欠乏マインドセットとモチベーション、先に来るのはどっち?
みやちゃんとつんさんの話は、みやちゃんたちが行った欠乏マインドセットの研究デザインから始まります。この研究は、1つの時点でモチベーションと欠乏マインドセットを同時にデータとして取る横断研究 ── ある1時点で複数の変数を同時に測る研究方法。変数同士の関連はわかりますが、どちらが原因でどちらが結果かを示すのは難しいとされますでした。
みやちゃんによると、横断研究では2つの間に関係があっても、どちらが先かはデータから言えません。論文を出すと「モチベーションが欠乏マインドセットに影響することもあるのでは」と突っ込まれることが多いそうです。
結構そこは突っ込まれることが多くて、どうして欠乏マインドセットがモチベーションに影響するって言えるの?って。
ただ、みやちゃんはつんさんとの会話の中で、この指摘に反論できる道筋が見えたと話します。先に欲求があり、そこに欠乏マインドが生まれ、そこからモチベーションが生まれるという流れを理論的に説明できれば、マインドセットが先だと言えるからです。
欲求
まず何かを求める気持ちがある
欠乏マインド
それが「足りない」という認識を生む
モチベーション
足りなさを埋めようとするやる気が生まれる
何も無いとこからモチベーションって生まれ得ないものね。
つんさんは、欠乏マインドセットがモチベーションより先というのはそれほど疑いにくいと感じつつも、証明しろと言われたら難しいとも認めます。みやちゃんは、同じ人から時間やお金の欠乏マインドセットと、学業や仕事のモチベーションを何度も聞き取る長期研究なら、ある程度まで言えるだろうと答えています。
走らないとムズムズする。理屈を超えた欲求とは
つんさんは、長期研究をするなら欲求も一緒に聞き出すといいと提案し、人間の心は多層構造になっているという考えを話し始めます。例に挙げたのは、毎日ジョギングをしている人です。
ジョギングせんと気持ち悪いっていう人いるのね。走りに行かんと、もうムズムズして嫌だっていうの。
(それは)理屈を超えた欲求だと思うのね。
つんさんは一方で、「タイムが上がるから」「スタミナがつくから」「健康にいいから」走るというのは、考えたうえでの欲求であり、そこまでプリミティブなものではないと区別します。どちらも「走りたい」という欲求ではあるものの、層が違うというわけです。
みやちゃんは、研究者として「欲求と内発的動機の違いは何か」が気になり始めます。みやちゃんの感覚では、「走るのが気持ちいいから走りたい」はむしろ外発的な動機づけに聞こえ、「走らないとムズムズする」のほうが欲求に聞こえるそうです。
みやちゃんによると、内発的動機づけ ── 報酬や罰など外からの働きかけではなく、活動そのものへの興味や楽しさから生まれるやる気のこと。心理学のモチベーション研究で中心的な概念の1つですを測る質問紙は世にたくさんあります。ただ、「走らないとムズムズする」のような項目は聞いたことがないといいます。
そういう質問紙があったら、結局勉強しないと気持ちが悪いみたいな。
みやちゃんは、「勉強しないと気持ちが悪い」といった項目の質問紙なら、欲求もある程度は取れるのではないかと考えます。
「なぜ?」に答えられないものこそ欲求?
