最終回のタイトル「名前のない関係になるまで」が指したもの
二人がまず話したのは、最終回を見終えた率直な手応えです。8話あたりから展開が大きく動いていたぶん、最終回でも「とんでもないこと」をされるのではと身構えていたそうです。
俺の毎週金曜日の楽しみが終わってしまったよ。
ですが実際は、伏線を分かりやすく回収し、関係性を丁寧に説明する形で綺麗に終わったと、おっきーは受け取ります。MIYAMUはこの作品の主題そのものに触れました。
なんで関係性を他人に説明できなきゃいけないんだよっていう前提の話が、1話から10話まで綿々とされていて。
他人に言うための関係性に縛られすぎたが故に、人生おかしくなっちゃった人がいっぱいいるよねっていうところを、すごく感じながら鑑賞してました。
最終回のタイトルは「名前のない関係になるまで」。おっきーは、これが特に咲子と充に込められたタイトルだったのではと読み解きます。結婚という名前のついた関係から始まり、最終的に名前のない関係になるまでを描いた、というわけです。
MIYAMUは、登場人物を対にした構図にも注目します。まだ成長できる人と、もう成長しきってこれ以上伸ばさないと決めた人という対比が描かれていた、と話します。
ある程度の年齢になったら、こういう人格だからって割り切って、すり寄りとかじゃなくて、それぞれ生きていった方がそれぞれのために良いんじゃないっていう提案を、ドラマとしてしてるんだなと。
『最高の離婚』と重なった、好きなまま別れる二人
おっきーは見終えたあと、坂元裕二さんの『最高の離婚』を強く重ねたと言います。
最高の離婚のセリフの中で、(尾野真千子さん演じる役が瑛太さん演じる役に)「合わせたら死んでいくもん、私があなたの中の好きだったところがだんだん死んでいくもん」っていうのがあって。
今回の二人も、互いの秘密を知ったあと夫婦に戻ろうとしたものの、元には戻れなかった。おっきーは、無理に夫婦を続けようとして窮屈になっていく様子を9話で感じたと振り返ります。
だからこそ咲子は、自分からこの関係を終わらせることを選んだ、とおっきーは解釈します。好きという気持ちは変わっていないけれど、夫婦という関係にこだわらなくていい、という結論です。
一方でMIYAMUは、坂元作品と生方作品の違いも指摘します。生きづらさを抱えた人を描くのが坂元さんなら、それでも気丈にまともに振る舞おうと決めている人を描くのが生方さんだ、という見方です。
自分は変だと気づけないまま、ゆっくり周りから浮いている人を描く
自分は変だと気づいたうえで、気丈にまともっぽく振る舞うと決めている人を描く
MIYAMUは生方さんのインタビュー動画にも触れ、ごく普通の家庭出身で、真っ当な人生を歩みながらあの毒のある作品を書くことに驚いたと語ります。
(生方さんは)真っ当なまっすぐな人生を歩みながらも、こう歪みは自覚できるところであったなって思いながら脚本書いてるけど、普通ですって言い切れるのすごいなと。
「分かった、でも嫌だ」――理解と納得は別でいい
おっきーが最終回で一番好きだと挙げたのは、樹がコインランドリーでイマジナリーあずさと向き合う場面です。二人の関係を理解できたと言いながら、それでも嫌だと吐き出すシーンでした。
(樹生は)今すごく理解できてると思うって言った後に、でもやっぱ嫌なもんは嫌だわ、ごめん、ただの嫉妬って言ってるけど。
おっきーは、理解することと、納得することと、怒ることは別だと言います。理解はしたけれど嫌だと言えることを、このドラマのメッセージとして受け取りました。
さらにおっきーは、自分自身への学びにもつなげます。論理型で意見を述べるのが得意なぶん、感情を度外視して「分かる」で終わりがちだと自省します。
俺自身は分かったはするけど、でも嫌だはやってねえなって思った。
