目をつぶってパート1を解いてみたら、思いのほか良かった
私はいつも余裕だと思って臨んでも、本番前はやっぱりプレッシャーを感じます。今回も顔が痙攣していました。
私はストレスを感じると、ほっぺや耳の上あたりが痙攣しやすいんです。良くないなと思って、できるだけ目をつぶって情報を減らしていました。
昔はディレクションの時間にパート3を先読みしたりしていたんですが、今回はしんどくなったのでやめました。代わりに目をつぶっていたんです。
パート1も、写真を見ながら聞いていたら1番くらいで「ちょっとしんどい」と思ってしまって、目を離しました。目を離すということは見ていないということだから、もう目をつぶってもいいやと。
これが結構ハマったんですね。視覚情報があると、目の前のものにも音源にも引っ張られて、両方から情報を得ようとしてしまう。でも見ないようにすると、音声にだけ集中できるんです。
「目をつぶるといい」は、私にとってはずっと他人の気づきだった
実は「目をつぶるといいよ」「問題を見ない方がいいよ」というアドバイスは、私も昔から散々聞いていました。
でも自分には合わないなとか、やってみてもいまいちハマらないなと思って、結局やらなかったんです。
それが本番でやってみたら、思いのほか良かった。他人がいいと言っている気づきが、試験場で自分の気づりに変わった瞬間でした。
もちろんデメリットもあります。手元が見えないからマークできない、とかね。でも自分で体験しているから、仮に失敗しても情報になるんです。
世の中って他人の気づきだらけじゃないですか。私のYouTubeの動画もそうです。TOEICに必要な情報なんて、もうすでに揃っているはずなんですよね。
大事なのは、その揃っている情報を自分の気づきに変えられているかだと思うんです。
TOEICの解き方やタイムマネジメントも、最初は本に書いてあった他人の気づきでした。私がやり始めた初期に使った『直前の技術』のような本ですね。
それを何度も何度も意識的に実践して、うまくいかなくて、トライアルアンドエラーを繰り返す。その中で「あ、こうやればいいんだ」という自分の気づきに変わっていくんです。
何もせずに「そういう方法もあるよね」となんとなくスルーするのか、実際に試してみて自分の気づきに変えていくのか。英語学習全体にも言えることだなと思いました。
パート2の変化球は、母語のやりとりに比べたら全然変化球じゃない
パート2の話もしておきます。今回、変化球と言っても変化球じゃないなと思ったんです。
試験の1週間前くらいからTOEICモードになっていたんですが、思ったのは、普段の日本語のやりとりの方がよっぽど変化球だということです。
特に勝手をよく知っている家族とか、一緒にいる時間が長い人とのやりとりは、めちゃめちゃ変化球を投げ合っています。
だから極端に言うと、パート2を変化球だと感じるのは、シンプルに母語の力が不足しているんだと思います。難しいとか変わっているとかじゃなくて、理解できていないだけなんですよね。
普段の日本語のやりとりで「これパート2だと裏にこういうことが隠れてるな」と考えていると、本番の方がずっと楽に感じると思います。実際、途中でそう気づいてからパート2は圧倒的に楽になりました。
試験の途中、お祭りの太鼓と笛がずっと鳴っていた
ここからはちょっと愚痴っぽくなります。パート3の途中から、試験会場のビルの外でお祭りの太鼓や笛の音が聞こえてきたんです。
確実に聞こえていましたし、試験官も気づいていました。一人はあからさまに窓の外を見に行っていたくらいです。
でも試験は止まらない。試験官が「一旦中断します」なんて上から言われていないのに言えるはずがない。それはわかるんです。でも結構つらかった。
私は試験を何十回も受けていますが、一番最悪の試験環境でした。パート3、4のあたりはずっとポンポン、ピギャーと鳴っていて、2時間のうち40分くらいは鳴っていたんじゃないかと思います。
試験が終わった後、絶対誰か言いに行くだろうと思っていたら、30人か40人いた受験者は誰も言わずに帰っていったんです。
最後に私が言いに行ったら、責任者の方が来て「事前に聞いていなかったので、どうしようもなかった」と。返金の話も、その場では判断できないから後日はがきの番号に電話してくださいと言われて終わりました。
その場で判断できなかったのかな、というのはすごく思いますね。結構悲しかったです。年齢を重ねて、こういう小言を言うジジイになったのかな、とも思いますけどね。
パート7で痛感した「たった一語」を見比べる大切さ
リーディングの話もしておきます。パート7で改めて感じたのは、たった一語をちゃんと読めているか、という問題です。
文章の流れでなんとなくこういうことだろう、と答えられる問題は答えやすいんです。それよりも、この一語が見えていないと正解を選べない問題が何問かありました。
答えが出ないときに絶対やっちゃいけないのは、なんとなくこういう内容だったよなと全体を見返すことなんです。見るなら一言一句、ここにこう書いてあるから、この選択肢とこの選択肢を照らし合わせる、という読み方をしないと滑ってしまう。
正解の選択肢には必ず本文に書いてあることが対応します。だから、書いてあることを見つけようとすると、違う選択肢を選んだときに「あれ、これ書いてある気がしないな」という違和感が残るんです。
今回も一問、その違和感のおかげで戻れました。試験終了7分前くらいに見返したら、一語を見逃していて違う選択肢を選んでいたんですね。
もっと言語化すると、一語が一文の内容に言い換えられていることがあります。award-winningなら「賞を受賞している」と言い換えられる、というように。そういう一語で文相当のことを言っている表現を見逃さないのは、結構大事だなと改めて思いました。
付け焼き刃より、普段からニュース英語に触れていること
本番の3、4日前からTOEICを意識しなきゃと思って公式問題集11をやったんですが、リスニングの序盤で断念してしまいました。なんか面白くねえなと思って。
結局何をしたかというと、後期の大学の授業で使うことにした自分の本を予習として読んでいました。どう教えようか考えながらですね。
リスニングは1.2倍から1.3倍で聞いて、シャドーイングがばっちりできるかをチェックしていました。TOEICを勉強している人が倍速を使うなら1.2倍が限界かなと思っています。
ただ、普段から速い英語を聞いている人なら1.5倍でも案外いいなとも思いました。私自身1.5倍でも聞けましたし。
結局、リスニングでそんなに困らなかったのは、この付け焼き刃よりも、普段からニュース英語を1日30分から1時間くらい聞いているのが大きいのかなと思います。
まとめ
試験環境としては散々でしたが、それでも私にとっては「他人の気づきを自分の気づきに変える」ということを実感できた回でした。スコアはリスニングがなあ、という感じで、正直まだわかりません。いい方法はもう世の中に揃っているので、あとは自分で試すかどうかだけなのかもしれません。
- 目をつぶってリスニングに集中するといった「他人の気づき」も、自分で試して初めて自分の気づきに変わる
- パート2の変化球は、普段の母語のやりとりに比べればむしろ素直で、理解できていないだけのことが多い
- パート7では流れで解ける問題より、たった一語を見比べられているかが正解を分ける
- 付け焼き刃の対策より、普段からニュース英語に触れ続けていることが本番で効いてくる