欲求とそれ以外を区別する手がかりとして、つんさんは「理屈で説明できるかどうか」、つまり「なぜですか」という質問に答えられるかどうかを挙げます。
走りに行きたいんです。なんでですか?いや、何でも何もちょっと走りに行きたいんですよと。
気持ち悪いんですよと。なんで気持ち悪いんですか?気持ち悪い。なんでって言われても。
つんさんの考えでは、「なんとかだから」と明確に言語化できないものは、欲求と言っていいのかもしれません。みやちゃんも「楽しいとか、そういう感覚以前のもの」と受け止めます。
ただし、つんさんは言語化できたものが欲求ではないとは限らないとも指摘します。言語化能力が高い人は、後から理由をつけられるからです。
ほんまムズムズして走りたいだけなんやけど、自分でこれは何でだろうと考えたりした時に、でもこれやっぱ成果も上がるしなとか。
つんさんによれば、本当はムズムズして走りたいだけなのに、「成果も上がる」「速度も上がる」といった理由を後付けで答える人もいます。みやちゃんは、だから欲求を研究データとして取るのは難しいと感じたそうです。
質問紙でもホルモンでも測れない本音
つんさんは、内心を扱う心理学では結局言葉として取るしかない、というのが難しいところだと話します。一方で、脳の活動を画像にするfMRI ── 脳の血流の変化から、どの部位が活動しているかを画像で調べる装置。心理学や脳科学の研究でよく使われますのように、生理的に測る方法もあります。
つんさんとみやちゃんは、質問紙による測定には限界があるという点で一致します。つんさんは、本人が本当は自覚していないケースもあると付け加えます。
みやちゃんは、欲求を測るならアドレナリンやコルチゾールといったホルモンレベルで取るしかない気がすると話します。しかしつんさんは、ホルモンが出ていても、その理由まではわからないと返します。
気持ち悪くてストレス感じてるのか、タイムが上がらないと、なんか次の大会に勝てないと思うことでストレスが出てるのかって。
みやちゃんはさらに、大学に行くといった欲求はホルモンでもわからず、質問紙で聞くしかないと話します。しかも本当のことを答えているのか、後付けなのかもわかりません。
大学に行かないとムズムズしないからみたいな。
気持ち悪いから大学に行きましたっていう人あんまりいない。
みやちゃんは、大学進学は欲求のレベルを少し超えているように感じつつも、知識欲や知的好奇心のレベルでは欲求があるだろうとも話し、その区別も研究の難しさだと振り返ります。
お菓子の成分表まで読む「識字欲」?
つんさんは、欲求には積み重ねもあると話します。子どもの頃から周りに本があり、読み続けてきた環境で育つと、「何でもいいから読んでおかないと気持ち悪い」という人が出てくるのではないか、という見立てです。
そういう環境やったから、もうなんかお菓子の裏に書いてある説明書きでも読んでしまうのよ。
字があったら絶対読むねん俺な。
みやちゃんも、お菓子の成分表やタンパク質の量を全部チェックすると応じます。つんさんは、それに興味があるわけでもなく、読んでも覚えていないのに、ただ読んでしまうのだといいます。
つんさんは冗談まじりに「識字欲っていうの?」と名付けます。そして、こうした欲求が積み重なった結果として大学に入った人がいてもおかしくないと話を広げます。その人にとって教科書を読むのは、目の前に本があると読まないと気持ち悪いからかもしれません。
つんさんは、積ん読ができず、読んでいない本があるなら手放したくなる人もいると話し、「だって俺がそうやから」と締めます。みやちゃんの返しは「自分がエビデンス」でした。
研究結果は氷山の一角。メディアの単純化のワナ
どこまで遡るのかという話になるため、つんさんは研究は本当に大変だと感じたそうです。みやちゃんは、研究者が言えることは氷山の一角にすぎないと応じます。
何年かけてすごい一生懸命何百人、何千人からデータ取って、ものすごい複雑な統計モデルを組み、それを言語化して、(論文を)出したとしても、そこから言えることって本当に一部だから。
みやちゃんは、言えない部分を議論することも大切で、研究を読み解く側も同じだと話します。つんさんは、読む側が意識すべき点として、時間軸、時代、そして大学や学生など研究対象の範囲を挙げます。
つんさんによれば、キャッチーな内容や筋の通った説明を見ると、研究者が言っていないのに汎用的なものとして受け止めてしまいがちです。そのうえ論文そのものを読む人は少なく、記事やテレビ番組、YouTubeで紹介されるのは、わかりやすく単純化された部分です。
論文
時間軸・時代・対象範囲などの限定条件つきで結果を示す
メディア紹介
わかりやすく面白い部分が抽出され、限定条件が飛ばされる
受け手
汎用的な結論のように受け止めてしまう
まあだから限定条件をつければつけるほど、情報としての価値が下がってしまう。YouTube的にはね。
つんさんは、この性質から多くの研究が誤解されているのではないかと話し、限定条件を意識することが研究を読むときのコツになるかもしれないとまとめます。
お金が「ある人」と「ないと思う人」は同じ?
