「経営者の器」とは何を指すのか
第39回のテーマは「経営者自身の成長はデザインできるのか」です。宇尾野さんは、自分たちにも直接関係する、ブーメランのように返ってくるテーマだと切り出します。
池原さんはまず、成長には複数の軸があると整理します。個人としての成長と、経営者という役割の中での成長は別物ではないか、という問いです。
経営者という役割の中での自分の成長って何だろうなって、いろんな軸があるなっていうことと、あとよく(経営者の)器とかって言うじゃないですか。
池原さんが挙げたのが「経営者の器」という言葉です。よく使われるが、その中身が何を指すのかはずっとぐるぐる考えているテーマだと話します。
これに対して宇尾野さんは、器を「物事の捉え方」という言葉に置き換えていると答えます。
この物事の捉え方っていうもの自体が広く深くあればあるほど、新しいサービスも生み出せるでしょうし、何かトラブルが起きた時に、これをどういうふうに次の糧にできるかっていうふうに切り替えられると思います。
宇尾野さんは、この物事の捉え方を経営者の一つのOSと表現します。OSが大きくなるほど、新しいチャンスやリスクへの対応も洗練されていくという捉え方です。
芯が強すぎても弱すぎてもいけない
池原さんは、一般に言われる「社長の器」は、細かいことを気にしない、いい意味でのザル、優しさといったイメージだと指摘します。しかし宇尾野さんの話はそれとは違うと感じ取ります。
宇尾野さんは、市場や社内、世の中全体が変化し続ける中でも、そこに適応できる組織が今は強いと話します。だからこそ変化し続けられる社長の存在が会社の骨格になると言います。
社長の芯が強すぎると、そこ(外的要素の変化)から適応できなくて崩れていく。
一方で池原さんは、芯がない社長も困るし、芯が強すぎても広がらないと悩みを口にします。社長には万能感が求められるのではないか、という問いです。
芯がない社長も嫌だし、芯が強すぎても広がらないしで、社長ってなんか万能感求められませんかね?
宇尾野さんは万能感は求められると認めつつ、その解決策として一人で背負わない道を示します。まだ力の骨格がこれからという場合は、器を一緒に広げてくれる経営チームを横に置くことが有効だと話します。
自分のあるべき姿が強く、外的要素が変化しても変えられない。従業員が助言しても適応できず崩れていく
軸が定まらず組織が広がらない。変化への対応はできても方向性が示せない
成長には痛みが伴うのか
池原さんは、経営者を成長させる団体EOに入った経験を語ります。ラーニングやコンテンツが豊富で、社長を成長させる仕組みが出来上がっているグループだと話します。
先輩経営者の話を聞くと、皆それぞれのハードシングスを乗り越えてきていると池原さんは感じます。そこから、成長にはどこかに痛みがあるのではないかと考えます。
やっぱり成長には痛みがどっかしらあって、それを乗り越えた人が成長するのかなって私は思うんですよね。
宇尾野さんは、そのハードシングス、いわば修羅場体験を自分でデザインできる人は強いと応じます。無理やりでも自分の在り方を広げる場所を持てるかが鍵だと言います。
成長って簡単に言うと、今の能力では太刀打ちできないものに向かっていくと見えてくるものだったりもする。
宇尾野さんは、今はハードだと思うことも1年後にはハードではなくなる、それがまさに物事の捉え方が広がるということだと補足します。
思い込みに気づいたときが成長している
池原さんは、経営していると思ってもみないことが起きると話し、そこで意気消沈してそのままにするか、学びにするかが分かれ目だと言います。そのうえで、宇尾野さん自身が成長したと思える体験を尋ねます。
宇尾野さんは、具体のシチュエーションはいくつもあると前置きしつつ、大きく括ると自分の思い込みに気づいたときが成長しているときだと答えます。
マネジメントとはこういうもの、100人の組織はこうあるものといった前提を誰もが持っているが、実際にふたを開けると違うことがあると宇尾野さんは言います。その気づきの瞬間に、物事の捉え方が揺らいでいるという捉え方です。
さらに宇尾野さんは、自分の体験だけでなく代理体験にも触れます。多くの会社経営の支援に半歩入ることで、思い込みに気づく機会が増えるため、役得だと感じていると話します。
(会社経営の支援で)この状況をどう乗り越えるんだろう、一緒にみたいなところで広がっていく。
池原さんは、自分がつらいときは冷静さを失いがちだが、支援する立場で引いて見られるのは貴重だと応じます。宇尾野さん自身が動揺しているときも、もう一人の自分が出てくるのかと問いかけます。
