変えられない構造ならスルーすればいい、というのが彼の見方でした。
一方で相方は、両方の気持ちがわかると言います。自分も「小難しい族」だと認めたうえで、その人には損している側を救いたくなる原体験があるのかもしれない、と想像しました。
一方でもっと目的から考えたら、そこに思考のリソース持っていかれてるのって無駄じゃない?ってドライに思うのもわかる。
「できると思える範囲」しか選んでいないだけ
しもちゃんは、聞きながら一つの見立てにたどり着きます。その人がしんどそうなのは、構造を変えられると思えているからではないか、というものです。
自分ができると思ってる未来の範囲を選択してるだけに過ぎないじゃないですか。
しもちゃんは、明日7時に起きられると思えるなら実際にできる、というたとえを出します。選択肢に見えているのにできないから、しんどくなっているのではないか、という分析です。
相方は、その人からすれば可能性はゼロに近くても1〜2%は紐を解ける気がしていて、視界に入っているのだろう、と受け止めます。そして自分自身の価値観も語りました。
その紐解きたいなっていう思いがある時に、なんとなくこれいけそうだぞっていうのがちょっとでもあったら、俺はそこを解きたくなるな。
相方は、無駄だと言われても、信念に沿っているならやるべきだと考えます。ただし、より大きな目的があるのに各論に固執しているなら話は別だ、と条件も添えました。
難しい知恵の輪で喜怒哀楽を味わいたい
相方は、知恵の輪を解くこと自体に快感を持っている人なら、解き続けさせてもいいのではないか、と話します。しもちゃんは、これに強く共感しました。
めっちゃ難しい知恵の輪解くからこそ目指せる喜怒哀楽を味わいたいって思う派ですね。
しもちゃんは、難しいからこそ「なんでできひんねん」と苛立つこともあるかもしれないが、それくらい心を震わせるゲームを自分の人生に作りたい、と語ります。
一方で相方は、その人が実際にはしんどそうにしていたのなら、辛いなら離れればいいのでは、という視点も示します。しもちゃんも、ポジティブになれるなら続ければいいし、離れてマイナスがゼロになるならそれ自体がプラスだ、と応じました。
なんかちょっとこう、テストステロン的な攻撃性がない、少なかったなと思って。
しもちゃんは、その人には最初の一回に踏み出す勇気、いわば攻撃性が少なかったのではないかと見ます。もっと大変な人だと断りつつ、そこを意識すれば一緒に楽しめるのではないか、という感想でした。
苦しみと楽、人生の配分をどう考えるか
ここから2人は、苦しみと楽の配分という、この回の核心へ入っていきます。相方は、大人になるとは辛くてもやらなければいけない場面があると知ることだ、と語ります。
楽したいと思ったら、その先もっときついことあったみたいな。
相方は、ワクワクすることだけが必ずしも正義ではない、と続けます。これに対ししもちゃんは、急ぎすぎではないか、と異を唱えました。
楽しく行った方がずっと楽しい状態でいれるじゃないですか。自分にあんまり負荷かけへんかった方が継続性があるなと思って。
相方は、自分が潰れる限界まで追い込むのは違うとしつつ、ぬるま湯に浸かっている状態と適度な負荷のどちらがいいか、という問いに置き換えます。ここでしもちゃんは、話が筋トレの構造と同じだと気づきました。
筋トレのように追い込んだ先に気持ちよさや実りがある。負荷がかからない時間は楽でも実にならない
負荷をかけすぎない方が継続性がある。ただし楽しさを起点に、感情が最も揺れ動くことを選ぶ
相方は、楽しいことだけを追い求めても究極的には楽しさは得られない、と言います。しもちゃんもここには同意しました。
楽しいだけを追い求めても、楽しいことって究極得られないと思ってるから。
相方は、苦しいことだけをやった先に楽しいことがあるとも思わない、と補います。結局はバランスの話だ、というのが彼の着地でした。
「楽」の意味を問い直す2人
ここで、しもちゃんの言う「楽」と相方の言う「楽」がずれていることが明らかになります。相方が二者択一なら楽したほうがいい、と認める一方、しもちゃんの「楽」は少し違う意味でした。
僕の楽するは、自分の感情が一番揺れ動くこと。
しもちゃんにとっての「楽」は、前職と同じような会社で年収だけ上げるより、学生時代のインターン仲間から「お前だから依頼してる」と声がかかるような、ワクワクに飛びつくことでした。
そのしもちゃんは、自分に今一番合った選択肢を選び続けると、その階段の先が勝手にゴールになる、と語ります。ゴールを自分で作っていく感覚です。
一番自分に今合ってる選択肢を選び続ける。で、その階段の先が勝手にゴールになってる。
相方は、この感覚を西遊記になぞらえます。西に行けばいいことがある、という真偽の定かでないゴールを一旦妄信し、辛くても楽しくてもその方向へ走る、という捉え方です。
西の方に行ったらなんかいいことがあるぞっていう、一旦そこがもうゴールだと妄信して。
相方は、道が閉ざされることもゴールを楽しむエッセンスの一つだ、と付け加えました。
「楽は苦の種、苦は楽の種」に行き着く
しもちゃんが、その死生観や苦楽の考えをどこで学んだのかと尋ねると、相方は自分の原点を思い出します。小学生のサッカーチームのコーチから教わった格言でした。
「楽は苦の種、苦は楽の種」っていう格言みたいなことをなんかすごいインストールされて。
相方は、苦しいことの先にハッピーがあり、ハッピーな状態も永遠には続かずいつか苦しい時が来る、と小学生のときに教え込まれたといいます。しもちゃんは、この格言に深く納得しました。
そらそうやわ。おっしゃる通り。話これで終わりやわ。だから両方言えてしまうね。
2人は、苦楽はどちらか一方では成り立たず、すべてが連関しているという点で一致します。そのうえでしもちゃんは、あえて自分の立場を一言でまとめました。
選択を答えにしに行くってアプローチの方が僕は結構好きかな。
苦しいことの先に楽があり、楽の先に苦が来る。負荷を受け入れながらゴールへ向かう「楽は苦の種、苦は楽の種」型
今一番合った選択を選び続け、その先を勝手にゴールにする。「選択を答えにしに行く」型
まとめ
祖母の「死ぬのが怖い」という一言から始まったこの回は、対照的な生き方をした相方の祖母、親と本音で話す難しさ、そして苦楽の配分へと広がりました。結論を一つに決めるのではなく、2人がそれぞれの立場を出し合いながら、苦楽が連関していることを確かめ合う雑談になっています。
- しもちゃんの祖母は「死ぬのが怖い」と語り、相方の祖母は一人で海外旅行に行くほど自由に生きた。死生観は一つに決めつけられない
- 相方は「命を燃やさずに死ぬ方が怖い」と考え、一日一日を全力で生きる姿勢を語った
- しもちゃんは「親だから」を理由にせず、人と人として本音で向き合いたいと話す。相方は本音で話す小っ恥ずかしさを認めた
- 負荷をかける相方と、楽しさや継続を起点にするしもちゃん。「楽」の意味そのものが2人でずれていた
- 最後は「楽は苦の種、苦は楽の種」という格言に行き着き、苦楽が連関していることで意見が一致した