みやちゃんは、自分たちの研究でも欠乏マインドセットを時間とお金に限定していたものの、時間とお金だけでもかなり違う結果が出たと話します。同じ理論でも違う解釈が生まれるそうです。
つんさんは、「お金がない」と認識している人をひとまとめにすることにも疑問を示します。お金があるのにないと思っている人と、実際にお金がなくてないと思っている人は、違うはずだからです。
いや、ほんまにないんです。明日のご飯も買えないから今からバイトに行くんですっていう人と。
いや、実家から通ってるんですけど、僕が遊ぶお金あんまりないんですっていう人とでは、やっぱ違うと思うのね。どっちも欠乏マインドセットだけど。
つんさんは、どこまで細かく分けるのかという問題はあるとしつつも、両者を同じくくりにすると違いがデータから消えてしまうのではないかと話しています。
事実の残高より「足りない」という主観
みやちゃんによると、最初の研究では、学生が勉強に使える時間やお金の実際の量は、データとして取っていませんでした。ただ、それが必要な情報だとわかり、今進めている次の研究では測っているそうです。
みやちゃんは、実際のお金・時間と、自分がどれだけあると思っているかという心理的な部分を分け、どちらがモチベーションに影響するかを検証しました。なお実際の量も質問紙で本人に聞いたもので、どこまで正確かはわからないとも添えています。
実際に今あるお金と時間(本人の回答による)
お金や時間がどれだけあると思っているかというマインドセット
その実際にあるお金とか時間よりも、心理的にどれぐらいあるかないかって思ってる心の方が、より大きな影響を及ぼしてたってことがわかったんですよね。
みやちゃんは、お金がたくさんあってもないと思っている人もいれば、その逆もいると話します。つまり結果が示すのは、実際の量より「ないと思っている心」のほうがやる気に影響しやすいということです。
一方で、ルールや法律を作るなど社会規模で何かを考えるときは、世帯年収のような実際のお金や時間が注目されがちだと、みやちゃんは指摘します。どれだけ「ない」と思っているかは、あまり考慮されません。
みやちゃんは、心理的な部分のほうがモチベーションや成果に影響しやすいのなら、そこにももっと焦点を当てることが大事だと感じたそうです。
なぜ人は「足りなさを分かってくれる政治家」に投票するのか
つんさんは、社会の大きな決定は統計上の数字がベースになるというみやちゃんの話を受け、選挙になると全然違うと切り出します。投票するのは人間だからです。
人間がじゃあこの人を応援しようと思う時って、自分が足りないと思っているところを助けてくれようとする人に、やっぱり投票したいと思うと思うのね。
つんさんによれば、それは自分がいくら持っているか、人と比べてどうかといった統計的なこととは関係ありません。東京、大阪、愛媛、長崎で子育てをしている人は、地域や家庭、個人によって「足りない」と思うことがそれぞれ違い、その思いが投票行動に影響するといいます。
つんさんは、政治家は当選するためにそこを汲み取ろうとすると続けます。タウンミーティングを開いたり、あちこちで握手しながら話を聞いたりして、選挙区の人が何に不満を持っているかを重視するわけです。
そこを完璧無視して、いや、統計こうなってるんでこうなんですよって言うと、もうそこで自分の仕事が終わってしまう。
次の選挙が来たら、あの人冷たい人やわと。気持ちわかってくれへんやんということで、投票しないっていう行動に出る人も多いと思うのね。
もちろん統計的・合理的に全体を考えるべきだという人もいます。ただつんさんは、いざ投票となったときに自分の気持ちの影響を排することは、普段からよほどロジカルに暮らしている人でないと難しいのではないかと話します。
つんさんは、意外と心理ベースで大きな決定がなされていて、そこには良し悪しがあると話します。みやちゃんが「後で統計が出てきて、は?みたいな」と返すと、つんさんも「あの時あんたらそう望んだやん」ということも実際あったと思う、と応じます。
まとめ
今回のみやちゃんとつんさんの対話は、欠乏マインドセットの研究を入口に、言葉にできない欲求の存在と、事実より主観が人を動かすという人間らしさに行き着きました。研究を読むときも社会を考えるときも、数字の裏にある「足りない」という気持ちに目を向けてみると、見え方が変わるかもしれませんね。
- 横断研究では、欠乏マインドセットとモチベーションのどちらが先かは言えず、長期研究や欲求の理論づけが必要になる
- 「なぜ?」に理由を答えられない「走らないとムズムズする」感覚こそ、原初的な欲求かもしれない
- 欲求は質問紙でもホルモンでも測りにくく、後付けの理由や無自覚さが研究を難しくする
- メディアで紹介される研究は限定条件が飛ばされやすく、時間軸・時代・対象範囲を意識して読むのがコツ
- みやちゃんの新しい研究では、実際のお金や時間より「ないと思う主観」のほうがモチベーションに強く影響していた