(もう一人の自分が)出てきますね。意外に朝とかそういうの出てきますね。
空白の時間に内省する習慣
池原さんは、朝にもう一人の自分と対話する宇尾野さんの様子を面白がりつつ、そこに大事な気づきを見出します。空白の時間に内省するモードをテンプレート化することが重要ではないかと問います。
宇尾野さんは、自分はそこまで習慣化していないとしつつ、朝ゆっくり物事を考えていると内省モードになると話します。
朝に結構ゆっくりして物事考えたりしてると、それなんか本当にその形でいいのかなみたいな(気持ちになる)。
瞑想やジャーナリングを朝に行っている人は、この感覚を持っているのではないかと宇尾野さんは補足します。
一方で池原さんは、成長には余白が必要だと感じつつ、経営者ほど予定がパンパンだという矛盾を打ち明けます。起きたらもう遅刻、という日々の中で余白をどう作るかが悩みです。
成長は余白に比例するんですかね。
実務の成長とOSのアップデートは違う
宇尾野さんは、修羅場体験だけを続けても、実務としての成長は得られると話します。ずっと修羅場に取り組めば、ある種の筋肉はついてくるからです。
ただし宇尾野さんは、それだけでは物事の捉え方を変える成長には直結しにくいと指摘します。実務の成長と、捉え方が広がる成長は別だという整理です。
(修羅場を)ずっとやってても、ある種筋肉はついてくると思うんですけど、それ自体が枠組みが広がる捉え方を変えるっていうものに、なかなかすぐに直結しなかったりもする。
池原さんは、自分のOSをアップデートするには余白を取ること、そして一人でやるのが苦手なら他者の力を借りることを挙げます。コーチやメンターに加え、EOのフォーラムを例に出します。
宇尾野さんは、自己否定が必要になる瞬間の難しさに触れます。今の自分をクリティカルに見ることは生存本能と逆行するため、他者の問いかけで痛みを緩和できるとよいと話します。
(自分を批評することは)自分の生存本能と逆行するんで、そこはなんか他人に問いかけてもらったりとか、一緒に考えて、その痛みを少し緩和する。
成長したかどうかは、耐性でわかる
宇尾野さんは、池原さん自身が成長を感じた場面を尋ねます。池原さんは、困難やトラブルに対する耐性はだいぶついてきたと答えます。
ただし池原さんは、それが成長かどうかは自己評価ではわかりにくいと言います。以前はくじけてすぐ泣いていたようなトピックも、今は違うと話します。
(同じトラブルも)3回目ぐらいになると、ああ来たなみたいなところの強さは出てきつつ、ちょっと余裕は出てくるかもしれないですね。
宇尾野さんは、同じトラブルが起きても「また来た」「これも経営のプロセスの一つ」と捉えられるようになったことに、捉え方の変化を見て取ります。
すごくなんか捉え方変わったんだなっていうふうに思いますよ。
池原さんはさらに、仲間を作ることの大切さを挙げます。似た境遇を乗り越えたメンター的な人や先を行く人の話を聞くと、自分ができているかの自己チェックになると話します。
「一人で成長をデザインする」と苦しくなる
宇尾野さんは、自分だけで成長をデザインできるかと考えると苦しくなると指摘します。共に成長し合う仲間もデザインできると、印象が大きく変わると言います。
成長というと、変わらなければならない、傷つかなければならないといったマイナスの印象がつきまとうと宇尾野さんは話します。だからこそ、その捉え方を変えることを提案します。
池原さんは、成長した先の最終形はどういうものかと尋ねます。宇尾野さんの答えは「仏」でした。何事にも動じず、その場で何をすべきかを一緒に意思決定できる状態です。
何事にも動じず、ただこの場で何をすべきかっていうことは、なんか一緒に意思決定できる。仏ですね。
仏か、イーロン・マスクか
一方で宇尾野さんは、市場を開拓している経営者やイノベーションを起こす人は事情が違うと補足します。強い思い込みで新しい世界を作ろうとする人が、何でも受け入れてしまうと発明のテーマが揺らぐと言います。
つまり、器をただ極大化すればよいわけではないという整理です。真の目的や観念を持ち続けたいテーマがあるなら、それに合わせた器の作り方があると宇尾野さんは話します。
池原さんは、イーロン・マスクがインタビューで語ったという言葉を引きます。ロケットを宇宙に行かせようとする人間が普通のわけがない、という趣旨です。