MIYAMUは、Xで怒っている人たちの反応を、分からないものへの防衛反応になぞらえます。
人のわからない感情を、お化け見るみたいな気持ちで、恐怖心なのかな。
わからないものに対して、人はやっぱり拒否反応をすることで、自分を守るために戦うみたいな防衛反応がある。それに似てる。
ただし二人は、怒ること自体を否定していません。樹生も嫌だと感情を出していた。だからこそ、まず分かろうとしたうえで感情を乗せる、その順番を大事にしてほしいという話です。
おっきーは、このドラマが「名前のない関係が正解」とは描いていない点も評価します。分からない人も分かった人も、どちらも肯定する姿勢だったからこそいい作品だ、というわけです。
一番成長した樹と、「パパ聞いて」に泣いた場面
二人が口をそろえたのは、中島歩さん演じる樹生が作品で一番成長したという評価です。
息子の翔が、亡くなった母の遺影をビデオ会議のように動かして「足大きくなったよ」と見せる場面も話題に上がります。おっきーは、スマートフォンで会議をする現代人の仕草だと表現しました。
そして二人が揃って泣いたのが、「ねえねえ、パパ聞いて」のセリフが重なる場面です。
(樹生の)あの顔良かったな。
パパとしての微笑みかつ、あずさに向けてるようなあの表情、超良かったよね。
最後にイマジナリー梓が咲子の前に現れ、直接「さっちゃん」と呼ぶ驚きも語られます。おっきーは、これは幽霊ではなく妄想として描かれている点が重要だと補足します。
おっきーの解釈では、咲子は前夜に樹生からあずさの人柄を聞いており、その話をもとに「あずはさんならどう言うか」を想像したのがあの場面だといいます。
離婚届と霧吹き――安心して別れていい、というメッセージ
MIYAMUが脚本家として深読みしたいと切り出したのが、離婚届を紙飛行機に折ってカレーに落とす演出です。
(咲子が)ぐちゃぐちゃになっても、傷ついて不完全になっても受け取ってもらえるから安心してっていう言葉が、この離婚届を出した後の二人の関係性にも投影されるのでは。
MIYAMUは、充が10年間きれいな紙のように汚れを見せず頑張ってきて、そこから崩れていったことと重ねます。ぐちゃぐちゃでも受け取る、という咲子の姿勢が充への救いになった、という読みです。
おっきーも、充が「嫌いになられに行こう」としていたと解釈します。嫌いになって別れたほうが後腐れがないと考えていた充に対し、咲子は違う答えを返しました。
そして二人が絶賛したのが、干したTシャツに霧吹きで水をかけ続ける演出です。乾くまでの時間を少しでも長くしたい二人が、こっそり別々に水をかけていました。
干してるものに水をかけ続けるって可愛い。
洗濯乾燥機に頼っていた二人が、あっくんという漁師のエピソードを経て「干せばよかった」と気づき、また二人で干すようになる。おっきーは、タイトルを回収する好きな演出だと語ります。
さらにおっきーは、二回目の視聴で気づいた仕掛けも明かします。咲子が充を好きになった理由を「忘れちゃった」と言っていたのに、実はイマジナリー梓とのコインランドリーの場面で語っていた、という重ね方です。
咲子も充と一緒のタイミングで好きになったんだってのが、あそこで明らかになる。あれもめちゃくちゃ憎い演出だな。
不倫の証拠が愛情の証拠に変わる転換
おっきーが伏線として注目していたのが、水族館と花火大会のチケットです。4話か5話でポケットから出てきたとき、樹と咲子は不倫の証拠だと受け取っていました。
自分たちの嫌いなものを知っているのに、こんなものを用意するはずがない――そう思われていた証拠が、実は互いを愛していた証拠だったと明かされます。
不倫の証拠やみたいに思われてた証拠が、実はお互いを愛していた証拠だったんだよって。