今回のエピソードで池原さんは、経営者の器の行き着く先として人格者への期待を認めつつ、市場を突破するにはある種の偏りも必要ではないかと話します。松下幸之助のような域を神様のようだと表現します。
宇尾野さんも、発明家・革命家のイーロン・マスクタイプと、仏のような松下幸之助タイプでは、負うべき責任も作りたい器の形も違うと応じます。
発明家・革命家。強い思い込みで新しい世界を作る。何でも受け入れると発明のテーマが揺らぐため、偏りが力になる
仏のような経営者。何事にも動じず、その場で何をすべきかを一緒に意思決定できる穏やかさと芯を持つ
動じない自分と、成長の直線ではない道
どちらのタイプにせよ、自分の枠組みをどこに置くかで成長の幅は大きく変わると宇尾野さんは強調します。今の自分の器の大きさに気づける場やフィードバックが有効だと話します。
それを強制的に確認する思考の余白みたいなのは、なんかぜひ作ってほしい。
宇尾野さんは、自分自身が目指す成長も語ります。接点を持った人が成功し、目の色が変わる場面を生み出したいという思いです。それを1対1に留めず、組織やチームが変化する起点にしたいと話します。
そのためにどんな人にも対応できるよう、器の大きさを広げることが思考のど真ん中にあると宇尾野さんは言います。どんなことにも動じずに生きていたいと願いつつ、実際には動じることもあると率直に認めます。
池原さんは、成長は直線ではありえないと応じます。行ったり来たりする線をつなぐと、いい感じの味になっているところへ行ければよいのではないかという捉え方です。
成長も多分直線ってありえなくて、行ったり来たりしながら、その行ったり来たりする線をつなぐといい感じの味になってるよね。
池原さん自身も経営者としての方向性を語ります。動じないこと、優しさ、そしていい意味の厳しさを怖がらず持てるようになりたいと話します。好かれたい・嫌われたくない気持ちがあるとブレてしまうと自覚しています。
自分の「器レベル」はどう測るのか
池原さんは、リスナーが最も気になるであろう問いを投げかけます。自分の器の測り方はあるのか、今の自分の状態をどう知ればよいのか、という問いです。
自分の器の測り方はあるのか。今の自分がどういう状態かを知る方法はあるのか。
宇尾野さんは、今回の話のベースに成人発達理論があると明かし、興味があれば関連書籍を読んでほしいと案内します。
そのうえで宇尾野さんは、具体的な言語化の方法を示します。成長した機会やセンセーショナルな場面を思い出し、そのときどんな動機で動いていたか、何に怯えていたかを言葉にすることです。
これらを経年で並べると、半年前に何にビビっていたか、自分はずっと何がモチベーションで動いているかに気づけると宇尾野さんは説明します。成人発達理論上、最も高い状態は変化し続け、矛盾や曖昧さを受け入れて自分で変容を作れる段階です。逆に、周囲の期待や規範に合わせてしまう状態が最も器が小さいとされます。
運転手として人生をドライブできているか
池原さんは、宇尾野さんのヒントを受けて、自分を駆り立てるものと足を引っ張るものを時々言葉にし、その変化を見ていくとまとめます。
さらに池原さんは、人生の運転手としてちゃんとドライブできているか、という視点でチェックしていく方法を加えます。助手席に乗る人ではなく、主導権を持てているかという問いです。
(助手席に乗る人ではなく)人生の運転手としてちゃんとドライブしていってるかなっていう視点でそれをチェックしていく。
宇尾野さんは、その過程で動じない自分に気づけると、徐々に自分の主導権が上がっていくと応じます。
最後に2人は、聞いている経営者にも紙に書き出して半年に一回見直すことを勧め、それぞれの成長体験をお便りで聞かせてほしいと呼びかけて締めくくります。
まとめ
今回は、経営者自身の成長はデザインできるのかを、器・修羅場・内省・仲間の観点から語り合いました。器を「物事の捉え方」というOSと捉え直し、それを一人で広げようとせず、余白と他者の力を借りながら育てていく姿勢が語られました。
- 経営者の器とは「物事の捉え方」であり、広く深いほど新しいサービスやトラブル対応につながる
- 成長は今の能力では太刀打ちできないものに向かうときに見え、自分の思い込みに気づいた瞬間に起きている
- 修羅場だけでは実務の筋肉はつくが、捉え方を変えるには内省の余白が必要になる
- 一人で成長をデザインすると苦しくなるため、共に成長し合う仲間もデザインすると楽しくなる
- 自分の器を測るには、どんな動機で動き何に怯えているかを言語化し、経年で見返すとよい