この場面での蒼井優さんの涙の演技を、二人はプロの仕事だと称えます。
あの涙を浮かべるのも綺麗だったな。
リリー・フランキーさん演じる古本屋の場面も、二人の涙腺を刺激したそうです。あずさに父としての気持ちがあったからこそ旦那の樹生に意地悪をしていた、と分かる場面でした。
リリーフランキーのおっちゃんが目にちょっとうるうるしてるところ見て、あそこも俺来たな。
最後の来訪者と、バスの子どもをどう読むか
最終回で意見が分かれたのが、最後に咲子のもとを訪れた人物と、Tシャツの解釈です。
(干してあるTシャツは)普通に満がお家に置いていって、久しぶりに帰ってくるから、乾いたものを着てもらおうと思って置いてるやつだと個人的には思った。
おっきーは、パートナーと見ていたときの反応も紹介します。最後に別の人と一緒になったと受け取る見方もあったといい、来訪者があえて描かれていないことに触れます。
おっきー自身は、来訪者を充であってほしいと考えています。バスの場面で「大人になったら帰る場所がある」と語られたことも、その読みを支えていると話します。
もう一つ議論になったのが、バスの中にいた子どもです。おっきーは、この子役が6話か7話で充の幼少期を演じた子役と同じだと記事で知ったと明かします。
一番最初に逃避癖が出始めた自分に言ってあげてる言葉だって、普通に受け止めた。
さらにMIYAMUは、「大人になったら帰る場所が増える」という言葉は汎用的な言葉ではないと指摘します。
(帰る場所が増えるのは)充にとってはの話で、対自分にしか言えない言葉だと思う。だからあれはイマジナリー充の幼少期だと思って。
だってMIYAMUちゃんは増えてないもん、大人になって帰れる場所。
つまり、視聴者一般に向けた言葉ではなく、充が過去の自分に向けた言葉だという解釈です。同じ子役をあえて使う必要があった理由もそこにある、と二人は納得します。
終わってしまった楽しみと、次に追うドラマ
最後は名残惜しさとともに締めくくられます。おっきーは、二人はまたTシャツが乾くまでの会話を楽しみ、充がふらっと出て行く、そんな関係が続くのだろうと想像します。
MIYAMUが次に注目するのは『Lost10』。塚原あゆ子さんが手がける作品で、『最愛』や『Nのために』のチームの流れにあると紹介されます。
さらに、野木亜紀子さん脚本の作品が同じ時期に別で出ることにも触れ、二人は来期のドラマへの期待を膨らませます。
おっきーは、金曜22時に予定を入れず家にいるようになったほど、久しぶりにリアルタイムで楽しめた作品だったと振り返ります。
リアルタイムで金曜22時は絶対に予定を入れずに家にいるって、もう硬派になってたからな、俺。
最後におっきーは、番組らしい合言葉で締めます。しっかりと分かったうえで、それでも嫌なら「でも嫌だ」と言っていこう、という呼びかけです。
まずはわかろうとする。わかった上で、でも嫌だ。そうやってやっていけたら。
まとめ
『Tシャツが乾くまで』最終回は、好きなまま安心して別れていいという結末と、「分かった、でも嫌だ」という感情の扱い方を丁寧に描いた回でした。二人は白か黒かではなく、その「あわい」を楽しむ姿勢でドラマを読み解いています。
- 最終回のタイトル「名前のない関係になるまで」は、結婚という名前を手放した咲子と充に重ねて読める
- 理解・納得・怒りは別物で、理解したうえで「でも嫌だ」と言うことを肯定するのがドラマのメッセージ
- 離婚届の霧吹きやチケットの転換など、伏線を回収しながら「安心して別れていい」を描いた
- 最後の来訪者やバスの子どもは複数の解釈が可能で、二人はイマジナリー充や帰る場所の意味を読み解いた
- リアルタイムで毎週楽しむドラマ体験の面白さを再確認し、来期も感想を続けていく






